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第3話 婚約者ができました?
ep.29
しおりを挟む……エリクのバカ。
なによ。誰よりも信頼しているって言ったくせに、結局はなにも言ってくれないんじゃない。
腹立たしさと虚しさと寂しさがごっちゃになって、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
この旅行でのわたしは、なんか変だ。前ならこんなふうに思うことなんてなかったのに。自分で自分の感情が上手くコントロールできない。
なんでだろう。どうして、こんなに心が乱されるんだろう。相手はエリクなのに。もうわけがわからない。自分のことなのに、まったくわからない。
こんな自分が心底いやだ。だって、子どもみたい。エリクがわたしになにも言ってくれないのが嫌で拗ねるなんて……。
とにかく、落ち着かなくちゃ。
大丈夫。ちょっと眠ればこの気持ちも落ち着いて、いつものわたしに戻る。だって、いつもそうだもの。寝たら全部忘れられるのが、わたしだ。
早く王宮に着きますように、と必死に祈っているときに限ってなかなか着かない。
そして先ほどのエリクの言動を思い出して、胸がざわざわとしてしまう。
たとえば、エリクの手が予想外に大きかったこととか。慣れたように指を絡めてきたこととか。素っ気なく言ったのに、その言葉に反して指輪を嵌めるときのエリクの手つきが大切なものを扱うように慎重だったこととか。
そんな些細な、けれどいやに胸が高鳴る出来事を反芻してしまう。そして、そのたびに、やっぱりなにも言ってくれないエリクに対して、悲しい気持ちになる。
「リディ」
「……なに?」
エリクの顔を見ないまま、素っ気なく答える。
態度が悪いけれど、大目に見てほしい。きっとわたしの顔はすごく不細工になっていて、見られたものじゃないだろうから。
「なにを怒っているわけ?」
「……怒ってなんかないわ」
「嘘だね。じゃあ、なんでぼくの顔を見ないの?」
「いいでしょ、別に。エリクの顔なんて見飽きているのだから」
ああ、可愛くない。わたしの態度、本当に可愛くない。別にエリクに可愛いと思われたいわけではないのだけど、これはちょっと酷すぎる気がする。
なんでこうなのだろう。きっとエリク以外の人になら、もっと愛想良く振る舞えるのに。
呆れてしまったのか、それとも怒ったのかは顔を見ていないからわからないけれど、それ以降、馬車の中でエリクが声をかけてくることはなく、時折、伯爵さまとなにか話しているだけだった。
王宮に着いて部屋に戻ると、わたしは寝室に引きこもった。
今日は晩餐会もないし、このまま寝室に引きこもって寝てしまおう。そういえばお昼ご飯も食べていないけど、とりあえず気持ちを落ち着けるのが先決だ。
服が皺になるのも構わず、わたしはベッドに潜り込む。ユーグに怒られるかもしれないけれど、まあそのときはそのとき。大人しく怒られよう。
手袋を外してベッドの下に放る。
そして何気なく見た右手の薬指には、先ほどエリクが買ってくれた指輪が、どこなく鈍い色をしていた。
ぎゅっときつく瞼を閉じて、布団を被る。
早く眠れと必死に唱えるのに反して、眠気は一向に訪れない。さっき、馬車でうたた寝をしてしまったから眠れないのかもしれない。
早く寝て、いつものわたしに戻らなくちゃいけないのに、どうしてこういうときに限ってこうなのだろう。明日には夜会があって、それにはエリクの婚約者として参加しなくちゃいけないのに。
こんな気持ちのまま、エリクの婚約者として振る舞うことなんてできない。
だから早く眠って気持ちをリセットしなくちゃ。早くいつものわたしに戻らなくちゃ……!
「──リディ」
突然、エリクの声がしてびくりとする。
わたしが引きこもった寝室には鍵がなく、同室のエリクは当然入ることが可能だ。
今はエリクの顔を見たくない。だから寝たフリをしてやり過ごそう。
「寝ちゃったの? 行きの馬車で寝てたのにねぇ」
呆れたようなエリクの声にムッとする。
うるさいな! いつ寝ようとわたしの勝手でしょ!
「……しょうがない子だね」
そう呟く声と、ギシ、とベッドの軋む音がすぐ近くで聞こえた。
恐らく、エリクはわたしの寝ているすぐ側に座ったのだろう。レディの寝顔を覗き見するなんて、紳士のすることじゃないと思うのだけど!
「まったく……勝手に一人で怒って寝ちゃうなんてね……本当に子どもだな」
うるさい! 寝れば機嫌が直るんだからいいじゃないの! ほっといてよ!
心の中で必死に反論するけど、当然それがエリクに届くはずもなく、ただムシャクシャするだけだった。寝たフリは失敗だったかもしれない。
「リディ」
いつになく優しいエリクの声音に、胸がどくんと高鳴った。
エリクの指が、わたしの髪を梳く。
その動きが声音と同じくらい優しくて、そわそわしてしまう。今は寝たフリをしているから、身動ぎすらしてはいけないような気がして、緊張する。
ドクンドクンと心臓の音が響く。
なんとなく、いけないことをしているような気がしてしまって、落ち着かない。
エリクはしばらくわたしの髪を梳いて満足したのか、指を離す。それが名残惜しく思ってしまったわたしはどうかしている。
「なんで怒っているのか知らないけど……いい加減、機嫌直してよね」
エリクがそう言ったあと、パタンとドアが閉まる音がして、わたしは大きく息を吐いた。
なんなの。本当にわたし、どうしちゃったの。
とりあえず、これでは眠れそうにない。
むくりと起き上がってベッドから下りて顔をあげると──そこには、出て行ったはずのエリクが立っていて、わたしと目が合うとニヤリと笑った。
「やっと起きた。寝たフリはもう満足したの?」
「なっ……!」
バレてた! エリクに寝たフリってバレてた!!
言葉が出ずに口をパクパクとさせるわたしにエリクが近寄り、手を取った。
「じゃあ、なんで怒ったのか吐いてもらおうか? こっちに来て」
強引に手を引っ張られ、隣の部屋にあるソファに座らされる。
わたしが逃げ出さないように、距離を詰めて座ったエリクはじっとわたしの顔を見つめた。
エリクと目を合わせていられなくて、そっと顔を反らすと、エリクがため息を溢す。
「……あのさ、言いたいことがあるならちゃんと言いなよ。そういう態度を取られるのが一番腹立たしいんだけど」
「……別に言いたいことなんてないもの。わたしのことは放っておいて」
「へえ? じゃあ、ぼくの目を見て同じことを言ってよ。そうしたら望み通りにしてあげる」
「それは……」
口篭ったわたしに、エリクが「ほら、言えない」と呆れたように呟く。
「そんなふうだと、困るんだよ。明日は夜会があるんだから、しっかりしてもらわないと」
「わかっているわ。明日までには、いつものわたしに戻るから……」
「どうだか。どうしてきみはそう、変なところで意地を張るわけ? ぼくに文句があるなら言えばいい。いつもそうしているくせに」
その通りだ。わたしはいつも好き勝手にエリクに言っている。なのに、どうして今はこんなにもエリクから逃げたいと思うのだろう。こんなの、わたしらしくない。
「……だって……」
わたしから出たのは、その一言だけだった。
本当に情けない。
実際、エリクに文句があるわけではない。ただちょっと、子どもみたいに拗ねているだけ。それだけのことだ。
冗談めかして謝ればいい。「ごめんなさい」って。それだけで済む話なのに言えない。
またしても黙り込んだわたしに、エリクはぽつりと「リディはさ……」と言い出した。
「普段は感情がそのまま顔に出るのに、肝心なところでは隠そうとするよね」
「そういうわけじゃ……」
「そういうことだよ。きみはぼくに信用できないのかって聞いてきたけど、そっくりそのまま聞き返すよ。ぼくのこと、そんなに信用できないの?」
エリクの台詞にハッとして、わたしは咄嗟にエリクを見て否定した。
「違う! そんなんじゃ、本当になくて……」
「じゃあ、なに?」
「それは……」
ああ、上手くこの気持ちを言葉にできない。それがすごく、もどかしい。
「……エリクは、わたしの考えていることなんて、お見通しなんでしょ? いつも通りにわたしの考えを読めばいいじゃない」
結局わたしの口から出たのはそんな可愛くない言葉だった。
なんて酷い台詞だろう。自分のことがわからないから、他人に丸投げしてしまうなんて、最低だ。
「……ぼくにはリディの考えていることなんて、これっぽっちもわからないよ」
「うそ。だっていつも、わたしの考えていることをズバリと言うじゃない」
「それは考えを読んでいるんじゃない。長年の付き合いでの経験と、リディの表情を見て予測しているだけ。それに……リディの考えていることが読めるのなら、ぼくはこんなに苦労していない」
少し苦々しく言ったエリクに目を見開く。
そんなわたしを見て、エリクは眉間に皺を寄せた。
「むしろ……きみだからこそ、わからないんだ。きみはぼくとは全然違う考え方をする。ぼくはリディ以上に考えの読めない人は知らない」
まっすぐにわたしの目を見て、エリクはそう言った。
「だから……きちんと言ってくれないと、ぼくはリディがどう思っているのか、さっぱりわからないんだ」
「エリク……」
……そうだったんだ。
てっきり、わたしの考えはエリクには筒抜けなのだとばかり思っていた。エリクにわたしの考えを当てられたことは数えきれないほどあったから。
「教えて、リディ。きみは、なにを思っているの?」
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