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天気雨の呼び方
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夜、とある豆腐屋の寝室にて、年老いた男が眠りについていた。それは深い眠りで、死んでいるかも知れないと見る者を不安にさせた。
そう、男を見ている者、狐が居たのだ。狐は最初、入口から男を見ていたが、徐々に男の寝ている布団へと近づいていく。枕元まで辿り着いたとき男が目を開ける。目が合う一人と一匹。深い眠りから目を覚ましたその時、狐に見つめられている気分はいかがなものなのだろうか、想像もつかない。だが男にとってはこの上なく喜ぶべき事だったらしく、いつかの少年時代に見せたような顔で狐を受け入れた。
「おお、来てくれたか。ずっとお前に言いたいことがあった」
狐は黙ったままだ。
「今までありがとうな。だけどもういいんだ、自由に生きてくれ」
何のことを言っているのだろうか。だが、狐には男の言いたいことが理解出来ているようで、ちょこんと座り話を促したように見えた。
「俺がガキの時、お前に友達になってくれと願った。俺が店を出した時、お前にこの店を見守ってくれと頼んだ。俺の自分勝手な願い事なのにお前は聞いてくれた。すまなかった。もう俺は死ぬ、店もこれからは息子がやっていく。まあ良ければ、アイツのお揚げを受け取ってくれると嬉しいな。アイツ、落ち込んでたから」
そう言って男は笑う。だがその行為にもう体が耐えられないのか、目を瞑り酷い咳をした。男が咳をしている間は数秒ではあったが、再び目を開けると枕元に黒い服を着た金髪の女性が座っていた。驚くことなく男はそれを見て微笑む。
「なんだ驚かんのか」
「以前見た顔だ。俺が初めてのデートで不安になっていた時、後ろから俺以上に緊張した奴が、見守ってついて来ていたのを覚えている。店が上手くいっていなかった時も、綺麗な金髪の女性にこの店をお勧めされたから来た、という客に会った」
「……バレてたのか」
女性は拗ねたように唇を尖らせたが、男はそれが愉快で笑い、また咳をする。
「我を笑った罰だな」
「そうだな。それと自分勝手な願いをした罰でもあるだろうな」
「――言っておくが、我はお主の願いを聞いた覚えは無いぞ。お主が勝手に勘違いをして、勝手に我に感謝しただけだ」
女性の話を聞いて男は訝しむ。
「そっか。何か神聖そうな狐様だったから願いを叶えてくれたと思ってた」
「神聖な狐様ではあるが、一個人にそこまでする義理は無い」
「だとしたら、店が上手くいく手伝いをしてくれたのは何故だ?」
あくまで何もしていないと良い張る女性に男が問いかける。すると女性は少々困ったような顔をして答えた。
「我はお主の願い事を叶えたのではなく……友人として我のやりたいよう勝手に手伝っただけだ」
「良かった」
「何がだ?」
「守り神様とか周りには言ってたけど、俺もお前のことはずっと友達と思ってた。友達にしてはちょっと色々世話になりすぎてたかもしれないけどな。代わりにお揚げとかをプレゼントしてたし、それでチャラって事になったのか」
「別にそんなのいらんわ。貰えるなら貰うがな」
そう言ってまた笑う男とそれに釣られる女性。だが先ほどまでと比べて明らかに男の元気が無くなってきている。そろそろ、なのかもしれない。
「じゃあ友人への頼みとして一つ。今日はずっといてくれないか?」
「――阿呆。そんなの頼まれるまでも無い」
そう言って二人は昔話に花を咲かせた。男が忘れかけていた恥ずかしい話や、初めてのデートでの情けない姿を持ち出し女性は男をからかい、男もまるで昔に戻ったかのように笑う。だんだんと男よりも女性の声の割合が多くなり、男は相槌に専念しているようだったが、それでも女性は努めて楽しそうに話を続けた。いつしか男の声が聞こえなくなっても、その部屋からは女性が誰かと話しているように会話する声が明け方まで響いていた。
相も変わらず雨が降り続けるあくる日、葬式が終わってしばらくした後、橘は豆腐屋の様子を見に行っていた。
「結局久野はどうしたかな」
そうは思ったが、久野が会いに行っていても行かなくてもそれを知る人間はいないだろう、という事に思い至る。だが何かの情報が無いかと思って豆腐屋に来たのだ。油揚げを注文しながら世間話をする。
「結局、狐って来ました?」
「あ、お客さんいらっしゃい! いやぁ誰も見てないね」
「そうですか……」
橘は肩を落としたが、それを慰めるように店主は続ける。
「だけど親父に狐が来るかもって言ったら『今夜は一人にしてくれ』って言ってたからね、誰も見ていないけど多分会ってたんじゃないかな」
「だと良いですけどね」
少なくとも、久野の事を誰よりも分かっているお爺さんがそう言ったのなら、多分来たのだろう。確証はないがまあしょうがないか。そう橘が思っていると、
「そういえば、狐じゃないけど女性の綺麗な声が親父の部屋から聞こえた、ってかみさんが言ってたからもしかしたら狐が化けてたのかもね!」
「そうかも知れませんね」
そう言って快活そうに笑う店主。橘はそれを聞いて、安心して注文した油揚げを受け取ろうとした。その次の瞬間、狐が橘の油揚げを奪っていた。
「あっテメエ!」
怒りに震える橘を馬鹿にするように、狐は一言だけ鳴いてどこかへ消えていった。あっという間の事で、橘が動けないでいると店主からサービスとして油揚げを無料で頂く。
「すみません」
「いや、いいんだ。ようやくあの狐に俺のお揚げが認められたって事だから嬉しくて! よっしゃあ、見ててくれ親父!」
予想外のテンションに付いていけず店を後にする橘。ふと、眩しさに空を見上げると、相も変わらず雨が降り続いてる雲の隙間から太陽が照っていた。それを示す言い方は色々あるが、橘はとりあえずこの場では「狐のご祝儀」という言葉で捉えることにする。橘が歩みを進めたとき、再び狐の鳴き声が聞こえた気がした。
そう、男を見ている者、狐が居たのだ。狐は最初、入口から男を見ていたが、徐々に男の寝ている布団へと近づいていく。枕元まで辿り着いたとき男が目を開ける。目が合う一人と一匹。深い眠りから目を覚ましたその時、狐に見つめられている気分はいかがなものなのだろうか、想像もつかない。だが男にとってはこの上なく喜ぶべき事だったらしく、いつかの少年時代に見せたような顔で狐を受け入れた。
「おお、来てくれたか。ずっとお前に言いたいことがあった」
狐は黙ったままだ。
「今までありがとうな。だけどもういいんだ、自由に生きてくれ」
何のことを言っているのだろうか。だが、狐には男の言いたいことが理解出来ているようで、ちょこんと座り話を促したように見えた。
「俺がガキの時、お前に友達になってくれと願った。俺が店を出した時、お前にこの店を見守ってくれと頼んだ。俺の自分勝手な願い事なのにお前は聞いてくれた。すまなかった。もう俺は死ぬ、店もこれからは息子がやっていく。まあ良ければ、アイツのお揚げを受け取ってくれると嬉しいな。アイツ、落ち込んでたから」
そう言って男は笑う。だがその行為にもう体が耐えられないのか、目を瞑り酷い咳をした。男が咳をしている間は数秒ではあったが、再び目を開けると枕元に黒い服を着た金髪の女性が座っていた。驚くことなく男はそれを見て微笑む。
「なんだ驚かんのか」
「以前見た顔だ。俺が初めてのデートで不安になっていた時、後ろから俺以上に緊張した奴が、見守ってついて来ていたのを覚えている。店が上手くいっていなかった時も、綺麗な金髪の女性にこの店をお勧めされたから来た、という客に会った」
「……バレてたのか」
女性は拗ねたように唇を尖らせたが、男はそれが愉快で笑い、また咳をする。
「我を笑った罰だな」
「そうだな。それと自分勝手な願いをした罰でもあるだろうな」
「――言っておくが、我はお主の願いを聞いた覚えは無いぞ。お主が勝手に勘違いをして、勝手に我に感謝しただけだ」
女性の話を聞いて男は訝しむ。
「そっか。何か神聖そうな狐様だったから願いを叶えてくれたと思ってた」
「神聖な狐様ではあるが、一個人にそこまでする義理は無い」
「だとしたら、店が上手くいく手伝いをしてくれたのは何故だ?」
あくまで何もしていないと良い張る女性に男が問いかける。すると女性は少々困ったような顔をして答えた。
「我はお主の願い事を叶えたのではなく……友人として我のやりたいよう勝手に手伝っただけだ」
「良かった」
「何がだ?」
「守り神様とか周りには言ってたけど、俺もお前のことはずっと友達と思ってた。友達にしてはちょっと色々世話になりすぎてたかもしれないけどな。代わりにお揚げとかをプレゼントしてたし、それでチャラって事になったのか」
「別にそんなのいらんわ。貰えるなら貰うがな」
そう言ってまた笑う男とそれに釣られる女性。だが先ほどまでと比べて明らかに男の元気が無くなってきている。そろそろ、なのかもしれない。
「じゃあ友人への頼みとして一つ。今日はずっといてくれないか?」
「――阿呆。そんなの頼まれるまでも無い」
そう言って二人は昔話に花を咲かせた。男が忘れかけていた恥ずかしい話や、初めてのデートでの情けない姿を持ち出し女性は男をからかい、男もまるで昔に戻ったかのように笑う。だんだんと男よりも女性の声の割合が多くなり、男は相槌に専念しているようだったが、それでも女性は努めて楽しそうに話を続けた。いつしか男の声が聞こえなくなっても、その部屋からは女性が誰かと話しているように会話する声が明け方まで響いていた。
相も変わらず雨が降り続けるあくる日、葬式が終わってしばらくした後、橘は豆腐屋の様子を見に行っていた。
「結局久野はどうしたかな」
そうは思ったが、久野が会いに行っていても行かなくてもそれを知る人間はいないだろう、という事に思い至る。だが何かの情報が無いかと思って豆腐屋に来たのだ。油揚げを注文しながら世間話をする。
「結局、狐って来ました?」
「あ、お客さんいらっしゃい! いやぁ誰も見てないね」
「そうですか……」
橘は肩を落としたが、それを慰めるように店主は続ける。
「だけど親父に狐が来るかもって言ったら『今夜は一人にしてくれ』って言ってたからね、誰も見ていないけど多分会ってたんじゃないかな」
「だと良いですけどね」
少なくとも、久野の事を誰よりも分かっているお爺さんがそう言ったのなら、多分来たのだろう。確証はないがまあしょうがないか。そう橘が思っていると、
「そういえば、狐じゃないけど女性の綺麗な声が親父の部屋から聞こえた、ってかみさんが言ってたからもしかしたら狐が化けてたのかもね!」
「そうかも知れませんね」
そう言って快活そうに笑う店主。橘はそれを聞いて、安心して注文した油揚げを受け取ろうとした。その次の瞬間、狐が橘の油揚げを奪っていた。
「あっテメエ!」
怒りに震える橘を馬鹿にするように、狐は一言だけ鳴いてどこかへ消えていった。あっという間の事で、橘が動けないでいると店主からサービスとして油揚げを無料で頂く。
「すみません」
「いや、いいんだ。ようやくあの狐に俺のお揚げが認められたって事だから嬉しくて! よっしゃあ、見ててくれ親父!」
予想外のテンションに付いていけず店を後にする橘。ふと、眩しさに空を見上げると、相も変わらず雨が降り続いてる雲の隙間から太陽が照っていた。それを示す言い方は色々あるが、橘はとりあえずこの場では「狐のご祝儀」という言葉で捉えることにする。橘が歩みを進めたとき、再び狐の鳴き声が聞こえた気がした。
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