貢物として嫁いできましたが夫に想い人ができて離縁を迫られています

藤花

文字の大きさ
1 / 56
第一章

プロローグ

しおりを挟む
 小さい頃、雪の神様に会ったことがある。一人で暇を持て余した結果、行ってはいけないといわれている麓に近い湖まで来てしまった時だった。

 その頃、山に住む一族は他種族による度重なる侵攻と乱獲により、数を大きく減らしていた。戦える男手も少なく、同い年の男の子は皆訓練に実践にと少女の相手をしている暇はなかった。子供に限らず女の数は男に比べて更に減少していて、子供同士遊べるような年齢の女の子はいなかった。
 敵の侵攻という非常事態も、毎日続けば日常になる。
 その日も、昼過ぎに、「山に侵入者あり」と大人たちと戦える少年達が出て行ってしまい、少数の年嵩の女性やもっと小さい子供達と共に残された少女は、ちょっとした興味で、侵入者の情報があったのとは反対の方角の麓に下りることにした。
 大人の女性達は赤子や幼児にかかりきりで、少女が一人抜け出したことには誰も気がつかなかった。

 少女は露珠ろしゅといい、雪山にすむ妖狐『銀露ぎんろ』の一族である。銀露の一族は、その特殊な生産物ゆえに、常に数多の妖やヒトから狙われることが多い。
 露珠が住む大雪山は、その名の通り年中積もった雪に覆われ、一年の半分以上降り続ける雪に閉ざされており、生息できる者は少ない。生きるのには厳しい環境だが、そのおかげで狙われることの多い銀露の一族がこれまで生き残って来られたともいえる。
 そんな大雪山でも、麓に近いところは夏場になると雪が降る頻度も減り、銀露を狙う者が入りこみやすいのだ。

 だが、その湖で露珠が出会ったのは、銀露を狙う虐殺者ではなく、美しい銀色の神様だった。

 凍っていない沢山の水、というのが少女にとっては珍しい。誰もいなければ、凍っていない湖で遊ぼう。そう思って木立の間から湖を覗き込んだ彼女の目に映ったのは、陽光に銀色の髪をきらめかせ、額にこれもまた銀色の宝石を2つ飾った、少年とも少女ともとれる顔立ちの、それは美しい者だった。
首から身体にまとわせる銀色の毛皮があるにしても、寒さなど少しも感じていないように泰然と湖面で着物の裾をはためかせるその姿は、その中性的な容貌と幼い見た目との落差によって、畏れすら感じさせる。

 「雪の神様」

 小さく、思わずもれたその呟きを、銀色の神は聞き逃さなかった。
 その視線が木立の中の自分に向けられるのを感じ、露珠はそろりと木陰から神の前に進み出た。
 視線は美貌の神に釘付けのまま、真っ直ぐに近づく。

 「お前は」

 男にしては高めのその声は、それでも銀の神が男性であることを露珠に知らせた。

 「銀露の、露珠、です。あの。神様?私がいつもお願いごとをしているから、来てくれたの?」

 普段であれば、軽々しく種族名を名乗ったりはしない。銀露だとわかっていない相手に、一々それを伝えてやるなど、狩ってくれと言っているようなものだ。
 その上、神と思っている相手に向かってなんとも図々しい発言だ。だが、その時、銀色の神は少し驚いた様子を見せただけで、咎めはしなかった。

 「願いがあるのか」

 聞き返してもらったことで、願いを聞き届けようと言われたように思った露珠は、勢い込んで話した。

 「はい。銀露を、私の一族を助けてください。みんな沢山殺されて、どんどん数が減って……この前だって何人も。誰も、ここに入って来られないように。お願いします、神様」

 最後は手を組んで跪く。
 銀の神は、湖面を滑るようにして露珠の目の前に立ち、彼女を見下ろす。跪いた露珠と神の、銀色の瞳が見つめ合う。感情の読み取れないその目を見ていると吸い込まれそうで身動きが取れない。

 ふ、と神が息を吐いたように感じた。金縛りが解けたように、視線を顔から逸らした露珠は、影になって見えていなかった神の左肩、衣が破れて奥に血が滲んでいるのを見つけて思わず立ち上がる。
 首飾りにして下げていた白露を首から外し、左肩に触れようとした露珠の手首を、神が掴む。それが治癒を拒む意味合いだということは露珠にも理解できたが、怪我に近づけすぎた白露は、そのまま患部に溶け込むように消え、衣の破れだけを残して傷を綺麗に消していた。

 「っごめんなさ……」

 謝ろうとする露珠の手首から感触が消える。はっと顔をあげるも、湖には露珠一人だった。


 神が背を向けていた側の森の地面には、血の跡が湖に向かって途切れることなく付いている。夥しい量の出血をその犠牲者たちにもたらしたものは、湖でその血を洗い流していたのだったが、露珠がそれを知ることはなかった。

 その後、他種族からの侵攻頻度は減ったものの、銀露の一族の苦境は変わらず、銀露はじわじわと数を減らしていった。結局、あれは神様ではなく、多感な時期に身近な者が多く死んでいくという状況で露珠が見た幻だったのだと思うようになった。
 さらに後になって、あの中性的な神の身体を包んでいた毛皮が、銀露の毛皮だったのでは、と思い至り、露珠は怖気を奮った。

 あの後、姿が見えない露珠を探しに来た大人に神様のことを話したら、神に会っても不用意に願い事などしてはいけない、とたしなめられたことを思い出す。神は時に残酷で理不尽なものだ、もし願いを聞き届けられたとしても、その代償は大きい。一族の神職の言葉を思い出し、あの時にしてしまった願い事が、より一層一族を苦境に追いやったのでは、と露珠は人知れず罪悪感を抱えていた。

 そして今、銀露の長の苦渋の顔を見て、あの時の願いがこういう形で叶えられるのか、やはりあれは神様だったのだ、と露珠は妙に納得していた。

 「牙鬼がきの一族に嫁いで欲しい。晃牙こうが、いや晃牙様の角による結界、および牙鬼一族が銀露を守護することと引き換えに、晃牙様のご子息と釣り合う年齢の銀露をご所望で、お前を候補とすることで晃牙様と合意した」

 牙鬼一族がきの角と守護、それと引き換えにするには銀露の女一人では釣り合わない。力ずくで銀露の全てを奪う力を、牙鬼一族は持っている。実際、十年近く前に少数の牙鬼一族が大雪山に訪れ、銀露が幾人も犠牲になっていた。
 この釣りあわない取引が、牙鬼にどういう利益をもたらすのか、銀露側には分からない。しかし、この申し出を断る術も理由も、銀露はもっていなかった。もちろん、露珠に否という権利はなく、そのつもりもない。

 本当に、その凍牙様とやらの嫁になるのかどうかも怪しい、と露珠も銀露の長も言葉にはせずとも分かっていた。生きた銀露が欲しい、できれば抵抗せずに従順な者を。そういう要望であるということは、露珠に待ち受けるその後が、死んだ方がマシだと思えるようなことである可能性も。

 覚悟と、この破格の申し出をもたらしたのであろう銀の神への少しの感謝を胸に、露珠は長である父を見返した。

 「謹んでお受けいたします」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です

くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」 身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。 期間は卒業まで。 彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

婚約者が番を見つけました

梨花
恋愛
 婚約者とのピクニックに出かけた主人公。でも、そこで婚約者が番を見つけて…………  2019年07月24日恋愛で38位になりました(*´▽`*)

処理中です...