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第一章
(6)-1
しおりを挟む「露珠。それを庇うのか」
問いかけの内容よりも、久しく呼ばれなかった名を呼ばれたことに、露珠の身体がびくりと反応する。恐る恐る顔をあげ、ようやく正面から凍牙を見つめたことで、露珠はその異変に気が付いた。
「凍牙様?お怪我を……?」
確信を持てず、それを確かめようと立ち上がり手を伸ばす。
凍牙がその手を払いのけるより先に、一歩踏み出した露珠がよろめく。露珠を拒絶するために出されたはずの凍牙の手が、そのまま露珠を抱きとめる。崩れるように倒れる露珠を支えて、凍牙はそのまま膝をついた。
凍牙に上半身を預けたまま、露珠が凍牙の頬にそっと手を触れる。
「凍牙様、そのお怪我、治してもよろしいでしょうか」
凍牙の右頬にはうっすらと血が滲んでいる。小さな傷ではあるが、乱牙がやり返したものらしい。
許可を求めながらも、露珠は拒絶される前に、と凍牙の頬の傷に唇を寄せる。振りほどかれないのを良いことに、傷に舌を這わせて治す間、露珠は別のことを考えていた。
ここまでの状況とは打って変わり、露珠に好きなようにさせている凍牙を、乱牙は複雑な思いで観察する。はじまりはともかく、露珠が凍牙を好いているのはわかっていた。凍牙も露珠を憎からず思っていると感じていたからこそ、乱牙は露珠を置いて屋敷を出たのだ。
だが、ここで出会った露珠の様子と、離縁したという話、そしてここに現れてからの露珠を全く視界に入れない凍牙の様子に、それは勘違いだったのかと思い始めていた。しかし、倒れる露珠を抱きしめ、今もその手を離さないところを見ると、それもまた違うように思える。
乱牙と再会した時点で、露珠はもうほとんど力が残っていなかった。その上乱牙の怪我を治したのだから、これ以上力を使わせる前に止めようと思っていたのだが、露珠の必死な様子と凍牙の傷が浅いのを見て、これくらいなら、と止めることはしなかった。
傷を治し終えたらしい露珠が、凍牙の頬から唇を離そうとしたのが目に入る。
露珠の状況を説明して、この戦いを続けるより露珠の回復の優先を、と提案しようと口を開きかけた乱牙の目に、凍牙の目が見開かれるのが見えた。
兄が驚きという滅多に見せない表情を見せたことで、乱牙はそれを引き起こしものに目をやる。凍牙の頬から唇を離した露珠が、そのまま凍牙に口づけていた。
驚く凍牙と乱牙の目の前で、唇を離した露珠がそのまま凍牙の腕の中に倒れこむ。先ほど凍牙が抱きとめた時に比べて、身体に全く力が入っていない様子が見て取れる。
「なんのつもりだ」
ただの口づけを咎めるにしては硬い声音で凍牙が問いかける。
「口づけたかっただけです」
「そのことではない」
「まあ、決死の覚悟でしたのに、口づけについてはどうでも良いとおっしゃるの。ひどい」
「露珠」
反抗的というよりも、どこかふざけているような露珠の物言いに、凍牙が眉根を寄せて問い詰める。
「嫌がらせです」
重たそうに腕を持ち上げ、露珠が凍牙の眉間を撫でる。
「こんな風に、顔をしかめてくださるかなって。表情が変わるところを、見たくて。本当は笑っていただきたかったのですけど、私には方法がわからないから」
あの子ならきっと、あなたを笑わせられるのでしょうけど、という言葉は呑み込む。
もう力がはいらない、というように腕を地面に落とし、凍牙を見つめる露珠の瞳から涙が一粒落ちる。
「きっと、最後の白露だから。凍牙様、あなたが使ってくださったら、嬉し、い。お慕い申しております、凍牙様、ずっと」
最後には途切れた露珠の言葉と、伏せられた瞼に、乱牙にも先ほどの口づけがただのそれではなかったことがわかる。
致命的に力を失った露珠の身体が、末端部分から凍り始める。
「露珠」
珍しく焦りを滲ませた凍牙の呼びかけにも、反応はない。
凍牙が落ちた白露を拾い上げ、口元に近づけるが露珠はぴくりとも動かない。露珠、と幾度目かの呼びかけに反応がないのをみて、凍牙は袂から紅い玉を取り出す。
真白から取り上げたその紅玉を口に銜え、露珠の口内に押し込むように口付ける。
息を詰めるようにその様子を見守っている乱牙に、露珠の目元がひくりと動いたのが見えた。凍り始めていた指先の氷が砕けるように弾けて空中で溶ける。
「露珠」
もう一度凍牙が名前を呼ぶ。
少々血色を取り戻しただけの露珠は、それでも目を開けることはない。
凍牙が膝の後ろに左腕を差し入れ、抱き上げる。
「屋敷へ連れて行く。お前はこの辺り片付けておけ。露珠が悲しむ」
当然のようにこの村の後処理を乱牙に命じ、それを拒ませないよう、最後の一言を付け足すと、腕の中の露珠をしっかりと抱きなおした。
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