32 / 56
第二章
(5)-3
しおりを挟む
「おう、戻ったぞ」
「お帰りなさいませ、お兄様」
露珠が当然の様に正面以外から出入りする露霞を違和感なく迎え入れる。同じ場所にいた高藤は屋敷の主である凍牙よりも態度の大きい露霞に眉をひそめるが、凍牙に視線で宥められた。
「義兄上殿。妖についてなにか」
「少しな。俺が調べて来たことよりも、今ここに戻ってきて見たことのほうが余程大きい手がかりみたいだが」
どかっと座敷に腰を下ろして胡坐をかいて露霞が座る。
「それはどういう……?」
「まあ待て、順に話す」
酒を一口飲んで露珠に言う。
「とりあえず、牙鬼の縄張りの範囲内ならもうある程度調べてあると思って、その外側で話を聞いてきた。東方からこちらに来る途中で聞いた噂の中に気になるものがあったからな」
都より東方であれば、多少土地勘がある。東方からこちらへ来る途中で聞いた噂の中に、『神鹿の住む森から妖が出てくる』というものがあった。噂の出始めは数年前のようだったが、その森の周りで話を集めてきた。話をまとめるに、どうやらその妖は今回ここの周りで発生している妖と同種の様だ。
「神鹿の森?あんな妖を発生させている森で、神鹿はどうしている」
個体差の大きい妖の強さだが、鬼に近い気配を持つあれらの妖に、神鹿はどう対応しているのか。凍牙はその神鹿とは面識がないが、そんなにも強い妖だという認識はない。縄張りに隣接するため、鬼に対応できるほどの力がある妖が居れば、晃牙も放っては置かなかっただろう。神鹿は、神性は強いものの神ではなく妖の一種で、力はさほど強くない。社内<やしろない>で神の加護を受けていれば別だが、件の神鹿はそうではなかったはずだ。
「それが、どうも妖が出てくるようになるより更に前に、神鹿は死んだという話だ」
「神鹿の森をその妖が乗っ取ったということなのでしょうか」
その状況を想像したらしい露珠が顔をしかめるが、いや、と露霞が続ける。
「その前に、鬼がその森に出入りしていたという話があって、事の前後関係は分からなかった」
「その鬼と、あの妖の鬼への近さは関係が……?」
「俺もそう思って調べに行ったが、そこはわからなかった。一度ここに戻ってこの話をした後、改めてその森に入ろうと思っていたんだが」
一度言葉を切って、露霞がにやりと笑う。
「朱華というあの鬼、あの妖たちと同じ気配がする」
「朱華と?」
朱華への警戒をほとんど解いていた露珠は、この場にいない真白のことが急に心配になる。立ち上がると、高藤を伴って真白のところへ向かう。
露霞の報告を聞いた凍牙は、驚いた様子は見せないものの、表情が険しい。その険しさが、どうやら朱華ではなく自分に向けられているらしいことを露霞は感じ取る。
正面から自分を見る露霞を見つめ返した凍牙は、固い声音で問う。
「義兄上殿。我々鬼よりも、鬼の気配に詳しくていらっしゃるようですが」
露霞のこれまでの振舞いにも常に淡々と、義兄としての敬意をもって対応していた凍牙の珍しく真剣な雰囲気に、露霞も茶化さずに答えることになる。
「後天的に鬼の力を手に入れると、小さな違いにもよく気がつけるらしい。元からの鬼は強すぎて、微弱な変化には気がつけないのかね」
★
何事もなく庭で遊んでいた真白を見つけて、露珠がほっと息を吐く。朱華の出現に始めは動揺していたし、凍牙も高藤も警戒していたのに、最近では気を許してしまっていた。朱華が、言葉は悪いものの初めの印象ほどは酷い態度ではないのも理由の一つだが、何よりも――
「朱華は眠りすぎだわ」
思わず口に出してしまった呟きに、地面にしゃがみこんで絵を書いていた真白が振り返る。
「朱華ちゃん?よくお昼寝してるよねー」
「真白も、そう思う?」
「うん。だって、夜も真白と同じくらいの時間に寝るのに、真白が起きてる時間にも木の上とかお座敷でよく寝てるよ」
良く眠っている、という状況で露珠が思い出すのは凍牙の父、晃牙のことだ。晃牙が亡くなる直前の様子が、まさにそうだった。睡眠時間が徐々に長くなり、最後は文字通り眠るように息を引き取った。その眠りが長くなった初期の頃に、今の朱華の状態が似ている。
どこか具合が悪いか、力そのものを失いつつある。そう感じるから、つい朱華への警戒が緩んでしまう。そういえば、朱華の状態について凍牙と話したことはない。当然気がついているだろうと思っていたが、先ほどの兄の報告を受けて凍牙が朱華に何か仕掛ける可能性もある。一応話しておこう、と決めて、露珠は真白の遊びに加わった。
★
「飲むか?」
縁側で月見酒を飲んでいた露霞が、通りすがった朱華を誘う。昼間からずっと飲み続けている露霞は上機嫌だ。露霞の誘いが意外だった朱華は一瞬驚いた表情を見せるが、すぐにいつもの取り澄ました顔を作って露霞の横に立つ。
「露珠から私のこと聞いたんでしょ?妹が夫を寝取られるかもっていうのに、随分と楽しそうなのね」
仕掛けているのは自分だというのに、妹を心配するそぶりのない露霞に朱華がつい絡んでしまう。
「楽しそうか?まあ、面白いことになっている、とは思ってるが」
「妹なんでしょう?気にならないの?」
「兄妹だからって、友好的とは限らない。常に味方とも限らない」
拍子をとるような口調は酔っているようにも思えるが、見上げてくる目は理性的で、朱華は興味をそそられてその場に腰を下ろした。
「妹が嫌い?」
それは、今までの会話と、凍牙や露珠から聞いていた話から露霞が想像していた朱華からは出て来ようもない真剣な声音で、思わず露霞が隣を見る。
「なんでお前がそんな顔をする」
一瞬泣いているのかと思うほど、朱華は思いつめた表情をしていた。露霞の視線に気がついた朱華が表情を取り繕う。
「別に。随分と薄情な兄だな、と思っただけ」
「薄情ねぇ。あいつが居なければ、と思ったこともなくはない。今さらだからもうどうでもいいんだが。少し痛い目を見ればいいくらいには思ってるな、今も」
「どうして」
まるで言われているのが自分かのような必死さで、朱華が露霞に問うた。
「鬼の出来損ない」
「え?」
急に話を変えた露霞に、朱華が怪訝な顔をする。
この辺りに現れる、朱華と同じ気配の妖。それを『鬼の出来損ない』という言葉で表現したのは露霞だが、その言葉に関しては、発した露霞自身思うところがあった。今、自らの身に宿している鬼の力。鬼そのものではない露霞を表現するなら『鬼の出来損ない』も外れてはいない。
「俺は銀露の出来損ないだ。だから――」
銀露の出来損ないで鬼の出来損ない。
「少し羨ましかった。妹が」
「お帰りなさいませ、お兄様」
露珠が当然の様に正面以外から出入りする露霞を違和感なく迎え入れる。同じ場所にいた高藤は屋敷の主である凍牙よりも態度の大きい露霞に眉をひそめるが、凍牙に視線で宥められた。
「義兄上殿。妖についてなにか」
「少しな。俺が調べて来たことよりも、今ここに戻ってきて見たことのほうが余程大きい手がかりみたいだが」
どかっと座敷に腰を下ろして胡坐をかいて露霞が座る。
「それはどういう……?」
「まあ待て、順に話す」
酒を一口飲んで露珠に言う。
「とりあえず、牙鬼の縄張りの範囲内ならもうある程度調べてあると思って、その外側で話を聞いてきた。東方からこちらに来る途中で聞いた噂の中に気になるものがあったからな」
都より東方であれば、多少土地勘がある。東方からこちらへ来る途中で聞いた噂の中に、『神鹿の住む森から妖が出てくる』というものがあった。噂の出始めは数年前のようだったが、その森の周りで話を集めてきた。話をまとめるに、どうやらその妖は今回ここの周りで発生している妖と同種の様だ。
「神鹿の森?あんな妖を発生させている森で、神鹿はどうしている」
個体差の大きい妖の強さだが、鬼に近い気配を持つあれらの妖に、神鹿はどう対応しているのか。凍牙はその神鹿とは面識がないが、そんなにも強い妖だという認識はない。縄張りに隣接するため、鬼に対応できるほどの力がある妖が居れば、晃牙も放っては置かなかっただろう。神鹿は、神性は強いものの神ではなく妖の一種で、力はさほど強くない。社内<やしろない>で神の加護を受けていれば別だが、件の神鹿はそうではなかったはずだ。
「それが、どうも妖が出てくるようになるより更に前に、神鹿は死んだという話だ」
「神鹿の森をその妖が乗っ取ったということなのでしょうか」
その状況を想像したらしい露珠が顔をしかめるが、いや、と露霞が続ける。
「その前に、鬼がその森に出入りしていたという話があって、事の前後関係は分からなかった」
「その鬼と、あの妖の鬼への近さは関係が……?」
「俺もそう思って調べに行ったが、そこはわからなかった。一度ここに戻ってこの話をした後、改めてその森に入ろうと思っていたんだが」
一度言葉を切って、露霞がにやりと笑う。
「朱華というあの鬼、あの妖たちと同じ気配がする」
「朱華と?」
朱華への警戒をほとんど解いていた露珠は、この場にいない真白のことが急に心配になる。立ち上がると、高藤を伴って真白のところへ向かう。
露霞の報告を聞いた凍牙は、驚いた様子は見せないものの、表情が険しい。その険しさが、どうやら朱華ではなく自分に向けられているらしいことを露霞は感じ取る。
正面から自分を見る露霞を見つめ返した凍牙は、固い声音で問う。
「義兄上殿。我々鬼よりも、鬼の気配に詳しくていらっしゃるようですが」
露霞のこれまでの振舞いにも常に淡々と、義兄としての敬意をもって対応していた凍牙の珍しく真剣な雰囲気に、露霞も茶化さずに答えることになる。
「後天的に鬼の力を手に入れると、小さな違いにもよく気がつけるらしい。元からの鬼は強すぎて、微弱な変化には気がつけないのかね」
★
何事もなく庭で遊んでいた真白を見つけて、露珠がほっと息を吐く。朱華の出現に始めは動揺していたし、凍牙も高藤も警戒していたのに、最近では気を許してしまっていた。朱華が、言葉は悪いものの初めの印象ほどは酷い態度ではないのも理由の一つだが、何よりも――
「朱華は眠りすぎだわ」
思わず口に出してしまった呟きに、地面にしゃがみこんで絵を書いていた真白が振り返る。
「朱華ちゃん?よくお昼寝してるよねー」
「真白も、そう思う?」
「うん。だって、夜も真白と同じくらいの時間に寝るのに、真白が起きてる時間にも木の上とかお座敷でよく寝てるよ」
良く眠っている、という状況で露珠が思い出すのは凍牙の父、晃牙のことだ。晃牙が亡くなる直前の様子が、まさにそうだった。睡眠時間が徐々に長くなり、最後は文字通り眠るように息を引き取った。その眠りが長くなった初期の頃に、今の朱華の状態が似ている。
どこか具合が悪いか、力そのものを失いつつある。そう感じるから、つい朱華への警戒が緩んでしまう。そういえば、朱華の状態について凍牙と話したことはない。当然気がついているだろうと思っていたが、先ほどの兄の報告を受けて凍牙が朱華に何か仕掛ける可能性もある。一応話しておこう、と決めて、露珠は真白の遊びに加わった。
★
「飲むか?」
縁側で月見酒を飲んでいた露霞が、通りすがった朱華を誘う。昼間からずっと飲み続けている露霞は上機嫌だ。露霞の誘いが意外だった朱華は一瞬驚いた表情を見せるが、すぐにいつもの取り澄ました顔を作って露霞の横に立つ。
「露珠から私のこと聞いたんでしょ?妹が夫を寝取られるかもっていうのに、随分と楽しそうなのね」
仕掛けているのは自分だというのに、妹を心配するそぶりのない露霞に朱華がつい絡んでしまう。
「楽しそうか?まあ、面白いことになっている、とは思ってるが」
「妹なんでしょう?気にならないの?」
「兄妹だからって、友好的とは限らない。常に味方とも限らない」
拍子をとるような口調は酔っているようにも思えるが、見上げてくる目は理性的で、朱華は興味をそそられてその場に腰を下ろした。
「妹が嫌い?」
それは、今までの会話と、凍牙や露珠から聞いていた話から露霞が想像していた朱華からは出て来ようもない真剣な声音で、思わず露霞が隣を見る。
「なんでお前がそんな顔をする」
一瞬泣いているのかと思うほど、朱華は思いつめた表情をしていた。露霞の視線に気がついた朱華が表情を取り繕う。
「別に。随分と薄情な兄だな、と思っただけ」
「薄情ねぇ。あいつが居なければ、と思ったこともなくはない。今さらだからもうどうでもいいんだが。少し痛い目を見ればいいくらいには思ってるな、今も」
「どうして」
まるで言われているのが自分かのような必死さで、朱華が露霞に問うた。
「鬼の出来損ない」
「え?」
急に話を変えた露霞に、朱華が怪訝な顔をする。
この辺りに現れる、朱華と同じ気配の妖。それを『鬼の出来損ない』という言葉で表現したのは露霞だが、その言葉に関しては、発した露霞自身思うところがあった。今、自らの身に宿している鬼の力。鬼そのものではない露霞を表現するなら『鬼の出来損ない』も外れてはいない。
「俺は銀露の出来損ないだ。だから――」
銀露の出来損ないで鬼の出来損ない。
「少し羨ましかった。妹が」
0
あなたにおすすめの小説
女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です
くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」
身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。
期間は卒業まで。
彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。
【書籍化決定】憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜
降魔 鬼灯
恋愛
コミカライズ化決定しました。
ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。
幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。
月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。
お茶会が終わったあとに義務的に届く手紙や花束。義務的に届くドレスやアクセサリー。
しまいには「ずっと番と一緒にいたい」なんて言葉も聞いてしまって。
よし分かった、もう無理、婚約破棄しよう!
誤解から婚約破棄を申し出て自制していた番を怒らせ、執着溺愛のブーメランを食らうユリアンナの運命は?
全十話。一日2回更新
7月31日完結予定
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
忌むべき番
藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」
メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。
彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。
※ 8/4 誤字修正しました。
※ なろうにも投稿しています。
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる