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32.帝国にて(3)
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帝国の前皇帝は好色で有名で、在位中、後宮は増設に増設を重ねられた。当初は、諸侯から差し出される女達に手当たり次第に手を出していたようだったが、そのうち様相が変わってきた。初めの頃は、本人はともかく、その家としては積極的に後宮に入れたがっている、という事情のものだけにとどまっていたのが、差し出される女達には目もくれなくなり、代わりに諸侯の妻や平民、踊り子などから後宮入りするものが増えた。
問題だったのは、その者達の出自より、ほとんどの者がそれを望んでいなかったことだ。妻を取り上げられた夫は、皇帝からの見返りを期待して、もしくは懲罰を恐れて声を上げない者、抗議して処罰される者、場合によっては挙兵するものも現れた。
しかし、帝国軍は強大で、皇帝の権限は絶大だった。私兵団を擁する貴族が複数でかかっても、皇帝はびくともしなかった。
カルロとバルトロメオが最も恐れたのは、シルヴィアを召し上げられることだった。最後の頃には、皇帝は女達を最早「収集」しているといった様相で、髪の色や目の色が、後宮にない者を召し上げるようになっていた。その点で、シルヴィアは最も狙われやすいと言ってよかった。ロッシ家の証である赤い瞳を持つ女性は現状シルヴィアだけであったし、母親譲りの銀髪も、金髪や茶髪の多い帝国内では珍しい部類だった。一度でも皇帝の目に触れさせては危ない。そうでなくとも、どこからか赤い目の少女の噂が皇帝の耳に入らないとも限らない。父親であるヴァレリオが進んでシルヴィアを差し出すとは思えないが、皇帝のお召しがあって拒絶できるほどの権力は、ロッシ家になかった。
どうあってもシルヴィアを守りたかった二人は、皇帝を上回る権力を求めて軍部での地位を駆け上がってきたのだ。
「シルヴィアが?」
帰還して真っ先にカルロへの報告に上がったバルトロメオが、妹のことを知らされて表情を変える。
海賊に追いつく前に共和国側の海域に入ったため、その討伐のために向かった軍はその海域手前で待機中という追加情報も共有される。
難しい顔をして考えこんだ様子のバルトロメオが、すっと顔を上げてカルロを見る。
「カルロ様。場合によっては見捨てる選択も」
「は?」
ディナーのメインディッシュを選ぶ程度の深刻さしかまとっていない表情と、紡がれた内容がそぐわない。一瞬、カルロが間の抜けた声を出すが、次の瞬間には怒りに満ちた声に変わる。
「俺にシルヴィアを見殺しにしろというのか!」
「そういう手もある、と申し上げているのです」
カルロから発せられる怒気には全く揺らがず、バルトロメオの表情は変わらない。
「お前、それでもシルヴィアの兄か!!」
胸倉を掴みあげる勢いで、カルロが食って掛かる。自分よりも少し身長の低いカルロに睨め上げられて、バルトロメオは微動だにしない。
「兄だからです。貴方が、それを選択肢に入れてくださっていれば、わざわざ口に出しませんよ」
バルトロメオの言うとおり、カルロの中にその選択肢は端からない。どういう無理を押し通すか、という種類の選択しかなかった。だから、この微妙な時期に、共和国海域の手前に軍を待機させたままという危うい状況になっているのだ。そもそも、バルトロメオの帰還予定の直前だったからこそここまで耐えたのであって、そうでなければシルヴィアを連れ戻せる確度の高い強行策を採ったに違いない。
海賊船に乗っていたのがシルヴィアでなければ、共和国の海域に入ったことが確認できた時点で、少なくとも軍は呼び戻している。
「そもそも、陛下と口論して飛び出すなんて、あの娘が悪い。躾けのなっていない娘で、陛下には大変申し訳なく思っております。このような事態になっていなければ、一度こちらにお戻しいただいて、実家で躾けなおすご許可をいただけるようお願いするところです」
表情を変えないまま流れるように告げられた謝罪に、カルロは落ち着いて見える盟友がことの次第にそれなりに怒っているということを察して、彼を睨め上げていた姿勢から一歩下がって、ばつの悪そうな表情になる。
「……すまない。シルヴィアとの喧嘩も、俺が悪かったんだ」
シルヴィアが一人で船に乗るようなことがなければ、そもそも起き得なかった事の発端を、カルロはバルトロメオが戻るまでの間に既に何十回と後悔している。
今にも殴りかかる勢いだったカルロが悄然と俯く様を見て、バルトロメオはふっと息を吐く。他に目がある時にはしない、弟をみるような表情になる。
「冷静に、シルヴィアを取り戻す算段をつけましょう。私だって、可愛い妹を連れ戻したい」
問題だったのは、その者達の出自より、ほとんどの者がそれを望んでいなかったことだ。妻を取り上げられた夫は、皇帝からの見返りを期待して、もしくは懲罰を恐れて声を上げない者、抗議して処罰される者、場合によっては挙兵するものも現れた。
しかし、帝国軍は強大で、皇帝の権限は絶大だった。私兵団を擁する貴族が複数でかかっても、皇帝はびくともしなかった。
カルロとバルトロメオが最も恐れたのは、シルヴィアを召し上げられることだった。最後の頃には、皇帝は女達を最早「収集」しているといった様相で、髪の色や目の色が、後宮にない者を召し上げるようになっていた。その点で、シルヴィアは最も狙われやすいと言ってよかった。ロッシ家の証である赤い瞳を持つ女性は現状シルヴィアだけであったし、母親譲りの銀髪も、金髪や茶髪の多い帝国内では珍しい部類だった。一度でも皇帝の目に触れさせては危ない。そうでなくとも、どこからか赤い目の少女の噂が皇帝の耳に入らないとも限らない。父親であるヴァレリオが進んでシルヴィアを差し出すとは思えないが、皇帝のお召しがあって拒絶できるほどの権力は、ロッシ家になかった。
どうあってもシルヴィアを守りたかった二人は、皇帝を上回る権力を求めて軍部での地位を駆け上がってきたのだ。
「シルヴィアが?」
帰還して真っ先にカルロへの報告に上がったバルトロメオが、妹のことを知らされて表情を変える。
海賊に追いつく前に共和国側の海域に入ったため、その討伐のために向かった軍はその海域手前で待機中という追加情報も共有される。
難しい顔をして考えこんだ様子のバルトロメオが、すっと顔を上げてカルロを見る。
「カルロ様。場合によっては見捨てる選択も」
「は?」
ディナーのメインディッシュを選ぶ程度の深刻さしかまとっていない表情と、紡がれた内容がそぐわない。一瞬、カルロが間の抜けた声を出すが、次の瞬間には怒りに満ちた声に変わる。
「俺にシルヴィアを見殺しにしろというのか!」
「そういう手もある、と申し上げているのです」
カルロから発せられる怒気には全く揺らがず、バルトロメオの表情は変わらない。
「お前、それでもシルヴィアの兄か!!」
胸倉を掴みあげる勢いで、カルロが食って掛かる。自分よりも少し身長の低いカルロに睨め上げられて、バルトロメオは微動だにしない。
「兄だからです。貴方が、それを選択肢に入れてくださっていれば、わざわざ口に出しませんよ」
バルトロメオの言うとおり、カルロの中にその選択肢は端からない。どういう無理を押し通すか、という種類の選択しかなかった。だから、この微妙な時期に、共和国海域の手前に軍を待機させたままという危うい状況になっているのだ。そもそも、バルトロメオの帰還予定の直前だったからこそここまで耐えたのであって、そうでなければシルヴィアを連れ戻せる確度の高い強行策を採ったに違いない。
海賊船に乗っていたのがシルヴィアでなければ、共和国の海域に入ったことが確認できた時点で、少なくとも軍は呼び戻している。
「そもそも、陛下と口論して飛び出すなんて、あの娘が悪い。躾けのなっていない娘で、陛下には大変申し訳なく思っております。このような事態になっていなければ、一度こちらにお戻しいただいて、実家で躾けなおすご許可をいただけるようお願いするところです」
表情を変えないまま流れるように告げられた謝罪に、カルロは落ち着いて見える盟友がことの次第にそれなりに怒っているということを察して、彼を睨め上げていた姿勢から一歩下がって、ばつの悪そうな表情になる。
「……すまない。シルヴィアとの喧嘩も、俺が悪かったんだ」
シルヴィアが一人で船に乗るようなことがなければ、そもそも起き得なかった事の発端を、カルロはバルトロメオが戻るまでの間に既に何十回と後悔している。
今にも殴りかかる勢いだったカルロが悄然と俯く様を見て、バルトロメオはふっと息を吐く。他に目がある時にはしない、弟をみるような表情になる。
「冷静に、シルヴィアを取り戻す算段をつけましょう。私だって、可愛い妹を連れ戻したい」
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