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モテ過ぎにはご用心(爆発しろ)

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「チョコが欲しい」
 不運な事故によって崩れ落ちた書斎の壁を彼女がせっせと修復していると、背後から何か妄言が聞こえた。まぁ、妄言だから聞くに値しないだろうと、彼女は無視をすることに。
「この欠片はこっち? ……ああ、いや、こっちか」
「チョコが欲しい!」
 何か妄言のボリュームが上がったような気がしたが彼女は気にしない。
「ん? 何かこれパーツが余るな。あれ? どっかで間違ったか? このレンガはどこに押し込めば……」
「チョコが欲しいぃぃぃっっっ!!」
「うるさぁぁぁぃぃぃっっっ!!」
「危なぁぁぁいぃぃぃっっっ!?」
 背後から大声を出されたことにぶちギレた彼女は持っていたレンガを背後の男へと投げつけてやったのだが、惜しいことに仕留めそこなった。間一髪避けやがった男は胸の動悸を押さえながら、
「おまっ、おまっ、お前ぇっ!? しょっ、正気かっ!? 乙女が投げつけていいのはせいぜいぬいぐるみまでですっ!!」
「黙れ外道。勝手に人の家に上がり込んで勝手に妄言をほざきまくる奴にはレンガを投げつけてもいいって法律があるだ」
「勝手に制定するなっ! そんなニッチな法律っ!!」
 恐らく制定されたとして、100年に一度使われるかどうかのレベルだろう。裁判長だって忘れるに違いない。
「と、いうか、何で今更チョコネタなんだい? 今何日だと思ってるんだい?(撮影日:4月) バレンタインなどとっくの昔に終わっているのだが?」
「仕方ないだろ。バレンタインの時、刑務所に入れられてたんだから」
「まったく。人の家の書斎の壁をぶち壊したりするからそういうことに」
「そう。お前がその責任全部押し付けたせいで俺はめちゃくちゃ大変だったんだ。ってかお前一体何した? 何で同じ日に牢屋に入れられたのにお前だけすぐに釈放されてるんだ?」
「やだなぁ、そんなに驚くことじゃないだろ」
「ん?」
「一体いくら僕が税金を納めていると思っているんだい?」
「Oh! The 汚職!!」
 道理で彼が濡れたコンクリートみたいな床の上で寝かされている向かいの牢屋で、牢屋とは名ばかりの一流ホテルのスイートルームみたいな所でソファーに寝っ転がりながらお菓子を食べてテレビを見ていたわけだ。何かおかしいなとは彼も思っていたのだが。
「まぁ、それは半分冗談として」
「本当に冗談か? 本当に冗談か? 何か看守長みたいな人にもヘコヘコされてたけど本当に冗談か?」
「うるさいなー。あんまりしつこいと君の釈放手続き取り消すよ?」
「お前やっぱ何かおかしな力持ってるだろっ!? ってかそんなことできるならもっと早く解放してくれっ!! 俺はあの牢屋に二カ月弱居たんだぞっ!!」
「仕方ないだろ、忘れてたんだから。この前現実逃避を止めて、ようやくこの壊れた壁を直そうとした時にふと思い出したんだ」
「お前……」
「で? チョコがどうしたって?」
「いやお前ちょっと待て。俺はまだ言いたいことが、」

終わり

「…………いやっ、終わらすなっ!! ってか何だっ!? 今のどうやったっ!?」
「僕くらいになると物語を終わらせることくらい余裕のよっちゃんなのさ」
「お、恐ろしい力を……」
「それを踏まえた上でもう一度聞くが、チョコがどうしたって?」
「ぐっ……」
 何やら納得がいかないので色々言いたい不満が彼にはあるのだが、物語を終わらせられてはたまったものではないので、仕方なく話を戻すことに。
「刑務所に入っててできなかったバレンタイン企画をやり直したいんだ。刑務所に入ってたから貰えなかっただけで、入ってさえいなかったらそれはもう部屋に入りきらないほどの夥しい量のチョコを貰ってたに違いないんだからな」
 何だろ? デジャブ。毎年毎年似たようなことをほざいては、翌日ビービー泣いているような気がするが、まぁ、それは一旦置いておいてだ。
「ん」
「ん?」
 彼女は彼に何枚か小銭を渡すと、
「好きなの買って来なさい」
「いや違うっ!! そういうことじゃないっ!!」
「もー、仕方ないなー。ほら」
「ん?」
 彼女は今度は彼に一枚の紙を差し出すと、
「好きなお店を買って来なさい」
「いや違うっ!! 額が気に入らなかったという話では何じゃこのどえらい金額の小切手は!? 使えるのかこれっ!?」
「使えるよ」
「お、おう……」
 コイツ一体何してるんだろう、と彼が心の中だけで呟いていると、
「使った後どうなるかは保証しないが」
「お前ホント何してんだっ!?」
 彼女が恐ろしいことをボソッと呟いたので、今度はちゃんと声に出して彼は言った。
「ワガママだなー。どうしてほしいんだい、じゃあ」
「女の子から欲しいの! Give me handmade chocolate!! 手作り・手渡し! それこそ男のロマンなの!!」
「その小切手をチラつかせればくれるんじゃないの?」
「くれるだろうけどそんな渡され方嫌っ!!」
「メンドくさいなぁ……」
 もはやその辺の女の子にお小遣いを上げて、このうるさい男にチョコを渡して貰おうかと彼女は考えたのだが、
「あ、ちょうどいいのがあるな」
「お前のちょうどいいがちょうどよかったことは一回も無い気がするが……」
 何だがぶつくさ言っている男を放置して、彼女は机の引き出しを開けると、目薬のような入れ物を彼へと投げる。彼は慌ててそれを受け取ると、
「何? これ」
 彼女は胸を張って答える。
「合法薬物」
「幻覚の中で渡されろってかっ!?」
 ビュンッ!! と剛速球で投げ返された薬を彼女は片手で掴み、しばらくそれを手の中で弄ぶと、
「ふむ、説明を端折り過ぎたな。『惚れ薬』ならぬ、『惚れさせ薬』ってとこさ」
 ポイッ、と彼にアンダースローで薬を投げ返す。彼は両手の上で受け取った薬をしばし眺めると、
「………………なぬ?」
「露骨に興味を持ったな……。まぁいい。元々は以前『惚れ薬』を作ってほしい、と依頼されて製作を始めたものなんだが、『惚れ薬』って相手に飲ませなきゃいけないのがネックだろう? そこで相手に飲ませるのではなく、自分が飲むことによって、周囲の人間を自分に惚れさせようという、画期的な逆転の発想商品ということさ。まぁ、その分指定の相手だけ、というのができないのがネックではあるが。モテモテになって悪い気分でもあるまいとその部分は無視することにしたわけだ」
 ほう、と彼は薬をじーっと見つめる。特別な誰かに好かれたいわけではなく、不特定多数の、とりあえず大勢の女性にチヤホヤされたい今の彼からすると、むしろ理想の商品と言える。
「その薬を体内に摂取した人間からはしばらくの間特別なフェロモンが放出されてね。そのフェロモンを浴びた人間の脳からは快楽物質がブシュブシュ出て、その人から離れられなくなる、という寸法さ。言ってしまえば、周囲の人間を薬を飲んだ人間に強制的に依存させる、人間麻薬みたいなものだね」
「……何かすげー嫌な響きだな。本当に合法か? これ。嫌だぞ、俺。またあの動物園の動物の方がいい部屋で寝てるんじゃないかと思うほど劣悪な環境の牢屋に入れられるの」
「原理は確かに麻薬と似たようなものだが、至って合法さ。飲んだ人もフェロモンに当てられた人にも健康的な害は一つも無い。依存性だってあくまで飲んだ人の体からフェロモンが出ている間しか持続しない。要は薬の効き目が切れるまでの期限、ってことさ」
「なるほどな。ってかこれ貰っていいの? 依頼されて作った商品なんだろ?」
「いいんだ、今裁判中だから」
「意味が分からない」
「依頼されて作ってやったわけなのだが、薬完成前にその惚れさせたかった女性が結婚したみたいでね。『もういらん』とか言い出して金も払わず契約を一方的に破棄しようとしてきたから、今絶賛泥沼裁判中なのさ」
「何か、司法が味方に付いているお前と裁判って相手が可哀そうだな」
「何を言う。再三のこちらの忠告を無視したんだ。それ相応の覚悟の上だろうさ。今に見ているがいい。その企業が倒産するくらいの賠償金を請求してやるんだ」
「お前、企業相手取って裁判してんの?」
「そうさ。笑えるだろう? 一企業が僕相手に資金力で戦おうなんて身の程知らずも甚だしい」
「お前、ホント何なの?」
 普通、その手の裁判で会社と個人がやり合うと、資金力が不足して不利になるのは個人の方だと思うが。
「ちなみにその後は週刊誌等に情報を売ってお金をさらに得て、相手を社会的に抹殺を、」
「ああ、もういい、怖いからあんまそれ以上聞きたくない」
「何だ。ここからがいいところなのに」
 とりあえずこの女は敵に回さないようにしようと彼は決めた後、
「要するにあれな? これ飲めば俺はチョコ貰えるのな」
「貰えるかまでは保証しないが、少なくともチヤホヤされはする」
「まぁ、とりあえずはそれで妥協しよう。俺が欲しいのはチョコではなく愛だからな」
「偽りの愛だけどな」
 ふぅ、やれやれ、と彼女は壁の修理に取り掛かろうとして、ふと、言い忘れてたことを思い出し、
「ああ、そうだ」
 クルッ(薬のキャップを回す音)
「薬の適量は」
 グビグビグビグビッ(薬の中身を一気に口へと流し込む音)
「コップ一杯に一滴くらい……」
 ゴックン(口の中いっぱいになった薬を飲み干す音)
「「………………」」
 彼女はそっと床に散らばっているレンガを一個掴むと、
「人の話を……、聞けぃぃぃっっっ!!」
「ごうふぅっ!?」
 彼目掛けて投げつけたレンガは、今度は綺麗にクリーンヒットした(なお、この件に関しては、専門家の間でも、彼女の説明も遅くね、という異論もある)。


「おぉ……っ。酷い目に合った……」
 画面にレンガをクリーンヒットさせられ、しばし意識を失っていた彼の顔にまぁまぁの高さから再度レンガを顔に落とされ意識を取り戻し、『いつまで寝ている。さっさと帰れ』と冷たく突き放された彼がトボトボと帰路についていると、
「ん?」
 何やら視線を感じた。それも一人二人ではない。同じ歩道に居る人だけではない。道路を挟んで反対側の歩道や道路を走っている車の運転手や乗客、近くに立っている建物の中に居る人たちにさえ見られているような気がする。
「おお……っ、これが……、モテ期……?」
 記憶を一体どこへ落としてきたのか(頭に衝撃を受けて落とされてしまった、という説もある)惚れ薬を飲んだ、ということを彼は忘れているようで、自分に好意的な視線が集まっていることにウキウキしているらしい。何せ基本的に人様の視線が集まる時というのは、彼女のせい(彼派の意見。彼女派は徹底反論中)で人様の迷惑になるようなことをしている時だけだ。著名人でも何でも無い一般人の彼にこんな風に視線が集まるなんてことはないのである。
 ようやく世間の価値観が追い付き、彼が絶世の美男子ということに気付いたか(彼はモテないのは世間の価値観が追い付いていないだけ、という意味不明な主張を繰り返している)と、彼はご満悦な顔でスキップでも披露してやろうかと思っていると、

「あのぅ~……、すみませぇ~ん」

 背後から可愛らしい声で女の子から声をかけられると同時にポンッ、と肩を触られた。
 街中で女性に声を掛けられる。何と甘美な出来事だろうか。あまりにも話し掛けてほしくてさりげなくハンカチを落とす練習を繰り返し、いざ実践に移したら思いっ切りハンカチを踏まれて素通りされた経験を持つ彼からすればもはやこの出来事は曲がり角でパンを咥えた少女とぶつかるくらい激レアな出来事である。彼は無意識に浮かびそうになる笑みを押さえながらそっと振り向き、そこでようやく、あ、もう現実逃避無理だわ、ということに気付いた。
 そう。違和感はあった。何せ強がって『ポンッ』とは表現したが、実際に当てはめるべき適切な効果音は『ガチボキィッ!!』だろう。肩を掴まれた時、肩をもぎ取ろうとしてるのかな? というくらいその力が強かったから。だがそれだけならまだ、貴方の肩を持ち帰りたいくらい貴方のことが大好きなんですと、超ポジティブに受け取ることだってできたのだ。
 恐らく彼が聞いた可愛らしい声も幻聴だろう。いや、きっと可愛らしい声をしているのだとは思う。顔も普段であれば可愛いのだとは思う。だが、今相手が浮かべている顔はお世辞にも可愛いとは言いづらいものである。
 こんなに至近距離に顔があるのに目を合わせるのが困難なほどに焦点の合わない目。寝違えたの? って聞きたくなるほどにダランっと頭の重さを支え切れてなさそうに傾けている首。口を閉じる力も無いのか、口は半開きのままとなっており、開いている口の端からは一筋の涎が漏れている。
 そんな至近距離で見つめ合って数秒。キスでも迫ろうとしているかのように口を近付けながら女の子は言った。いや、呻いた。
「アアアァァァ~~~………ッッッ!!」


「バイオハザードォォォッッッ!!」
 ノックも無しに部屋に入ってきた彼に対して、『ノックしてから部屋に入れ』、なんて小さいことをグチグチ言う気は彼女には無い。何故ならノックすべきドアがたった今吹き飛ばされたからだ。とりあえず蹴破られたドアは後で弁償させるとして、
「君は一度くらい静かに僕の部屋に入って来れないのかい? というか気軽に乙女の部屋に入って来るんじゃないよ」
「今はそんないつもみたいな妄言を聞いている場合じゃないっ!!」
「少なくとも前半は絶対に妄言では無いと思うが……。そして今君さり気なく『いつも』って言ったな? どういうことだ? 普段から僕の発言を妄言だと思って聞いているのか君は」
 彼女はジトーっと彼を見るが、彼は一切無視して、
「そそそ外の人たちがまるでゾンビのように俺に襲い掛かってきて……っ!!」
「……現実との区別がつかなくなるのであれば、ゲームなどやるべきでないと僕は思う」
「本当なんだって! 見ろ! この引きちぎられた腕の袖っ!!」
「スギちゃんのコスプレかい?」
「誰だそれっ!!」
「君、自覚無いんだろうが、今の凄い失礼だぞ」
「じゃあとりあえず謝っとく! ごめんなさいっ!!」
「素直でよろしい。で、どうしたって?」
「そそそ外の人たちがまるでゾンビのように俺に襲い掛かってきて……っ!!」
「……一言一句まったく同じことを口にしたな、今。その説明で一体誰が分かると……、」
 思うんだ、と続けようとした彼女はピタリとその口を閉じた。というのも遺憾ながら分かってしまったというか、思い当たる節があったからだ。そういえばこの男、用法用量も守らずに薬をがぶ飲みしてやがったな、と。過剰にフェロモンが分泌されて効果が強すぎて困っている、というところか、と彼女がおおよそ事態を理解していると、
「何とかしてくれよっ! マジでほとんど全力疾走できるゾンビだぞ!!」 
「無理」
「冷たいっ!! 何でだっ!? 今なら靴でも足でも何でも舐めるぞっ!!」
「嫌だよそんな汚い。僕にそんな癖は無いんだ。何せあれは試作品だからね。フェロモンを止める薬みたいなものは作ってないし、製作止まったから作る予定も無かったし。薬の効果が切れるまでは諦めたまえ。まぁ、しばらくは切れないだろうが」
「しばらくってどれくらいっ!?」
「通常の濃度と容量で大体1時間くらいは効果が持続するからねぇ……。原液をあの量行ったとすると……、うーん……、単純計算で2年くらい消えないんじゃないかなぁ?」
「2年っ!? 俺に遠回しに死ねって言ってるのかっ!?」
「安心したまえ。君に死を願う時は遠回しになんて言わないで誤解も曲解も許さないようにハッキリクッキリと言う。大体大袈裟だなぁ。そりゃ多少効果が強めに出ているかもしれないがそんな死の危険性を感じるほどのものでもあるまいよ」
「いや、お前は直接見てないからそんな悠長な……、あれ? そういやぁ、お前は平気なのな。フェロモン効果を上回るくらい俺のことが嫌いとかそういうこと?」
「言ってて悲しくならないかい? そのセリフ。まぁ、それも否定はしないが、この手の、僕に悪用されそうな製品の場合、まず僕に効かないように作れるか、というのを念頭に置いて作るからね。ちゃんと僕には効かないようにフェロモンを調合してあるのさ」
「そこまでしてあるなら、効果を消す薬も作っといてくれればいいのに……」
「勝手に用法用量を無視しておいて勝手なことを言ってるんじゃない。まぁ仕方ないから、フェロモンの効き目が切れるまで人目の付かないところに避難して、」

 パリーンッ!! と屋敷の中のどこかのガラスが割れる音がした。

「………………君、一応聞くが、ちゃんと巻いてからここに来たんだよな?」
「………………明るいうちには来たぜ」
 パリンッ! パリンッ! と。次々屋敷内のガラスが割れるような音がし、何かがそこから大量に流れ込んでくるような嫌な音がする。そして、その流れ込んできた音たちが、何かを追い求めるかのように、この書斎に向かって一斉に音が近付いてくる。
 彼女は元凶であろう横に居る男の胸倉を両手で掴むと、
「ここここここんの大バカ者!! 何がゾンビだっ! 日になんて弱くないから明るいうちに帰っても何の意味も無いということじゃないかっ!! しっかりつけられやがってこんのクソあんぽんたんっ!!」
「だって! だって! だって! こっちだって必死だったんだもんっ!! 四方八方から飛び掛かって来るゾンビたちを避けに避けてだなぁっ!!」
「まだ言うかっ! だいたいゾンビゾンビって、」
 彼女が文句を言おうとした時、ドアが無くなってただの通路と化した書斎の入り口から大量に人間がなだれ込んできた。
 ちなみに、『なだれ込んできた』は比喩ではない。ガチである。襖を開いた時にバランスを崩した布団がなだれ落ちる様子を想像してもらうと分かるが、あれが今目の前で起こったようなものだ。
 二足歩行を忘れて四足歩行へと移行した者も居れば、辛うじて二足歩行を保っている者も居る。生気の感じられない温度の無さそうな顔をしている者も居れば、逆に興奮マックスという感じで鼻息を荒くしている者も居る。
 割とそれぞれと言えばそれぞれの反応をしているが、その中でもそれぞれに共通している特徴もある。目を合わせるのが困難なほどに焦点の合っていない目。頭の重さを明らかに支え切れてなくダラリと下げられた首。閉じることを忘れられた口からは大量に涎が溢れ出て、涎と同時にアアアァァァ~~~………ッッッ!! という、おおよそ彼女が人の口からは聞いたことの無い重低音が響いてくる。
 彼女はそっと目を閉じ、少し考えてから彼の方を向き、一回謝ってからこう言った。
「バイオハザードォォォッッッ!!」
「だろぉっ!? そうだろぉっ!? やっと分かってくれたかこの気持ちぃっ!!」
 こんな状況でも、いや、こんな状況だからか、共感者が現れてくれたのがさぞかし嬉しいらしく、彼は涙を浮かべて喜んでいる。そう、どうも彼女が想像していたよりも遥かに強く薬の効果が顕現しているらしい。
 彼女は薬の製作者。作った薬に対する責任というものがある。ここは、
「仕方ない! 僕が囮になるから君はその間に逃げろ!」
「おいこらちょっと待てウソを吐けぇぃっ!! お前がそんな殊勝な人間なわけあるかいっ!! 完全に俺が囮でその間にお前が逃げる気じゃねぇかっ!!」
「うわぁっ!? や、止めろ離せ今すぐっ! 両足に抱き付くな! セクハラだセクハラッ!! 弁護士を呼べいっ!!」
「バカ言うなっ! 俺にだって選ぶ権利があるっ! セクハラするってんならもっとこうボンッ! キュッ! ボンッ! に抱き付くわこのドアホォッ!!」
「何だとっ! これでも小さい時はみんなが寄ってたかって僕の服を脱がそうとしてくるくらい魅惑的なボディなんだぞっ!!」
「それただのイジメじゃねぇかっ!!」
 なんて阿呆なことを言い合っていると、
「「………………あ」」
 両足に抱き付く彼とそれを一生懸命蹴り放そうとしている彼女。それらをいつの間にかしっかりと包囲しているゾンビたち。
 仕方ない。一時休戦だ、と二人は背中合わせになってゾンビたちと向かい合う。
「ちくしょう……っ!! おいっ! こうなったらもうアレしかないぞっ!!」
「『アレ』!? ……『ドレ』のことだいっ!? アレ・コレで物事が通じるほど君と通じ合った覚えは無いぞっ!!」
「っつったって言い方分かんねぇよぉっ!! 『アレ』ったら『アレ』だよっ! アレアレアレッ!!」
「だぁっから『ドレ』って、ああいや『アレ』かぁぁぁっ!! ……いやっ、『アレ』かぁっ!?」
「そう『アレ』!! 『アレ』しかねぇだろっ!!」
「ぬぐぐぐぐぐぐっっっっっ……っっっ!! 『アレ』の乱発は世界観の崩壊を招きかねないから極力濫用したくは無いのだが……っ!!」
「やんなきゃ世界観崩壊以前に俺らがここで終わるぞっ! いいのかっ!! ってか俺らが終わったらそれはそれでこの世界の終わりだぞっ!!」
「ちぃぃぃっっっ!! えぇいっ! ママよっ!!」

終わり

「………………(これ、オチとしてありなのかね?)」
「(シッ!)」
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