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乾いていくタオル
しおりを挟む暑い……干からびる……。
歴史的猛暑だなんだと言われている真夏の時期。カンカンと降り注ぐ日差しを遮るカーテンも無い窓際の席では、オフィス内に効いているエアコンなんて何の意味もなさない。
日当たり良好の南向きの窓。賃貸物件であればさぞかし人気の物件かもしれないが、職場の座席となれば話は別。というか、南向きの部屋に住んでいたとして、わざわざ直射日光の当たる窓際に自分の作業机など置かないだろう。誰だ。こんな日当たり良好の場所を社員の座席に指定している奴は。嫌がらせ以外の何物でもない。
彼の会社は基本的にはテレワーク。直接会ってコミュニケーションを取る、という名目でたまの出社日がある。出社しない日の方が多いのだから、自席、なんてものは存在せず、オシャレに言うのであれば、フリーアドレス制を導入している。なんなら席の予約システムだってある。
しかし、この予約システムのことを知らないのか、知っている上で盛大な無視を決め込んでいるのか、席の予約なんて知ったことか、と言わんばかりに朝着たら彼が予約したハズの席に普通に別の人が座っていた。あれ? 予約ミスった? と思い、スマホで確認したが、ちゃんと今日の日付でその席を予約してある。訴訟である。
揉めるのも面倒なので仕方なく空いている席を探したのだが、見事に空いている席は日当たり良好灼熱地獄の窓際席しかない。まぁ、そりゃそうだろう。席が選べるのだ。わざわざ好き好んで窓際席を選ばないだろう。
窓際席を選ぶとしたら、彼のように席取り合戦に(不当に)負けて他の席を選べなかった敗者か、WEB会議などが多いから不人気さを逆手に取って静かな窓際を選んでいるか、あるいはそれほど可能性としては高くないが、出張などでこっちの会社に来ていて、窓際の灼熱を知らずに『わぁ~窓際空いてる~ラッキ~』と能天気に窓際を選んでしまった人くらいだろう。まぁ実際、夜まで我慢できれば夜景が綺麗な席と言えなくもないのだが。
カーテンなんていう分明の利器はこの窓には付いてない。そのくせ床から天井まで届くほどに無駄にバカでかい窓。当然日差しもガンガン入ってくる。普通にまぶしくて『目がぁ……、目がぁ……っ!』とムスカごっこができる。
まぁ、人はまだ壊れてもいいかもしれないが(麻痺)、会社支給の精密機器であるノートパソコンもガンガン日差しを受けるのだがこれはOKなのだろうか? 嫌だぞ? これでパソコンが壊れて修理代請求されても。断固拒否するからな。
自身が放つ処理熱なのか、長時間にわたる直射日光の影響なのか、パソコンが不自然な熱を放ち始めている。社員が壊れるのが先か、パソコンが壊れるのが先か、根競べをさせられている気分である。
砂漠に居るわけでもないのに『み、水……』なんて言葉をリアルに言う日が来るとは思わなかった。やはり人というのは追い込まれて初めてそのありがたみが分かる生き物らしい。
というわけで、『み、水……』と言いながら水を求めてリュックの横に付いている網のポケットに入っている水筒を引っこ抜き、水を飲もうとするが、
「………………」
空である。そういえばさっき飲み干して飲み物追加で買ったな、と思い出し、机の上に置いてあるペットボトルに目を向ける。
「………………」
空である。どういうことだ。誰だ? 勝手に飲んだやつ。泥棒だぞ。
まぁ普通に考えて、よっぽどの美男美女が飲んだものでもなければ、誰かが口を付けたペットボトルなんて飲もうとしないから自分で飲んだのだろうが、生憎飲んだ記憶が無い。それくらい無意識化に水分補給しないとあっという間に熱中症になるくらい危険な席なのである。
持参した水筒の飲み物代出せとは言わんから、補充したペットボトル分の料金くらい会社負担で出してもらえないものだろうか。出社の頻度が少ないからまだいいや、と思っているが、これ出社の頻度が増やされたらバカにならない出費になる。
ペットボトルを買い足そうかどうか悩むが、この窓際席、ペットボトルを置いておくと秒で生ぬるくなる。水筒に中身を移せばある程度防げないこともないが、それでも氷を入れているわけでもないから、ぬるくなる時間を緩くできるというだけで、ぬるくなるのは避けられない。
水分補給もそうだが、こちとら涼を取りたくて飲み物を飲むのにぬるいものを飲まされてはやっていられない。というわけで彼は席を立ち、このオフィスの数少ない良心と言ってもいいウォーターサーバーへと向かう。こっちも別にキンキンに冷えているわけではないが、ぬるくはないので、まぁ妥協できる範囲内である。
社内のオアシスことウォーターサーバーへと向かうが、既に何人かの社員で列になっていたので最後尾に並ぶ。というか何で普通にこいつら窓際席でもないくせに水飲もうとしてるんだ。無料で水飲めるからって理由で涼しい席に座っている奴らが並ぶんじゃない、むかつく。こっちは命に係わるから水分補給をしているのだ。
若干イライラしつつも大人しく列に並んでいると、
「……暑いですよねぇ」
背後から女性のそんな声が聞こえた。そうですねー、と心の中だけで後ろの会話に同意しておく。
「「………………」」
ん? あれ? 誰も返事しない? あれ? ひょっとして今私に話し掛けた?
まさか自分に話し掛けられたとも思っていない彼は恐る恐る振り返ると、背後に若干気まずそうな笑みを浮かべながら『あははは……』と大人の対応をしてくれている女性社員が一人。いかん。完全に自分に話し掛けていた言葉を無視してしまった。
「あ、暑いですよねー……」
慌てて話を合わせる彼。彼女は気を悪くした様子はなく、彼の方を指さすと、
「背中、汗びっしょりですよ?」
「なぬっ?」
それは聞いてない。まぁでも暑くて汗をかいている自覚はある。椅子の背もたれによっかかっている時に汗染みにでもなったのだろう。普段ならさほど気にもしないが流石に女性社員に指摘されると恥ずかしい。というか今さらだが汗臭くないだろうか? 急に気になってきた……。
「でも分かります……。窓際暑いですよねぇ……」
彼女はパタパタと自分の手で顔を扇ぐ。窓際経験者なのか、あるいは絶賛経験中なのか。窓際の暑さを知っているご様子。クーラーの効いているこの部屋で『暑いですよね』と同意を求めてきたくらいなので、恐らく後者だろう。
「暑いですよね……」
再度彼女の言うことに同意する彼。モテる男であればここからそれっぽく会話を広げるのかもしれないが、生憎彼にそんな気の利いたスキルは無い。オウム返しするくらいで精いっぱいである。
「ねー暑いですよねぇ……」
「………………」
「………………」
「「………………」」
沈★黙。話し掛けてもらっておいてなんか申し訳ない気分である。すると、
「ふっ、ふふふっ」
壊れた? とは流石に彼は言わなかったが、彼女が不意に笑い出した。沈黙が面白かったのか、沈黙に耐えきれなくなったのか。彼もとりあえず笑って合わせておくと、
「あっ、私いいの持ってますよ」
そう言って彼女が差し出してきたのは、個包装されている冷たいタオル。差し出してから、『あっ、しわくちゃになってる……』と気付いたらしく、慌てて皺を伸ばす彼女。あんまり変わってない気もするが、もともと包装の皺なんて彼は気にしていない。
「……いいんですか? 貰っても?」
プレゼント、なんて言うほど大層なものではないのかもしれないが、女性から物を貰う経験などほとんどない。せいぜい旅行のお土産とかでお一つどうぞ、くらいだ。変な話、貰い方が分からない。正解は何だ? 『ありがとう』とでもスマートに言って、歯の一つでも光らせればいいのだろうか?
あまりにも高度な演算を急遽求められ、彼の頭がショートしかけていると、
「もちろん。私いっぱい持っているので」
なんでそんないっぱい持ち歩いてるんだ? という彼の顔が出ていたのか、
「こっちは暑いって聞いたので、武装してきました」
敬礼してくる彼女。どうやら前述した、可能性としては高くないと思っていた『こっちに出張で来たメンバー』らしい。道理で見覚えがないわけだ、と言いたいところだが、彼は自分の課のメンバーだって半分以上顔を認識していないので何とも言えない。
貰っていい、と言っているものを過度に遠慮してもあれだろうし、と彼はありがたくそのタオルを受け取ることに。それから何となく、その日は彼女とちょこちょこ雑談をしながら過ごした。
あれから半年くらい経っただろうか? 季節は反転して冬になっている。
夏の時は歴史的猛暑だなんだと言っていたが、冬は冬で歴史的寒波がやってきたとか言っている。忙しいものである。そして確かに寒い。秋をショートカットしてやってきただけのことはある。
こう寒くなるとあの夏の窓際席の暑さが恋しくならないこともない。……いや、微妙か? あれは度を越えて暑いからな。
まぁでもそれで言うと、
「………………」
彼はそっと引き出しを開ける。その中には以前彼女から貰った個包装のタオルがそのまま入っている。使ったことないので、お店とかで貰うおしぼりのように中が乾燥してしまっているのか、あるいは開封さえしなければ案外平気なものなのか、彼には分からないが、使えずにそのまま放置してある。
使おうと思ったこと自体はある。袋を開けようと手を添えたこともある。だけど、なんか勿体ないかな、と思い、結果開けてこなかった。使わない方が勿体ない、と言われればそれまでなのだが。実際、もう冬なので使う機会は当分訪れない。
あの日以来、彼女とは会っていない。向こうもたまたま出張で来ていただけなので、頻繁にこちらに来るわけではないし、仮に来ていたとしても、彼の出社日もそれほど多くない。意図的に合わせでもしない限り、出社日が被る、ということはそうそう無いだろう。
そういう意味では、あの日、よく出会ったものである。
彼女の方はきっと、彼のことを覚えていないだろう。半年も前に一回会ってちょっと話しただけなのだ。覚えていなくても責める気は無い。仮に覚えてくれていたとしても、渡したタオルの行方など興味も無いだろう。
もしまた会えたとして、『あの時渡したタオルどうでした?』なんて聞いてはこないだろう。渡した次の日に会ったのであればまだ分からなくもないが、もう半年も経っている。わざわざ蒸し返すほどの話題でもない。
話題に出されたとして、だ。果たしてなんと答えたものか。大事に引き出しの中にしまっています、と正直に答えてもいいものか。重たい、と思われて引かれそうな気さえする。もしくは使わないなら返して、か。いや、半年も前に渡したものを今さら返せとも言ってこないか。中身乾燥している可能性もあるし、そんなもの返されても困るまである。
彼女からすればちょっとした気まぐれ。たまたま目の前に暑そうにしている奴が居て、たまたまタオルを持っていたから『お一つどうぞ』とくれただけ。プレゼント、と言っていいのかも怪しい、ちょっとしたおすそ分け。
使われずにしまわれているなんて思ってもいないだろうし、ひょっとしたら渡したことも話したことももうちゃんとは覚えていない、おぼろげなものかもしれない。
ひょっとしたら全部灼熱の窓際が見せた蜃気楼だったのかもしれない。けど、ちゃんと現実に起きた証としてこのタオルがある。
彼女からすれば些細な一日。
だけど彼からすれば、真夏の窓際席に座っていて良かったな、と思った数少ない思い出の一日。
袋の中のタオルは使われずに乾いていく。
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