自由研究は終わらない

うたた寝

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冬の桜

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「桜が見たい」
 真冬の寒いある日。なぁ~にが迎春だ、どこか春だ、クソ寒いじゃねーか、と点けているストーブの前に陣取って、外でも割と厚着ですねぇ~、と言われるであろう格好の上にさらに布団を包まって寒さに凍えているか弱き乙女であるレナの耳にそんなバカげた妄言が聞こえてきた。
 こう見えて、と言ってしまうと失礼かもしれないが、レナには研究者としての側面もあり、企業などから依頼を受けることもあったりする。今日午後からその依頼に関する打ち合わせの予定だったが、妄言が聞こえてくる程度に疲れているのだから今日は中止にして休んだ方がいいかもしれない。ストーブの上で沸かしていたやかんを手に取り、自分用にお茶を淹れた後、何故だか視界に映っている誰かの足の幻にやかんをじゅ~っと当ててみる。この真冬に素足を出しているくらいなんだ。幻に違いない。
「ってあっちぃ!? あっちぃ!? あっっっちぃぃぃ!?」
 おや? 最近の幻はリアリティが凄いな。悲鳴まで聞こえてくるとは。
「おまっ、おまっ、お前ぇっ!? しょっ、正気かっ!? 火傷するとこだわっ!!」
「このクソ寒い日に季節感もへったくれも無い恰好をしているから温めてあげようかと思ってね」
 常夏の国ですか? と聞きたくなるほどに半そでのシャツと短パンというTHE・NATSUという恰好をしている、アホ男・マンタ。誰か職質してそのまま連れ去ってほしい。もしくはサーフィンでもしに行ってそのまま波に連れ去られてもらいたい。
 マンタがレナの好意によって温めてもらった足を失礼にも外の雪で冷やそうと窓の外に出て行く。窓が開いて冷気が入ってきてクソ寒いので、レナは窓をすぐに閉め、ついでに鍵を閉めてやる。足を冷ました後、窓の鍵が閉められたことに気付き、窓をガンガン叩いているがレナは無視。諦めたマンタは玄関へと回って再度家の中に入ってきて、
「閉めるなっ! 寒いだろっ!!」
「ここはボクの家なんだから勝手に家に入って来た不法侵入者を追い出して文句を言われる筋合いは無い。後、寒いのはどう考えてもボクのせいではない」
「そうか。確かにな。寒いのは季節のせいか」
「いや、その格好のせいだよ」
「?」
 キョトンとしている目の前の男。何だ? コイツ、ひょっとして長袖、という文化を知らないのか? なら仕方ないな、文化の違いだ、とレナは一人諦めて納得すると、
「で? 桜が見たい云々って何だい?」
 先ほどの会話を思い出し、レナが聞いてみると、マンタもマンタで本題を思い出したらしい。
「そう! 桜が見たいんだよ!」
「暖かい所に南下していけばいいさ。星は丸いからこっちは冬でもどこかは春さ。もしくは図書館にでも行って桜の写真集でも眺めてきたまえ」
「いや、違う違う。咲いている所に行きたいわけでも、咲いている写真が見たいわけでもないんだ」
「何だい、キミは? まさか、このクソ寒い冬の中で桜が実際に咲いているところを見たい、とでも言っているのかい?」
「その通り! 話が早いな、おい」
 話が通じて喜ぶマンタと、話が通じず面倒がるレナ。
「キミは……、この星に生まれて何年だい? 冬に桜が咲かないことくらい知ってるだろう?」
 いや、冬に長袖を着る、という文化を知らないくらいだから、冬に桜が咲かないことも知らない可能性があるが、とレナが危惧していると、
「それがそうでもないんだなぁ~。知ってるか? 冬でも桜は咲くんだぜ?」
 何言ってんだこのバカ、とレナは冷たい目を向けるどころか、呆れて目線をストーブへと移そうとした時、レナとストーブの間に新聞紙が差し込まれた。止めろ、ストーブに当たったら燃えるぞ、とレナは慌てて新聞紙を受け取ると、
「『冬の桜』……?」
 新聞の一面の文字を読み上げる。というかこの新聞、大分古いな。どうやら図書館から借りて持ってきたものらしい。
「むかーしこの町で冬に桜が咲いたんだってさ」
 レナの後ろから新聞を覗き込むようにしてマンタが補足してくる。なるほど、確かに、冬でも桜が咲く、ということはレナも認めなければならないようだが、
「情報のソース元を持ってきたのは無能なキミにしては中々上出来だが」
「ひでー言われよー」
「ちゃんと書いてあるだろ? 100年に一度の異常気象って。そもそも、滅多に起きないから新聞の一面にこれだけデカデカと載ったのだろうさ」
「逆に言えば珍しいってだけで起きないわけではないんだろう? じゃあ今年咲くかもしれないじゃんかよ」
 無駄にポジティブな男である。可能性が0か0じゃないかの話をすれば、0ではないだろうが、この記録的寒波だ、積雪だって言われている寒さで桜が咲く可能性はほとんど0じゃないか? とレナは思うが。
「見てみたくないか? すげー綺麗らしいぞ?」
「春に咲く桜とそんなに違うものかねぇ? 言っちゃえば、春に咲くか、冬に咲くかの季節の違いだけだろう? 冬に咲いたからってそんな特別綺麗に映るとも思えないのだが……」
「でも綺麗だろう?」
「まぁ……」
 それはレナも認める。白黒の古い写真一枚からでも不思議と綺麗さがよく伝わってくる。
「見てみたいなー、冬に桜ー」
「そだねー」
 見てみたいか、見てみたくないか、の話であれば、レナも見てはみたいので、適当に相槌を打つことにした。


 企業との打ち合わせの時間が迫ってきたのでレナは家を出ることにした。この家の人間でも無い人間に『行ってらっしゃーい』と見送られながら自分の家を出るのは中々シュールな光景である。というかアイツ、家主が家を出るのにまだ家に居座る気なのか。留守を守ってくれている、とでもポジティブに捉えればいいのだろうか? アレが留守を任せるに足る信用の男かと言われるとびみょーではあるが。
 そんなことを考えながらレナがバス停へと辿り着くと、
「ん?」
 バス停のベンチに向かって地べたに正座して座り、ベンチを机にして折り紙を折っている女の子が居た。
 寒い外で折り紙を折っているから当たり前と言えば当たり前だが、女の子の手は赤くなりかじかんでいる。思うように指が動かないのか、女の子は自分の息で手を温めては折り紙を折り、折り紙を折っては手を温め、を繰り返している。
 千羽鶴ならぬ、千本桜とでも言うべきか、桜の花の折り紙が大量に作られている。折り終えた折り紙は雪などで濡れないよう、保存容器などで使われていそうなケースに丁寧にしまわれている。今ここで作った数なのか、今までの合計数なのかは分からないが、決して薄くはないケースの底から蓋ギリギリまで重なっているくらいなので、結構な数を折っているのだろう。折り慣れていることは見本も見ずにスラスラよどみなく動く女の子の手先からも伝わってくる。
 何でこんなところで折り紙を折っているのだろう、とか、何でこんな女の子が一人で居るのだろう、とか、色々不思議なことはあったが、まぁレナには関係の無い話である。ベンチが占領されて座れない、というのはあるが、バス停の時間表を確認するともう1,2分もしないうちにバスが来る。立って待っていても問題無い時間だろう。
 塀に背中を預けて立ち、レナは女の子を見つめる。いや、見つめる、という表現は適切ではない。バスを待っているレナの視界の先にたまたま女の子が居るだけだ。別に女の子の様子が気になって見ているわけではない。視界に映ってしまうんだから仕方がない。
「………………」
「………………」
「………………」
「……くしゅんっ! ずずずっ……っ!!」
「………………」
 あ、忘れ物した、とレナは塀から背中を離すと一旦家へと戻る。バス停を離れた直後、バスがやってくるのが視界の端に映ったが仕方がない。忘れ物をしたのだから取りに行かなくては。


 しばらくして戻ってきたレナの手には小型の電気ストーブ。延長コードに次ぐ延長コードで持ってきたため、レナの家からバス停まで公道の端に電気コードがずっと伸びているがまぁ許せ。一応通行人の足には引っかからないようにと気を遣って端には寄せた。
 ドンッ! とベンチの傍に置いてスイッチを押す。コードが途中で抜けていたりしないかと気にしたが、電気が点いたので大丈夫そうである。ついでに背中に刺してきた折り畳み式のパラソルをベンチの上に広げ、あっという間に屋根付きバス停の出来上がりである。ちょっと冬の時期には似つかわしくない南国のビーチ感があるがまぁ許せ。雪除け程度にはなるだろう。
 え? 忘れ物? ああ、勘違いだったらしい。
 レナが塀の方に戻ろうとすると、レナの様子をポカーンと見つめていた女の子がレナの方を見上げ、
「ありがとう!」
 と、笑顔でお礼を言ってきた。はて? 何のことかレナにはよく分からないが、とりあえずお礼を言われたので、『どういたしまして』と返しておく。
 雪の影響か、定刻より遅れてバスがやってきたが、何とバス停を一度通り過ぎた。どうやら普段ないパラソルが広げられているせいで外見が変わって一瞬気付かなかったらしい。バス停から少し通り過ぎた場所で停車して扉が開く。
 レナは片足をバスの中に乗せた状態で女の子の方を見る。女の子は折り紙から目を離すと、レナの方を見て、『バイバイ!』と手を振ってくる。手を振られたのでレナも手を振り返し、バスの中に乗り込む。
 バス停の方の窓側の席にたまたま座ったレナの視界には、再び折り紙を折り始めた女の子が映っていた。バスがやがて走り出し、女の子の姿が小さくなっていき、やがて見えなくなったが、きっと、折り紙を折り続けているに違いない。
「………………」
 腕を組んでレナはしばし考えていたが、やがて腕を解くと、ピンポーン! とバスの降車ボタンを押すことにした。


 何のためにバスに乗ったのか、自分でも分からないな、と思いながら、レナは一個前のバス停に歩いて戻ってきた。降りた駅のバスの時間を見たらそっちの方が早そうだったのだ。実際、バスに抜かれることもなかったから、その判断は間違ってもいまい。
 レナがバス停に戻って来ると、相変わらずバス停のベンチでは女の子が折り紙を折っている。レナに気付いたのか、女の子は折り紙から顔を上げて、さっきバスに乗ったばかりのハズなのにすぐバス停に戻ってきたレナを不思議そうに見ていたが、レナは女の子と目線を合わせるように視線を下げると女の子よりも先に質問する。
「何をしてるんだい?」
 レナの質問に女の子は満面の笑みで答える。
「折り紙!」
 うん、それは見れば分かる、と、これがとある不法侵入者の回答であれば国語の勉強も踏まえ小一時間説教してやるところだが、相手は不法侵入者ではない。質問の仕方が悪かったか、とレナは自分の聞き方が悪かった、ということにして、
「なるほど、折り紙か。では、何でこんな所で折り紙を折っているんだい?」
 質問の内容を少し細かくしてみると、
「桜をね、おばあちゃんに見せてあげたいの」
「桜を?」
 何かどこかで聞いた話だな、とレナが思っていると、
「おばあちゃんのお誕生日ね? もうすぐなの」
「ほう、それはおめでとう」
「それでね、お誕生日プレゼント何がいいかなって考えてたんだけど」
「うん」
「昔ね、おばあちゃん、冬に桜が咲いたのを見たんだって。それがすっごい綺麗だったって、よく嬉しそうに話してくれたの」
 レナは今朝見た新聞の写真を思い出す。古い写真一枚からでも伝わってきた、あの不思議な綺麗さ。あれを生で見れた、ということか。ちょっと羨ましいな、とレナが思っていると、
「だから、お誕生日に桜見せてあげたかったんだけど、桜、咲かなそうだから」
 だから自分で桜を折っている、そういうことか。家で折っても良さそうなものだが、誕生日プレゼントでサプライズだからバレないように外で折っているのだろうか? だからって別にバス停のベンチで折らなくても屋根付き壁ありで折り紙が折れる場所くらい、いくらでもありそうなものだが。女の子がパッと思いついた、家の外で折り紙が折れる場所、がここだった、というところだろうか。
 レナは女の子の横に置いてある折り紙の束を見つめる。ひょっとして、これ全部折るまでここでやるつもりなのだろうか? この寒さの中? 正気の沙汰じゃないな、とレナは女の子の横に座り直すと、
「これ、ボクが手伝ってもいいものかな?」
 自分で全部作りたい場合もあるだろうから聞いてみると、
「手伝ってくれるの?」
 女の子に嬉しそうな顔で聞き返された。どうやら人の好意には素直に『はい』と言えるタイプの子らしい。まぁ、単純にこんな寒空の下で折り紙やってて大変だったから断る余裕も無いのかもしれないが。
「うん、折り紙好きでね」
 サラッと嘘を吐くレナ。いやまぁ、好きか・嫌いかを論じるのであれば、好きではあるので厳密に言うと嘘ではないが、その言い草だと普段から折っているようである。が、
「やったー! ありがとう!」
 まぁ、噓だとしても、噓も方便と言う。誰かが傷付く嘘を吐いたわけでもあるまいし。レナが折り紙を一枚取ると、女の子も同じように一枚取り、
「折り方分かる?」
 と、レナに聞いてくる。これは舐められたものである。レナは胸を張って、
「いや、分からない。だから教えてくれ」
 レナが何も見ないで折れるものなど、せいぜい紙飛行機くらいである。歪でいいなら鶴もギリいけるかもくらいだ。桜の折り紙なんて今初めて知った。折れるハズもない。
 不出来な生徒を怒るわけでもない寛大な先生である女の子は、誰も置いていきませんよ~、というような優しい笑みを浮かべて、
「分かった! えっとね、まずは」
 女の子が折り方をゆっくりと横で実演しながら説明してくれる。これなら折れるな、とレナは真似して折り始めたが、ちょっとその前に一個聞いておきたいことを思い出したので、一度中断し、
「ああ、ちょっとその前にもう一個聞いてもいいかな?」
「なに?」
「おばあちゃんの誕生日っていつかな?」


 折り紙の束を全て折り終えたので、レナは女の子とバス停のベンチで別れる。笑顔で手を振りながら家に帰って行く女の子を見送った後、レナはコートのポケットから携帯電話を取り出す。すると、レナが掛けるより先に着信がきて携帯電話がブーッ! と振動して慌てて落とすところだった。表示された相手を見て、ああ、そういえば打ち合わせすっぽかしてたな、とレナは思い出したが折り紙折ってました、と言っても納得しないだろうからとりあえず無視である。どうせ大した打ち合わせでもない。そんなことよりも急ぎの用事がある。
 レナは容赦なく掛かってきた電話を切ると、再度掛かってきても面倒なのでその番号を着信拒否に設定する。それから本人の携帯電話に掛けようか、自宅に掛けようか少しだけ悩んだが、自宅に掛けてみることにする。が、何回かコール音がしても出ない。流石にもう帰ったか? とレナが電話を切ろうとするとそのちょっと前に、
「はい、もしもし?」
 ようやくバカが出たので、レナは開口一番、
「居るなら早よ出ろバカ」
 用件よりも何よりもまず文句を言うのが先である。
「トイレ行ってたんだよ。これでも慌てて出てきたんだぜ」
「何だと? やれやれ、またトイレを買い替えなきゃいけないじゃないか」
「酷くな~い? お前、オレが使う度に買い替えてるだろ? 一体オレがどんだけ汚くトイレを使ってると思っていやがるんだ? これでも人の家のトイレ使ったことに気を遣って、使用後、壁から床まで綺麗に掃除してるんだぜ? 下手すりゃ使用前よりピカピカにしてる自信がある」
 ほう、それはいい心掛けだ。とはいえ、どれだけ綺麗に掃除しようがコイツが使ったならもう買い替える以外の選択肢は無いが。綺麗・汚いはもはや論点ではないのだ。コイツが用を足したトイレを後から自分の手で掃除する、ということがあり得ないのである。
「まぁ、キミの汚さは置いておいて」
「酷くない? 酷くない? 酷くな~い?」
「いや、キミに自宅のトイレを使われたボクの方が可哀想だ」
「断言しやがったな、コイツ……。何だ? オレをイジメるためにわざわざ掛けてきたのか?」
「アホ。ボクはそんなヒマじゃない。キミ確か、桜が見たいって言ってたね」
「ん? おう、言ってたぞ。だからてるてる坊主を今大量に作ってたところだ」
 てるてる坊主? そんなの作ってるくらいなら桜の折り紙を手伝え。あの後、何枚折ったと思ってるんだ、というクレームとは別に、
「キミのその自分のできる範囲で何かをやろうとする努力は買うが、てるてる坊主って雨を降らす道具だろ?」
「あり? そうだっけか? まぁでもやらないよりマシだろ?」
 ……マシなのだろうか? せっかく桜が咲いても雨が降ったら散りそうな気がしないでもないが、まぁその辺は置いといて、
「神頼みしているヒマがあるならちょっと手伝いたまえよ」
「うん?」
「桜、見せてあげよう」


「よーく道路を通行止めになんてできたな」
 警察が交通整理している様子を見ながら、マンタは横に立っているレナに聞く。
「人通りの少ない時間帯を選んだからね」
 確かに。夜も更けてきたこの時間帯。大抵の人はもう帰宅しているだろうから交通量も多くはないのだろうが、
「にしても、個人のために通行止めって普通しねーよな」
「ボクが一体いくら税金をこの町に納めていると思ってるんだい? 市民の些細なお願いも聞けないようなら別の町への引っ越しを検討する、って言ったら、とっても協力的に動いてくれたよ」
「脅しじゃねーか」
「失礼な。住む場所を選定するのは正当な権利だ」
「そりゃそうだが……。通行止めって『些細な』お願いか?」
「些細だろ? 何も交通量の凄いところを一日止めろなんて言ってない。交通量が少ない道路を準備込みで1,2時間止めてくれって話なんだから」
 言い分は分からんでもないマンタだが、それでも一市民のために通行止めってよっぽどだと思うが。よっぽどレナの税収を失うのが怖いらしい。と、なると気になるのは、
「お前一体いくら税金納めてるわけ?」
 少なくとも、これだけの人員を動かして交通整理しても元が取れる金額ではあるらしい。
「大体この町の福祉はボクの税金で賄われていると思っているよ。例えばこの道路とか、あの図書館とか、その警察署とか工事されて新しくなったろ? もちろん、誰の納めた税金の内訳か、なんて公開されないから断言はできないが、ボクがこの町に着てから新しくなったところを見るに、まったく無関係とも思えないだろ?」
「まぁ、こうやって警察が動いているところを見るにそうなんだろうな」
 通行止めに恐らく急遽駆り出されたであろう警察官にマンタが敬礼していると、
「納めた税金分くらいの社会福祉は享受しないとね。キミにもキミのせいで買い替えなきゃいけなくなったトイレ分くらいは働いてもらおう」
「トイレ買い替えるのってオレのせいなわけ? 生理現象だし、部屋で漏らすより良くな~い?」
「その時は家ごとキミを焼こうと思う」
「ハハハハー……」
 レナの目が笑っていないのでマンタはさっさと話題を変えることに、
「ああ、そういえば手伝えって言ってたな。何すりゃいいんだ? 後これすげー重たいから下ろしていい?」
 マンタの背中には大きめのリュックサックがある。中身についてマンタは何も聞かされていない。早よ持てすぐ持てとっとと持てと言われ、大人しく背負ってこの通りへとやってきた次第だ。
「ダメだよ。これから使うんだから。いや待て、中身の説明が先か。中身を説明するから早くリュックを下ろしたまえ。ほら、すぐ、早く、モタモタしない」
「この……、下ろせって言ったり下ろすなって言ったりまったくもう……」
 ブツブツ言いつつマンタは大人しくリュックを地面に下ろす。下ろしたリュックの口をレナが広げると中には、
「……粉?」
 リュックの口近くいっぱいまで何かの粉が敷き詰められていた。道理で重たかったわけである。レナはリュックの中にある粉を手ですくうと、
「この粉をこの通りにある全部の桜の木の枝に降り掛けていってくれ」
「何で? って、聞く前に一個聞いていい? えっ? この通りの桜全部?」
「そう、全部」
 当たり前だろ、という風にレナに頷かれるマンタ。いや、簡単に言うが、この通りだけで桜の木何本あると思っているのだろうか?
「下からバサァッっと振り撒いてもいいし、脚立持ってきて上から文字通り降り掛けてもいい。一本にそれほど時間は掛からないハズさ。ただし極力満遍なく降り掛けてくれ」
 散布中にこの重さの粉をずっと持ち歩くのは大変だがな、という注意事項は、なるほどなー、とアホが特に気にした様子もなく頷いているので、レナは黙っておく。
「この粉は一体何なの?」
「ついさっきボクが作った特殊な粉だ」
「ああ、そういえば家に帰って来るなり研究室に籠ってたな」
「ボクの家なのに、キミに『帰ってきた』と言われると凄い違和感だが」
「細かいことは気にしない」
「せめてお茶を差し入れするくらいの気遣いはしてほしかったものだがね。人の家で寝っ転がってテレビ観ているくらいなら」
「よく言うぜ。下手に邪魔すると怒るじゃんかよ」
 何を言っているんだこの男は。邪魔して怒られるのは当然のことだろうよ。やれやれ、とレナは呆れながら、
「『花咲かじいさん』ってお話をキミは知っているかい?」
「詳しくは知らないけど、アレだろ? 確か……、」
 言いかけてマンタは気付いた。『桜を見せてやる』というレナの言葉にも繋がる。
「ひょっとして……?」
 マンタが粉を指差して聞くと、レナも頷く。しかしその後、レナは少し自信なさげな顔をした。
「確率は五分、ってところなんだけどね」
「あれ? そうなの? お前にしちゃ珍しいな」
 言ってしまえば未完成ということなのだろうが、この状態の研究物を世に出すとは珍しい、とマンタが思っていると、
「最低限テストはしたけどね。試したのは植木鉢サイズの桜だったから、果たしてこのサイズに効くのかどうか」
「ああ、なるほどな。まぁ、流石に桜の木一本はなー」
「そう、流石に用意に時間が足りなくてね。間に合わなかったんだ。おかげでぶっつけ本番になった」
「ああ……、桜の木一本『用意』すること自体は『容易』なのな?」
「……え? 何? 今のダジャレ? うわ、さむっ、きっつ、こっわ、寄るな、触るな、近寄るな」
「違うっ! たまたまだっ! たまたまだからそんな冷えた目でオレを見るなっ!!」
 朝から寒い寒い文句言ってやがるくせに、今冬の冷気よりも遥かに冷たい視線をレナが向けてくるので、マンタはその寒さに震えながら、
「けど、何だってそんな急いでんだ? 何か今日じゃなきゃダメな理由でもあるわけ?」
 アホにしては中々いい質問である。いや、まぁ、当然の疑問と言えば、当然の疑問だろうが。とはいえ、説明も面倒なので、
「……別に? たまたまどうしても今日、ボクが桜を見たくなっただけさ」
「ふ~ん?」
 アホなりに何かを察したようである。腹立たしいのでレナはマンタのケツをキックすることにした。


 女の子の家ではおばあちゃんの誕生日会が行われていた。どこ行ってたのっ!? とお怒りだったお母さまに完全黙秘を貫いて守り通したサプライズプレゼントは大成功だったと言っていいだろう。貰った大量の桜の花びらはおばあちゃんの寝室に大事に飾られている。
 誕生日という特別な一日がそろそろ終わりを迎えようとしている時間帯。普段のおばあちゃんの就寝時間はこの時間帯よりも大分早いのだが、孫が遊んでくれるというので、ご厚意に甘えて一緒に遊んでいたら、気付いたらこんな時間になっていた。
 普段の就寝時間を超えているのは孫も同じであり、お互い眠気の限界が近付いてきたので、遊びはお開きにして各自寝室へと移動した。2階にある自分の寝室へと移動し、若干寝ぼけながらベッドの上に上がり、布団の中に潜り込もうとした時、
 おばあちゃんの寝室の窓がカーテン越しに外から照らされた。
 何だ? と思い、おばあちゃんがそっとカーテンを開いてみると、

 眠気なんて、どこかへ吹っ飛んでしまった。

 公道に植えてある桜の木が一本一本ライトアップされている。桜が咲く春の季節などだと花見のためにライトアップされることはあるが今は冬。ライトアップされる時期ではない。だというのに、これは一体どういうことだ?
 桜が咲いている。それも満開だ。しかし、季節は間違いなく冬。それはこの寒さと降っている雪が証明している。桜と雪。本来であれば出会わないであろう2つの季節の風物詩が、目の前の公道を彩っている。ライトの明かりも相まってか、どこか幻想的な、夢のような光景が広がっている。
 その綺麗さは、おばあちゃんの記憶の中にある、昔見た冬の桜の光景と重なる。綺麗だった、と、何度も伝えたことがある。ひょっとしたら、思い出の景色として実際より美化して伝えてしまっているかもしれない。そんな風に考えたこともあった。
 だが、今確かに確信した。やはり、あの光景は綺麗だったのだ。むしろ、年月が経って色褪せてしまっていたのかもしれないと思えるほどに、目の前の景色は綺麗だった。
 窓越しに映る自分の姿が当時の自分の姿に見えた一瞬、その窓に孫の姿が映った。どうやら孫も外の様子に気付き知らせに来てくれたらしい。
 窓越しなんて勿体無い。もっと近くで、直接見てみたい。お互いに手を差し出すと握り合い、二人は寝室のドアに向かって歩き始めた。


 女の子の手に引っ張られながら、おばあちゃんが家の外に出てくる。
 その様子をベンチに座って見ていたレナは缶コーヒーを飲んで一言、
「お誕生日、おめでとうございます」
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