7 / 34
第一章
2-3
しおりを挟むこの世界での暮らしにも、少しずつ慣れてきたとはいえ、シオンにとって戸惑うことはまだまだ多かった。
そのひとつが、食事だった。
ある日の昼食時。
豪奢な食卓に並べられた料理を前に、シオンは神妙な顔つきでナイフとフォークを握っていた。手はぷるぷると震え、肉に刺そうとしては滑らせ、切ろうとしてもすべってしまう。
「……む、また逃げおった」
ナイフが皿にキンッと当たって音を立てるたびに、周囲のメイドたちは「お、お気をつけくださいませ」とヒヤヒヤしていたが、シオン本人は真剣そのもの。
そんな中、隣に座っていたグラーヴェが身を乗り出した。
「シオン、無理に一人でやろうとしなくてもいいんだよ? まだ上手く扱えなくて当然だよ? 大丈夫、僕が手伝ってあげるから!!」
心配というより、どこか嬉しそうな顔でナイフを手に取る兄。
その勢いに少し驚きながらも、シオンは小さく頷いた。
「うむ、頼む」
その一言に、グラーヴェの目が見開かれ、思わず叫ぶ。
「か、可愛い!!」
「ん?」
訳もわからず眉をひそめるシオンに、周囲のメイドたちはクスクスと笑い声を漏らした。
ナイフとフォークにはまだ不慣れだったが、この世界の食事そのものは、シオンにとって毎日が楽しみだった。
「日々かならず食を摂らねばならぬとは、斯様にも人の身とは手間なるものよな……されど、かくも美味なるものを毎に味わえるとは……うん、嬉しきことじゃのう……」
神としてあった頃、彼にとって食事とは必要なものではなかった。
お供えとして捧げられたものを気まぐれに口にする程度で、毎日三度、時間を決めて何かを食べるという感覚自体がなかった。
だからこそ、今この日々が、あたたかく、面白く、そして不思議だった。
その日の午後、シオンはクローヴィスの執務室を訪れていた。
父の机に広がる書類の山を、じっと覗き込む。
「それは、領地の水路に関する報告書だよ。まだ読めないだろうけど、興味があるのか?」
微笑む父の横で、シオンは紙を手に取り、目を走らせる。
「……ふむふむ、この川べりの里じゃな。なんと、水の量がちと減っておるのう。ほほぅ、上流でいじられたせいかや?」
「……え?」
クローヴィスが思わず手を止めて顔を上げた。
だが、周囲の執事や秘書たちはそれを「たまたま地名を聞いたことがあるのか、真似事だろう」と笑って見守っていた。
文字を読む年齢ではないはず。だから、気の利いたおままごととして受け止められていた。
「ふふ……父上や、これ、よう書かれとるのう」
「……ああ、そうか。ありがとう、シオン」
父が羽ペンを走らせる音をじっと見つめていたシオンに、ふとクローヴィスが声をかけた。
「書いてみるかい?」
「よいのかや?」
差し出された羽ペンを受け取り、クローヴィスの膝の上、紙の前に座ったシオンは、ペンを握り、筆先を紙に――
「……うわ、書きづらっ!!」
思わず叫ぶ。
「うぬ、なんじゃこの筆先、ぴょこぴょこと落ち着かぬのう……まったく墨がのらぬではないか~!」
その反応に、父は目を丸くし、周囲の使用人たちは小さく笑みをこぼした。
「なんだか楽しそうね」
「こうしていると、ほんとに年相応のお子様に見えるわ」
シオンは眉を寄せながら、もう一度羽ペンを持ち直した。
夜。
シオンの部屋には、日が落ちたばかりのやわらかな灯が灯っていた。
その中央、ふかふかのベッドの上では、彼が嬉々として跳ね回っていた。
「ふふ……今日の跳ね加減は、ことのほか愉しきのう!」
昔は畳に敷いた薄布団で眠っていた彼にとって、この沈み込むベッドはまるで雲の上。
まったくもって神聖ではないが、それがたまらなく愛しい。
「シオン、何をしているの……!」
扉を開けて入ってきたオリヴィアの声に、シオンは跳ねた姿勢のまま固まった。
「……こら。ベッドで暴れるなんて、はしたないですよ」
「……すまぬ……」
しゅんと項垂れるシオンに、母はため息をつきつつも、その子供らしい仕草に少しだけ笑みを浮かべていた。
その後、寝る前のひとときを過ごすシオンは、本棚から一冊の本を手に取り、ベッドに座り込む。
「これは巻物ではのうて……紙が一枚ずつ、ふわりと捲れるようになっておるのじゃなぁ……」
ぺらっ、ぺらっ。
内容を読むでもなく、意味もなくページを行ったり来たりめくり続ける。
「見やすうて、ええの……」
その様子を部屋の外から見ていたメイドたちは、目を細めてささやき合った。
「……子供らしいって、こういうことなのね」
「今までが不思議すぎて、なんだか……安心しちゃうわ」
「本当に、あの子は子供なんだなって……可愛くて、仕方がないわ」
――神の器に宿った少年は、
まだ、人の世のすべてを知らぬまま。けれど、確かに今を生き始めていた。
133
あなたにおすすめの小説
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
流行りの悪役転生したけど、推しを甘やかして育てすぎた。
時々雨
BL
前世好きだったBL小説に流行りの悪役令息に転生した腐男子。今世、ルアネが周りの人間から好意を向けられて、僕は生で殿下とヒロインちゃん(男)のイチャイチャを見たいだけなのにどうしてこうなった!?
※表紙のイラストはたかだ。様
※エブリスタ、pixivにも掲載してます
◆4月19日18時から、この話のスピンオフ、兄達の話「偏屈な幼馴染み第二王子の愛が重すぎる!」を1話ずつ公開予定です。そちらも気になったら覗いてみてください。
◆2部は色々落ち着いたら…書くと思います
王子に彼女を奪われましたが、俺は異世界で竜人に愛されるみたいです?
キノア9g
BL
高校生カップル、突然の異世界召喚――…でも待っていたのは、まさかの「おまけ」扱い!?
平凡な高校生・日当悠真は、人生初の彼女・美咲とともに、ある日いきなり異世界へと召喚される。
しかし「聖女」として歓迎されたのは美咲だけで、悠真はただの「付属品」扱い。あっさりと王宮を追い出されてしまう。
「君、私のコレクションにならないかい?」
そんな声をかけてきたのは、妙にキザで掴みどころのない男――竜人・セレスティンだった。
勢いに巻き込まれるまま、悠真は彼に連れられ、竜人の国へと旅立つことになる。
「コレクション」。その奇妙な言葉の裏にあったのは、セレスティンの不器用で、けれどまっすぐな想い。
触れるたび、悠真の中で何かが静かに、確かに変わり始めていく。
裏切られ、置き去りにされた少年が、異世界で見つける――本当の居場所と、愛のかたち。
異世界転生して約2年目だけど、モテない人生に飽き飽きなのでもう魔術の勉強に勤しみます!〜男たらし主人公はイケメンに溺愛される〜
他人の友達
BL
※ ファンタジー(異世界転生)×BL
__俺は気付いてしまった…異世界に転生して2年も経っているのに、全くモテないという事に…
主人公の寺本 琥珀は全くモテない異世界人生に飽き飽きしていた。
そしてひとつの考えがその飽き飽きとした気持ちを一気に消し飛ばした。
《何かの勉強したら、『モテる』とか考えない様になるんじゃね?》
そして異世界の勉強といったら…と選んだ勉強は『魔術』。だが勉強するといっても何をすればいいのかも分からない琥珀はとりあえず魔術の参考書を買うことにするが…
お金がもう無かった。前までは転生した時に小さな巾着に入っていた銀貨を使っていたが、2年も銀貨を使うと流石に1、2枚あるか無いか位になってしまった。
そうして色々な仕事を探した時に見つけた仕事は本屋でのバイト。
その本屋の店長は金髪の超イケメン!琥珀にも優しく接してくれ、琥珀も店長に明るく接していたが、ある日、琥珀は店長の秘密を知ることになり…
BLゲームの世界でモブになったが、主人公とキャラのイベントがおきないバグに見舞われている
青緑三月
BL
主人公は、BLが好きな腐男子
ただ自分は、関わらずに見ているのが好きなだけ
そんな主人公が、BLゲームの世界で
モブになり主人公とキャラのイベントが起こるのを
楽しみにしていた。
だが攻略キャラはいるのに、かんじんの主人公があらわれない……
そんな中、主人公があらわれるのを、まちながら日々を送っているはなし
BL要素は、軽めです。
第2王子は断罪役を放棄します!
木月月
BL
ある日前世の記憶が蘇った主人公。
前世で読んだ、悪役令嬢が主人公の、冤罪断罪からの巻き返し痛快ライフ漫画(アニメ化もされた)。
それの冒頭で主人公の悪役令嬢を断罪する第2王子、それが俺。内容はよくある設定で貴族の子供が通う学園の卒業式後のパーティーにて悪役令嬢を断罪して追放した第2王子と男爵令嬢は身勝手な行いで身分剥奪ののち追放、そのあとは物語に一切現れない、と言うキャラ。
記憶が蘇った今は、物語の主人公の令嬢をはじめ、自分の臣下や婚約者を選定するためのお茶会が始まる前日!5歳児万歳!まだ何も起こらない!フラグはバキバキに折りまくって折りまくって!なんなら5つ上の兄王子の臣下とかも!面倒いから!王弟として大公になるのはいい!だがしかし自由になる!
ここは剣と魔法となんならダンジョンもあって冒険者にもなれる!
スローライフもいい!なんでも選べる!だから俺は!物語の第2王子の役割を放棄します!
この話は小説家になろうにも投稿しています。
【完結】父を探して異世界転生したら男なのに歌姫になってしまったっぽい
御堂あゆこ
BL
超人気芸能人として活躍していた男主人公が、痴情のもつれで、女性に刺され、死んでしまう。
生前の行いから、地獄行き確定と思われたが、閻魔様の気まぐれで、異世界転生することになる。
地獄行き回避の条件は、同じ世界に転生した父親を探し出し、罪を償うことだった。
転生した主人公は、仲間の助けを得ながら、父を探して旅をし、成長していく。
※含まれる要素
異世界転生、男主人公、ファンタジー、ブロマンス、BL的な表現、恋愛
※小説家になろうに重複投稿しています
小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~
朱童章絵
BL
「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」
普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。
史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。
その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。
外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。
いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。
領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。
彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。
やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。
無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。
(この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる