上 下
28 / 33

リボン姿のお洒落な子猫

しおりを挟む
「いらっしゃいませ、あ、ルカさん!お疲れ様です。」
「お届けもの、こっちに置いておきますね。」
 雑貨が入ったケースをなるべくお客様の邪魔にならないフロアに置く。

「この間は、お店(スナック涙花)に来てくれて、ありがとうございました。」
「ううん、こちらこそ。とってもいいお店。ママさんも若くてやさしかったし。また行くわ。」
「はい、お待ちしております!」
 仕事仲間やお得意さんがお店に来てくれるのはすごく嬉しい。お店を通じて、自分の知り合い同士のつながりが広がっていく。

 午前中の最後の配達場所で昼食を調達する。
 以前はこのコンビニは、スーパーの各店に配達する際のお昼ご飯の調達先にすぎなかったが、今ではこのチェーン店の配送も請け負っている。
 ツナマヨネーズのランチパックとバナナ一本、それに緑茶を買い、店の外に出る。今日は屋外での食事になるので、キャベツの千切りは遠慮した。
 歩道と車道の間で春の風に吹かれてフリフリしている、猫じゃらしに目が留まる。この間ここで発見した、小さな友達だ。
 トラックのエンジンをかけ、近くの区立の公園に向かう。大きな駐車場もあるので、お昼や休憩の時によく利用している。今日は陽ざしが柔らかく、風が気持ちいいので、車を降り公園のベンチでランチをいただく。
 三、四歳位の女の子が二人、噴水の水をバシャバシャといじって、キャッキャと笑いあっている。お母さんがタオルを持って慌てて駆け寄る。

 夕べは、夜中にふと目が覚めてしまったが、秘技『ゆっくり呼吸』で二度寝に成功し、気分はすっきり爽やかだ。
 ランチパックを食べ終え、ベンチに置いた緑茶を飲もうと手を伸ばしたところ、視界の端で何かが消えた。食後のデザート用のバナナがない。 
 落としてしまったのかと、ベンチの下をのぞき込む。

 ソイツは、そこにいた。

 全身が白で、短い尻尾と耳と首もとだけが黒い、子猫。首もとの黒毛は、蝶ネクタイのようにもリボンのようにも見える。
 白地に黒の子猫は、ほぼ直立して私のバナナをしっかり抱きかかえ、ジッと私を見ている。

「こら、おやつどろぼう! 私の楽しみを返してちょうだい。」
 猫は、手に持つバナナをじっと見て、再び私に視線を戻した。

「遠足の時は、バナナはおやつに入らないんじゃなかったっけ?」
「屁理屈いってないで、さっさと返してちょうだい!」

 ん、まてよ・・・この子、喋ってるよ? 私、会話してるよ!

 私は深呼吸して、今までのことを思い返す。
 沈思黙考タイムに入る。
 その間も子猫は私をじっと見ている。

 昨夜は夜更けに目が覚めてしまい、二度寝をした。
 そういえば、朝起きてからの記憶が曖昧だ。

 十秒ほど考えてから、一つの結論に達した。
 『これは夢だ』と。
 いわゆる、明晰夢。

 実は二度寝してから、まだ目が覚めていないのだ。
 妙に気分がスッキリしているのは、まだ夢の中にいるからだ。
 私は自分の記憶を修正し直した。そして、夢の中なら、それにふさわしい振る舞いをしよう。

「あなた、お腹すいてるのね。それなら、あげてもいいけど。猫ってバナナ食べても大丈夫なの?」
「うん。ぼくは大好きだよ。それから、ありがとう・・・じやあ、食べるね。」 
 子猫は、器用にバナナを持ったままベンチの下から這い出て、ベンチによじ登り、私の横に足を投げ出して座った。そして、バナナを片方の手で支え、もう一方の手で皮をむき始めた。
 スマホで録画したいところだけど、どうせ夢の中だ。撮れるわけがない。私は、その子がバナナを平らげる様を、緑茶を飲みながらずっと見守っていた。

「ごちそうさまでした。ああ、美味しかった。」
 子猫は頭をぴょこんを下げると、バナナの皮を椅子の上に置いてあったレジ袋にしまった。器用であり、礼儀正しい。

「あなた、お名前は?」
「ぼくは、人間に飼われたことはないから、人間語の名前はないよ。ママはぼくのことを“?#4&"って読んでたけどね。」
「ごめんその発音、私にはできない・・・不便だから名前つけてもいい?」
「え、いいけど。」
「じゃあね。首のあたりの模様が、なんかリボンみたいだから『リボン』というのはどう?」
「ええ、ちょっと女の子っぽくない? ぼく、男の子なんだけど。」

「・・・じゃあ、ボンちゃんで。」
「ええ・・まあいいけど。」
 ボンちゃんが少し不満そうだけど、いいじゃない。どうせ夢の中なんだし。

「あ、私の名前は・・・」
「ルカでしょ。」
「呼び捨てかよ。・・・ていうか、何で私の名前知ってるの?」
「あそこのコンビニのお店の人がみんなそう呼んでたよ。」

 あそこのコンビニって?

 そろそろ配達を再開する時間だ。私は、レジ袋の口を結んで手に持ち、ボンちゃんにじゃあね、と言って立ち上がろうとした。その時、ボンちゃんが私の制服の袖を引っ張った。正確には爪で引っかけた。

「あの・・・ルカ、よかったら、ぼくもクルマに乗せてくれないかな?」
「え? 決まりで、助手の人以外乗せられないんだけど。」
「ぼく、人間じゃないよ。」
「そうかしら。普通に言葉喋ってるし。」

 縦に筋の入った藍色のビー玉のよう瞳が、私を見つめる。
「クルマに乗ってどうしたいの?」

 ボンちゃんは下を向く。十秒位してから答えが返ってきた。
「・・・ママを探してるんだ。」

「迷子になっちゃったんだ。・・・どこか寄りたいところでもあるの?」
「ううん、午後予定している配達ルートを一緒に乗せてもらえばいいよ。途中でママに会えるかもしれないから。」
 詳しいな。私の仕事のこと、知ってるの?
 仕事中に猫なんか乗せちゃダメに決まっているけど、夢の中だからいいか。
 私は立ち上がり、ボンちゃんを手招きして歩き始めた。子猫はうれしそうに軽い足取りでついてくる。
 助手席のドアを開けるや否や、ボンちゃんはぴょんと助手席に飛び乗った。シートベルト必要ないよな、と思いつつクルマを発進させる。

 クルマが動いていると、ボンちゃんは注意深く窓の外をキョロキョロと見まわす。配達先に着くと、助手席の足もとに身を低くしておとなしく待っている。私は順々に配達を終えていく。

 私がトラックに戻るたびにボンちゃんは悲しそうな表情に変わっていく。残りはあと一店舗となった。

「ルカさん、配達お疲れ様。気をつけてね。」
 コンビニの店長に見送られ、運転席のドアを開ける。

 ボンちゃんは、助手席に背をもたせかけ、足を揃えて人間のように座って目をつぶっている。私が戻ってきたことに気づいて目を開けた。

「お母さん、見つからなかったみたいね。・・・この後どうするの?」
「そうだね・・・ねえルカ、もう一カ所だけ乗せていってもらってもいい?」
「え? ああ、あまり遠くじゃなかったらいいけど。」

 私はボンちゃんのナビにより、クルマを走らせる。子猫は、道の方向を指示する意外は黙ったままだ。

 着いた場所は、多摩川緑地だった。駐車場に車を停め、助手席のドアを開けると、ボンちゃんは、サッと飛び降り『ついてきて。』と言って走っていく。私は慌てて鍵を閉め、後を追う。

 大きめの石がごろごろ転がっている河原の出ると、ボンちゃんは一本の、人の背より少し高いくらいの木の前で止まり、行儀よく座った。
 その木は、銀色のモフモフとした小さな花穂を纏っている。

「ねえ、ネコヤナギさん。キミは、ぼくのママがどこにいるか知ってる?」
 もちろん、ネコヤナギは無言のままだ。それでもボンちゃんはじっと待っている。

「・・・ああ、子猫さん。やっぱりここに来ましたね。」
 木が喋った!? いや、猫もしゃべってるけど。

「ネコヤナギさん、ぼくのママをみかけなかったかな?」
 ボンちゃんが再び問う。

 またしばらく間が空く。

「あなたのお母さんは、残念ながら、先に天国に行ってしまったわ。」
「・・・やっぱり。そうっだったの・・・」
 ボンちゃんが、力なく、その場にうずくまり、顔を前の両足につける。
 子猫の肩が震え、すすり泣く声が聞こえ始める。 

「ぼく・・・ぼくがいけなかったんだ・・・ママが、あんなに気をつけなさいって言ってくれていたのに・・・ぼくは調子にのって道路に飛び出して・・・ママが、ママがかばってくれて・・・ぼくがあんなことしなければ・・・」

 ボンちゃんはそのまま泣き続ける。小さな泣き声から大泣きに変わる。 
 思わず私はボンちゃんを抱き上げ、胸の中で抱きしめた。
 少しだけ、ボンちゃん体の震えと泣き声が弱まる。

「そこの運転手さん。」
 私はネコヤナギの木に声をかけられた。

「運転手さん、その子のために、お話を聞いてください。」
「・・・は、はい。」

「今、この子から聞いての通り、道路に飛び出した息子をかばって、お母さんは車に轢かれてしまいました。」
 ボンちゃんが再び嗚咽する。

「この子は、大丈夫だったんですか?」
「・・・残念ながら大丈夫だったとは言えません。」

「どういうこと・・・ですか?」

「この子もお母さんと一緒に命を落としてしまいました。」

「え?」
 私は腕の中のボンちゃんの温もりを確かめる。

「お母さんが、死の間際、この子を猫じゃらしに変えてくれたんです。」

「猫じゃらしに?」
「そう、覚えてるでしょ。コンビニの道路脇の小さな猫じゃらし。」

 私は、そよ風に吹かれて子猫の尻尾のように花穂を揺らす猫じゃらしを思い出した。
「・・・ルカがぼくのことを見つけてくれたんだ・・・ルカがぼくのことを可愛いって言ってくれたんだ・・・すごく嬉しかった。」
 ボンちゃんが泣きじゃくりながら話す。
 私は子猫をぎゅっと抱きしめる。

「ねえルカ。ぼく、幽霊みたいなもんだけど、怖くないの?」
「うん、全然。それにお母さんがボンちゃんのこと守ってくれたんでしょう・・・そうでしょう、ネコヤナギさん?」

「そうです・・・猫じゃらしに姿を変えた子猫は、天国に行かずに、そのうち生まれ変わります。いつ、どこで生まれ変われるかは、わかりませんが。」

「そうなの、じゃあボンちゃんはこの後どうなるの?」
 私の問いに少し間を置いてネコヤナギさんは答える。
「生まれ変わるための準備をしなくてはなりません。この子はあなたに会いたくて、猫の姿になってしまったけど、また猫じゃらしの姿に戻って、その時を待たねばならないのです。」

 また少し間を空け、ネコヤナギさんは話し始める。
「そろそろ、その時が近づいています。」

 ボンちゃんがぎゅっと私に顔を押しつける。
「ぼく、ルカと離れたくない。このまま一緒にいるわけにはいかないの?」

 ネコヤナギは冷静に答える。
「別れは、次に生まれ変わるために必要なことです。」
「やだ。ルカと少しでも長く居られるなら、生まれ変われなくったっていい。」

 私の腕の中の子猫が、少しずつ質量を失っていくのを感じ、ボンちゃんの願いはかなわないことを悟った。
 私は、言い損なわないように、覚悟をして子猫の耳元でささやいた。
「ボンちゃん、お母さんが一生懸命守ってくれたんだから、そんなこと言わないで。・・・今度生まれてくる時は、幸せに暮らしてね。あ、それからクルマに気をつけるんだよ。」
 なんとかそう言い終わると、私はボンちゃんをやさしく、でもぎゅっと抱きしめた。
 そして私は泣いた。その姿勢のままずっと泣いた。

 「運転手さん、ありがとう。」
 ネコヤナギさんが声をかけてくれ、私は腕の中を見た。ボンちゃんはもういなかった。
 春の多摩川の河原に、私とネコヤナギが残された。

 私はトラックに戻り、クルマを出し、会社に戻る。
 点呼を終え、帰路につく。
 今日はスナックの手伝いはない。
 母が作り置いてくれた夕食を食べ、お風呂に入り、ベッドに潜る。

 今、ここは夢の中なのだろうか? いつのまに現実に戻ったのだろうか? それとも、これから眠ったら、明日『現実の朝』を迎えることができるのだろうか?

 まだ九時を過ぎたばかりだけど、睡魔がすごい勢いで私を襲ってきた。その夜は途中で起きることもなく、夢を見ることなく、母親に起こされるまでぐっすりと眠った。

 いつもの通り、スーパー、コンビニのルート配送の仕事をする。
 そして、いつものコンビニで昼食を調達する。
 そして、いつものように道路脇でゆらゆら揺れている猫じゃらしに目を留める。


 しばらくたったある日。

 レジ袋にたまごのランチパックとバナナを一本いれて、コンビニから出たところ。
 猫じゃらしは消えてなくなっていた。
 生まれ変われたのかな。好物のバナナをまた食べられるかな。


 さらにしばらくたったある日の深夜。

 父と母が、店を閉めて家に帰ってきた。
 父の手は、布がかけられた大きな荷物を手に提げている。

 居間にそれを置くと、父は私の顔を見てニンマリする。そしてマジシャンのような手つきで、布を取り払った。うやうやしく扉を開ける。
 中からソロリと出てきたのは、子猫だ。

「いやね、お店のお得意さん家で、子猫が沢山生まれちゃって、引き取ってくれないかって言うんだ。いいでしょ?」

「あなた、もう貰ってきてるのに、今さら『いいでしょ』はないでしょ。・・・ルカがどう思うか知らないけど。」
 親夫婦がそう言い争っている間に、子猫はすっかりケージから出て、全身を現した。

 つやつやした黒毛。短めの尻尾と耳の先は純白。
 そして、首のあたりに、蝶ネクタイかリボンのような白い模様。

 黒地に白の子猫は、ゆっくり近づいてくる。私は腰をかがめ、手を広げる。
 子猫はぴょんと私の胸に飛びつく。

 私の腕の中に、あの日の感触が蘇る。
 ボンちゃんの重さ、柔らかさ、そして温かさ。


 夢か現か。

 リボン模様の、私のボンちゃんが、リ・ボーンしたお話。
しおりを挟む

処理中です...