僕と校長先生、25のエピソード

舟津湊

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ep.18  天ぷらづくしの年越しそばとテンプレだらけの年末年始

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「うちの学校の入試は、毎年出題範囲と設問の傾向は似ているんだ」

「ああ、そのようだな」

「……そこで、受験勉強の方針を変更することにした」



結局、クリスマスイブから大晦日まで、毎日家庭教師をやるハメになった。家族で紅白を観ない年越しは生まれて初めてだ。バイト料は稼げていいのだが、自分自身の受験勉強ができない。といっても僕のは再来年の話なので、この子、夏鈴の方が切迫している。

この間、はっきりとわかったことがあった。このまま一つひとつ丁寧に教えていては、とうてい間に合わない、ということだ。重点的にやらなければいけないことは『何を問われているのかを理解する』ことと『問題の解き方をすぐに思い浮かべられるようになる』こと。



「なんだ、方針変更ってのは」

「それぞれの科目の設問と回答の『パターン』をしっかりと覚えることに専念する」

「それって、丸暗記しろ、っていうことか?」

「ちょっと違うな。さすがに丸暗記じゃ、少しひねった問題が出たら応用がきかないからね。それに夏鈴は馬鹿ではないようなので、パターンさえ身につければグンと伸びる可能性もある」

「この天才少女を捕まえて、よくも『馬鹿ではない』などと言って馬鹿にしたな! だいたい、いつ『夏鈴』呼びしていいって言った? モドキのくせに」

褒めているつもりだったのだが。自分のことはさておき、僕の呼び名は、モドキで定着したらしい。

「じゃあ、何て呼べばいいのかな?」

「カリンちゃん、カリンさま……ええい面倒くさい! カリンでいいよ」



「……話を戻すと、国語なら国語の、英語なら英語の、数学なら数学の問題の出し方と解き方のパターンがある。それを覚えることに集中する」

「テンプレ化するってことか?……でもようわからん。例えばどういうことだ?」

「例えば、数学でも英語でも、基礎的な『単問』は、単語や熟語、公式を覚えるしかない。でもヤミクモに覚えてちゃ、間に合わない。幸いなことにウチの高校は、過去に出た問題が時を置いて繰り返し出題される。だから、それを重点的に覚えればいい。ピックアップしてノートに転記しておいたから、これだけやってくれ。これで八割は正解が稼げるはずだ」

「おう、ワリイな。それは助かるぜ」

……この気難し屋から初めて礼を言われた。



「で、応用問題の方はどうなんだ?」

「こっちは少し難しく見えるが、どの科目もやっぱり出題範囲は限られている。それに一問目の答えと二問目の答えを使うと、だいたい三問目が解けるようになっている。一、二問目はそんなに難しくない。問題は、三問目を解くのに、一、二問目をどう使うかだ。これにもパターンがいくつかあるので、それを覚えて何度も繰り返し解いていると何となく勘が働くようになる。あと、国語は小論文が毎年出されるが、これも『結論』→『理由』→『具体例』→『再び結論』というパターンがしっかりできていると、どんなテーマでも点数を稼げる」

僕はそう言って、基礎・単問編と応用編をまとめたノートを二冊手渡した。



「アンタすごいな……でも、このクリエイティビティあふれる夏鈴様をつかまえて型にはめようとするのは今いち感心しねえな」

「どうしても合格したいのなら、そこはグッとこらえてれくれないかな。クリエイティビティは創作活動の方で発揮して欲しい」

「まあ、しゃーねーなー……とは言ってもあれだけどなー、エロい小説もテンプレ化してるしな」

「そういうもの?」



「ああ、これ見てくれ」

そう言って彼女は、ゲーミングチェアを回して勉強机に向き直り、デスクトップパソコンのマウスを左右に振ってモニタを表示させた。小説投稿サイトらしき画面が映り、作品一覧の一つをクリックする。

縦書きの文章が表示される。



“愛欲の片道切符を手にして”



  著:ばかりん さくら



「ち、ちょっと待て! これ夏鈴が書いたのか?」

「おうよ。最新作だ」



……中三が書く小説のタイトルがこれか!?

うら若きエロ作家は、解説を加えつつ本文を読み上げた。



「この作品の中にも、モテない豚野郎どもを興奮させるテンプレがあちこち使われている」

「あの……大切な読者様をそんな風に扱っていいのかな?」

「ああ、そう言ってやった方が喜ぶ、ドMヘンタイの集まりだ」

「……いつかしっぺ返しを食らうような」

「ほう、アンタも同類か?」

「い、いやそんな決して」

「まあいい、例えばだな、こんな表現はテンプレン化していると言っていいだろう。『私はあなたのかわいい子豚です』とか『躾しつけのなってない〇〇だな』とか『ほら、こうすると、どうだ〇〇〇〇!』」

「もういいよ、だいたいわかった」

高校男子に自作のエロ小説の読み聞かせをする女子中学生……さすがは校長先生の従妹だ。

ボクが考える『テンプレ』とはちょっと違う気もするが、まあ本人が納得してるなら、よしとしよう。



と、そこで、部屋のドアがノックされる。

夏鈴は慌ててパソコンの画面をオフにした。

「はあい、どうぞ」

彼女のお母様が入ってきた。僕たちが何か取り込み中というタイミングを見計らってドアをノックしているような気がしないでもない。

「お夜食、年越しそばを持ってきたから食べて」

「わあい!」

「ありがとうございます」

温かいお蕎麦が入った丼と箸、薬味類を二セット、お盆からミニテーブルに移してお母様は部屋を出ていった。

「さあ、食おうぜ」

「いただきます」

汁をすするとしっかりと鰹と昆布のだしが出ていて、かつ上品な口当たりだ。トッピングされている海老とキスと春菊の天ぷらも揚げたてでサックリしていて美味しい。

「クリスマスの時も思ったけど、お母様、料理上手だね。ツルツル」

「ああ、おかげで舌が肥えちまって困る、ツルツル。半端なうまさの食い物が食えなくなる……それからな、モドキの『お義母様』じゃないから、ツルツル、そこんとこ勘違いすんな」

「どういうこと? ツルツル」

「まあいい、ツルツル」

「ところで、君は今、中高一貫の女子校に通ってるんだろう? ツルツル」

「そうだが、どうしてわかった? ツルツル、さてはあれか、制服フェチか?」

「……この辺じゃ有名なお嬢様学校だから、たいていの人は知ってると思うけど。だからさ、放っといても高校に進学できるだろう? ツルツル、それなのになんでまたわざわざうウチの高校を受けるのかと」

「それはこないだ言った通りだ、ツルツル。タカにいさまがここでやりたいことがあって、それを果たせずに亡くなってしまった。ハルねえさまがその思いを引き継いで教職の道に就いたんだ、その学校に行かない手はないだろう?」

「そうしたら、ツルツル、校長先生は最初から教員志望だったのかい?」

「いや、そうではないらしい。本当はハルねえさまはご両親についてロンドンの高校に編入するはずだったんだ。そのころは生物学者になりたかったらしい。ご両親は夫婦そろって学者だったから、自分もその道を進みたかったんじゃないのかな、ツルツル」

「『編入するはずだった』てことは、ロンドンには行かなかったの?」

「ああ、結構無理言って一人だけ日本に残ったのさ。ウチのお父様とお母様が保護者代わりになってね。ハルねえさまはほとんどこの家で暮らしていたから、アタシもずいぶん可愛がってもらったのさ。ツルツル」

「ということはこの部屋、昔、校長先生が使ったりしてた?」

「おう、よくわかったな」

なるほど。道理で校長室に雰囲気が似ていたわけだ。

「それで隆行さんの遺志をついで先生になったんだ」

「いや、そうすぐには踏ん切りがつかなかったみたいだな、ツルツル。学者になってやりたいこともあったんだと思う」

あの『雄しべと雌しべ』の先生が……

「確か、ツルツル、京大の生物化学とかで勉強してたはずだ」

「へえーそうなんだ」

あの『雄しべと雌しべ』の先生が……



夏鈴は蕎麦の丼と箸を置く。

「いろいろ迷いはあったんだろうが、ハルねえさまは、タカにいさまのために先生になることを選んだ。まあ、ウチのお父様からもそういうリクエストはあったんだと思うけどさ。にいさまがいなくなっちゃったからね」

「ということは、お父様は夏鈴にも学校の先生になって欲しがっているのかな?」

「アタシが!? ……それはナイナイ。なんか性に合わないし、お父様だってアタシなんかに務まらないってわかってるだろうし」

そう呟く彼女の横顔は少し寂しそうだった。



「でもね、ハルねえさまが、あの学校で何かやりたいことがあるのなら、アタシは精一杯協力したい。だから合格したい」

「わかった。まだ時間はある……僕も精一杯協力するから。なんとかなるさ」

「おう、よろしくな……ところでモドキ、さっきからハルねえさまのこと、質問してばっかだったけど、アンタ何も知らなかったのか?」

「ああ、初耳なことばかりだった」

「なんだ、ハルねえさまのトリマキなら、色々と教えてもらってるのかと思ったら……さては、ねえさまに信用されてないんじゃないか?」

「僕は断じてトリマキではない……ところで、教わりついでといってはなんだけど、ハルねえさまの歳はいくつかな?」

「コラ甘えるな、本人に聞け!」



校長先生が話してくれないことが結構あったのを知って少し悲しくなった。でも話したくないこともあるよな……



と、そこで。

部屋のドアがバーンと勢いよく開いた。



「ア ハッピーニューイヤー! 生徒諸君、勉強ははかどってるかね?」



「新年あけましておめでとうございます。まあお姉さま、きれい!」

開け放たれたドアの向こうに振り袖姿の校長先生が立っていた。

いつの間にか午前零時を回っていて、僕たちは新年を迎えていた。

「さあさカリンちゃん、あなたも着替えて行くわよ」

ボクが呆然としていると、先生は風呂敷包みを開けて何やら作業を始めた。

「まあ、さすが中学生、ほっそいわねー、これはタオルをぐるぐる巻いて補正しないと」

「ハルねえさま、お言葉ですけど、中学生だから細いのではくて、カリンだから細いのですよ」

「あ、カリンちゃん、せっかくだから、あれやろうか? 悪代官が、帯引っ張って『よいではないか』『おやめになって、あーれー』ってやつ」

「やってもいいですけど、その前に……なんでここに殿方がひとりいらっしゃるのかしら?」

「うわ、覗き魔、チカン!? 榊原君、さすがにこれは……見損なったわ。これは警察に通報するレベルね」

「ちょっ、ちょっと待ってください、僕に出ていく隙を与えなかったのはあなた方です! 出ます出ます、今出ていきます!」

僕は慌てて自分のバッグを持って部屋を出た。



「榊原くーん、このあと一緒に近所の神社に初詣に行くから、下の居間で待っててねー♡」

と先生の声が追いかけてきた。



理事長のお宅から徒歩五分ほどの場所に小高い丘があり、その登り口には大きな赤い鳥居が建っている。そこから無数の石段が神社へ連なっていた。



ここは、この街に住む人は皆、初詣や七五三に訪れる場所で、元日の今日は小山全体が煌々と照らされ、人の列が上に向かって延びていた。

高校の同級生とも何人かすれ違った。羨ましそうな顔をする奴、気の毒そうな顔をする奴、反応はマチマチだ。なぜだ?



着なれない着物、履きなれない草履のため、二人の従姉妹は苦労して階段を登る。仕方がないので僕は二人の間に入って、肩を貸す。

「榊原くん、新年早々ついてるわね、これ両手に花ってやつでしょ?」

「……そうとも言えます」

「ケンにいさま、ふたりの着物をよくみてくださいます?」

夏鈴は僕と二人の時は決して使わない丁寧語で話す。

「はい、よく似合ってます」

「そいういうお世辞はいいですので。着物の柄ですが、わたしのは、名前に鈴の字が入っているのでスズラン、ハルねえさまのは、冬のお生まれなので雪笹が描かれているのです」

「ね! まさに両手に花でしょう?」

「そういうことでしたか……ところで先生は、まだ振り袖がオーケーなお年頃なんでしたっけ?」

「タワケ、振り袖に年齢制限なんかないわ!」

そう言って僕の肩をグイと押した。

「罰として肩車の刑に処す」

「ちょ、ちょっと、着物きてたらさすがに無理でしょ!」

「ハルねえさま、おやめになって!」



神社にたどり着き、早速お賽銭を投げて夏鈴の合格を祈願する。

先生もパンパンと手を打って何かむにゃむにゃ祈っていたが、恋愛とかなんとか聞こえたような気もする。



「はい、カリンちゃん」 

校長先生は、夏鈴の目の前に赤いお守りをぶら下げ、ニコッと微笑んだ。

「まあ、合格祈願のお守りね! ハルねえさま、ありがとう。これで合格間違いなしだわ」

「まだボーダーラインにも達していませんがイテテ!」

「あら、榊原くんどうしたの?」

「いえ、ちょっと石につまづいただけです」

先生の死角で夏鈴に思いっきり草履で踏んづけられただけだ。



その後は、ラブコメのテンプレのような展開になった。



よせばいいのに、夏鈴はおみくじをひいて見事大凶を当てて、強制的に僕の大吉のおみくじと取り替えさせられたり。

甘酒を飲んで(もちろんノンアルだが)なぜか酔っぱらった先生が、神社の狛犬と向かい合って謎の会話を始めたり。



理事長のお宅に帰ると、叔母様手作りのおせち節料理とお雑煮をごちそうになった。



明け方、一旦家に戻った。

母親が手ぐすね引いて待っていて、手作りのお節料理とお雑煮を強制的に食べさせられた。

この正月三が日とも、先生の従妹の家庭教師をやることになっていたので、一旦食休みして風呂に入って一眠りして、夕方また理事長のお宅に向かう。合格を請け負ってしまったので仕方がない。夏鈴もいよいよ本気モードになってきたようなのでそれはそれでいいことだ。



翌、一月二日の夕方。

理事長宅の呼び鈴を鳴らしたら、出てきたのは校長先生だった。

「叔父と叔母さんはね、学校関係者の新年会があってお出かけ中」

「先生は行かなくていいんですか?」

「私はパス。新年早々、仕事づきあいのオッサン達の顔なんか見たくないわ」

「……いいんですか?」

「いいのいいの」



「ところで、今日も振り袖なんですね」

「うん、待ってたの」

「待ってたって?」

「榊原君が来るの」

「何でですか?」

「君に悪代官になりきってもらって、帯引っ張って『よいではないか』『おやめになって、あーれー』ってやつ、やらない?」

「絶対にやりません! だいたいですね、叔母様より桜羽家は奉行の家系だとうかがっています。それで悪代官のコントをやるとか、ヤバくないですか?」

「だって今日は一月二日よ」

「はい?……なんの日ですか?」



「姫始めの日」

「そんな日、聞いたことありませんし、どういう日かも知りません」

「ウソだあ!」



「……でも僕、一月二日はなんの日か知っています」

「?」

「先生の誕生日です」

「あら! 憶えていてくれたの、ウレシイ!」

「いや、忘れていたら殺されます……で、これ差し上げます」

僕は小さな白い紙袋を差し出した。

「何かしら?」

先生の目がキラキラしている。

「たいしたもんじゃないです、とか言っちゃいけませんね……お守りです」

昨日の初詣のとき、こそこそと神社の社務初で購入しておいたものだ。

「えー、ありがとう! 恋愛成就かしら、安産祈願かしら?」

「なんでそうなるんですか!?」

校長先生は、紙袋からそれを取りだし、書いてある文字を読み上げる。



「諸願成就?」

「はい。先生、なんか成し遂げたいことがあるんでしょう? うまくいくことを願って」


僕はそう言って、先生の従妹に勉強を教えるため、二階に上がった。
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