335 / 378
本編
第333話
しおりを挟む
「おまえ……ずいぶんあっさり譲りやがったな。あんなに苦労したのに」
等間隔で設置されているベンチシートに腰掛けて言うと、ヤヒロは鼻の付け根に皺を寄せてカップの淵を噛む。
「もしかしたらって期待したけど、ダメだったね」
「もうちょっと話し合えばなんとかなったかもしんねえぞ」
「話し合う?」鼻で笑って、「楽譜でひっぱたこうとしてたくせに」
「……」
「あれだけ頑なな態度とられたら説得するのは無理だよ。今回つくったやつは次のアルバムに英語バージョンとして収録しよう。初回限定盤のボーナストラックにしても特別感があっていいな」
アキラは夢見るような顔で遠くを眺める。淡褐色のその瞳は、光を映して生き生きときらめいている。
「あの曲じゃ1位は獲れない。今回は好きにやらせて――彼とはさよならだ。もう二度と一緒に仕事はしない」
「でもよ……あんなのリリースしたらいろいろ言われそうじゃね?めんどくせーやつらも湧いてきそうだしよ」
「ミュトスの楽曲を意識してるとか言われて、アンチにはいい餌になるだろうね。昔からのファンは幻滅して去るかも。ただ俺には、次回作はこうはならないっていう確証があるよ。離れたファンが戻ってきてくれるくらいの作品になるはず。ヤヒロだって期待してるんでしょ?」
ヤヒロはウツギの顔を脳裏に浮かべ、かすかに笑った。
ムナカタとウツギ、そしてメンバー4人と共にベルカナ・レコードに訪問したのは数日前。ベルカナのスタッフたちは、ウツギの正体がDiinaだと聞くなり歓喜に沸いた。死亡説が出ていた彼が生きていたことに安堵して泣く者もいたくらいだ。聞けば学生時代、Diinaの楽曲に何度も救われたのだという。
「いくらあのDiinaだっていたって第一線を退いてからだいぶ経ってるし、プロデュースを任すの反対されるかもって思ったけど……みんな大賛成だったな。絶対にそうした方がいいって強めに言われたもん」
「セージさんから今日初めて聞いたんだけどさ。スタッフみんな、ヨコイさんが俺らの担当になってからずっと心配してたらしいよ。カネのことしか考えてない人だから、って……」
「もしかして、関係者のあいだじゃ鼻つまみ者なのか?あの人……」
「普段から横柄だし……印象は悪いかもね。俺たちの担当になったのも、向こうがしつこくて仕方なくって感じだったみたい。ヒット曲連発してる重鎮だし、怒らせると厄介だから受け入れるしかなかったんだろうな」
レコード会社側が、売れるセオリーを知っているプロデューサーを付けるのは当然の話だ。それでもベルカナ・レコードの人間がヨコイをウル・ラドの担当にすることを渋ったのは、自分の利益を最優先し、アーティストのオリジナリティを潰すプロデューサーだということを知っていたからなのかもしれない。
風に弄ばれる髪を手櫛で後ろに流し、美しい額を太陽にさらしながらヤヒロは、横目でアキラを見る。
「――なあ。ほんとにウツギとうまくやってけんのか?」
それには答えず、アキラは意味深なまなざしのみを彼に返す。そしておもむろにポケットを探ってスマホを取り出すと、嬉々として言った。
「ねえねえところでさ。ちょっと前に、ヤヒロのパソコンでこれ見っけちゃったんだよねえ」
にっこりと笑って、イヤホンをヤヒロの左耳に押し込む。突然のことに面食らっている彼の耳底に、聞き覚えのある音楽が流れ込んできた。
「おいテメェ!なんで――……」
「『習作』ファイルの中にあったよ」アキラはもう片方のイヤホンを自分の右耳に付ける。「“FREAK SHOW”。すっごくいいじゃんこれ。こんな良作が誰にも聴かれないまましまわれてるの、もったいないよ」
「おまえ、プライバシーって言葉知ってる?人のパソコン勝手に漁るんじゃねえよ」
「漁るなんて人聞きが悪いな。ちょっと新曲をチェックしよーって思ったら偶然見つけちゃっただけなのに」
「見え見えの嘘つきやがって……バカがよ」
舌打ちして横目で睨み据えると、アキラは大袈裟に怖がってみせる。
「こわいなー、もう。怒らないで最後まで話聞いて?」
「はあ?この話はもう終いだよバカ野郎」
「ウツギさんにもこの曲聴いてもらったの」
その名を耳にしたヤヒロはぴたりと動きをとめ固まってしまう。
「――ちょ、ま、……」言葉にならない声を漏らし、彼は唇をわななかせた。「なに勝手に聴かせてんだよ!最ッ悪……!」
彼の反応をおもしろそうに眺めながら、アキラは幼子を宥めるような声を出す。
「安心しなさいって。めっちゃかっこいいって絶賛してたよ。お蔵入りにするのはもったいないってさ。リリースするとなるともうすこし音に厚みが欲しいし、ウツギさんからアドバイスもらってアレンジしてみてくれない?」
ヤヒロは無言のままカップを握り潰し、空いている方の手で顔を覆い隠した。耳から頬まで真っ赤だ。
「なんでそんなに渋ってんのさ。今回せっかくふたりでつくったのにヨコイさんにボツにされちゃったし、この曲でリベンジしようよ。ね?」
「……俺、おまえのそういうとこほんッとに嫌い」
嫌いと言われてもアキラはどこか嬉しそうだ。
「9月にデジタルシングルでリリースしたいと思ってるんだ。ソロのシングルを発売する月を10月にずらしてさ、『I’m home』を皮切りに毎月一曲ずつリリースするって告知すれば話題性も高まるじゃん?あ、そうだ。11月にアルバムも発売予定なんだっけ。間髪入れずって感じでいいね」
「よくねえよアホ。12月にツアーも控えてんだぞ……ハードすぎんだろ」
「賞味期限つきの俺たちに立ち止まってる時間はないよ。たとえミュトスに負け続けたとしても最後まで全力で駆け抜けよう、ヤヒロ」
その言葉に、彼は顔を覆っていた手をゆっくりと離した。
「ソロ曲はセナ以外みんな完成してるし、MVも撮らないからなんとかなるって。じゃ、そういうことでよろしくね」
ヤヒロの肩に手を置いてぽんぽんと優しく叩くと、彼の耳からイヤホンを外す。そして、ぬるくなったコーヒーの最後のひとくちを喉に流し込みつつ室内へ戻ろうと歩き出した。
「アキラ」
「んー?」
足を止めて体ごと振り向いた彼を、ヤヒロは肩越しに見遣る。そして言った。
「――最近レノから連絡あったか?」
等間隔で設置されているベンチシートに腰掛けて言うと、ヤヒロは鼻の付け根に皺を寄せてカップの淵を噛む。
「もしかしたらって期待したけど、ダメだったね」
「もうちょっと話し合えばなんとかなったかもしんねえぞ」
「話し合う?」鼻で笑って、「楽譜でひっぱたこうとしてたくせに」
「……」
「あれだけ頑なな態度とられたら説得するのは無理だよ。今回つくったやつは次のアルバムに英語バージョンとして収録しよう。初回限定盤のボーナストラックにしても特別感があっていいな」
アキラは夢見るような顔で遠くを眺める。淡褐色のその瞳は、光を映して生き生きときらめいている。
「あの曲じゃ1位は獲れない。今回は好きにやらせて――彼とはさよならだ。もう二度と一緒に仕事はしない」
「でもよ……あんなのリリースしたらいろいろ言われそうじゃね?めんどくせーやつらも湧いてきそうだしよ」
「ミュトスの楽曲を意識してるとか言われて、アンチにはいい餌になるだろうね。昔からのファンは幻滅して去るかも。ただ俺には、次回作はこうはならないっていう確証があるよ。離れたファンが戻ってきてくれるくらいの作品になるはず。ヤヒロだって期待してるんでしょ?」
ヤヒロはウツギの顔を脳裏に浮かべ、かすかに笑った。
ムナカタとウツギ、そしてメンバー4人と共にベルカナ・レコードに訪問したのは数日前。ベルカナのスタッフたちは、ウツギの正体がDiinaだと聞くなり歓喜に沸いた。死亡説が出ていた彼が生きていたことに安堵して泣く者もいたくらいだ。聞けば学生時代、Diinaの楽曲に何度も救われたのだという。
「いくらあのDiinaだっていたって第一線を退いてからだいぶ経ってるし、プロデュースを任すの反対されるかもって思ったけど……みんな大賛成だったな。絶対にそうした方がいいって強めに言われたもん」
「セージさんから今日初めて聞いたんだけどさ。スタッフみんな、ヨコイさんが俺らの担当になってからずっと心配してたらしいよ。カネのことしか考えてない人だから、って……」
「もしかして、関係者のあいだじゃ鼻つまみ者なのか?あの人……」
「普段から横柄だし……印象は悪いかもね。俺たちの担当になったのも、向こうがしつこくて仕方なくって感じだったみたい。ヒット曲連発してる重鎮だし、怒らせると厄介だから受け入れるしかなかったんだろうな」
レコード会社側が、売れるセオリーを知っているプロデューサーを付けるのは当然の話だ。それでもベルカナ・レコードの人間がヨコイをウル・ラドの担当にすることを渋ったのは、自分の利益を最優先し、アーティストのオリジナリティを潰すプロデューサーだということを知っていたからなのかもしれない。
風に弄ばれる髪を手櫛で後ろに流し、美しい額を太陽にさらしながらヤヒロは、横目でアキラを見る。
「――なあ。ほんとにウツギとうまくやってけんのか?」
それには答えず、アキラは意味深なまなざしのみを彼に返す。そしておもむろにポケットを探ってスマホを取り出すと、嬉々として言った。
「ねえねえところでさ。ちょっと前に、ヤヒロのパソコンでこれ見っけちゃったんだよねえ」
にっこりと笑って、イヤホンをヤヒロの左耳に押し込む。突然のことに面食らっている彼の耳底に、聞き覚えのある音楽が流れ込んできた。
「おいテメェ!なんで――……」
「『習作』ファイルの中にあったよ」アキラはもう片方のイヤホンを自分の右耳に付ける。「“FREAK SHOW”。すっごくいいじゃんこれ。こんな良作が誰にも聴かれないまましまわれてるの、もったいないよ」
「おまえ、プライバシーって言葉知ってる?人のパソコン勝手に漁るんじゃねえよ」
「漁るなんて人聞きが悪いな。ちょっと新曲をチェックしよーって思ったら偶然見つけちゃっただけなのに」
「見え見えの嘘つきやがって……バカがよ」
舌打ちして横目で睨み据えると、アキラは大袈裟に怖がってみせる。
「こわいなー、もう。怒らないで最後まで話聞いて?」
「はあ?この話はもう終いだよバカ野郎」
「ウツギさんにもこの曲聴いてもらったの」
その名を耳にしたヤヒロはぴたりと動きをとめ固まってしまう。
「――ちょ、ま、……」言葉にならない声を漏らし、彼は唇をわななかせた。「なに勝手に聴かせてんだよ!最ッ悪……!」
彼の反応をおもしろそうに眺めながら、アキラは幼子を宥めるような声を出す。
「安心しなさいって。めっちゃかっこいいって絶賛してたよ。お蔵入りにするのはもったいないってさ。リリースするとなるともうすこし音に厚みが欲しいし、ウツギさんからアドバイスもらってアレンジしてみてくれない?」
ヤヒロは無言のままカップを握り潰し、空いている方の手で顔を覆い隠した。耳から頬まで真っ赤だ。
「なんでそんなに渋ってんのさ。今回せっかくふたりでつくったのにヨコイさんにボツにされちゃったし、この曲でリベンジしようよ。ね?」
「……俺、おまえのそういうとこほんッとに嫌い」
嫌いと言われてもアキラはどこか嬉しそうだ。
「9月にデジタルシングルでリリースしたいと思ってるんだ。ソロのシングルを発売する月を10月にずらしてさ、『I’m home』を皮切りに毎月一曲ずつリリースするって告知すれば話題性も高まるじゃん?あ、そうだ。11月にアルバムも発売予定なんだっけ。間髪入れずって感じでいいね」
「よくねえよアホ。12月にツアーも控えてんだぞ……ハードすぎんだろ」
「賞味期限つきの俺たちに立ち止まってる時間はないよ。たとえミュトスに負け続けたとしても最後まで全力で駆け抜けよう、ヤヒロ」
その言葉に、彼は顔を覆っていた手をゆっくりと離した。
「ソロ曲はセナ以外みんな完成してるし、MVも撮らないからなんとかなるって。じゃ、そういうことでよろしくね」
ヤヒロの肩に手を置いてぽんぽんと優しく叩くと、彼の耳からイヤホンを外す。そして、ぬるくなったコーヒーの最後のひとくちを喉に流し込みつつ室内へ戻ろうと歩き出した。
「アキラ」
「んー?」
足を止めて体ごと振り向いた彼を、ヤヒロは肩越しに見遣る。そして言った。
「――最近レノから連絡あったか?」
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
憧れのお姉さんは淫らな家庭教師
馬衣蜜柑
恋愛
友達の恋バナに胸を躍らせる教え子・萌音。そんな彼女を、美咲は優しく「大人の身体」へと作り替えていく。「ねえ萌音ちゃん、お友達よりも……気持ちよくしてあげる」眼鏡の家庭教師が教えるのは、教科書には載っていない「女同士」の極上の溶け合い方。
女性向け百合(レズビアン)R18小説。男性は出てきません。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる