よあけ

紙仲てとら

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本編

第336話

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 例年より長い梅雨の時期を抜けると、またたく間に本格的な夏が到来した。
 本日の最高気温は38度。車窓の向こうでは、人々が生気のない顔で灼熱の街を行き交っている。
 暑くなるたびどんどん薄着になっていくチカルの姿を脳裏に思い描きながら、タビトは伸びた髪を束ねる。ヘアメイク担当のサンにシルバーアッシュを勧められるも気が進まず、当初予定していた通りダークブラウンをベースにしてミルクティーベージュのハイライトを入れてもらったのだが……似合っているかどうかいまいち自信がなく、鏡に映る姿を見るたび自分ではないようで落ち着かない。
 そんな彼の心境と周囲の反応は真逆だ。肩につくほど髪が伸びたことで中性的でミステリアスな雰囲気が増し、メンバーや関係者は「神がかった美しさだ」と、みな口を揃えて絶賛した。
 もちろんファンの反応も良好である。新曲発表に先駆けてティーザー映像が公開されると、イメージががらっと変わったタビトの姿に度肝を抜かれたファンの声でSNSは大変な騒ぎとなった。ピンクベージュに染めたときもかなりの反響があったがそれ以上だ。
 ティーザーは多くのファンにより瞬く間に拡散された。再生回数がたった1時間で30万回を記録したり、その話題性に伴い「タビト」の名が長時間にわたってSNSでトレンド入りするなど、これまでにない盛り上がり方をしていたことは記憶に新しい。
 その熱狂も冷めやらぬなか、5thシングル「I’m home」は8月3日にリリースされた。
 タビトが出演する春駒コーポレーションのCMタイアップ曲として使用されたことで楽曲が世間に浸透するのは早かったが、肝心の評価はアキラやヤヒロが予想していた通りであった。なかでも一番多い声は「ウル・ラドはつまらなくなった」「終わった」だ。
 ファンダムも荒れに荒れている。タビトのビジュアルで盛り上がり、楽曲への期待値が高まっていたこともあってか、肩透かしを食らったと感じた者も多かったようだ。発売してから一週間以上が経過しているが――楽曲を褒めちぎるファンとこき下ろすファンとで真っ二つに分かれ、双方の意見のぶつかり合いはヒートアップするばかりである。
 音楽評論家の面々や一部メディア関係者にしても厳しい見方が多い。タビトの単独取材をした音楽ライターのカリファは『ウル・ラド、稀代のアイドルグループの終焉。売上が伸び悩んだ結果、ついに大衆的サウンドに舵取りをした』とWEBコラムで辛辣に評した。
 その内容を要約すると以下の通りである。
 これまでウル・ラドとミュトスは常に対極にあった。ミュトスが耳馴染みのいい量産型の曲でメインストリームど真ん中を貫くことを重視するなかウル・ラドは、アイドルファンだけでなく我々評論家をも唸らせる唯一無二の良質な楽曲を世に送り出し、他と一線を画してきた。アキラとヤヒロが生み出す楽曲のオリジナリティ、これこそが浮き沈みの激しいアイドル業界で生き残るための強力な武器だ。しかし彼らはここにきてそれを捨てた。ミュトスと同じような曲をリリースすることに方針を変えたのであれば、今後差別化は図れない。ウル・ラドはもはや“ミュトスを模倣するグループ”になり下がり、ライバルとしての矜持を失った――そう鋭く指摘し、『アイドルブームの火付け役となった両者の戦いがこのような形で終決したいま、新たな起爆剤がない限り業界は徐々に衰退していくだろう』と、カリファは記事を締めている。
「あつーい……ホズミさーん、温度もっと低くしてよー」
 手に持ったハンディファンで汗ばむ胸元に風を入れながら、アキラが力なく訴える。
「我慢してくれ。これが限界だ」
 答えたホズミもまた、めずらしく額に汗を滲ませている。彼らはついさっきまで、茹だるような暑さに包まれた都会の一角で雑誌の写真撮影をしていた。いくら新曲の評判が悪かろうと仕事は山積みであり――彼らはそれを黙々と消化するのみである。
 厳しい評価を受けつつもメンバーが悲嘆にくれていないのは、アキラとヤヒロから今後の展望や指針を聞いていたからだ。
 この先のウル・ラドには生ける伝説「Diina」がついている――アキラはそう言った。そして、今回の新曲に価値を見出してくれたファンもいること……彼ら彼女らの応援してくれる気持ちを台無しにしないよう、世に出した楽曲は否定せず大切にしていこう、とも。
 正直なところタビトは、アキラからこういった言葉で冷静に諭されるとは想像もしていなかった。今作の売上はタイアップ曲にもかかわらずランキングは3位どまり、売上枚数も前作を下回りすでに頭打ちとなっている。ヒットメーカーのヨコイに、編曲のみならず歌詞まで任せたうえでこの結果だ。彼に主導権を握らせた自分に対しすっかり落ち込んでいるか、ぶつけようのない怒りを抱えているものとばかり思っていた。
 アキラはもう吹っ切っているようだが、タビトはまだ、あの曲が5thシングルとして発売されたことについて納得できていない。好き嫌い以前に、あれはウル・ラドのための曲ではないと感じた。蓋を開いてみてこの結果では――ヨコイのプロデュースは失敗に終わったと言わざるを得ない。
 恐らくこの曲を、他のアーティストやアイドルが歌えばもっと売れただろう。ただ単にこの作品が“多くのウル・ラドファンの求めているものではなかった”……そして“グループイメージとあまりにかけ離れていた”というだけの話なのだ。
 ウル・ラドのファンの強い拒否反応が数字で表れたことをヨコイがどう見ているかなど興味はないが、グループのイメージを台無しにするような曲を提供し古くからのファンとのあいだに大きな亀裂を残したことに関してはすこし恨めしく思っている。
 そんなタビトは、新曲ついてチカルがどう感じたかを聞けていない。彼女もまた、自ら個人的な感想を語ってくることはなかった。好みではなかったという意味なのか、それとも出来栄えに関してジャッジすることをしないタチなのか、はたまた、ただ単にタイミングを図りかねているのか――そんなことをあれこれ考えていると、胸が潰れそうになる。
「好き勝手なこと書きやがって。クソがよ」
 寄せては引きを繰り返す思考の波のあいまに、ヤヒロの声が滑り込んでくる。苛立っている彼を斜め後ろの席から盗み見れば、どうやらカリファの書いた記事をタブレット端末で読んでいたらしい。
「まあ……早合点してるなーとは思うけど、俺たちの昔の曲を知ってる人間があれを聴けばそういう記事を書きたくもなるよねえ」間延びした声でアキラが言う。「だってミュトスの曲にそっくりだもん。プライド捨てたと思われてもしかたないよ」
 彼らの会話を聞きながら、タビトは思った――キャッチーな言葉遊びと、チープな電子音が奏でるメロディ……ヤヒロが作曲したとは思えないほど改変されてしまったこの曲を愛するには、もうすこし時間が必要だろうと。
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