まぼろし屋

水無月

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-美香-

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―――未来を見せてくれる店がある

 そんな噂を耳にしたのは大学の構内だった。
「なんかね、悩みを抱えてる人にしか見えないらしいよ?」
 佳奈子が楽しげに瞳を輝かせてそう言った。
「あるはずのない場所に、突然現れるんだって」
「そんなの、ただの噂に決まってるじゃない」
「そうだけどさ、未来が見えて悩みが軽くなるなら在るといいと思わない? 美香」
 温かなその声に、佳奈子にまだ話せずにいる悩みを見透かされているような気がした。




 空がオレンジ色に染まる頃、いつも通りの帰路にそれはあった。
 西洋アンティーク風の小さな建物。木製の扉の横には『まぼろし屋』の文字。
 佳奈子が話していた店と同じ名前だった。
 しばらく、呆然として立ち尽くす。
 白昼夢を見ているのかと頬をつねってみたりしたが、どうも夢ではないらしい。
 悩む者に未来を見せてくれる店……。
 不審に思いながらも、思い切ってその扉を開いた。リーンと綺麗な音色が響く。
「いらっしゃいませ、お嬢さん」
 そう声をかけてきたのは、ロココ調のテーブルの向こうの椅子にゆったりと腰掛けた黒髪の青年。黒曜石のような輝きを持った瞳で私を見つめ、大きな唇の端を微僅かに上げて笑んでいる。
 その横には、エメラルドの毛色をした金色の瞳の猫。不信な侵入者を値踏みするように見ていた。
「あの……」
「とりあえず、そこに腰掛けたらいかがですか?」
 躊躇いがちに声を出すと、青年はにこやかに自分の前の椅子を私に勧めた。
 歩を進めつつ部屋を見渡せば、アンティーク調の綺麗な家具が上品に飾られている。未来を見せる怪しげな店と聞いて、もっと薄気味悪い所を想像していたがそうではないらしい。
「あの……それで」
「何も言わなくてもわかっていますよ。お嬢さん」
「え……」
 青年はそれ以上何も言わず、引き出しから大きな水晶を取り出し、それを私の目の高さに掲げた。
 不思議な輝きをもつ水晶を、無意識のうちにじっと見つめる。
 水晶の向こうには、漆黒の瞳。
 ただ見つめているだけのそれらに、私は引き込まれるような気がした……。







「頑張ったね、美香」
「え?」
 佳奈子の声にはっとするが、状況が飲み込めなかった。
「絶対、別れて正解だったよ。今は辛いかもしれないけどさ」
「あ……うん。そうだよね」
 答えながら、今の状況を思い出す。
 私は佳奈子に悩みを全て話し、そして一つの選択をした。
 その報告をしていたのだ。
「でも……本当に大好きだったんだよ。全てを失ってもいいくらい」
「うん」
 ただ一言そう言って静かに傍にいてくれる佳奈子が心地よかった。
 声もなく涙を流す私を、優しく見守っていてくれる。話してよかったと、そう思える。
 妻子ある人との許されない恋。
 誰にも相談することなく、ただ一途にあの人を愛していた。妻よりも君が大事だという、彼の言葉を信じて。
「美香の事を本当に大切にしてくれる人は他にいるよ、きっと」
「だと、いいな」
 彼といる時の満ち足りた想いは、離れた時に不安と罪悪感に移り変わっていった。
 幸福と苦しみの繰り返し……。
 それに終止符を打ちたかった。
「明日、授業サボって遊園地でも行こっか」
 励ますような佳奈子の笑み。
 彼を失ってぽっかりと空いた心の穴は当分埋まる事はないだろう。あの全てが満たされるような情熱的な想いに変わるものも、得ることは出来ないかもしれない。
 でも春の日差しのような、穏やかな暖かさが今はある。
 とても幸せなわけでも、すごく苦しいわけでもない、平和な時間。
「そうだね」
 そう答えながら、これで良かったんだと自分に言い聞かせていた。







『はい、どちら様でしょうか』
 インターフォンのからの訝しむような女性の声に、はっと我に返った。
 場所は住宅街の中の一軒家の前。
 私はジャケットの中に忍ばせてきた物をきゅっと握り締めた。冷やりとしたバタフライナイフの感触。
 ごくりと息を飲み、覚悟を決める。
「ご主人の事で、お話があります」
 返答の変わりに、彼女の背後から幼い子供の泣き声が聞こえてくる。
『少し……お待ちください』
 しばらくしてそう言った彼女の声は、僅かに震えていた。
 カチャリと鍵を開ける音がすると、ゆっくりと扉が開いた。
 中から現れたのは、ラフな格好をした華奢な女性だった。
「どういった御用で?」
「はっきり言わなくてもわかりますよね」
 短いやり取りの後、静かな沈黙と共に睨み合う。
『妻』という立場の方が絶対的有利にいるとわかってはいた。だけど、それでも彼の愛情を独り占めしたかった。
「何の事かしら」
「あなたと別れたいと言っていました。ここは安心できる場所じゃないって。私といる時が、一番ほっとできるって」
 私の言葉に、彼女は嘲笑うような表情を浮かべた。
「そんなの本気なわけないでしょう。浮気する男のありきたりなセリフ信じてるなんて、バカじゃないの」
「わかってないのはあなたの方だわ」
 彼の言葉を、まっすぐな瞳を、優しい温もりを信じたかった。
 強気な言葉を吐きつつも、彼女だって動揺している。
 うすうす気づいていたらしい夫の浮気。そして、突然現れた愛人。
 弱気になったら負けだと、彼女は思っているようだった。
「別れてください」
 そう言って、取り出したナイフの刃を彼女に向ける。
 彼女は恐怖の表情と共に身を引いた。
「あんた……」
「私は、本気です」
 馬鹿な事をしているとわかっている。
 だけど、この想いをとめる事はできなかった。
 この人さえいなければ……と、何度思ったことだろう。
 刺す気などなかったが、自分がどれだけ真剣なのかわからせたかった。
「美香っ!?」
「あなたっ!」
 突然の声にゆっくり振り返ると、そこには彼の姿。
「美香、何を……」
 駆け寄った彼は、私の手の中にあるものを見て目を見開く。
 少しの間じっと私の目を見つめていた彼は、小さく息を吐くと震える手で握り締めていたナイフをそっと取り上げた。
 そして、優しく私を抱き寄せる。
「ちょっ……あなた!?」
「ごめん、美香。君をこんなに追い詰めてたって気づかなくて」
 非難するような声の奥さんの目の前で、彼は優しく私に囁いた。
 その瞬間、不安が幸せに変わっていく。
 心地の良い彼の匂い。
 胸の中に暖かいものが満ち溢れる。
「どういうつもりっ!!」
「すまない。今俺に必要なのは君じゃない。美香なんだ」
 腕の中で、彼の言葉をかみ締める。幸せだった。
 家の中から泣き止まぬ子供の声が聞こえる。
 目の前に、怒りに打ち震えている奥さんがいる。
 人を傷付け、祝福される事ない恋だとわかっている。
 だけど、それと引き換えにしてもこの人が欲しかった。
「行こう、美香」
 近所の目を気にせず罵声を浴びせる奥さんを背に、私は彼に肩を抱かれて歩き始めた。
 見上げると、優しい彼の眼差しがそばにあった。
 全てを失っても、この人が入ればいいと思った……。





 リィンと綺麗な鈴の音色が聞こえ、私はゆっくりと重い瞼を上げた。
「お望みのものは見えましたか?」
 黒髪の青年が楽しげな瞳でそう尋ねた。
 その瞬間、今まで見ていたものが自分の未来だったと悟る。
 別れを選択した未来、人を傷付けても彼を得た未来……。
「はい。ありがとうございました」
「それはよかった」
 彼はにこやかに微笑むと、私が最初に入ってきたドアを手で示した。
「それでは、気をつけてお帰りください」
「え? でも、お会計は……」
 あまりにあっさり帰されそうになり驚いた私の問いに、青年は唇の端を僅かにあげる。
「そうですね……結果を報告しに来てくださると嬉しいです。いつでもいい。ここで待っておりますので」
「そんな事でよければ……」
「それでは、また会えるのを楽しみにしております」
 金色の瞳の猫が早く出て行けといわんばかりに私を睨んだので、私は頭を下げるとそそくさとその店を後にした。




 翌日、同じ道を通ったものの、あの店はもうそこにはなかった。
 夢だったのかもしれないと思ったが、私にある決意をさせてくれた事は確かだった。




 数日後、私は一軒の家の前に立っていた。
 あの未来を見たときから、答えは決まっていた。
 穏やかな未来より、誰を傷付けても満たされたあの瞬間が欲しかった。
 震える指でインターフォンを押す。
『はい、どちら様でしょうか』
 黒髪の青年が見せてくれた未来と同じ声が返ってきた。
 私はナイフを握り締め、ゆっくりと口を開いた……。





「見てください、 めい。『女子大生、不倫の果てに刺殺される』だそうですよ。返り討ちにあっちゃいましたね」
 黒髪の青年は、目の前の机に座っていたエメラルド色の猫に楽しそうに報告した。
 猫はめんどくさそうに視線だけそちらに向ける。
「あんたも相変わらず酷い男だね、 かい
 冷たい猫の言葉に、青年はとぼけたような表情を浮かべる。
「何がです? 僕は一言も未来を見せるなんて言ってませんよ。それは、人が勝手にそう噂しているだけの事……」
「わかってて訂正しないんだろ」
「ちゃんと店の名前で示しているではないですか。あくまで『まぼろし』だと。自分が望む未来をリアルな幻で体感させてあげているだけですよ」
 悪びれない青年の言葉に、猫は小さくため息をついた。
「哀れな犠牲者がまた一人……か」
「うわー、酷い言い草ですね、冥。彼女が亡くなったのは僕のせいじゃありませんよ。彼女が人を傷付ける未来を選ぼうとし、それが逆に彼女に降りかかっただけの話。神様が彼女の罪を許さなかったんですよ、きっと」
「どの口が神を語るかね……」
 呆れ顔の猫は、何かを感じたのかふっと入り口の方に顔を向けた。
「おや、またお客さんですね」
「さて、今度の客は犠牲者となるのか、それとも救われるのか……」
 猫はすとんと床におりると、おどおどと入ってきた客を見上げた。
 自分の欲望に負けず、優しい未来を選ぶ事を祈って……。
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