冤罪断罪、お断り!婚約破棄の前に夜逃げを決め込む。

八雲

文字の大きさ
5 / 28

5

しおりを挟む
「……嘘だ。何かの間違いだ。イーズが、僕を置いて逃げ出すはずがない!」

王都の喧騒から一夜明けた、公爵邸のイーズの自室。
第一王子ヴィルフリードは、昨日から一睡もしていないクマの浮き出た目で、窓から垂れ下がった「シーツの紐」を握りしめていた。
その背後では、男爵令嬢のララが、困り果てた顔でハンカチを握っている。

「ヴィル様、もう現実を見てください。イーズ様のクローゼット、宝石箱もドレスも、換金できそうなものは綺麗さっぱり無くなっています」

「そんなバカな! あいつはいつも僕の背中を追っていたじゃないか! 僕が少し冷たくすれば、必死になって気を引こうと空回りしていた……あの愛らしいイーズが!」

「……ヴィル様、それを世間では『パワハラ婚約者からの逃走』と呼ぶのですよ?」

ララの冷ややかなツッコミは、今の王子の耳には届かない。
彼は、手の中にクシャクシャになった紙束を広げた。
それは、彼が昨夜の断罪イベントのために、三日三晩寝ずに書き上げた『イーズを改心させるための完璧な台本』だった。

「見てくれ、ララ。この台本の後半を! 『お前の罪を許す代わりに、今日からは僕の言うことを何でも聞くのだぞ』と言って、特注の指輪を渡すはずだったんだ!」

「……あの、ヴィル様。それ、プロポーズというよりは、ただの隷属契約の勧誘に見えますが」

「愛ゆえの独占欲だ! あいつが有能すぎて、僕の入る隙がないのがいけないんだ! だから、少しだけ失敗させて、僕がそれを助けるという構図を作りたかったのに……!」

ヴィルフリードは、膝から崩れ落ちて床を叩いた。
彼にとって「断罪」は、あくまでイーズとの仲を深めるための「ドッキリ」に過ぎなかった。
しかし、仕掛けられた側にとっては、ただの「理不尽な社会的抹殺の危機」でしかない。

「あいつ……窓から逃げるなんて、危ないじゃないか! もし足を滑らせていたらどうするんだ! それに、外は雨だったんだぞ! 風邪を引いたら……!」

「今更心配しても遅いですわ。イーズ様は今頃、自由を謳歌していらっしゃることでしょう。……あ、閣下がいらっしゃいましたよ」

部屋の扉が開き、ラングマイヤー公爵が悠然と姿を現した。
彼は、床に這いつくばる王子を、ゴミを見るような……いや、珍しい深海魚を見るような目で見下ろした。

「殿下、まだ娘の部屋に居座っておられたのですか。そろそろ捜索隊の指示を出していただかないと、娘は隣国どころか、海の向こうまで行ってしまいますぞ」

「公爵! なぜもっと早く止めなかった! イーズが荷造りをしている時、気づかなかったのか!?」

「おやおや。あの子は昔から隠密行動が得意でしてね。それに、娘の手紙にはこうありました。『お父様、バカに付き合うのはもう疲れました。私は私を大切にしてくれる筋肉と肉の楽園へ行きます』と」

「筋肉と肉の楽園……!? なんだそれは! まさか、僕よりガタイのいい男と駆け落ちしたのか!?」

ヴィルフリードの顔が、絶望に染まる。
公爵は、肩をすくめて窓の外を指差した。

「おそらく、南の港町ポート・サウスのことでしょう。あそこは美味しい肉料理が多いですからな。……ああ、そういえば殿下。例の『日記帳』ですが」

「な、なんだ。あれがどうした」

「娘の部屋のゴミ箱の奥に、殿下の自筆で『イーズ、大好きだ、愛してる、結婚してくれ』と千回ほど書き殴られた練習ノートが落ちておりましたよ。娘はこれを『呪いの魔導書』だと思って、気味悪がって捨てたようですな」

「……っ!!」

ヴィルフリードは、顔面を真っ赤にして絶句した。
彼が「盗まれた」と主張していた日記帳の正体。
それは、イーズへの愛が暴走して書き綴った、あまりにも痛々しい「愛の告白練習帳」だったのだ。

「それを……あいつ、読んだのか……?」

「ええ、しっかりと。その後に『生理的に無理』という付箋が貼ってありました」

「うわああああああああああ!」

王子の絶叫が、公爵邸の廊下に響き渡った。
ララは耳を塞ぎ、公爵は満足げに懐中時計を確認した。

「さて、殿下。泣いている暇があるなら、追いかけてはいかがですかな? まあ、今のあの子なら、殿下を見つけた瞬間に全力で逃げるか、あるいはフライパンで殴りかかってくるでしょうが」

「……追う。どこまでも追ってやる! 捕まえて、誤解を解いて、あの『呪いの魔導書』はただの情熱の産物だったと説明するんだ!」

「……ヴィル様、それは火に油を注ぐだけのような気がいたします」

ララの忠告を無視し、王子は立ち上がった。
目は血走り、髪はボサボサ。
もはや高貴な王子の面影はない。

「全騎士団に通達! イーズ・ラングマイヤーを保護せよ! ただし、彼女を怖がらせるな! 美味しい肉と、最高の胃薬を用意して、丁重に……いや、僕が直接行く!」

ヴィルフリードは、風のように部屋を飛び出していった。
後に残されたララと公爵は、顔を見合わせて深いため息をついた。

「……公爵閣下。本当によろしいのですか? あんな状態で追いかけさせて」

「構いませんよ。イーズなら、あのバカ王子をあと三ヶ月は撒き続けるでしょう。……その間に、あの子が外の世界で少しでも逞しくなってくれれば、親としては本望ですからな」

公爵は、娘が残した「バイバイ!」という手紙を愛おしそうに撫で、小さく微笑んだ。
一方、逃亡中のイーズは、まだ知らない。
自分を追う「呪いの主」が、執念のストーカーと化して背後に迫っていることを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました

山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。 ※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。 コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。 ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。 トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。 クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。 シモン・グレンツェ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。 ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。 シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。 〈あらすじ〉  コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。  ジレジレ、すれ違いラブストーリー

皇子の婚約者になりたくないので天の声に従いました

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
幼い頃から天の声が聞こえるシラク公爵の娘であるミレーヌ。 この天の声にはいろいろと助けられていた。父親の命を救ってくれたのもこの天の声。 そして、進学に向けて騎士科か魔導科を選択しなければならなくなったとき、助言をしてくれたのも天の声。 ミレーヌはこの天の声に従い、騎士科を選ぶことにした。 なぜなら、魔導科を選ぶと、皇子の婚約者という立派な役割がもれなくついてきてしまうからだ。 ※完結しました。新年早々、クスっとしていただけたら幸いです。軽くお読みください。

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。

なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。 本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!

処理中です...