婚約破棄と『ざまぁ』される準備は万端です!

ハチワレ

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「……絶対に、外に出ませんわ。今日という今日は、天井のシミの数を数え尽くしてやるんですから」

私はボロアパートのベッドの上で、布団を頭から被って宣言しました。

昨日の夕方、騎士団の食堂でジーク様の筋肉を枕にして三時間も爆睡してしまった失態。

あの時の「硬いのに弾力がある」感触と、「温かくて安心する」匂いが、脳裏から離れないのです。

(ああああ! 思い出したらまた顔が熱くなってきましたわ! 悪役令嬢たるもの、男の筋肉ごときに心を乱されるなんて、あってはならないことですのに!)

私が枕に八つ当たりをしていると、例によってノックもなしにドアが開きました。

「リリル様。お迎えに上がりました」

「……帰ってちょうだい。私は今、筋肉アレルギーを発症中ですの」

布団の隙間から睨みつけると、今日のジーク様は騎士服ではなく、ラフなリネンシャツにスラックスという、やけに爽やかな格好をしていました。

「それは困りましたね。今日は街の収穫祭です。アレルギーを治す特効薬が、たくさん屋台に並んでいるはずなのですが」

「……とっ、特効薬?」

ピクリ、と私の耳が反応しました。

「ええ。串に刺さった肉、焼けたソースの香りがする麺、それに、果物を飴で包んだ輝く棒……」

「行きましょう」

私は一瞬で布団を跳ね除け、玄関に向かいました。

「……準備が早いですね」

「勘違いしないでちょうだい! これはデートではありませんわよ! 悪の組織の幹部として、祭りに浮かれる愚民たちの様子を視察しに行くだけですわ!」

私は誰に対する言い訳か分からない台詞を吐き捨て、先陣を切って外に出ました。

街は、いつもの三倍以上の人でごった返していました。

色とりどりの提灯が飾られ、賑やかな音楽が流れ、そして何より、様々な食べ物の匂いが渾然一体となって鼻腔を直撃します。

「……す、すごい人ですわね。これでは視察どころではありませんわ」

公爵令嬢時代、祭りは「王宮のバルコニーから眺めるもの」でした。

こんな風に、汗と熱気の渦に飛び込むのは初めての経験です。

「はぐれないように。迷子になったら、騎士団総出で捜索することになりますから」

ジーク様が、私の手を自然に握りました。

その手は大きくて、ゴツゴツしていて、そして……やっぱり温かい。

「……っ、子ども扱いはやめていただけます? 私は一人で歩け……あっ!」

人波に押され、私はバランスを崩しかけました。

それを、繋がれた手が力強く引き寄せます。

ドンッ、と私の背中がジーク様の胸板にぶつかりました。

「……大丈夫ですか?」

「……っ!」

昨日、三時間も堪能したあの感触が、背中からダイレクトに伝わってきます。

私は反射的に飛び退きました。

「だ、大丈夫ですわよ! こ、これくらい、悪役としてのステップの練習ですわ! おーっほっほ……げほっ、く、空気が埃っぽいですわ!」

私が咳き込んでいると、目の前に赤いキラキラしたものが差し出されました。

「……りんご飴です。喉に良いかは分かりませんが、機嫌は直るかと」

「……子ども騙しですわね。まあ、せっかくですから、毒見して差し上げてもよろしくてよ?」

私は真っ赤なりんご飴を受け取り、先端をぺろりと舐めました。

パリッとした飴の甘さと、中のりんごの酸味が口いっぱいに広がります。

「……んっ、美味しい……!」

私は思わず、頬を緩めてしまいました。

「……へぇ。悪役令嬢も、そんな顔で笑うんですね」

「えっ?」

ジーク様が、いつになく優しい目で私を見ていました。

「いつも、そうやって笑っていればいいのに。……その方が、ずっと可愛いですよ」

ドクン、と心臓が大きく跳ねました。

(なっ、ななな……! この男、今、何を言いましたの!? か、可愛い!? 私が!?)

「……お、おだまりなさい! これは演技ですわ! 『祭りを純粋に楽しむ可憐な少女』を演じて、周囲の警戒を解いているだけですわよ!」

私は真っ赤な顔をごまかすために、りんご飴にかじりつきました。

その後も、私たちは祭りの人波を練り歩きました。

ジーク様は、射的の屋台で「景品のぬいぐるみを全種類撃ち落とす」という大人げない騎士団長パワーを発揮したり(店主が泣いていました)、私が食べたいと言ったものを片っ端から買ってくれたりと、完璧なエスコートを見せてくれました。

気づけば、私の両手は食べ物で塞がり、お腹はパンパンに膨れていました。

祭りの終わりを告げる花火が、夜空に打ち上がりました。

私たちは少し離れた川沿いの土手に座り、それを見上げました。

「……綺麗ですわね」

私は素直に呟いていました。

「ええ。……今日は、楽しかったですか?」

隣に座るジーク様が、静かに尋ねました。

「……まあ、悪くはありませんでしたわ。視察の成果としては上々ですわね」

私は強がりを言いましたが、心の中は、公爵家の夜会では感じたことのない、心地よい疲労感と充実感で満たされていました。

(……悔しいけれど。一人でぐうたら寝ているより、ずっと楽しかったかもしれないわ)

チラリと横を見ると、花火の光に照らされたジーク様の横顔が、いつもより少しだけ穏やかに見えました。

(……それに。この筋肉枕の持ち主も、思っていたより悪い奴ではないのかもしれないわね)

私はりんご飴の最後の一欠片を口に放り込みながら、自分の心の変化に気づかない振りをすることに決めました。

だって、ここで認めてしまったら、私の「完璧な悪役令嬢計画」が、音を立てて崩れてしまいそうだったからですもの。
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