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「では、クロエ様。貴女の最初の課題です。この帳簿に記載された『王太子の無駄遣いリスト』を、項目別に分類し、将来的な回収見込みを算出しなさい」
「は、はいっ! 師匠! ええと……この『金糸で刺繍された特注の愛のクッション』は……『娯楽費』ですか?」
「いいえ、それは『固定資産としての価値ゼロのゴミ』です。即座にリサイクルショップへ売却、あるいは燃料としての熱効率を計算しなさい」
私の執務室(旧:公爵邸別館応接室)では、昨日の今日でクロエ様が机に向かって猛烈にペンを走らせていました。
彼女は「お花畑なヒロイン」という皮を脱ぎ捨て、今や「効率を求める修羅の卵」へと変貌を遂げつつあります。
その様子を、壁際に立ったジークフルト様が呆れたような、感心したような目で見守っていました。
「……ベルベット様。君は本当に、あの可憐だった男爵令嬢を、わずか数時間で『冷徹な会計士』に作り替えてしまったのだな」
「ジークフルト様、言葉が過ぎますわ。私は彼女の脳内に眠っていた『生存本能としての合理性』を呼び覚ましただけです。……クロエ様、その項目の計算が三セントほどズレています。やり直しなさい」
「ひぃっ! 申し訳ありません! すぐに、すぐに脳内メモリを再起動します!」
クロエ様は涙目で計算を始めました。
どうやら彼女、意外にも数字に対する適性があるようです。
今まで「可愛いだけの女」を演じるために、その知性を封印していたのだとしたら、それこそが国家的な損失ですわ。
そこへ、執事のセバスチャンが困惑した表情で入ってきました。
「お嬢様、少々よろしいでしょうか。……ライオネル殿下より、クロエ様宛に『愛の贈り物』が届いております」
「殿下から? もう、あの人は懲りないんですから……」
クロエ様が嫌悪感を露わにしましたが、私は手を挙げて彼女を制しました。
「待ち続けなさい。相手の資源を消耗させるのは、戦略の基本です。セバスチャン、その『贈り物』とは何ですか?」
「はい。バラの花束九百九十九本と、中央に配置された大粒のルビーのネックレス……だそうです。現在、門の前に馬車三台分が停まっております」
ジークフルト様が低く唸りました。
「九百九十九本か。……確か『永遠の愛』という意味だったな。このクソ忙しい時期に、王太子のやることか」
「永遠の愛……。非科学的にも程がありますわね。有機物の集合体である花は、せいぜい一週間で腐敗(デッド)します。九百九十九本ものバラを維持するための水、肥料、および管理人の人件費を計算すれば、それがどれほど非効率な負債であるか一目瞭然ですわ」
私は立ち上がり、窓から門の方を見下ろしました。
確かに、赤いバラの山が視覚的なノイズとしてそこにありました。
「クロエ様。この事態をどう処理しますか? 貴女の経営センスを試させていただきます」
クロエ様はしばし考え込み、それからキリッとした表情で答えました。
「まず、バラは即座に乾燥させ、香料および入浴剤として加工します! 王家御用達のバラとしてブランド化すれば、元値の三倍で売れますわ! ルビーは……あれ、鑑定書がついていませんわね? きっと盗品か模造品のリスクがありますから、すぐに換金して、私の実家の借金返済に充てます!」
「合格です。ただし、ブランド化の手数料として、私のコンサル料を二十パーセント上乗せすることをお忘れなく」
「もちろんです、師匠!」
ジークフルト様が天を仰ぎ、独り言のように呟きました。
「……ライオネル殿下。貴方の『真実の愛』は、今、入浴剤と借金返済に変換されましたよ。……不憫すぎて、少しだけ同情したくなるな」
「同情は資源の無駄遣いですわ、ジークフルト様。……さて、セバスチャン。門の前の馬車には、こう伝えてください。『商品は受け取った。ただし、梱包資材(バラ)の処理費用を別途請求する』と」
「かしこまりました。……おそらく、殿下は泣かれるでしょうな」
「泣く暇があるなら、王宮の予算案の一行でも読んでいただきたいものです。……さて、クロエ様。休憩は終わりです。次は『浮気癖のある婚約者から、法的に最大限の慰謝料を毟り取るための法規集』の暗記に移りますわよ」
「はい! お姉様、喜んで!」
彼女の瞳には、かつての儚さは微塵もありませんでした。
そこにあるのは、自らの足で立ち、自らの脳で計算し、人生を勝ち取ろうとする強欲……いえ、健全な上昇志向です。
「……ベルベット様」
ジークフルト様が、私の隣に歩み寄りました。
彼の体温が少しだけ近くに感じられ、私の演算回路が微かな熱を帯びるのを感じます。
「なんだかんだ言っても、君は彼女を救っているのだな。あのまま殿下に嫁いでいれば、彼女は一生、飾りの人形として浪費されていただろう」
「……私はただ、身近な非効率を排除しているだけです。人形が隣に座っているより、有能な部下が隣にいる方が、私の作業効率も上がりますから」
「ふっ。……相変わらず、素直ではないな」
ジークフルト様の大きな手が、私の頭に触れそうになり……。
「あ、ジークフルト様。その動作に要するカロリーを消費する前に、この騎士団の装備調達に関する疑問点に答えていただけますか? どうして靴下の一括購入で、これほどの中抜きが発生しているのです?」
「……。仕事に戻るとしよう。君と甘い雰囲気になるのは、ドラゴンを倒すより難易度が高そうだ」
「ドラゴン退治は物理的な力で解決しますが、私は論理的な整合性でしか動きませんわよ」
私は冷静に指摘し、再び帳簿の世界へと没入しました。
バラの香りが風に乗って届きましたが、それは私にとって「利益の匂い」以外の何物でもありませんでした。
悪役令嬢と、その弟子。
この二人による「王国の徹底洗浄」は、まだ序の口に過ぎなかったのです。
「は、はいっ! 師匠! ええと……この『金糸で刺繍された特注の愛のクッション』は……『娯楽費』ですか?」
「いいえ、それは『固定資産としての価値ゼロのゴミ』です。即座にリサイクルショップへ売却、あるいは燃料としての熱効率を計算しなさい」
私の執務室(旧:公爵邸別館応接室)では、昨日の今日でクロエ様が机に向かって猛烈にペンを走らせていました。
彼女は「お花畑なヒロイン」という皮を脱ぎ捨て、今や「効率を求める修羅の卵」へと変貌を遂げつつあります。
その様子を、壁際に立ったジークフルト様が呆れたような、感心したような目で見守っていました。
「……ベルベット様。君は本当に、あの可憐だった男爵令嬢を、わずか数時間で『冷徹な会計士』に作り替えてしまったのだな」
「ジークフルト様、言葉が過ぎますわ。私は彼女の脳内に眠っていた『生存本能としての合理性』を呼び覚ましただけです。……クロエ様、その項目の計算が三セントほどズレています。やり直しなさい」
「ひぃっ! 申し訳ありません! すぐに、すぐに脳内メモリを再起動します!」
クロエ様は涙目で計算を始めました。
どうやら彼女、意外にも数字に対する適性があるようです。
今まで「可愛いだけの女」を演じるために、その知性を封印していたのだとしたら、それこそが国家的な損失ですわ。
そこへ、執事のセバスチャンが困惑した表情で入ってきました。
「お嬢様、少々よろしいでしょうか。……ライオネル殿下より、クロエ様宛に『愛の贈り物』が届いております」
「殿下から? もう、あの人は懲りないんですから……」
クロエ様が嫌悪感を露わにしましたが、私は手を挙げて彼女を制しました。
「待ち続けなさい。相手の資源を消耗させるのは、戦略の基本です。セバスチャン、その『贈り物』とは何ですか?」
「はい。バラの花束九百九十九本と、中央に配置された大粒のルビーのネックレス……だそうです。現在、門の前に馬車三台分が停まっております」
ジークフルト様が低く唸りました。
「九百九十九本か。……確か『永遠の愛』という意味だったな。このクソ忙しい時期に、王太子のやることか」
「永遠の愛……。非科学的にも程がありますわね。有機物の集合体である花は、せいぜい一週間で腐敗(デッド)します。九百九十九本ものバラを維持するための水、肥料、および管理人の人件費を計算すれば、それがどれほど非効率な負債であるか一目瞭然ですわ」
私は立ち上がり、窓から門の方を見下ろしました。
確かに、赤いバラの山が視覚的なノイズとしてそこにありました。
「クロエ様。この事態をどう処理しますか? 貴女の経営センスを試させていただきます」
クロエ様はしばし考え込み、それからキリッとした表情で答えました。
「まず、バラは即座に乾燥させ、香料および入浴剤として加工します! 王家御用達のバラとしてブランド化すれば、元値の三倍で売れますわ! ルビーは……あれ、鑑定書がついていませんわね? きっと盗品か模造品のリスクがありますから、すぐに換金して、私の実家の借金返済に充てます!」
「合格です。ただし、ブランド化の手数料として、私のコンサル料を二十パーセント上乗せすることをお忘れなく」
「もちろんです、師匠!」
ジークフルト様が天を仰ぎ、独り言のように呟きました。
「……ライオネル殿下。貴方の『真実の愛』は、今、入浴剤と借金返済に変換されましたよ。……不憫すぎて、少しだけ同情したくなるな」
「同情は資源の無駄遣いですわ、ジークフルト様。……さて、セバスチャン。門の前の馬車には、こう伝えてください。『商品は受け取った。ただし、梱包資材(バラ)の処理費用を別途請求する』と」
「かしこまりました。……おそらく、殿下は泣かれるでしょうな」
「泣く暇があるなら、王宮の予算案の一行でも読んでいただきたいものです。……さて、クロエ様。休憩は終わりです。次は『浮気癖のある婚約者から、法的に最大限の慰謝料を毟り取るための法規集』の暗記に移りますわよ」
「はい! お姉様、喜んで!」
彼女の瞳には、かつての儚さは微塵もありませんでした。
そこにあるのは、自らの足で立ち、自らの脳で計算し、人生を勝ち取ろうとする強欲……いえ、健全な上昇志向です。
「……ベルベット様」
ジークフルト様が、私の隣に歩み寄りました。
彼の体温が少しだけ近くに感じられ、私の演算回路が微かな熱を帯びるのを感じます。
「なんだかんだ言っても、君は彼女を救っているのだな。あのまま殿下に嫁いでいれば、彼女は一生、飾りの人形として浪費されていただろう」
「……私はただ、身近な非効率を排除しているだけです。人形が隣に座っているより、有能な部下が隣にいる方が、私の作業効率も上がりますから」
「ふっ。……相変わらず、素直ではないな」
ジークフルト様の大きな手が、私の頭に触れそうになり……。
「あ、ジークフルト様。その動作に要するカロリーを消費する前に、この騎士団の装備調達に関する疑問点に答えていただけますか? どうして靴下の一括購入で、これほどの中抜きが発生しているのです?」
「……。仕事に戻るとしよう。君と甘い雰囲気になるのは、ドラゴンを倒すより難易度が高そうだ」
「ドラゴン退治は物理的な力で解決しますが、私は論理的な整合性でしか動きませんわよ」
私は冷静に指摘し、再び帳簿の世界へと没入しました。
バラの香りが風に乗って届きましたが、それは私にとって「利益の匂い」以外の何物でもありませんでした。
悪役令嬢と、その弟子。
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