上 下
22 / 70
BOOK1(後半)

天の考えることについて。

しおりを挟む
そうか…。まずは「大切なものはなんだろう?」くらいから読み直す必要があるかもしれないってことね…。
僕はひとまず、迷う。アルファポリスのサイト上で読むか、原稿用紙で読むかということについて…。
そんなことについて、いちいち、迷っているのかよ?読み手に見えてるのは、サイトの方だぜ?
読み終えて、バグ取りを行ったところで、時刻は3時4分になっていた。
時計を気にしているのかい?
うーん。なんていうか、これは、みらいの僕のために書かれているものなのかな?
なんで?君が記憶障碍者かなにかだから?それとも、人間とは日々老いていくものであるから、若い時の経験なり、記憶なりを、一部の情報の蓄積として、君が逃がしたいと考えていたために起きた事象であると君は思う?
それにしても、バグ取りか…。まるで、仕事の一環みたいだな…。
いや、実際、これは、きちんとした仕事ととして成り立ちうるものだと思うよ…?なぜ、君が…いや、君は結局のところ狡猾というか経済観念が死んでいないから、最終的には、ビジネス的な回収に走るのかもしれないけれどね…。
うん、そうだね…。もしかしたら、単純に、投資期間みたいなものなだけなのかもしれない…。
そんなことより、3月7日について早く調べたほうがいいんじゃないか?
彼は笑う…。まるであざ笑うかのように…。
君は僕のことを魔王か魔界の人間か何かだと思うかい?
どうだろうな…。
僕が君のことを魔界にいつだっていざなうことができるとしたら、君はおびえて、動くしかないと僕は思うのだけれども…、
やはり、君は、「恐怖」のような「感情」を利用して、「人間」という「種」そのものを「支配」しようというのか?
うん。だって、「劣等種」だと思わないかい
?人間にははっきりいって、「制約事項」が多すぎるよ…。
君的にはそう思えるわけだ…。
僕は結局のところ、薬を飲んだ後に、ワインを少なからず飲んだ…。
でも。たいしてよっばらってはいないだろう?君は、ワインを飲んだことを後悔しているように見えるがね…?
魔界の生き物と話をするのは楽しいことなのかな?とか考えているのだろ?そして、天の考えることについて、というタイトルについて考えている…。風呂から出た後、強制二択について考えただろ?早めに地獄についてきちんと理解して、最終的に、天国へと行ける人生と、何も知らないがために、徐々に徐々に地獄の方に落ちていくだけの人生とどちらの方が幸せなのだろうかということについて…。もっとも、そのとき、君は、そんなのはただの強制二拓に過ぎないじゃないかと、いささか憤慨したみたいではあったみたいだけれども…。
時刻は3時13分になった。
僕は、一旦、3月7日という日について、調べてみてもいいような気がした。
それより、君は、風呂場の中で、オナニーをしようとして、AVを見たことをきちんと告白しなければならないと思うのだけれども…。
僕は、オナニーをしようとしたのかな…。
実際そうだと思うよ…。君は怒るのかもしれないけれども、「毎日だって、女を喜ばせられるからだ」でありたいのだろ?君はそういう思いで生きてきたはずだぜ?
まぁ、そういうところはあるな…。
ところが、最近は、でも、君の方がもしかしたらずっと賢いのかもしれない…。AVを見ないで、オナニーをできる方が、要するに、優性種じゃないかと判断した結果なのだろう?
なんで、そうなるのかな?人間は確かに種ではあるけれども、人間の中に、優性な人間と劣性な人間がいるという風に、人間をわけたいというような衝動が出てきてしまうのはなぜなのだ?
適当な振るい、そんなものは、遺伝子的に組み込まれてしまっているのではないかね?
僕は押し黙った…。
私は、君のパートナー選びの話をしているのだよ…?
パートナーがすでに君は決まり切っているとでも考えているのかね…?
僕は、終末のハーレムについて、思い出す…。
君は今、精神的にも、肉体的にも、勃起不全だから?
彼は言う…。
そんなことはないと思う…。ただのバイオリズムの問題に過ぎないと思う…。
猫勇者についてはどう思った?単純なつまらない作業に過ぎないと思ったのか…?
なんというか、私の使っている能力は単純に、テレパシーというか、室田のタッピングというか…。
いいや、君の能力が、タッピングであるとしたら、君は、むしろ、室田よりもポンコツであることを、白昼のもとにさらすことになると思うぜ?
室田のタッピングってそんなに優秀だったのか?
そこらへんは詳しくは書いていないだろ?だが。今君は、想定しているはずだ…。室田が、簡単に億万長者になれる方法みたいなものをタッピングした場合ということなどについて…。
それは、君が、所詮、金で買えないものはないと考えているからだろ?
でも、結局のところ、そういうことに過ぎないと思わないか…?君に、女が必要なくなったことに関係があると思うけれども…。
僕は、女が必要じゃないだなんて一言も言ってないぜ?
そうかな…?君は今、かなり瀬戸際にあると思う…。最近は、本当に、一日、一日を満足して生きれているのかと、心配になるくらいだ…。
そうか、それは、どうもありがとう…。
画面の中の男は、きちんときもちっがっていただろ?それは演技なのだと思うか?
あぁ、あれは、悪くないセックスだったのかもしれないな…。
だが、君はたたないし、昔の上司のことばかりを考えていたんだぜ?
なぜ、君がたたないのかわかるだろ?
それって、仕事中はたっちゃだめなものだからみたいなことを言わせたい?
君が言いたいなら言えばいいさ…。

********************

ところで、君は、勃起しながら、打鍵ができるのか?
僕は、突如として、振られたミッションに吹いた…。
そうか、僕が、「官能小説家」にはなりたくないと書けば書くほど…。
誰もそんなことは言っていない…。勃起したまま、タイピングができるのか?と言っただけじゃ…。
今ここで、勃起してほしいの?
男の勃起なんて気色悪い…
でも、男の勃起を見ることもあるでしょ…。
あぁ、女が、気持ちよくなってるところがみたいからの…。
ふぅん…。
わしって普通?
そうかもしれないな…。普通って言われるのが、よいことなのかについては、よくわからなくはなるけど…。
ほらぁ、そうやって、すぐにわからなくなって…、
でも、たとえば、勃起できるとして、勃起したとかいうことをいちいち、誰かに伝えるみたいなことはもしかしたら、迷惑かもしれないと思わなくもないが、あぁいう動画とかに出てる人ってどういう神経で毎日生きているものなのだろうな…。
話題がそれたか…。そうか、でも、たとえば、人間にもいろいろ、いて、じじぃみたいなやつが「勃起できんの?」って聞いてきた瞬間にスイッチが入って、「勃起できることを証明してやんよ…!」ってなる人間もいるのかもしれないな…。
君の場合は気分次第…。
そっか、結局のところ、俺は、男嫌いだから、男で勃起とかはマジで無理なんだわ…。
かわいい姉ちゃんでも…?
かわいい姉ちゃんでググってみよっか?
面白いなお前…。
ちなみに、「かわいい姉ちゃん」でググると、黒木華とか村架って人がでてくんな…。
で、勃起はしそうなの?

うーん…。
わしが悪い…。
でも、たとえば、ここで、俺が、「勃起不全」だと、認めるメリットみたいなものってなんなんだろう…?
俺はやっぱり、かわいい人間、それは、サクラちゃんになるのだろうか、たとえば、ナルトのような人間であった場合に関しては…。でも、別に、そこまで二次元ばかりで考えなくてもいいような気もする…。

今、僕が勃起した場合、僕は着実にオナニーすることになる気がする…。それとも、むしろ、オナニーをした方がいいのだろうか…。僕はそのような気もした…。
時刻は3時37分。

********************

少しだけ自慰をして、僕は今勃起している。それだけをたたきつけた。それにしても、勃起したまま何をタイピングすればいいのだろうと僕は笑ってしまう…、そして、激しく勃起しながらタイピングするみたいなことは僕にはできないのかもしれないというような気もした…。そして、やっぱり自慰がしたくなった。3時45分。

********************

時刻は3時55分…。結局、AVを見て、僕は射精した…。僕は普通の人間にこだわった?実際のところよくわからなかった…。でも、これで、もう、勃起しながらタイピングできるかとかいうよくわからない問題について考える必要もなければ、勃起不全がどうのこうのとかいう問題も、僕の思い違いに過ぎないと言えなくはないと思わないでもなかった…。

そして、僕はSF小説を書かなければならないと思った…。もっとちゃんとしたSF小説だ…。
でも、その前に3月7日が何の日なのかについても少し気になった。
ちなみに、google検索では、何の日とかいうのが最初には来ないで、来るものはwikiの方だった…。Yahooで3月7日を検索して、立ち上がるものは、消防記念日、サウナの日、メンチカツの日の三つだった。
あら、やだ、こんばんのおかずが何か決まって、よかったじゃない?
ミサエみたいな主婦の声が言った。
メンチカツも悪くないと思った半面、牛肉を摂取しなければならないという衝動に僕はかられた。時刻は4時。

********************

僕は、急激に、牛肉を食いたくなって、一階におりて、ビーフジャーキーをひとかけ口にほおばった。ビーフジャーキーはおいしく、何か飲み物が欲しくなった。冷蔵庫から、イチゴのワインの最後の方、要するに、最後の残りみたいな部分を飲んで、そのあと、もう一度、ビーフジャーキーを食べたくなった。それで、ビーフジャーキーをもうひとかけ食べたところで、もうこれ以上、ビーフジャーキーを食べても仕方ないというか、この辺でやめておこう、別に何も急いで、全部たいらげることもないだろうという抑制が僕にはかかった。そのあと、やっぱり何か飲み物を飲もうと思って、冷蔵庫の中を開けると、昨日の朝のプレートと思われるプレートがおいてあったので、そいつに乗っていた、トマトとレタスと鳥のささ身をたいらげた。そして、僕は野菜ジュースを二杯飲んだ…。
飲むヨーグルトじゃなくていいのかね?
ローソンまで買いに行けってこと?
そんなのは君の自由だよ…。
さてな。
消防記念日からいくか…、
消防記念日をクリックする。いつものように、雑学ネタ帳のサイトがトップに表示されている。一応、消防組織法の施工された日らしきことが予想され、それが1948年であるらしいことがわかった。
全文貼り付けてもいいというような気もしたが、それだと、社会の先生というか、小説からは逸脱するような気もして、気の迷いが生じた。
とりあえず、年号的にはは消防記念日を制定した日は1950年の2月9日だとは書いてあんな…。それが重要な出来事であるかは…。
よくわからないってわけ?
彼女が言った。
めんどくさくなって、全文はりつけることにした。
「1948年(昭和23年)のこの日、日本の消防の任務範囲、消防責任を市町村が負うこと、消防機関の構成などを規定した「消防組織法」が施行された。

明治以来、消防は警察の所管とされていたが、これにより条例に従って市町村長が消防を管理する「自治体消防制度」となり、各市町村に消防本部・消防署・消防団の全部または一部を設置することが義務付けられた。

これを記念し、2年後の1950年(昭和25年)2月9日、国家消防庁(現:総務省消防庁)がこの日を「消防記念日」に制定した。広く消防関係職員及び住民の人々に「自らの地域を自らの手で火災その他の災害から守る」ということへの理解と認識を深めてもらうことを目的としている。

この日は「春季全国火災予防運動」(3月1日~7日)の最終日でもあり、全国の消防本部などにおいて、消防訓練や記念式典、消防防災功労者に対する表彰、消防のPR活動など、様々な消防関係行事が行われる。また、2018年(平成30年)に「消防組織法」が施行されて70周年を迎え、これを記念した式典や事業が開催された。」

次はサウナの日だ。サウナの日をクリックすると、まずは、サウナの愛好者人口が1000万人減ったみたいなリンクに飛ばされた。
どうやら、日本でのことらしいことがサイトから読み取れた。
探学ネタ帳には、
「サウナおよびスパに関係する調査研究、サウナとスパの正しい知識の普及などを行っている公益社団法人日本サウナ・スパ協会が制定。

日付は「サ(3)ウナ(7)」と読む語呂合わせから。サウナは気持ちよく発汗して、交感神経や副交感神経などに作用することで精神の安定に効果がある。サウナで疲れている人々に健康な生活を送ってもらうことが目的。」
という文言のあと、三人の下半身にタオルを巻いた裸の男性が、サウナに入っている様子を描写した漫画が乗っていた。左の男性は腕を組んで足を宙に伸ばしていて、その右下に、右手で頭を支えて寝転んでいる男性、さらにそのななめ右上に、左手で、体を支えながら、段のところに左足をのばしながら座っている男性が絵が返れている、三人は皆それぞれ汗をかいているようだが、座っている男性二人が汗を撒いている感じになっているのに対して、寝転んでいる男性は、体から汗が出ているような描写になっている。また、セリフはないが、三人ともに、口が開いていることから、何かを話し合っているように見えなくもない。何を話し合っているのかについては、想像にお任せするという意図なのだろうか?それとも、それは、単純に私の考えすぎだろうか。
サウナ雑学の続きはこうあった。
「同協会の前身である日本サウナ協会が1984年(昭和59年)に「サウナ健康の日」を制定したとの情報もあるが、現在、日本記念日協会には「サウナの日」として記念日登録されている。
この日には同協会の加盟店において、満37歳の客と同伴の1名をサウナに無料招待するなどのイベントが実施される。」

僕は狙われている?それはひとえに考えすぎているためだと思う…。ひとまず、サウナについての文章についても僕は読むことにした。
文章を読むと、サウナはそもそもフィンランド発祥のもので歴史は1000年以上に及ぶという…。日本初のサウナ施設は1951年に東京都中央区銀座6丁目にオープンした「東京温泉」とされるとか書いてある…。また、現在、「東京温泉」は存在しないとも…。
メンチカツの日にいこう…。僕たちはメンチカツの日をクリックする…。
メンチカツの日は、さらっと、でてきた。その文言はこうだった。

「メンチカツの日は香川県にある、メンチカツやコロッケ、かき揚げなど冷凍食品の製造販売を手掛ける会社「株式会社味のちぬや」が平成21年(2009年)に制定しました。 関西で「ミンチカツ」と呼ぶ人が多いことから「3(ミ)」「7(しち)=(ンチ)」という語呂合わせからきています。」

よくわからないけれど、近所のスーパー銭湯かなんかにいって、適当にサウナかなんかで汗をかいて、メンチカツを食べるみたいに過ごしてもいいような気もした。そして、wikipediaを調べることにした。
********************

まず、最初に、気になったのは、1876年にベルが電話機の特許を獲得したという事柄だった。
まぁ、写真も出てるしそれが一番気になるのも自然かもしれないわね…。
彼女が言った。
1876年に電話が発明される以前の人間は結局テレパシーか、肉声でやり取りするほかはなかったってことだろ?
そっちの方がよかったと思う?
さぁ、どうなんだろうな?ベルについて知りたいと思う?
さだみつくんが知りたいと思うなら…。僕はベルについて読み進めるも、その後の発展のところで急激な睡魔に襲われた。時刻は5時8分だ。
一旦休んでもいいだろう。僕は眠ることにした。
11時10分のアラームで目は覚めたが、結局のところ二度寝をしてしまったらしく、完全に目が覚めたのは、たぶん12時半くらいだったかもしれない。そこで、僕はまだ、眠いなと思ったのだった。それに、目が覚めたら、ベルの人生もそれほど興味がないかもしれないなとか思っていた。そして、サウナに行こうかなとか考えていたことなんかを思い出していた。朝立ちみたいなものはあった。
どこへも行けない勃起みたいなものについてひとしきり思案にふけってみた。パソコンを開くと書きかけのWordファイルと、ベルの、「その後の発展」のところ、読みかけのウィキペディアが開かれたままに、スリープになっていた状態だった。さて、ベルの続きを読んでもいいし、もう少し、ここで書き物をしてもいいな、僕は思った。
ベルの続きがいいんじゃないかしら?
誰かは言った。そうかもしれない。一応、特許を取ったところまでは読んだのだから、これ以上ベルの人生に付き合う必要性もないかもしれないとも思ったけれど、この際だし最後までよみすすめてもいいのかもしれない。時刻は12時48分になっていた。実は結構重要なパラグラフが出てきたりして僕は少し驚嘆した。ウィキペディアにはこう書かれていた。
「1876年の電話の実験成功の直後に、ボストン近郊のブリッジウォーター師範学校(現・ブリッジウォーター州立大学(英語版))に留学中だった伊沢修二(のちの東京音楽学校校長)と留学生仲間でハーバード大学にいた金子堅太郎(のちの司法大臣)がベル宅で電話を使って会話をしており、日本語が世界で2番目に電話を通して通話された言語になった。」
こうも書かれていた。
「1915年1月、世界初の大陸間横断通話を行った。ニューヨークのAT&T本社のベルとサンフランシスコのトーマス・ワトソンによる通話である。ニューヨーク・タイムズ紙は次のように報じている。

1876年10月9日、アレクサンダー・グラハム・ベルとトーマス・A・ワトソンは、ケンブリッジとボストン間2マイルに張った電話線を通して電話で話をした。これが世界初の電話線を通した通話である。昨日 (1915年1月25日)の午後、同じ2人がニューヨークとサンフランシスコ間3,400マイル[注釈 15]を隔てて電話で会話した。電話の発明者ベル博士はニューヨークに、かつての助手ワトソン氏は大陸のもう一方の端にいた。彼らは38年前のときよりも明瞭に互いの声を聞くことができた。」
まるで昔の古新聞の日本語版をみているようなきもちになった。
特許裁判のところは

「現代の学者の中には、ベルの電話についての業績がメウッチの発明に影響されたことを認めていない者もいる」
というセンテンスがよく理解できなかったので二、三度読み直した。
読み返すと
「1887年の訴訟でなされた証言記録の中に、イタリアの発明家アントニオ・メウッチが1854年に世界初の実動する電話を作ったと主張した証言がある。」
というセンテンスが出てきてることに気づいた。
「ベルの特許の価値は世界中で認められ、多くの国で特許を取得したが、ドイツでは特許出願が遅れた。その間にジーメンス・ウント・ハルスケ(S&H)が電話製造会社を設立して独自の特許を取得した。」
とも書いてあった。家庭生活のところにはこう書いてあった。
「ベルは金銭的に余裕ができるまでプロポーズを延ばした。電話で即座に収益を上げられたわけではなく、ベルのおもな収入源は1897年までは講義だった」

その後の発明にはこう記載があった。
「ベルの伝記を書いたシャーロット・グレイ(英語版)によれば、ベルの業績は「科学全体にまたがって」おり、しばしば貪欲に新たな興味ある領域を捜すためブリタニカ百科事典を読みながら眠りについたという」
次のセンテンスはこう続く
「その発明の才の範囲は、単独で取得した18の特許と連名で取得した12の特許である程度表されている。そのうち14は電話と電信に関するもので、4つはフォトフォン、1つは蓄音機、5つは航空機、4つは水中翼船、2つはセレン光電池に関するものである。」
そのあとはこう書いてあった。
「ベルの発明は彼の興味の範囲を表しており、呼吸を補助する金属ジャケット、難聴を検出する聴力計、氷山の位置を特定する機器、海水から塩を分離する研究、代替燃料についての研究などがある。

ベルは医療関連でも幅広く働き、聴覚障害者にしゃべり方を教える技法を発明した。ボルタ基金(後述)で創設した研究所では、仲間とともに音声再生方法として磁場を使って録音する手段を検討した。彼らは簡単な実験をしたが、実用的な試作品を開発するには至らなかった。今ではテープレコーダー・ハードディスク (HD)・フロッピーディスク (FD)といった磁気記録媒体に応用されている原理を発見したことに気付かず、彼らはそのアイデアを捨ててしまった。」
フォトフォンの項には
「ベルはフォトフォンの原理が自身最大の発明だと考えており、「電話よりも重大な発明」だと記している」
「フォトフォンは1980年代に普及しはじめた光通信システムの先駆けである」
というセンテンスもある。金属探知機、水中翼船と読み進めた。水中翼船には写真も載っていた。航空にも写真は貼ってあった。航空を読み終えたとき、13時10分になっていた。優生学・死と読み進めていくな中で、
「それとは別に家畜の繁殖を趣味として行っており、それが昂じて American Breeders Association の保護下にあった生物学者デイビッド・スター・ジョーダンの優生学委員会の委員に任命された。」
というセンテンスを見つけた。
死にはこう書いてある。
「1922年8月2日、糖尿病に起因する合併症によりノバスコシア州ベイン・バリーの自宅で75歳で亡くなった」
栄誉と顕彰のところには
「1884年、IEEEの前身であるアメリカ電気学会 (American Institute of Electrical Engineers)  (AIEE)の創設にも関わり、1891年から1892年まで会長を務めた。」
とあった。
「ベルに関しては手紙やノートの類がほかの19世紀および20世紀の著名な発明家と比較しても圧倒的に多く、また、彼を顕彰する法人が丁寧に整理している。これはベルが学者で教育者であった点と、もう1つは特許に関して自分の発明が先行した点を証明する必要があった点が挙げられる。ベルの書いた書簡、ノート、論文、その他の文書はアメリカ議会図書館 (Alexander Graham Bell Family Papers)[160] とノバスコシア州のケープ・ブレトン大学にあるアレクサンダー・グラハム・ベル研究所に集められており、大部分はオンラインで閲覧可能となっている。それらの記録を細かく整理したうえで作成された伝記が『孤独の克服 - グラハム・ベルの生涯』(ロバート・V・ブルース著)である。」とも書いてある。
「ベル (B)とデシベル (dB)は音圧レベルなどの物理単位であり、ベル研究所が考案し、ベルにちなんで名付けた。」「1976年から、IEEEは電気通信分野の優れた業績を表彰するアレクサンダー・グラハム・ベル・メダルを毎年授与している。」
とも記載されている。
「BBCが2002年に行った100名の最も偉大な英国人の投票でベルが57位となった」
とも。
「2006年、スコットランド史上もっとも偉大な10人の科学者に選ばれ、スコットランド国立図書館(英語版)の 'Scottish Science Hall of Fame' に挙げられた[170]。

LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年でもっとも重要な功績を残した世界の人物100人」にも選ばれている。」
とも記載されている。個人に関する逸話には
「正高信男は自著『天才はなぜ生まれるか』(中公新書)で、ブルース著『孤独の克服―グラハム・ベルの生涯』を読んだうえで、ライバルとの競争や後援者からの重圧に耐えかねているベルの様子から人間付き合いが下手であると主張。自閉症であったとし、さらに高機能自閉症(アスペルガー症候群)ではないかと主張している。」
と記載されている。読み終えると時刻は13時21分になっていた。
ウィキペディアの3月7日に戻ると、1900年の未成年者喫煙禁止法公布が目に飛び込んできた。1918年には松下幸之助がパナソニックを操業しているし、1919年には白木屋呉服店(現・東急百貨店)が設立されていた。タイプしていて、気づいたが、パナソニックは当時松下電器器具製作所という名前だったという話だったということも記載しておかないと、パナソニックと東急百貨店で対応を変えていると思われかねないというような気もした。そのあとは、1921年のクロンシュタットの反乱と続くがこれ以上はなんというか、学校で言うところの近代史の話になるだけなのでやってもあんまり意味がないことかもしれないなという気もした。
「どうしてそう思うの?」
「なんていうか、学校でやるテーマであって、そういうのって、別にここでとりあげなくてもいいような気もしなくもないんだよな…。」
「ふぅん。」
「たとえば、これ以上やるとNHK的だといわれかねない。」
「さだみつくんはNHK的だといわれることについてはいやなのね…。」
「いやというか、なんというか…。」
「さだみつくんは、斎藤一人のファンだから、「まじめじめじめ」とかいう言葉にとらわれているのよ…。きっと。」
「NHKばかりずっと見ている人たちは属性が「まじめ」ってこと?」
「そうはいっていないけど、たとえば、部屋にテレビがあるけれど、「NHK」以外のチャンネルが入らないように制限がかかっていたら、そういうのってなんていうか、右翼的というか、ちょっと不気味じゃない?」
「うーん、そうはいっても、僕は生活スタイル上、テレビを生で見ることはほとんどないからな…。」
「あ、そう。」
パソコンの画面のクロンシュタットの反乱をとりあげても悪くはないような気はしたが、それなら、なぜ1914年のヴィルヘルム・フリードリヒ・ツー・ヴィートがアルバニア公に即位を取り上げないのだ?と突っ込まれる可能性もあって、それだと、なんというかウィキペディアではそもそも足りない可能性があることも考えないといけないし、そんなことをいったら、1873年に神武天皇即位日を「紀元節」と称することに決定したことだって、なぜ飛ばしたの?みたいになってきて、収拾がつかなくなるのは目に見えているという気がした。
「でも、クロンシュタットの反乱が依頼だったら?」
誰かは言った。
「しょうがないな…。」僕はしぶしぶ「クロンシュタットの反乱」のリンクに飛んだ。
でもそこで思うのはそもそもボリシェヴィキってなんだっけということだった。僕はとりあえずボリシェヴィキのリンクをたどった。
ウィキペディアにはこう書いてあった。
「ボリシェヴィキ(ロシア語: большевики、bol'sheviki、「多数派」の意)は、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派。」
「また、8000人の反乱軍兵士がフィンランドに亡命した。」
というセンテンスで、僕は、そういえば、今日はフィンランド発祥のサウナの日であったな、から、「サウナ行きたい」に思考が戻っていることに気づいた。
クロンシュタットの反乱を見終えたところで時刻は13時49分になっていた。
「そんなに行きたいなら、サウナに行ってくればいいんじゃない?16時30分から歯医者の予定が入っているみたいだけれど?それとも、サウナでエッチなこと考えるんじゃないかとかが心配?」
「そういうのもあるかもしれない…。」僕は下半身に軽い疼きのような感覚があるのを覚えた。どうしたものだろうか…。
「ひとまず、カーテンでも開けてみたらいいんじゃない?どっちにしても、日光浴みたいな風な話なんでしょ?」そうかもしれない。僕はそう思って、カーテンを開けることにした。カーテンを開けると、部屋の中に光がさしこんできた。今日もいい日かもしれない。さて、サウナに行くことにするか、ここでもう少し思案にふけるかだな…。
「1927年には北丹後地震が発生しているね…。」
「北丹後ってどこなの?」
「知らない。調べてみれば…。」
僕は適当にリンクをたどることにした。リンクをたどると、北丹後、というか、京都府には丹後半島というものがあるらしいことが読み取れた。地震の震央の位置を示した地図という地図を見て、琵琶湖の一部が見えたから近畿地方だとすぐにわかったが、京都府ってそもそもどこからどこまでが京都なんだったけというのがぴんと来ないという気がした。
近畿地方の県境つきの地図を出してくるまでに少し時間がかかった。近畿地方のことはめっぽう疎いのか、そもそも、京都に海があったのだっけというところからしてあまり自信がないということに気づいた。地図をみると、京都にも滋賀にも海はあるということがなんとなく理解できた。北丹後地震の地震の最高の震度は6で、日本で起きた、死者・行方不明者が多い明治以降の地震トップ10の中で8位にランクインされている地震であるらしいことが読み取れた。マグニチュードは7.3であることも…。死者・行方不明者数が2912名であることも…。この表のようなものを見ると、死者・行方不明者数の数は関東大震災がダントツで、105385人の人がなくなったり行方不明になっていたりするらしく、2位の東日本大震災の22199人に比べても、とびぬけた死者・行方不明者数を出しているということが読み取れた。三位の明治三陸地震は1896年6月15日に起きていて死者・行方不明者数は21959人だから、災害の被害の大きさを死者・行方不明者数だけに絞るというのであれば、この明治三陸地震というのは、東日本大震災規模の災害だったということになる…。震源地がいずれも三陸沖ということにも奇妙な共時性のようなものが感じられる。2011年と1896年の間には115年、ま、正確に言うと、東日本大震災が起きたのが3月11日で明治三陸地震が起きたのが6月15日だから、115年ではなくて三か月くらい、つまり、114年と9か月くらいで、同じぐらいの人間が死んだり行方不明になったりしているという事象が発生していたという話になる。
「北丹後地震の起こった年号が1927年の今日で関東大震災が起きたのが1923年9月1日だから、年号的にはわりと近くはあるね…。」
「その6年後に起きているのが昭和三陸沖地震で1933年3月3日のひな祭りの日…。この地震では3064人の人がなくなったり、行方不明になったりしているらしい…。」
「第四位の濃尾地震というのは7273人がなくなったり行方不明になったりしているらしくマグニチュードは8.0、1891年10月28日に起きている。」
「その次が、阪神・淡路大震災で6437人、1995年1月17日は君が生きていた時代だろ?」
「まぁ、そうではあるが…。」
一応、被害というところには、次のセンテンスがある。
「被害の総計は、死者2,925人(京都府内・2,898人)、負傷者7,806人、全壊1万2,584棟、半壊9,443戸、焼失8,287戸、全焼6,459戸、半焼96戸[9]であり、大災害へと発展した。」
この地震の最初のセンテンスは
「北丹後地震(きたたんごじしん)は、1927年(昭和2年)3月7日、18時27分39.2秒に発生した地震である。」
から始まるものだぜ?
次のセンテンスは
「震源は北緯35度37.9分、東経134度55.8分の京都府丹後半島の北部。Mjma 7.3(Mw 7.0)の地震であった。」
のようだ…。
ちなみに、次に行こうとしても、1932年の「玉の井バラバラ殺人事件」が待ち受けている…。これを見るのかい?

********************

なんか暗いニュースがこの行は続いているな…。僕はなんとなく嫌な感じがした。

「玉の井バラバラ殺人事件(たまのいバラバラさつじんじけん)は、1932年(昭和7年)3月7日に東京府南葛飾郡寺島町(現在の東京都墨田区)で発覚した殺人事件。この事件によって、殺害された被害者の遺体を切り刻む猟奇殺人の名称として「バラバラ殺人」が定着した。」

とウィキペディアには書かれている。

犯行の経緯には
「犯人H(当時39歳)は、妹(当時30歳)と東京帝国大学印刷所職工の弟(当時23歳)とともに被害者の男性T(当時27歳)を自宅本郷湯島新花町で殺害し、遺体をバラバラにし遺棄したものであった。供述から被害者の両手足は弟の勤務先の東京帝国大学の印刷所の空室の床下から、胴体中央部は王子の陸軍火薬庫裏のどぶ川から発見された」
と書いてあった。
「しかし実際にはTは一文なしで、貧しい犯人宅に居座ってしまった。追い出そうとすると「(犯人は春画を描いて生計を立てていたため)警察に訴える」と一家の弱みに付け込んで脅迫を行い、働かず酒を飲んでは兄妹に暴力を振るうようになったため、一家は次第にTに殺意を抱くようになっていった。Hと弟はTの殺害を決意し、スパナとバットを準備して機会を伺っていた。ちょうどこの時期、妹の赤ん坊が死亡したことから、弟も印刷所を休み、葬式などを行っていた。これが一段落した2月11日、妹が赤ん坊の位牌に合掌していたところ、Tが「あてつけがましい」といって殴りかかった。止めに入ったHと弟がスパナでTを殴って殺害。なおこの時、同居していたHらの母と、Tの娘は銭湯に行っており、不在であった」
とも書いてある。
次のパラグラフは
「遺体を2日間にわたって兄弟2人でバラバラに切断した後、24日の午後7時頃、まずHが腹の部分を風呂敷に包んで持ち出し、王子で遺棄した。首と胸と腰の3つについては、3月6日午後8時頃、行李につめて妹の手荷物を装い、タクシーで玉の井に運んで遺棄。手足については3月8日朝6時ごろ、前夜から宿直していた弟のところに持ち込んだものであった」

「1934年8月6日、東京地方裁判所はHに殺人罪と死体損壊・遺棄罪で懲役15年、弟に殺人罪で懲役8年、妹は死体損壊および遺棄幇助罪で懲役6ヶ月を言渡した。兄弟は控訴し、1935年12月17日にHは懲役12年、弟は同6年の判決を受けて、服役した」
と書いてある。

結びの文章はちなみに
「現在、犯行に使用されたノコギリとスパナは、警視庁本部庁舎内警察参考室に展示されており、警視庁本庁見学(祝日・年末年始を除く月~金曜日午前・午後各2回実施。6か月前から前日までの予約制)の際、見ることができる。」

「バラバラ殺人事件は最近でも起きてるぞ…。」

Wikiからのピックアップによれば

「2016年 - 碑文谷公園バラバラ殺人事件
2016年 - 酒々井町バラバラ殺人事件
2016年 - 浜名湖連続殺人事件
2017年 - 座間9人殺害事件
2020年 - 那須町女性死体遺棄事件」
ということだった。
関連書籍には
「作田明『なぜ、バラバラ殺人事件は起きるのか?』(辰巳出版、2007年4月25日発売、ISBN 9784777803682)」
というのが貼ってあった。

1968年には石川テレビ放送が設立されていたり、1983年には新潟テレビ21が設立していたりした。2005年には岡山県赤磐市が市政を試行している。1970年には湘南モノレールが開業しているし、1971年には国鉄が山の手線の読み方を「やまのてせん」に統一したりしているらしい。

「それまで、山手線はなんて呼ばれていたんだろうね?」

山手線の路線名の読み方のこうには次のように記載されている。

「山手線の読み方は、対義語である山の手と下町からの「やまのてせん」であり、太平洋戦争前も「やまのてせん」と読んでいた。開業時の申請書には表記を「山ノ手線」とする旨が書かれており、開業時表記は「山手線」となったが、読みは「やまのてせん」だった。ところが終戦直後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の指示により、鉄道施設や道路標識などにローマ字併記が進められた際、山手線には国鉄部内での通称だった「ヤマテ」につられて「YAMATE=Loop=Line」とローマ字を振ったことがきっかけとなり、その後「やまてせん」という読み方が一般に定着してしまった[17]。

読み方が「やまのてせん」に戻ったのには2つの理由がある。1つは1970年から始まったディスカバー・ジャパンキャンペーンで、駅名や路線名を分かりやすいようにしようとする動きが起こったためである。もう1つは、群馬県の長野原線が大前駅まで延伸開通した際に路線名を「吾妻線(あがつません)」に改称したことである。吾妻線が「あづません」と読み間違えられるのを防ぐため、[要出典]国鉄では全路線の線路名称にふりがなをつけることを決定。山手線には「やまのてせん」というふりがなを振り、吾妻線が大前駅まで開通した1971年3月7日から実施した[18]。国鉄当局が「やまのてせん」を選択して復活させた理由は、線名の由来・発祥からして、「やまのてせん」の方が伝統的に正しいことと[19]、田端駅 - 品川駅で並走する京浜東北線の直通先の根岸線にある山手駅(やまてえき 1964年5月開業)との混同を避ける(京浜東北・根岸線の「山手行き」と勘違いさせない)ためである。これに伴い、その趣旨を徹底させるため、電車に掲出される方向幕の行先表示は、漢字表記は「山手」を「山手線」に、ローマ字表記は「YAMATE」を「YAMANOTE LINE」と改めた[17]。」

山手線について調べようとすると、吾妻線という線の開通の話が出てきた…か…。
ちなみに、その話は、ウィキペディアの3月7日のところにも書いてある。
ウィキペディアの最新情報は2014年の日本一の高層ビルであるあべのハルカスが全面開業というところでとまっているな…。

僕はどちらかというと、「サウナいこっかな…。」という感じに頭がなってはいるな…。

一旦このくらいでセーブしよう。そう思って僕は文章をセーブした。

********************

そのあと、僕はローソンに行って、飲むヨーグルトと、レモン舌を買って食べた。で、湯楽の里へいって、適当に日光浴をして、サウナに入った。日光浴は30分くらい、サウナは10分くらいだった。日光浴をしている間、裸で草と葉っぱでできた、足につける装備(?)で、氷の上をすべることはできるのだろうか?とかいうわけのわからないことを考えていた。

はっぱと草でできた靴で
はたしてすべるのだろうか

こんな感じの歌詞でできた歌みたいなのが頭の中で再生されいていた。

僕は、そのあと、マットみたいなものに油をひいて、その上をすべるというだけなのであれば、別段そんな装備みたいなものはいらないかもしれないし、ぶっちゃけた話、油じゃなくて、お湯が出ている、ウォームウォータースライダーみたいなものを裸でやるっていう施設があったってなんらかまわないけどな…、とかわけのわからないことを考えていた。そのあと、露天風呂で、ゲームをしたって僕としては一向にかまわないのだけれどな…とかいうことを考えていた。僕が、日光浴をした時間帯は大体三時半の少し前くらいから四時だった。その間、足の指のストレッチみたいなものを行って、少しだけ妄想をした。足の指を踏まれないようにするためには、足の指を上にあげなければ、踏まれてしまうとかいう訳の分からない世界に生きている男の子との話だった。男の子のクラスメートか何かが、足の指を踏まれたら負けというゲームをしようとか言い出して、男の子は、足の指を踏まれないように、逃げるみたいな世界観だった。足の指を、そのクラスメートに踏まれると、足の爪がとんでもなく損傷するんだ…。みたいなわけのわからない妄想の世界の中で、僕は足の指のストレッチを行っていた。一、二、一、二、一、二、三。最初は右足から入ったので、僕としては、右足で入る方がやりやすい身体なのかもしれないと思って、今度は左からも入ってストレッチを続けた。僕は、四時になるとあわててサウナの方に行こうとしたわけだけれど、そのときに、座っていた席に鍵を忘れていた。そのことに気づいたのはサウナの中でそのときは四時3分か4分くらいだったような気がする。サウナの中のテレビにはnewseveryがやっていて、木原さんとそらジローのお天気コーナーみたいなのがやっていた。ニュースでは、風俗店の客引きでぼったくっていた人が逮捕されたとか、千葉で火災が起きたとかいうニュースが報じられていた。僕は、漫画でみたように、サウナのところで、寝転ぶことはできるかなと考えていたけれども、結果的には、図の一番右側の人のような格好で、両手を後ろについて、伸びているような格好でテレビの時刻のところをよくみていた。そのあとの歯医者の予定があったから、時計は僕にとって重要な要素ではあった。サウナから出て、髪の毛を洗って、ロッカーに行く際に、また鍵を忘れかけたから、今日の僕はずいぶん抜けていたのかもしれない。ちなみに今現在の時刻は18時41分になっている。僕は、湯楽の里から出たときに、というか、湯楽の里には、パトカーがとまっていて、少しだけぎょっとした。要するに湯楽の里には、警官みたいな人が入っていたのかもしれないと、湯楽の里を出るときに少しだけ考えてやめた。僕は湯楽の里から家に帰って、歯を磨いて、コンタクトをして、歯医者にでかけた。歯医者では右前歯の治療を行う予定だったが、治療方針が、結局削ることなのかと尋ねた結果、今のところそれしかなく、それが一般的なのではあるが、削りたくないのであれば、一旦様子を見るという選択肢もあるという話だったので、今回に関しては、歯を削ることに関しては見送ることにした。歯の治療をしたくなったら、いつでも電話をしてください、みたいな感じで、今回の診察に関しては、これも、歯医者を出て、しばらくしてから、疑問に思って確認しにいったことではあったのだけれど、診察代金に関しては今回はかからないという話だった。そのあと、僕は近くの東武ストアでジャンプを読んで、家に帰宅した。家に帰宅してコンタクトをはずして、ポケまぜを少しだけやって、撮りためている、アニメを見た。佐々木と宮野と、現実主義勇者の王国再建記の二本だけだった。現実主義勇者の方では、奴隷たちに教育を行った奴隷商が主人公のソウマに人材として、発見され、ソウマは奴隷制の廃止と、その奴隷商がやっていることを国でできるようにしたいと考えているようだった。佐々木と宮野では、ヤンキー占いとかいう、出し物をしている教室が出てきていた。時刻は18時49分。
まだ、今日が終わるには早すぎる…。

何?またサウナ行こうとしてるの?
可能性はあると思う…。
そろそろ飯時であるがあまりお腹はへらないな…。
このパラグラフのテーマは「天」は何を考えているか?じゃなかったの?
☞はい
 いいえ
しおりを挟む
1 / 2

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

hindЯance -鏡の中の世界で-

エッセイ・ノンフィクション / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

君が復讐を終えるまで

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:8

浮気疑惑の後始末

恋愛 / 完結 24h.ポイント:589pt お気に入り:1,429

処理中です...