8 / 11
8話
しおりを挟む
日が落ちかけ、庭の噴水が夕陽を受けて淡くきらめいていた。
水音は穏やかで、昼間のざわめきが嘘のように、侯爵邸は静けさに包まれている。
その静寂の中、ルカはわたくしに声をかけるため、何度も足を止め、ようやく覚悟を決めたように近づいて来た。
「ジョアンナ……少し、お話があります」
わたくしは、たった今気づいたかのように振り向き、少し疲れた笑みを浮かべた。
それは、今日一日、侯爵とクリスティアナの振る舞いに晒され、心が張りつめていたせいでもあった。
「ルカ。今日は、本当にお疲れさまでした。貴方まで巻き込んでしまって……」
そう言った瞬間、胸の奥に、ほんのわずかな弱さが滲んだのを、自分でも感じた。
それを隠すようにわたくしはルカを見た。
「巻き込まれたなんて思っていません」
ルカは、はっきりとそう言った。
「寧ろ、当事者なのですから」
その声は、いつもの穏やかさとは違い、芯の通った強さを帯びていた。
それだけで、わたくしは思わず息を飲む。
ルカは一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
夕暮れに照らされたその横顔には、迷いも、遠慮も、もうなかった。
「ジョアンナ。僕は……ずっと、貴女に伝えたいことがあったんです」
「……ルカ?」
名前を呼び返したわたくしの声は、かすかに震えていた。
「僕は、貴女を愛しています」
その言葉が放たれた瞬間、風が止まったように感じた。
噴水の水音さえ遠くなり、時間そのものが止まったようだった。
それは、衝動的な告白ではなかった。
何年も、何年も胸の奥で育て、抑え、守り続けてきた想いが、ようやく形を持った声だった。
「初めてこの屋敷に来たときのこと、覚えていますか」
ルカは、視線を逸らさずに続ける。
「本来なら、憎まれても仕方のない僕に、貴女は感情を押し殺して、当たり前のように接してくれた。優しくて、静かで、決して弱さを見せないその姿に……僕は救われました」
彼の声は、次第に熱を帯びていく。
「貴女が笑うたびに、この家が少し明るくなる気がして。貴女が悲しむたびに、胸が締めつけられた。何もできない自分が、情けなくて」
ルカは、震える指先で、そっとわたくしの手を包んだ。
その温もりは、あまりにも真っ直ぐで、逃げ場がなかった。
「父のことで、貴女が誰かに傷つけられるたびに、守れない自分が悔しかった。それでも……」
一瞬、彼は言葉を詰まらせ、それから正直に続けた。
「白い結婚だと知ったとき、僕は……正直、嬉しかった。最低だと思われても構いません。でもその時、心のどこかで誓ったんです。いつか、必ず僕が貴女を幸せにすると」
わたくしの瞳に、静かに涙が滲んだ。
「ジョアンナ。貴女を愛しています。誰よりも、何よりも。だから……」
彼は、少しだけ声を落とした。
「貴女が解放されるその日まで、僕は待ちます。何年でも。せめて今だけは……貴女の、本当の気持ちを聞かせてください」
沈黙が、優しく、しかし重く流れた。
わたくしは、深く息を吸い、ゆっくりと顔を上げた。
涙で視界は揺れていたが、心は不思議なほど澄んでいた。
「……ルカ。わたくし……わたくしも、貴方を愛しています」
言葉にした瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
「けれど、わたくしは貴方よりもずっと年上ですし、立場も、状況も……。心ない者は、必ずそのことで、わたくしたちを傷つけようとするでしょう。それでも貴方は……」
そこまで言って、声が詰まった。
ルカは、そんなわたくしをまっすぐに見つめ返す。
「そんなことで、僕は傷つきません」
きっぱりと言ってくれる。
「もし貴女が傷つくのなら、その全てを引き受けます。だから……どうか、僕の気持ちを受け止めてください」
その瞬間、堪えていた涙が溢れ落ちた。
「ルカ……」
わたくしは、震える声で言葉を紡ぐ。
「貴方が側にいてくれたから、わたくしは、この家で孤独を感じずに済みました。貴方が笑ってくれたから、わたくしも笑えた。貴方が守ろうとしてくれたから……わたくしは、この侯爵邸で頑張ることが出来た。そう、いつか恥じない侯爵家を貴方に渡せるように」
涙は止まらなかったが、顔は悲しみに歪んでいなかった。
そこにあったのは、長い葛藤の末に得た、温かな幸福だった。
「ルカ。わたくしも、貴方を心から愛しています。身分も、年齢も、婚姻の枷も……すべてを越えてしまうほどに」
ルカは、繋いだ手を強く、しかし大切そうに握った。
二人は、夕暮れの庭で、寄り添うように立ち尽くす。
沈みゆく太陽が、二人の影を長く地面に落としていた。
「……ありがとう、ジョアンナ」
ルカの声は、とても嬉しそうだった。それがわたくしの心を温かくした。
「その言葉だけで、僕は何年でも待てます。いつか、堂々と貴女を迎えに行ける日まで」
わたくしは、そっと微笑む。
「わたくしは、ずっと待っています。今までだって……心のどこかで、ルカを待っていたのかもしれません。貴方の言葉は、わたくしを強くします」
ルカは、その言葉を、宝物のように胸に刻んでいるようだった。
夕暮れの噴水は、変わらず静かに水を落とし続けていた。
そしてその水音はいつまでも穏やかだった。
水音は穏やかで、昼間のざわめきが嘘のように、侯爵邸は静けさに包まれている。
その静寂の中、ルカはわたくしに声をかけるため、何度も足を止め、ようやく覚悟を決めたように近づいて来た。
「ジョアンナ……少し、お話があります」
わたくしは、たった今気づいたかのように振り向き、少し疲れた笑みを浮かべた。
それは、今日一日、侯爵とクリスティアナの振る舞いに晒され、心が張りつめていたせいでもあった。
「ルカ。今日は、本当にお疲れさまでした。貴方まで巻き込んでしまって……」
そう言った瞬間、胸の奥に、ほんのわずかな弱さが滲んだのを、自分でも感じた。
それを隠すようにわたくしはルカを見た。
「巻き込まれたなんて思っていません」
ルカは、はっきりとそう言った。
「寧ろ、当事者なのですから」
その声は、いつもの穏やかさとは違い、芯の通った強さを帯びていた。
それだけで、わたくしは思わず息を飲む。
ルカは一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
夕暮れに照らされたその横顔には、迷いも、遠慮も、もうなかった。
「ジョアンナ。僕は……ずっと、貴女に伝えたいことがあったんです」
「……ルカ?」
名前を呼び返したわたくしの声は、かすかに震えていた。
「僕は、貴女を愛しています」
その言葉が放たれた瞬間、風が止まったように感じた。
噴水の水音さえ遠くなり、時間そのものが止まったようだった。
それは、衝動的な告白ではなかった。
何年も、何年も胸の奥で育て、抑え、守り続けてきた想いが、ようやく形を持った声だった。
「初めてこの屋敷に来たときのこと、覚えていますか」
ルカは、視線を逸らさずに続ける。
「本来なら、憎まれても仕方のない僕に、貴女は感情を押し殺して、当たり前のように接してくれた。優しくて、静かで、決して弱さを見せないその姿に……僕は救われました」
彼の声は、次第に熱を帯びていく。
「貴女が笑うたびに、この家が少し明るくなる気がして。貴女が悲しむたびに、胸が締めつけられた。何もできない自分が、情けなくて」
ルカは、震える指先で、そっとわたくしの手を包んだ。
その温もりは、あまりにも真っ直ぐで、逃げ場がなかった。
「父のことで、貴女が誰かに傷つけられるたびに、守れない自分が悔しかった。それでも……」
一瞬、彼は言葉を詰まらせ、それから正直に続けた。
「白い結婚だと知ったとき、僕は……正直、嬉しかった。最低だと思われても構いません。でもその時、心のどこかで誓ったんです。いつか、必ず僕が貴女を幸せにすると」
わたくしの瞳に、静かに涙が滲んだ。
「ジョアンナ。貴女を愛しています。誰よりも、何よりも。だから……」
彼は、少しだけ声を落とした。
「貴女が解放されるその日まで、僕は待ちます。何年でも。せめて今だけは……貴女の、本当の気持ちを聞かせてください」
沈黙が、優しく、しかし重く流れた。
わたくしは、深く息を吸い、ゆっくりと顔を上げた。
涙で視界は揺れていたが、心は不思議なほど澄んでいた。
「……ルカ。わたくし……わたくしも、貴方を愛しています」
言葉にした瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
「けれど、わたくしは貴方よりもずっと年上ですし、立場も、状況も……。心ない者は、必ずそのことで、わたくしたちを傷つけようとするでしょう。それでも貴方は……」
そこまで言って、声が詰まった。
ルカは、そんなわたくしをまっすぐに見つめ返す。
「そんなことで、僕は傷つきません」
きっぱりと言ってくれる。
「もし貴女が傷つくのなら、その全てを引き受けます。だから……どうか、僕の気持ちを受け止めてください」
その瞬間、堪えていた涙が溢れ落ちた。
「ルカ……」
わたくしは、震える声で言葉を紡ぐ。
「貴方が側にいてくれたから、わたくしは、この家で孤独を感じずに済みました。貴方が笑ってくれたから、わたくしも笑えた。貴方が守ろうとしてくれたから……わたくしは、この侯爵邸で頑張ることが出来た。そう、いつか恥じない侯爵家を貴方に渡せるように」
涙は止まらなかったが、顔は悲しみに歪んでいなかった。
そこにあったのは、長い葛藤の末に得た、温かな幸福だった。
「ルカ。わたくしも、貴方を心から愛しています。身分も、年齢も、婚姻の枷も……すべてを越えてしまうほどに」
ルカは、繋いだ手を強く、しかし大切そうに握った。
二人は、夕暮れの庭で、寄り添うように立ち尽くす。
沈みゆく太陽が、二人の影を長く地面に落としていた。
「……ありがとう、ジョアンナ」
ルカの声は、とても嬉しそうだった。それがわたくしの心を温かくした。
「その言葉だけで、僕は何年でも待てます。いつか、堂々と貴女を迎えに行ける日まで」
わたくしは、そっと微笑む。
「わたくしは、ずっと待っています。今までだって……心のどこかで、ルカを待っていたのかもしれません。貴方の言葉は、わたくしを強くします」
ルカは、その言葉を、宝物のように胸に刻んでいるようだった。
夕暮れの噴水は、変わらず静かに水を落とし続けていた。
そしてその水音はいつまでも穏やかだった。
833
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
旦那様。私が悪女ならば、愛人の女は何になるのかしら?
白雲八鈴
恋愛
我が公爵家主催の夜会の最中。夫が愛人を連れてやってきたのです。そして、私を悪女という理由で離縁を突きつけてきました。
離縁して欲しいというのであれば、今まで支援してきた金額を全額返済していただけません?
あら?愛人の貴女が支払ってくれると?お優しいわね。
私が悪女というのであれば、妻のいる夫の愛人に収まっている貴女は何なのかしら?
二年間の花嫁
柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。
公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。
二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。
それでも構わなかった。
たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。
けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。
この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。
彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。
やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。
期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。
――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。
《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃
ぜらちん黒糖
恋愛
「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」
甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。
旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。
「それは本当に私の子供なのか?」
結婚十年目の夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。彼は「送り間違えた」というけれど、それはそれで問題なのでは?
ぽんた
恋愛
レミ・マカリスター侯爵夫人は、夫と政略結婚をして十年目。侯爵夫人として、義父母の介護や領地経営その他もろもろを完ぺきにこなしている。そんなある日、王都に住む夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。義弟を通じ、夫を追求するも夫は「送り間違えた。ほんとうは金を送れというメモを送りたかった」という。レミは、心から思った。「それはそれで問題なのでは?」、と。そして、彼女の夫にたいするざまぁがはじまる。
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
婚約者が聖女を選ぶことくらい分かっていたので、先に婚約破棄します。
黒蜜きな粉
恋愛
魔王討伐を終え、王都に凱旋した英雄たち。
その中心には、異世界から来た聖女と、彼女に寄り添う王太子の姿があった。
王太子の婚約者として壇上に立ちながらも、私は自分が選ばれない側だと理解していた。
だから、泣かない。縋らない。
私は自分から婚約破棄を願い出る。
選ばれなかった人生を終わらせるために。
そして、私自身の人生を始めるために。
短いお話です。
※第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。
その結婚は、白紙にしましょう
香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。
彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。
念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。
浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」
身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。
けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。
「分かりました。その提案を、受け入れ──」
全然受け入れられませんけど!?
形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。
武骨で不器用な王国騎士団長。
二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる