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29、入舎試験(1)
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「一、ニ、三、一、ニ、三」
マルケッタの張りのある声が響く。クリスティーナとアレクシスは、それぞれの練習相手の女性と組み、踊っていた。
「そこ、もっと指を伸ばして。指先まで綺麗に!」
マルケッタの叱責が飛ぶ。クリスティーナは疲れ果てていた。さっきから同じステップの繰り返しで、女性をずっと支えている腕も痛い。
そんなクリスティーナに構わず、マルケッタが声を飛ばす。
「クリスさん、そこはもっとステップを小さく。あなたは内回りなんだから、あなたが大きく動いたら、女性は大変なのよ」
「すみません」
「ほら、最初から。――左、右、左、右、左、右!」
マルケッタの言葉に従い、足の動きを合わせる。
「このステップを無意識に踏めるくらい、体に叩きこんでください!」
マルケッタが三拍子の拍手をしながら、クリスティーナとアレクシスのダンスに目を光らせる。
クリスティーナたちが今いる場所は、王宮の正面に位置する建物内の一室だ。中広間と呼ばれ、普段は王妃のお茶会や小規模の舞踏会が行われる。同じ建物内に大広間があり、そこが半年後、今アレクシス踊っているダンスを披露する舞台となるのである。
クリスティーナは白とグレージュの幾何学模様が美しいタイルを踏んでいく。頭上には綺羅びやかなシャンデリア。今は窓ガラスから降り注ぐ陽光で、光り輝いていないが充分美しい。最初この広間を見た時、心ときめいたが、今は周りに目を向ける余裕はなく、ときめいたことさえ、遠い過去に感じてくる。
踊りながら、クリスティーナはアルバートの懐の深さを思う。ダンスを学ぶのは本来ならお披露目するアレクシスひとりでいいはずだ。それなのに、一流の講師の元、一介の従者にペアの女性をつけ、ダンスを上達する機会を与えてくれた。
アルバートを見ていると、父親とは本来こういうものかしらと感じることがある。落ち着きがあって、どっしりと構えた様は頼りがいがあって、息子へと向ける眼差しは優しい。そんな父親を持つアレクシスを時々ひどく羨ましく思う。同時に眩しく感じるのは、そんな父親の愛情を受けたおかげで、今の明るく闊達なアレクシスがあるからだろう。
クリスティーナはひたすら、体の向きを変えながら、ステップを踏んでいく。目の前の女性にふと視線を移す。
ヘーゼルブラウンの髪色の優しげな瞳をした女性だった。まだ二十代前半と若い。おそらくマルケッタの弟子なのだろう。初めて組むとき、腹から胸のあたりまで密着してきたので、女性であるクリスティーナのほうが逆に照れてしまった。何度か足を踏んでしまったことは申し訳ない。それにしても、剣の稽古の一貫で腕立て伏せを毎日していたのが幸いした。でなければ、今頃女性を支える腕をこれ以上持ち上げられなかったかもしれない。
クリスティーナの視線に気付いたのか、女性がにこりと微笑んだ。クリスティーナは慌てて、踊りに集中した。
ふたりがようやく流れるようにステップを踏めるようになった頃、宿舎に帰ったクリスティーナはバートに呼びかけられた。
「入舎試験ですか?」
バートが困ったように頬をかく。
「そうなんだ。新たに近衛騎士になって、この宿舎にはいるにあたっての儀式みたいなものなんだけど」
話を要約すると、新人は必ず通らなければならないらしい。内容は至って単純で、目隠ししたまま、独りで一晩武器庫の中で過ごすものだ。いわゆる先輩騎士たちからの洗礼である。
何故、騎士でもないクリスティーナのもとにこの話が来たかというと、今年の新人がクリスティーナが参加したことがないことを知ると、騎士の宿舎に入ってるのに、おかしいと異論を唱えたからだ。今年の新人は成人を迎えたばかりの若い騎士たちばかりで、要は有力貴族たちの子息たちなのだ。
何も持たないクリスティーナが王太子の近くにいることを許されていることを、一部の騎士から妬まれていることは知っていた。これは年齢を重ねるごとに、歳が近いものが増えるせいか、嫉妬される機会が多くなった。といっても、アレクシスの庇護があるから、公には表に出ることはない。
今回、これを期に正当な理由ができたのだろう。それで彼らの鬱憤が晴らせるなら、軽いものだ。
それに実際、宿舎にはお世話になっている。
クリスティーナは頷いた。
「いいですよ。いつがいいですか」
バートがほっとした顔を向ける。新人をうまく束ねるのも、苦労があるのだろう。
「じゃあ三日後はどうかな」
「わかりました」
「それじゃあ」
バートと別れ、クリスティーナは部屋に戻った。
そして、三日後――。
「それって大丈夫なのか?」
嫉妬されていることは伏せて、明日の朝、遅くなる理由を話せば、アレクシスが眉を寄せた。
「大丈夫だよ。一晩過ごすだけで、何もないよ」
「武器庫だろ。おまけに目隠ししてるんだろ。こけて怪我するなよ」
「うん。気をつけるよ。――それじゃあもう行くね。また明日」
「ああ」
去っていくクリスティーナを見ながら、アレクシスは、まだ思うことがあるように眺めていた。
マルケッタの張りのある声が響く。クリスティーナとアレクシスは、それぞれの練習相手の女性と組み、踊っていた。
「そこ、もっと指を伸ばして。指先まで綺麗に!」
マルケッタの叱責が飛ぶ。クリスティーナは疲れ果てていた。さっきから同じステップの繰り返しで、女性をずっと支えている腕も痛い。
そんなクリスティーナに構わず、マルケッタが声を飛ばす。
「クリスさん、そこはもっとステップを小さく。あなたは内回りなんだから、あなたが大きく動いたら、女性は大変なのよ」
「すみません」
「ほら、最初から。――左、右、左、右、左、右!」
マルケッタの言葉に従い、足の動きを合わせる。
「このステップを無意識に踏めるくらい、体に叩きこんでください!」
マルケッタが三拍子の拍手をしながら、クリスティーナとアレクシスのダンスに目を光らせる。
クリスティーナたちが今いる場所は、王宮の正面に位置する建物内の一室だ。中広間と呼ばれ、普段は王妃のお茶会や小規模の舞踏会が行われる。同じ建物内に大広間があり、そこが半年後、今アレクシス踊っているダンスを披露する舞台となるのである。
クリスティーナは白とグレージュの幾何学模様が美しいタイルを踏んでいく。頭上には綺羅びやかなシャンデリア。今は窓ガラスから降り注ぐ陽光で、光り輝いていないが充分美しい。最初この広間を見た時、心ときめいたが、今は周りに目を向ける余裕はなく、ときめいたことさえ、遠い過去に感じてくる。
踊りながら、クリスティーナはアルバートの懐の深さを思う。ダンスを学ぶのは本来ならお披露目するアレクシスひとりでいいはずだ。それなのに、一流の講師の元、一介の従者にペアの女性をつけ、ダンスを上達する機会を与えてくれた。
アルバートを見ていると、父親とは本来こういうものかしらと感じることがある。落ち着きがあって、どっしりと構えた様は頼りがいがあって、息子へと向ける眼差しは優しい。そんな父親を持つアレクシスを時々ひどく羨ましく思う。同時に眩しく感じるのは、そんな父親の愛情を受けたおかげで、今の明るく闊達なアレクシスがあるからだろう。
クリスティーナはひたすら、体の向きを変えながら、ステップを踏んでいく。目の前の女性にふと視線を移す。
ヘーゼルブラウンの髪色の優しげな瞳をした女性だった。まだ二十代前半と若い。おそらくマルケッタの弟子なのだろう。初めて組むとき、腹から胸のあたりまで密着してきたので、女性であるクリスティーナのほうが逆に照れてしまった。何度か足を踏んでしまったことは申し訳ない。それにしても、剣の稽古の一貫で腕立て伏せを毎日していたのが幸いした。でなければ、今頃女性を支える腕をこれ以上持ち上げられなかったかもしれない。
クリスティーナの視線に気付いたのか、女性がにこりと微笑んだ。クリスティーナは慌てて、踊りに集中した。
ふたりがようやく流れるようにステップを踏めるようになった頃、宿舎に帰ったクリスティーナはバートに呼びかけられた。
「入舎試験ですか?」
バートが困ったように頬をかく。
「そうなんだ。新たに近衛騎士になって、この宿舎にはいるにあたっての儀式みたいなものなんだけど」
話を要約すると、新人は必ず通らなければならないらしい。内容は至って単純で、目隠ししたまま、独りで一晩武器庫の中で過ごすものだ。いわゆる先輩騎士たちからの洗礼である。
何故、騎士でもないクリスティーナのもとにこの話が来たかというと、今年の新人がクリスティーナが参加したことがないことを知ると、騎士の宿舎に入ってるのに、おかしいと異論を唱えたからだ。今年の新人は成人を迎えたばかりの若い騎士たちばかりで、要は有力貴族たちの子息たちなのだ。
何も持たないクリスティーナが王太子の近くにいることを許されていることを、一部の騎士から妬まれていることは知っていた。これは年齢を重ねるごとに、歳が近いものが増えるせいか、嫉妬される機会が多くなった。といっても、アレクシスの庇護があるから、公には表に出ることはない。
今回、これを期に正当な理由ができたのだろう。それで彼らの鬱憤が晴らせるなら、軽いものだ。
それに実際、宿舎にはお世話になっている。
クリスティーナは頷いた。
「いいですよ。いつがいいですか」
バートがほっとした顔を向ける。新人をうまく束ねるのも、苦労があるのだろう。
「じゃあ三日後はどうかな」
「わかりました」
「それじゃあ」
バートと別れ、クリスティーナは部屋に戻った。
そして、三日後――。
「それって大丈夫なのか?」
嫉妬されていることは伏せて、明日の朝、遅くなる理由を話せば、アレクシスが眉を寄せた。
「大丈夫だよ。一晩過ごすだけで、何もないよ」
「武器庫だろ。おまけに目隠ししてるんだろ。こけて怪我するなよ」
「うん。気をつけるよ。――それじゃあもう行くね。また明日」
「ああ」
去っていくクリスティーナを見ながら、アレクシスは、まだ思うことがあるように眺めていた。
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