王太子は幼馴染み従者に恋をする∼薄幸男装少女は一途に溺愛される∼

四つ葉菫

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45、樹の下で

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 クリスティーナの予想した通り、雨がぱらついてきた。

 愛馬のアイナとマルクに、それぞれ乗っていた二人は馬を立ちどまらせた。



「降ってきたね」



「ああ」



 そう言っている間に、雨が本降りになり、またたく間に大粒に変化して、クリスティーナたちに降りかかった。

 アレクシスが前方を仰いだ。

 雨の帳の向こうにある王宮の姿は小さい。馬を一走りさせて、王宮に戻る途中だったが、このまま走らせれば、馬も自分たちもずぶぬれになる。

 アレクシスは右側に顔を向けた。雨粒に打たれる顔をしかめて、目を凝らす。



「あっちの森のほうが近い。あそこで雨宿りしよう」



 クリスティーナも視線をやれば、数百メートル先に、鬱蒼とした森が見えた。



「そうだね」



 クリスティーナとアレクシスは馬の向きを変えると、降りしきる雨の中、森まで馬を走らせた。



「どうどう」



 大きめな木を選んで近くまでくると、馬を止め、地面に降りる。手綱を引いて、二人は木陰に入った。



「やっぱり降られちゃったね、雨止むかな」



 クリスティーナは木陰から顔を出す。隣に並んだアレクシスが首を東の空に巡らせた。



「通り雨だな。あっちの空は明るい。すぐ止むだろ」



「本当だ」



 クリスティーナも同じ方向に顔を巡らせ、ほっと息を吐いた。木陰に戻り、幹に背を預ける。

 雨が止むまではこうして、じっとしているしかない。手持ち無沙汰で空を見上げていると、水滴が頬を打った。

 見上げれば、真上にいるアレクシスの髪が、滴っていた。どうやら、さっきの水滴の正体は髪から落ちてきた雫のようだ。

 クリスティーナはズボンのポケットからハンカチを取り出すと、アレクシスの髪に手を伸ばした。

 アレクシスが意外そうに眉をあげる。



「よく持ってたな」



「普通は持ってるものなの。アレクは持たなすぎだよ」



「そうか」



 呟いて、アレクシスは幹に背を預けたまま、クリスティーナのされるがままになる。



「風邪ひいたら、どうしよう」



 クリスティーナは拭きやすいようにアレクシスの正面に移動した。

 艷やかな赤い髪が水滴を纏い、更に輝きを増していた。ハンカチで拭いていると、秀でた額が顕になった。その男らしさにどきりとする。

 凛々しい眉、高い鼻梁、薄い口元。あの頃とは全てが違っていた。

 いつの間に、こんなに逞しくなったのだろう。

 出会った頃はほぼ同じだった背丈も、今は見上げるほど高い。手を伸ばさなければ、髪にも届かない。あの頃は同じ目線で笑いあったのに。

 ハンカチをもつ右手を動かしながら、流れた時の無情さに、思考が占められていった。

 いくら頑張ったところで、アレクシスに追いつくことはない。肩幅も背の広さも筋力の付き方も、クリスティーナとは明らかに違う、逞しい男性がそこにいた。

 クリスティーナが従者としてしか一緒にいられないなら、せめてその差を埋めたかった。隣に立つなら、少しでも近い存在でいたかった。だが、どんなに努力しても、いつも水の泡になる。女であることを突きつけられた。

 自分自身の手によって、自分で自分を追い詰めていくその行為が愚かだと思うがやめられない。最近では、いつかばれるのではないかと、恐れてもいる。



(もう少ししたら、つけ髭でもつけようかな)



 無駄にあがく自分が滑稽ではあるが、少しでもながく、近く、一緒にいられるなら、それでもかまわない。自分は男だから、こんなにもそば近くいられることを許されているのだから。

 思考に囚われ、無心に手を動かしていると、アレクシスがこちらをじっと見つめていることに気付いた。

 クリスティーナが目の前に立っているのだから、視線は自ずと自分に向けられるのはわかるのだが、何故かその視線に落ち着かない。その目線が一心に自分に向けられていると感じるのは考えすぎだろうか。

 熱を含んだようにも見えるまなざしに手が思うように動かせない。

 クリスティーナははやる鼓動を落ち着かせようと、無心で拭いていると、アレクシスが動いた。

 右腕がすっとあがり、クリスティーナの後頭部に手をかける。束ねていた髪紐を引っ張った。



「あっ」



 クリスティーナは小さな悲鳴をあげた。柔らかな髪が宙を舞った。緩やかな曲線を描いて、絹糸のようなそれが軽やかに落ちる。クリスティーナは背中に広がった髪を抑えた。



「何するの、急に」



「別に――。お前も濡れてるんだから、そのほうが早く乾くだろ」



 アレクシスがじっと視線を注ぐ。その視線が先程よりもさらに熱が帯びたように感じるのは、クリスティーナの気のせいだろう。

 アレクシスの言葉に納得し、クリスティーナはにっこり微笑んだ。



「そうか、そうだよね。ありがとう」



 アレクシスがクリスティーナの髪に手を伸ばした。



「アレク?」



 流れる髪を手にとり、指先に絡め取る。表情は動いていないのに、真剣な光が目に宿っていた。何をそんなに強く思っているのだろう。

 クリスティーナは首を傾げるも、そのままアレクシスを拭こうと、手を伸ばす。

 アレクシスの髪を拭き始めれば、視線が髪からクリスティーナの顔に移る。

 いまさらながら、この近い距離に意識が向く。

 炎を宿した目線があまりに強くて、鼓動が跳ねた。

 その熱い目にクリスティーナはこのまま溶けてしまうのではないかと感じた。

 アレクシスに他意はなくとも、他ならぬクリスティーナはアレクシスに恋をしているのだ。 

 きっとそのせいで、アレクシスの目線をそのように感じるのだろう。

 見上げる自分の顔の美しさも知らず、クリスティーナは思った。 

 自分の自意識過剰に呆れ、もう何も考えまいと、指を動かし続けていると右手を掴まれた。



「アレク?」



 気付けば、アレクシスはクリスティーナの髪から手を離していた。

 クリスティーナの手を握り、まるで自分の頬にあてているようにも映る。反応できずにいると、アレクシスが動いた。

 クリスティーナの背に手をかけ、引き寄せる。



「アレクッ?」



 何が何やらわからず声をあげると、アレクシスが耳元で囁いた。



「こっちに来い。そこは濡れる」



 クリスティーナを抱く腕に力がこもる。

 クリスティーナはしばらく茫然としたものの、アレクシスの言葉に納得した。

 幹の内側にいるアレクシスよりも、外側にいるクリスティーナが濡れるのは当然だ。

 実際風に吹かれて、何粒か首筋に当たるのを感じていた。だから、気をつかってくれたのだろう。

 それでも、この抱きしめられるような状況は落ち着かなかった。心臓がばくばくと跳ね上がる。

 胸が密着し、クリスティーナの視界も、アレクシスによって遮られた。ほぼ五感の全てがアレクシスに奪われ、クリスティーナは酔いそうになった。しかしそれは幸せによる酔いだった。

 ずっとこうしていたい。クリスティーナは瞼を閉じた。

 この小さな世界に閉じ込められたかった。

 クリスティーナは雨が過ぎ去るまで、このままでいることを自分に許した。

 なぜなら、これは束の間の、今だけ許された幸せに違いないと思ったから。

 アレクシスが腕の力を緩めることはなかった。

 二人のまわりが雨音に包まれる。それ以外の一切の音が消え、二人はこの静かな世界の住人となった。

 けぶる雨の中、一本の木の下のもと、抱き合う人影がまるで、恋人のように見えるのは、決して雨だけのせいではないだろう。

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