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47、公爵令嬢(2)
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「ねえ、聞きました? フリダ様が王妃の侍女になったそうよ」
「まあ、ではいよいよ、王太子妃が決まるのかしら」
最近、そこここで口の端に上る噂だった。
王妃がフリダを侍女に召し上げたことで、王妃のお気に入り、つまりはアレクシスの婚約者に望んでいるのではないかと、人々は噂し合った。それから王太子妃の教育を王妃直々に教えているのではないかとも。
クリスティーナはそんな噂をなるべく、耳に入れないようにしている。聞けば、鬱々とした気分になるからだ。
しかし、その噂の当の本人が、向こうからやってきた。
「まあ、こちらが殿下の執務室ね、とっても素敵ですわ」
フリダが目を輝かせ、首を巡らす。
アレクシスが苦笑する。
「気に入っていただけて、何よりですね。しかし、母上のもとに戻らなくて良いのですか」
今日、フリダはヘロイーズの遣いで、執務室がある建物にやってきたのだ。今後もしかしたら、アレクシスの執務室にも用ができるかもしれない、場所を覚えておきたいと言って、訪れたのだ。
しかし、クリスティーナはお茶を出しながら――客人にお茶を出すのはクリスティーナの役目だった――首を捻る。
ヘロイーズは普段、この建物に用があることは滅多にない。数階上にアルバートの執務室があるが、基本廷臣たちの仕事場であり、男たちの縄張りと言っていい。王妃ヘロイーズの役割はまた別にあるのだ。
そんなクリスティーナの内心の疑問にもかまわず、フリダがにこやかに笑う。
「少し遅くなっても、ヘロイーズ様は何もおっしゃらないわ。お優しい方ですもの。ご心配してくださり、ありがとうございます」
さも気心がしれているとばかり、にっこり微笑む。やはりあの噂は本当なのか、とクリスティーナの心は自然重くなった。
「ところで殿下は、最近の貴族の若者たちの悩みをご存知かしら?」
「さあ、なんでしょう」
フリダが扇子の内側でふふと笑う。
その扇子はいつもフリダが持ち歩いているもので、以前お気に入りだと言っていた。何でも海洋貿易をするミアスから取り寄せたもので、南国にしか住まない珍しい鳥の羽を使っているらしい。青から紫に変化する羽毛がとても綺麗だ。金箔を貼った透かし彫りの骨にも、模様がされていて、ひと目をひく。
「年頃の令嬢や、その令嬢を持つ親たちに婚約を申し込んでも、首を縦に振らない者が多いのですって。何故かおわかりかしら」
「さあ、何故でしょうか」
「皆様、殿下の婚約者になりたがっているからですわ。その可能性が少しでもあるうちは、期待せずにいられないのでしょうね」
「それは何と言って良いか――」
アレクシスが困惑の声をあげる。
フリダが扇子の下で悲しげに目を伏せた。
「わたくし、それを聞いてから、いつか殿下が貴族の子息から恨みを買ったらと思うと、恐ろしくてたまりませんの」
「――あなたの心を煩わせてすみません」
「まさか、そんなことありませんわ。殿下に関することでしたらわたくし、喜んで耐えるつもりでいますもの。ですからどうぞ、わたくしにできることなら、なんでも、おっしゃってくださいませ」
先程の態度とは打って変わって、にっこり笑う。その微笑みは、初心な男性であったらたちどころに虜にしてしまいそうな微笑みだった。
その言葉は、暗に、喜んで王太子妃になりますと告げているようにも聞こえた。
その後もにこやかに会話を楽しんだあと、フリダは部屋を去っていった。
クリスティーナはもやもやした気分のまま、茶器を片付けていると、ソファの上にあの扇子が置かれていることに気付いた。
クリスティーナは扇子を手にとった。
「フリダ様が扇子を忘れていったから届けてくるよ」
執務机に戻ったアレクシスが顔をあげる。
「そうか。出てからそれほど時間がたっていないから、まだ近くにいるだろう」
クリスティーナは頷くと、フリダのあとを追うべく部屋を出た。建物を出たところで、フリダの姿が目に入った。後ろには侍女の姿がある。
訪れたときはひとりだったが、どこかで待っていたのかもしれない。
「フリダ様!」
フリダの背に呼びかけると、その足が止まった。クリスティーナはほっとして、その前に回ると、扇子を差し出す。
「お忘れ物です」
しかし、フリダは扇子をじっと見るだけで、受け取らない。
「フリダ様?」
「わたくし、あなたに扇子を届けてほしいなんてお願いしたかしら? わたくしがあそこに置き忘れたのは、殿下に届けてもらうためで、あなたじゃないわ」
「え?」
意味がわからず、クリスティーナは口を開けた。
「まあ、届けてくださらなくても、忘れ物を口実にまた会うことができたのに。あなたときたら――」
苛立たしげに溜め息をはき、睨めつける。
「――あなた、目障りなのよ。殿下の幼馴染みだか知らないけど、始終べったりとくっついて、殿下とふたりきりになれもしない。この前だってそうよ。少しは気をきかせて離れるものよ。従者として、立場をわきまえなさい」
フリダが急に態度を変えたことに戸惑う。それからフリダの主張もわけがわからなかった。
アレクシスの指示があれば、クリスティーナだって勿論下がる。しかし、そのような指示は与えられなかった。
だが、ふたりの仲を思ってそこは下がったほうが良かったのだろうか。
返事ができずにいると、フリダが眉を吊り上げる。
「返事をしなさいよ。まったく――。公爵家の人間が、子爵のそれも爵位も継げない相手に、普段わたくしが話しかけると思って? わざわざわたくしが話してるんだから、そこは有り難く頭を下げて聞くのが当然でしょう?」
「――申し訳ありません」
啞然とするものの、慌てて頭を下げた。
公爵家と子爵家、そこには歴然とした身分の差があるのは事実だったから。
フリダが溜め息を吐く。
「殿下もなぜあなたみたいな人を従者に雇ったのかしら。気がきかないんだから」
先程までにこやかだった人物は一体どこに行ってしまったのだろう。目の前の出来事がまだ信じられなかったが、手の中の扇子に目が行く。
「――あの扇子をお返ししたくて……」
おずおずと手を差し出す。
それをフリダは冷たく見据え、隣の侍女に向かって、手のひらを広げる。フリダの意向を受けた侍女がクリスティーナの手のひらから扇子を取り上げると、フリダに手渡した。
ほっとしたのも束の間、フリダが腕を振り上げた。
高い音が耳元で響いた。同時に頬に鋭い痛みが走る。
フリダが扇子を振り下ろしたのだ。
「あなた、生意気ね。良いこと? いくら殿下と仲が良いからといって、図にのらないことね。従者は従者らしく、脇に控えていなさい」
クリスティーナを叩いた扇子を、ぱしりともう片方の手で閉じ、フリダは睥睨して去っていった。
ひとり佇んだクリスティーナは頬を押さえた。
ぴりっとした痛みが走る。皮膚が切れて、血が出ているかもしれない。
悲しみがじんわりと胸に広がった。
ただの一従者でしかないクリスティーナは、あの時、下がれば良かったのだろうか。
その判断ができなかったのは、この身のうちにある想いのせいなのだろうか。
クリスティーナにはわからない。
胸の前で、ぎゅっと手のひらを握る。
従者としてしかアレクシスのそばにいられないのに、従者としても一人前ではない。
頬の痛み以上にそのことが悲しく、胸に突き刺さった。
「まあ、ではいよいよ、王太子妃が決まるのかしら」
最近、そこここで口の端に上る噂だった。
王妃がフリダを侍女に召し上げたことで、王妃のお気に入り、つまりはアレクシスの婚約者に望んでいるのではないかと、人々は噂し合った。それから王太子妃の教育を王妃直々に教えているのではないかとも。
クリスティーナはそんな噂をなるべく、耳に入れないようにしている。聞けば、鬱々とした気分になるからだ。
しかし、その噂の当の本人が、向こうからやってきた。
「まあ、こちらが殿下の執務室ね、とっても素敵ですわ」
フリダが目を輝かせ、首を巡らす。
アレクシスが苦笑する。
「気に入っていただけて、何よりですね。しかし、母上のもとに戻らなくて良いのですか」
今日、フリダはヘロイーズの遣いで、執務室がある建物にやってきたのだ。今後もしかしたら、アレクシスの執務室にも用ができるかもしれない、場所を覚えておきたいと言って、訪れたのだ。
しかし、クリスティーナはお茶を出しながら――客人にお茶を出すのはクリスティーナの役目だった――首を捻る。
ヘロイーズは普段、この建物に用があることは滅多にない。数階上にアルバートの執務室があるが、基本廷臣たちの仕事場であり、男たちの縄張りと言っていい。王妃ヘロイーズの役割はまた別にあるのだ。
そんなクリスティーナの内心の疑問にもかまわず、フリダがにこやかに笑う。
「少し遅くなっても、ヘロイーズ様は何もおっしゃらないわ。お優しい方ですもの。ご心配してくださり、ありがとうございます」
さも気心がしれているとばかり、にっこり微笑む。やはりあの噂は本当なのか、とクリスティーナの心は自然重くなった。
「ところで殿下は、最近の貴族の若者たちの悩みをご存知かしら?」
「さあ、なんでしょう」
フリダが扇子の内側でふふと笑う。
その扇子はいつもフリダが持ち歩いているもので、以前お気に入りだと言っていた。何でも海洋貿易をするミアスから取り寄せたもので、南国にしか住まない珍しい鳥の羽を使っているらしい。青から紫に変化する羽毛がとても綺麗だ。金箔を貼った透かし彫りの骨にも、模様がされていて、ひと目をひく。
「年頃の令嬢や、その令嬢を持つ親たちに婚約を申し込んでも、首を縦に振らない者が多いのですって。何故かおわかりかしら」
「さあ、何故でしょうか」
「皆様、殿下の婚約者になりたがっているからですわ。その可能性が少しでもあるうちは、期待せずにいられないのでしょうね」
「それは何と言って良いか――」
アレクシスが困惑の声をあげる。
フリダが扇子の下で悲しげに目を伏せた。
「わたくし、それを聞いてから、いつか殿下が貴族の子息から恨みを買ったらと思うと、恐ろしくてたまりませんの」
「――あなたの心を煩わせてすみません」
「まさか、そんなことありませんわ。殿下に関することでしたらわたくし、喜んで耐えるつもりでいますもの。ですからどうぞ、わたくしにできることなら、なんでも、おっしゃってくださいませ」
先程の態度とは打って変わって、にっこり笑う。その微笑みは、初心な男性であったらたちどころに虜にしてしまいそうな微笑みだった。
その言葉は、暗に、喜んで王太子妃になりますと告げているようにも聞こえた。
その後もにこやかに会話を楽しんだあと、フリダは部屋を去っていった。
クリスティーナはもやもやした気分のまま、茶器を片付けていると、ソファの上にあの扇子が置かれていることに気付いた。
クリスティーナは扇子を手にとった。
「フリダ様が扇子を忘れていったから届けてくるよ」
執務机に戻ったアレクシスが顔をあげる。
「そうか。出てからそれほど時間がたっていないから、まだ近くにいるだろう」
クリスティーナは頷くと、フリダのあとを追うべく部屋を出た。建物を出たところで、フリダの姿が目に入った。後ろには侍女の姿がある。
訪れたときはひとりだったが、どこかで待っていたのかもしれない。
「フリダ様!」
フリダの背に呼びかけると、その足が止まった。クリスティーナはほっとして、その前に回ると、扇子を差し出す。
「お忘れ物です」
しかし、フリダは扇子をじっと見るだけで、受け取らない。
「フリダ様?」
「わたくし、あなたに扇子を届けてほしいなんてお願いしたかしら? わたくしがあそこに置き忘れたのは、殿下に届けてもらうためで、あなたじゃないわ」
「え?」
意味がわからず、クリスティーナは口を開けた。
「まあ、届けてくださらなくても、忘れ物を口実にまた会うことができたのに。あなたときたら――」
苛立たしげに溜め息をはき、睨めつける。
「――あなた、目障りなのよ。殿下の幼馴染みだか知らないけど、始終べったりとくっついて、殿下とふたりきりになれもしない。この前だってそうよ。少しは気をきかせて離れるものよ。従者として、立場をわきまえなさい」
フリダが急に態度を変えたことに戸惑う。それからフリダの主張もわけがわからなかった。
アレクシスの指示があれば、クリスティーナだって勿論下がる。しかし、そのような指示は与えられなかった。
だが、ふたりの仲を思ってそこは下がったほうが良かったのだろうか。
返事ができずにいると、フリダが眉を吊り上げる。
「返事をしなさいよ。まったく――。公爵家の人間が、子爵のそれも爵位も継げない相手に、普段わたくしが話しかけると思って? わざわざわたくしが話してるんだから、そこは有り難く頭を下げて聞くのが当然でしょう?」
「――申し訳ありません」
啞然とするものの、慌てて頭を下げた。
公爵家と子爵家、そこには歴然とした身分の差があるのは事実だったから。
フリダが溜め息を吐く。
「殿下もなぜあなたみたいな人を従者に雇ったのかしら。気がきかないんだから」
先程までにこやかだった人物は一体どこに行ってしまったのだろう。目の前の出来事がまだ信じられなかったが、手の中の扇子に目が行く。
「――あの扇子をお返ししたくて……」
おずおずと手を差し出す。
それをフリダは冷たく見据え、隣の侍女に向かって、手のひらを広げる。フリダの意向を受けた侍女がクリスティーナの手のひらから扇子を取り上げると、フリダに手渡した。
ほっとしたのも束の間、フリダが腕を振り上げた。
高い音が耳元で響いた。同時に頬に鋭い痛みが走る。
フリダが扇子を振り下ろしたのだ。
「あなた、生意気ね。良いこと? いくら殿下と仲が良いからといって、図にのらないことね。従者は従者らしく、脇に控えていなさい」
クリスティーナを叩いた扇子を、ぱしりともう片方の手で閉じ、フリダは睥睨して去っていった。
ひとり佇んだクリスティーナは頬を押さえた。
ぴりっとした痛みが走る。皮膚が切れて、血が出ているかもしれない。
悲しみがじんわりと胸に広がった。
ただの一従者でしかないクリスティーナは、あの時、下がれば良かったのだろうか。
その判断ができなかったのは、この身のうちにある想いのせいなのだろうか。
クリスティーナにはわからない。
胸の前で、ぎゅっと手のひらを握る。
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