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77、初白星

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 アレクシスは今、人生最大の後悔に陥っていた。かつてこれほど、己の選択を悔いることがあっただろうか。



(なぜ、俺はここに来てしまったんだ?)



 椅子に座って、頭を抱えたい。いや、実際今そうしている。

 眼の前には騎士の演習場。いつもの気分転換をしに来たのだが、来てからはたと気付く。



(クリスも一緒じゃないか!?)



 無意識に足が選んでいたようだ。習慣とは恐ろしいものである。

 改めてクリスティーナの背を見つめる。囲まれた騎士の中では、その姿は一際小さい。本当の体格を知っている今となってはなおさらである。

 小屋の中で見た、あの細くて華奢な肢体。じっと見つめていれば、あの日の光景が蘇ってくるようである。

 そんなか弱い存在に剣を握らせるなどとんでもない。守ってやらねばならない存在である。

 アレクシスは立ち上がって、咳払いをしながら、クリスティーナに近づく。



「クリス、今日は見学したらどうだ」



 クリスティーナが首を傾げる。



「どうして?」



「どうしてって、ほら、その危ないだろう? 怪我するかもしれないし」



「そんなの今更じゃない。平気だよ」 



「しかし――」



 不安そうなアレクシスを誤解したのか、クリスティーナが言葉を続ける。



「わたし、今よりもっと強くなってみせるから」



 見上げた顔は決意の色に染まっている。



「この前、賊に襲われたでしょう? その時、何も出来なくて悔しい思いをしたから。だから、ああいう思いをもう繰り返したくない。――もっと剣の稽古を重ねて強くなってみせるよ。そしたら、次、同じ目にあっても、今度こそアレクを守れるよね」



 満面の笑みを向けられ、アレクシスは後ずさった。



「――あ、ああ」



(俺にはもうこれ以上何も言えない!!)



 自分のためになりたいと言われ、どうして駄目などと言えよう。 

 反対すればクリスティーナが傷つき、逆に受け入れれば怪我するかもしれない。

 どちらを選んでも痛い思いをしなければならない。

 頭の中に人生最大の葛藤を迎え、悩んでいると、クリスティーナが騎士のひとりと一緒に演習場へ出て行こうとする。

 その騎士を見て、アレクシスは目玉が転げ落ちそうなほど仰天した。



(な、なんで、よりによってあいつなんだ。他の騎士よりでかいじゃないか)



 クリスティーナが対戦相手に選んだ人物はほかの騎士よりもゆうに頭ひとつ分飛び抜けて高く、体格もこの上なくがっしりしている。



(あんなの相手じゃ、クリスが吹き飛ばされる!)



「クリス、ちょっと待て!」



 クリスティーナが振り返った。



「なに?」



「そいつの相手は俺がする」



「アレクが?」



「そう、ちょうどそいつと戦ってみたいと思ってたんだ。クリスの相手はそうだな――」



 必死にきょろきょろと辺りを見渡す。



「マティアス。あいつがいいだろう」



 青味ががった黒髪の青年を呼ぶ。



「マティアス! 今日はクリスの稽古をしてくれ」



 以前、剣の指南役だった騎士が近づいてくる。剣の実力も充分で、力の抜き加減も上手く心得ている。これなら、クリスを安心して任せられるだろう。



「かまいません」



「そうか、よろしく頼む。クリスもマティアスがいいだろう?」



 自分の頭上の上で進められる会話にクリスティーナはきょとんとしながらも頷いた。



「うん、別にかまわないけど」



「では、マティアス、クリスを頼む。それから――」



 アレクシスがマティアスの耳に顔を近づけた。何か話したようだが、クリスティーナには聞きとれなかった。

 耳打ちされたマティアスは目を見開いたものの、すぐに表情をもとに戻した。



「かしこまりました。――クリス、では行きましょうか」



「はい! よろしくお願いします!」



 クリスティーナはマティアスとともに、喜んで演習場へと足を向けた。







 クリスティーナとアレクシスが去った演習場では、稽古を終えた騎士たちがお喋りに興じていた。



「マティアス隊長が負けるなんて、珍しいっすね」



 部下に話しかけられ、マティアスは顔をあげた。



「いや、あれは手加減したんだ」



 周りの騎士たちが目を見開く。



「手加減!? マティアス隊長が!?」



「真面目な隊長がそんなことするなんて――」



 啞然とする騎士たちに、マティアスが嘆息する。



「仕方ないだろう。殿下の頼みなんだから」



「殿下が頼んできたんですか? なんでまた?」



「なんて言ってきたんですか?」



 好奇心丸出しで訊けば、マティアスが答える。



「『手加減しろ、クリスにかすり傷ひとつでもつけたら、殺す』と言われた」



 その場にいた騎士たち全員が引きつった顔を浮かべる。



「嘘だろ――」



「それって、お願いじゃなくて、脅しなんじゃ……」



 さっきまで和やかだった空気が一気に冷える中、言われた当のマティアスだけは涼しい顔である。騎士の中でも随一の真面目さを誇るマティアスは、固まった部下たちを残し、悠然と演習場をあとにしたのだった。





 一方、会話にのぼったふたりはというと、執務室に帰る途中である。

 クリスティーナの足取りは弾むように軽かった。



「まさか、勝てるなんて思わなかったな。誰かに勝てたなんて初めてだよ。それもマティアスさんに」



 アレクシスがにこやかに笑う。



「良かったな。これも日々、クリスが頑張っていた成果だな」



 うんうんと頷く。



「うん! 今まで頑張ってきて良かったな」



 クリスティーナも晴れやかな笑みを浮かべる。



「今日、マティアスさんに勝てたんだから、ほかの騎士にもきっと勝てるよね。次も楽しみだな!」



 クリスティーナが次の稽古に思いを馳せながら上機嫌で言えば、アレクシスの歩みが一瞬乱れたが、笑みは崩さない。



「そうだな。クリスならきっと、次も勝てるだろうな」



「うん!」



 クリスティーナが満面の笑みで頷く。

 その半刻も経たぬうちに、アレクシス直筆の極秘事項が、騎士全員に通告されたのは言うまでない。
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