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第三話

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 母とわたしは、アスカ氏の屋敷から町へと続く一本道を歩く。
 道の両脇には等間隔に灯籠が並び、中に水晶玉のような球体が納まっている。母曰く、街灯なのだとか。路面は石畳のような舗装が施してあったが、朝の雨をすっかり吸収していて、あまり濡れていない。二十二番目の世界でいうところの、珪藻土バスマットに似た素材なのだろう。お蔭で下り坂でも滑りそうな気配が無い。どこかから小鳥のさえずりが聞こえてきて、母の足取りも軽やかだ。

「ふふん、どうよこのステップ」母が言った。「やっぱり若いっていいよね~」
「昔は……よく足が痛いって言ってたよね」
「あれを経験してるとなおさらねえ」

 母は笑って、腕を伸ばす。しなやかな指に目が向いた。

「自分で言うのもなんだけど、見た目もカワイイし、大切にしなきゃネ」
「母さんのその姿も、わたしと同じように?」
「うん。異世界から転生する人って、だいたいそうらしいよ」
「へえ、でもどうして――」

 その時だった。何か妙な気配を感じた。
 眉をひそめる。
 足を止め、向こう側の岩陰に目をやった。

「どうしたの?」
「……よからぬ気配が」

 母も眉間にしわを寄せ、短刀を握る。

「……ひょっとして妖怪かも。気をつけて」
「妖怪だって?」

 首を傾げていると、暗がりから風を切る音がした。
 同時に、未知の怪生物が飛びかかってくる。

「さがって!」

 わたしは母の前に出て、怪物を払いのけた。
 怪物は喉の潰れたような声を出して着地する。

「こいつは……!?」
「やっぱり妖怪だ」

 妖怪と呼ばれたそいつは、灰褐色の小鬼ともいうべき風体だった。角こそ無いが頭頂がドングリのように尖っている。
 白濁した目からはこちらを睨む視線が感じ取れて、鼻は無い。裂けたような大口から鋭い牙が飛び出していた。
 わたしはトランクを置き、魔滅刃を手に持つ。
 小鬼がまた飛びかかってきた。
 納刀したままの魔滅刃を振り、鞘で打った。
 手応えと共に小鬼が地面に伏せる。
 だがすぐ起き上がり、突進してきた。
 それを鐺で突き飛ばす。
 小鬼は背を打って転がったが、また起き上がって一直線に迫ってきた。

 しつこいヤツめ!

 わたしは魔滅刃を大きく振りかぶり、小鬼の脳天をブッ叩いた。
 ようやく小鬼は沈んで動かなくなった。
 よからぬ気配も消えている。
 わたしと母は揃って息を吐いた。

「妖怪なんているのか……」
「そう。野生の動物よりも獰猛で厄介なんよ……。銃も効かないし」
「えっ」
「アスカさんに報告しとかなきゃ」

 母は背嚢から和装の手帳を取り出し、筆を走らせる。
「それでアスカさんに伝わると……?」
「うん。<賢帖けんちょう>って言って、スマホみたいなものなのよ。これ」

 言いながら、母は紙面を見せる。
 すると、白紙部分からひとりでに文章が浮かんできた。母の筆跡とは異なる字だ。
 アスカ氏からだった。後始末をしておくのでそのまま町へ向かってくれという旨の文が綴られている。
 わたしは気絶した小鬼を灯籠の脇へ転がし、再び母と共に歩き出した。

「にしても、刀を抜かずにやっつけるなんて、すごいね」

 母が言った。

「わたしも、自分があんな簡単にあしらえるとは思わなかった」

 魔滅刃のことで、薄々察してはいたが、どうやら外見だけでなく設定も反映されているようだ。
 ありがたいことだが、なぜなのだろう。
 わたしは訊ねる。

「ところで、わたしはどうしてこの姿に?」
「うーん……詳しいことはわからないけど、私が先にこの世界へ来たのが関係してるみたいよ。<補正>とかなんとか……」

 母は続ける。

「なんでも、転生先の世界の人から、愛や情みたいな強い気持ちを受けたら、補正が働いて、特別な力を持って来られるとかなんとか……」
「じゃあ、母さんのその姿は?」
「私のは……その……」

 すこし口ごもってから、母は答えた。

「手違いで死なせちゃったお詫びだってさ……」
「……なんだそれ」

 苦笑いするしかなかった。
 母の死も、わたしの生き地獄も、ただの手違いだったというのか。
 理不尽な運命に、もはや怒りさえ湧いてこなくなった。恨みもきれいさっぱり消えてしまった。


 町の出入り口が近づいてくる。
 距離のある現在地からでも、わたしはその洋々とした活気を感じた。
 外周には幅広の火の見櫓がいくつも並び建ち、見張りであろう人影が散見される。
 町並みを構成しているのは木造、あるいは赤煉瓦の壁の建物。それに交じって、細長い煙突がいくつか伸びていた。煙突の先からは白い水蒸気が出ていた。が、そのうちの一本が吐き出す水蒸気は、時々青竹色の光がきらめいている。

「あの煙突……」

 わたしは件の煙突を指差す。

「ん? <力場>のこと?」
「力場……発電所みたいな?」
「そうそう。大きな仙碑炉がたくさんあって、そこで精製した<缶>を各家庭に配ってるんだって」

 母は言いながら、何か大きなものを抱えるような仕草をしてみせた。
 おそらく精製された缶とやらはそのくらいのサイズなのだろう。
 ひとくちに仙碑炉といっても、さまざまな形式があるようだ。
 町の正門に至り、母とわたしは守衛の人に軽く挨拶をして、町に入る。
 遠景を見て感じた通り、町の活気はとても心地よいものだった。
 広い石畳の道に往来する人々は誰もが輝く目をしていて、友達や家族と並んで歩いていたり、軒を連ねる店や屋台で買い物をしたりしていた。灯籠に寄りかかって賢帖を開いている者も見受けられる。
 皆、和服あるいは漢服に似た衣類を身にまとっていた。洋装の要素といえば、革靴を履いた人が多いことと、書生めいた少年少女たちが上衣の中に着るワイシャツくらいだ。
 一方でわたしは上から下までバッチリ洋装、むしろSFスタイルともいえる。浮遊感がすごかった。
 が、誰もわたしに対して奇異の視線を向ける者はいなかった。珍しそうな目で見られることはあっても、軽く受け流してくれているようだ。
 歩いていると、向こうから一台の自転車が走ってきた。大振りな前照灯の自転車で、むしろ旧称である銀輪と呼びたくなる。
 銀輪を駆る人物は洋装で、おそらく警官に相当する職業だろう。紺色の詰襟に制帽を被り、帯革にはいくつかのポーチと、ホルスター。納まっているのはたぶん六連発のリボルバーだ。背には長脇差サイズの刀剣を負っている。スラックスには側章があしらわれていて、膝下くらいまである乗馬ブーツが光った。

「よかった」わたしは言った。「わたし以外にも洋装の人いたんだ。警察官かな?」
「そうそう。こっちでは<邏査らさ>って言うんよ」
「へえ」


 大通りから脇道に入ってすぐのところに、件の道具屋はあった。全面ガラス戸で、どんな商品を取り扱っているのか一目でわかる。食糧、着物、日用雑貨に煙草……生活に必要な品はだいたいここで買えそうだ。
 母は戸を開け、奥に向かって言う。

「おはよーございます」
「あっ、ケィナさん! おはようです」

 現れたのは、ターバンに似た藍色の頭巾を被る人物だった。おそらくこの人が店主だろう。

「紹介しますね。こちらミラー・ヴォルフ」

 母が言って、

「はじめまして。ミラー・ヴォルフです」

 わたしは店主にお辞儀する。
 店主も頭を下げ、名乗った。

「どうもどうも、わたくしマルヤって言います」

 それからわたしはトランクを開け、マルヤ氏に護符を渡す。母は金銭を受け取り、帳簿をつけていた。
 マルヤ氏への納品を終えたら、今度は別の道具屋へと向かう。そこが済んだら、次の店へ。
 そんな具合に、わたしは母といくつかの道具屋を巡って護符を届けた。
 客商売だということもあるのだろうが、皆、柔和で人当たりの良い方々だった。
 しかし、海際にある最後の一軒は、一味違った。

 アマノリ異郷店。

 看板にはそう書いてあった。派手な色彩の文字が黒地に輝いている。ネオンサインだ。
 店舗も海外の看板やナンバープレートで飾り付けられていて、とにかく異彩を放っている。

「……わたしたち、二十二番目の世界に逆戻りしたとかじゃないよね」
「まさか~!」母は笑った。「でも店主さんは元老院とも取引があって、表向きは外国の品物を輸入して売ってるんだってさ」
「表向きは、ねえ……」

 裏では時空を超えた物品を売買しているというのは簡単に想像できた。
 母が入り口のドアを開ける。
 店内に入ってすぐ、紅茶の香りと、看板に違わぬ異郷の品々がわたしたちを迎えた。スチールラックにはステンレス製の食器、ホーロー鍋、羽飾りに革の服、リベットをあしらったブーツ……さまざまな雑貨が並んでいた。
 圧倒されていると、店主と思しき人物がティーカップを持って現れる。

「おやケィナさん、ごきげんよう。今日は珍しく表からなのですね」
「ええ。紹介したい人がいて」

 母が言って、わたしは店主に挨拶した。

「ミラー・ヴォルフです」
「はじめましてミラーさん。私はこの店の主をやっておりますアマノリです」

 アマノリ氏はにこやかな笑顔を見せた。彼は痩せた若い男性で、撫でつけたヘアスタイルに、細身のスーツでキメていた。
 彼は眉を動かし、わたしを見つめる。

「おお、美しい方ですね……。ご出身を伺っても?」
「あー……それは……」

 言いあぐねると、母が言った。

「私の息子」
「おや! ということはミラーさんも二十二番目の世界からいらっしゃったのですね!」
「はい。今朝来たばっかりで……」
「なるほど、歓迎しますよ」

 にこりと笑って、それからアマノリ氏は護符の受け取りに入る。カウンターに回り込み、帳簿に筆を走らせた。
 カウンターには手回しハンドル付きレジスターの他に、トラックボール搭載型の古いノートPCと、色とりどりの飴玉が入ったキャンディポットが置いてある。

「元老院のみなさまがたには良くしてもらっておりましてネ」アマノリ氏が言った。「異世界の品物も取り扱っておりますよ」

 彼の指が窓際を指す。軽トラックの荷台に備え付けるようなアルミボックスがあった。蓋は開けっ放しで、種類分けのされていない商品が無造作に入っている。

「出処不明品という名目で販売しているんです」
「まあ……別世界の物とは言えないでしょうね……」

 わたしは苦笑しつつも箱に近づいた。
 その時、横にある小さな棚……そこに並んだ本に目が行った。
 うち一冊を手に取り、表紙を見る。
 本のタイトルは『トルヴェロス~苛烈なる英雄』だった。

 この世界に来ていたのか。

 わたしはこの本をしばし見つめていた。が、声をかけられる前に棚へ戻す。自分の金で買うことにしよう。
 カウンターに戻ると、ちょうど納品が終わったところだった。

「今後ともごひいきに」

 アマノリ氏はティーカップを空に掲げながら微笑んだ。
 お辞儀をして店を出る。
 太陽が真上に来ているのに気づいた。ちょうど昼食時である。
 母は言った。

「せっかくだから<空流苑くうりゅうえん>行こっか」


 空流苑。
 そこは七階建ての大きな料理店で、入り口の前からすでに空腹を誘うにおいが漂っていた。
 壁や柱は朱色に塗られていて、わずかに反った瓦葺きの屋根は、黒々としている。
 扉をくぐると、二胡が奏でる温かな音色が聞こえ、朝焼けの空を一面に描いた内壁が見えた。数多の客が席を埋めていて、この店で働く人々が往来している。
 わたしたちは四階の、<昼の間>へと案内された。
 四階まではエレベーターを使う。マンダリンガウン風の制服を着た店員が、引き戸と蛇腹の二重扉を開けてくれた。
 扉が閉じて、カゴが上昇する。フロアインジケーターは時計針式で、なめらかな動きで針が四階を示す点へ近づいてゆき、間もなく四階――昼の間へ至る。
 昼の間は名前が表す通り、正午の空を描いた階だった。天井には日輪の絵。その真下に、提灯の一種にも見える大玉の照明が吊られていた。
 わたしと母は窓際の席に、向かい合って座る。
 母は聞き慣れない名の料理を注文し、わたしも同じものを頼んで窓の外に顔を向けた。
 四階だけあって、眺めはとても良い。あまりにも良すぎて、わたしは山の中腹に、妙なものを見つけた。

「あれは……?」

 灰色の、コンクリート塀に守られた素っ気ない建物だった。この三五七番目の世界よりは、二十二番目の世界にありそうな建造物である。
 母は答える。

「イワミさんの邸宅だね」
「どんな人?」
「会ったことはないけど、アスカさんと同じで元老院の人なんだってさ」
「へえ……」

 つまり時空の守護者ということか。
 程なくして注文の料理が運ばれてくる。
 米料理だった。おそらく炒飯と似た系統の料理だろう。丸い深皿に、円錐台の形に盛られた褐色の米は、華やかさを覚えるほどの量の具が散っている。

 これはおいしくないわけがない。

 わたしの本能が言った。

「では、いただきます」

 匙でしゃくって、口に運ぶ。
 ――予想通り、いやそれ以上だ。
 魚の風味があること以外は、二十二番目の世界でよく食べた炒飯そのもの。もしこれをあちらの世界で再現できれば、三ッ星はたやすいだろう。
 あっという間に半分食べた。
 わたしは水を一口飲んで、すこし手を休める。

「ほんとうにおいしいよ。この……名前なんだっけ……」
「おいしいでしょう~この炒飯」
「あ、炒飯て言っちゃうんだ……」
「そのほうがわかりやすいかなーって」
「まあ、それはそうだけど……」

 わたしは母と共に笑った。
 食事はやがて終わり、わたしたちは店を出る。
 また来たいものだ、空流苑。
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