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第六話
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討伐手となってからの仕事は、休耕地の見張りと、力場で作った缶を満載した荷車の護衛だった。いずれもメーイェンと二人一組で動き、すこしずつだが着実に仕事の流れを覚えていく。
メーイェン以外の同僚や先輩方とは、寄合所以外ではめったに会わないが、上手く交流できている。三五七番目の世界の武林は、引き締まった空気ではあるが殺伐としておらず、面倒なほど上下関係に厳しいわけでもなかった。皆、心に余裕があり、言動には想像力に富んだ配慮を感じ取れた。
二十二番目の世界で最後に就いていた仕事とは大違いだった。
あの頃はやりがいを感じることを強いられていた。上司は基本的に善人であったが、それを思い出せるのは休憩中や終業時くらい。彼は自分の機嫌を自分で取れないタイプで、多忙やミスで仕事の段取りが狂った時なんかは露骨にイライラしていた。そんな性情なのに「わからないことがあったら訊いてくれ」と言われても、素直に従えやしない。
最低の職場だったが、単身赴任中の父がスケジュールの合間を縫って紹介してくれた仕事で、おいそれと辞められるはずもなかった。今となっては良い教訓だが。
……殺しへの覚悟も、思いのほか短期間で決まった。
出てくるのは小鬼が大半で、そこに毒トカゲや人面コウモリといった獣もどきと、超大型の虫なんかがたまに交じる。妖怪たちは致命傷を与えれば数分で乾いた泥のように崩れ去り、土に還ってゆく。そのことが尚更、慣れを加速させたのだろう。
慣れてきたと言える頃には、見張りの仕事に退屈さを覚えてしまう時間が増えた。が、荷車の護衛は移りゆく風景の中を往来するのが楽しかった。
荷車は仙碑炉で動くトラックで、二十二番目の世界の基準では二トントラックに相当する大きさだ。前方に突き出た長い円筒のボンネットと、その両脇に備わる丸目の前照灯が親しみと機能美を感じさせてくれる。荷台を覆う分厚い生成り色の幌も、年季が入っていて、缶と一緒に中に入っていると、どこか香ばしいにおいがした。幌は一部が網目になっていて、そこから外の風景が見える。
町から集落への道は、渓谷の川沿いに延びていた。途中に民家や茶店がいくつか建っていて、川に面する岩壁には、等間隔で治水の言葉が彫られている。磨崖碑の一種で、碑文からは秘めたる強力な氣を感じる。おそらく洪水や氾濫時には、その氣を放出して被害を軽減する仕組みなのだろう。
何もかもが調和している光景だった。
文明が自然を汚し、踏みにじることも、大自然が人間を削り、潰すこともない、完璧な共存の有様である。すくなくともわたしの目にはそう見えた。
荷車が橋を渡る。目的の集落まであとわずかだ。今日も滞りなく終われるかな。
そう思った矢先、妖怪の気を感じる。
次の瞬間、荷車の輪胎から破裂音がした。
荷車はわずかに揺れて、道の端で停まる。
わたしは荷台から降り、メーイェンも助手席から飛び出た。
「ミラー」メーイェンは周囲を見回す。「気配を感じましたか?」
「ああ。でもこれは何か……いつもとは違うような」
わたしたちは刀を抜く。妖怪の姿は見えない。普段であれば気配の直後に即、出現というのがお決まりなのだが。
わたしは運転手に顔を向ける。
「輪胎以外にどこかやられました?」
「いや……輪胎だけだが……」
運転手は渋い顔をして、わたしたちに<ある物>を見せた。
「コイツが刺さってた」
矢だった。弓を引いて放つものより短いが、投げ矢よりは長い。
おそらく弩の矢だろう。
「まさか賊が?」
「じゃあさっきの気配はいったい……?」
わたしたちが顔を見合わせていると、ひとつの人影が現れた。
虚無僧か? そう思った。深編笠の一種ととれるような、灰色の頭装具で顔を隠し、墨色の僧衣を着ている。が、頑強そうな革製の胴鎧で腹部を保護していた。
そして、手には弩を握っている。
わたしたちは身構えた。
順当に考えれば、ヤツは虚無僧もどきの賊だろう。が、それならばヤツから感じる妖気はどう解釈すればいいのか。メーイェンのような暗黒剣の使い手とは違う。体の芯から発せられる純然たる負の気魄は――。
運転手は水平二連散弾銃を手にし、銃口を虚無僧もどきに向けた。
「あんた、なんのつもりだ!? コイツには金目の物なんか積んじゃいないぞ!」
しかし、虚無僧もどきは何も喋らない。
代わりに、ヤツは腰だめに弩を構えた。
「あぶな――!」
わたしの言葉の途中で、運転手は発砲した。
大粒の散弾が虚無僧もどきの全身を襲う。
が、ヤツはすこし仰け反っただけであった。
弩が再度我々に向く。
「隠れて!」
わたしは言いながら敵に駆け寄った。
虚無僧もどきが矢を放つ。
それを斬り払い、返す太刀で肩口を狙う。
敵は斬撃を躱したが、その先にメーイェンが控えていた。
彼女の斬撃は虚無僧もどきの首を断つ。
深編笠が転がって、欄干の隙間から落ちた。
仕留めた。
わたしは思ったが、メーイェンの顔には困惑の色があった。
「手応えが無い!」
「なんだって?!」
驚いていると、わたしは敵に回し蹴りを出されていた。
咄嗟の防御は間に合い、敵は脚を引く。
「なんだコイツ……」
わたしも、メーイェンも、そしてきっと運転手も、慄いた。
虚無僧もどきには首がなかった。深編笠は頭部があるように思わせる偽装だったのだ。
無頭の怪人は横に跳びながら矢を装填する。
「させない!」
メーイェンが刺突を放った。
怪人の手から弩がはじけ飛ぶ。
わたしは敵の胸ぐらを掴んで投げ倒し、魔滅刃を心臓に突き立てた。
この時、衣のはだけた怪人の胸に目があることに気づく。
見開かれたその目と、わたしの目が合い、ほんのわずかに動揺した。
魔滅刃を抜くと、怪人の体は崩壊して塵芥と化した。
「……こんな妖怪……初めて見る……」
メーイェンが言った。
わたしも初めてだ。筆記試験対策で見た図譜にもこんなのは載っていなかった。
我々は顔を見合わせ、怪人の武具や衣類、そして灰燼となった体の一部を回収する。こいつの正体や出処の手がかりになるかもしれない。
そして、射抜かれて空気の抜けた輪胎を予備の物に交換し、その日の仕事をどうにか終わらせた。
仕事を終え、討伐手の寄合所に行くと、いつもとは毛色の違うどよめき方がわたしたちを迎える。
わたしは同業者の一人に訊ねた。
「何かあったんですか?」
「ああ。見たことのねえ妖怪が現れたんだ」
隣のメーイェンが眉をひそめた。
「……それって、首のない怪人ですか?」
「おめえたちも――!?」
「なんとか斃せましたけどね」
わたしはそう言って、手近な台に回収した怪人の装備を広げる。
同業者は、弩を持ち上げて言う。
「同じのだ……」
「アタシはこれで襲われたよ」
別の同業者が打刀を見せた。
わたしは胴鎧を手にする。
「身につけてた物から、何かわかりませんかね」
「そのへんは邏査の仕事だからなあ……」
皆、不測の事態に唸っていた。
扉が音を立てて開いたのは、そんな時だった。
現れたのは、金髪を後ろで結った、黄色い衣の女性だった。銃口がラッパのように広がった散弾銃を担ぎ、片手に怪人の深編笠を持っている。
メーイェンは彼女を見て、声を上げた。
「エナ、あなたも――」
「事態は思ったより厄介かもしれないよ」
金髪の女性――エナは深編笠を突き出して言った。
「人間の格好する妖怪なんて前代未聞じゃないか。しかも武器を使うだけの頭もある。つまり……」
「何も知らない人が誤認する……」
わたしは言った。
エナは頷き、メーイェンも眉間にしわを寄せる。
「万が一、町にでも入り込まれたら……」
「ああ……町全体がダンジョンになりかねない。それだけは避けなきゃ」
「ここに来る途中で邏査に伝えといた」と、エナ。「けどあたしらも備えとこう」
「そうだな……。人里を断所にするわけにはいかん」
同業者の一人が言い、わたしたちは皆、頷いた。
それからわたしたちは、ひとまず仕事を上がる。邏査の方々と、討伐手の<夜回り組>に情報を共有して、しばらくは様子見しつつ普段通りに過ごすこととなった。怪人に関してはまだ謎だらけ。下手に動くのは得策ではない。
帰り道は、エナと一緒になった。
「エナ、今日はすこし早いのでは?」
メーイェンが言った。
「あの怪人に出くわしてね。向こうの仕事は相棒が任せろってさ」
「なるほど」
「ところで、挨拶しそびれていたんだけど――」
エナがわたしに顔を向ける。
わたしは名乗った。
「ミラー・ヴォルフだ」
「あたしはエナ。よろしくネ」
「メーイェンとイワミさんから聞いてるよ。珍しい、銃使いの討伐手だと」
「おっと、あたしも有名になったもんだ」
彼女は笑って、自身の得物を見せつける。
「あたしの氣は炸薬で散らない、変わった質らしくてね。おばあちゃんに感謝だよ、ホント」
「……もしかして……きみも異世界から?」
「まあね。……あれ? 『も』ってことは……」
「わたしも最近、二十二番目の世界から来たんだ」
「おお~!」エナは白い頬を赤くして笑う。「まさかあたし以外にもホントにいたとは! よろしくよろしく!」
わたしは手を差し出してきたエナと、固い握手を交わす。
すると、温かい目で見ていたメーイェンが突然立ち止まり、森の側に顔を向けた。
「……どうしたんだい?」
わたしは訊ねた。直後、妖怪の気を感じる。
「……妖怪か」
「まったく、どうなってんだ最近は」
「この先……確か廃寺があったはず、すこし様子を見に行きましょう」
わたしたち三人は、道を逸れて妖気のした方へ歩いていった。
すでに夕刻。太陽は山向こうに沈みつつあった。
かつての寺院への道は、草の中に埋もれていたものの、木々は切り拓かれて空からの明かりは充分に届く。連なる灯籠もまだ生きている。わたしたちは左右で深まってゆく闇に警戒しながら、妖気を辿る。
足元で、がさりと音がした。
次の瞬間、わたしとメーイェンは網の中に囚われていた。
「メーイェン! ミラー!」
エナだけは間一髪で難を逃れていた。
「くそ……ぬかった……!」
わたしは網の中で宙吊りになりながら、懐の小刀を取り出そうとする。
メーイェンも同じように、罠から脱しようとしていた。
「エナ……気をつけて! 妖怪に囲まれてます!」
「ああ、わかってるさ」
エナは喇叭銃を構える。銃口こそ古めかしいブランダーバスだが、ポンプアクションショットガンそのものだった。
彼女は先台を動かし、初弾を薬室へ送る。
森林の暗がりから、妖怪の群れが現れた。小鬼と、湯桶をひっくり返したような風体の大甲虫、そして例の怪人たちだ。弩のみならず、刀や小銃を手にしているヤツもいる。
大甲虫がエナ目がけて飛ぶ。
エナは発砲し、虫を撃ち落とす。
その背後から迫っていた小鬼は、銃床を振り上げて殴り飛ばした。
小鬼が仰け反ったところに正面蹴りを当て、小銃装備の怪人にぶつける。
怪人は小鬼ごと倒れ込み、その拍子に小銃を仲間に暴発させた。
弾は小鬼のこめかみに当たったが、衝撃で姿勢を崩しただけだ。
エナはそこに弾を叩き込む。
無防備な三体の妖怪をいっぺんに撃ち斃し、塵に変えた。
が、背後から大甲虫が鋭い顎を開けて襲いかかる。
「後ろだ!」わたしは叫ぶ。
エナは銃を肩に担ぎ、敵を見ることなく撃った。
散弾は大甲虫を粉々に吹き飛ばす。
彼女は後ろ向きに跳んで、妖怪の群れと間合いを離した。
予備の弾を取り出し、再装填する。なめらかな手つきで、四発を素早く弾倉へ。クアッドロードという技法だ。
「オマエタチに! 構ってる暇無いのさ! こっちは!」
エナは四方に散弾をバラ撒き、妖怪の群れを一気に全滅させた。
彼女の足元には、真鍮色の空薬莢がいくつも落ちている。
そこから漂う硝煙がここまで昇ってきて、鼻を突いた。
わたしとメーイェンは、ひとまずエナの脅威が去ったことに安心の息を吐き、網の切断に専念する。
ほどなくして網は切れ、わたしたちは地上に降り立つ。エナは弾の補充を済ませ、空薬莢を回収していた。
「とんだ災難だったね」
エナが言った。
「でもエナが無事で助かりました。ありがとう」
と、メーイェン。
わたしも彼女に礼を言い、それから罠の残骸を見上げる。
「しかし誰がこんなものを……まさか怪人じゃないだろうな……」
「そのとおり。怪人じゃないよ」
薄闇の中から女の子の声がした。
わたしたちはその方向を見て、身構える。
影から現れたのは、声色の通り小さな少女だった。深い紅色の衣を着ていて、背中に双剣を負っている。
その目は四白眼で、ただならぬ圧を感じる。
彼女はわたしを見て、首を傾げた。
「ああ、びっくりした。トルヴェロスかと思った」
トルヴェロスだって?!
わたしは思わず前のめりになった。
「きみ、トルヴェロスを知って――」
「死にたくなかったら引き返してネ」
「待って!」
少女は聞く耳も持たず、廃寺の方角へ走り去った。
「引き返せっつったって……」エナが頭を掻く。「ほっとけるわけないでしょうよ」
「ええ。危険でしょうが、追うほかありません」
と、メーイェン。
おっしゃるとおりだ。と、わたしは思い、二人と頷き合う。
そして、四白眼の少女を追って走り出した。
廃寺までは一本道。だが、そこに至るまでにわたしたちは妖怪の群れの襲撃を受ける。
目の前に毒トカゲが大口を開け、飛びかかってきた。
わたしはそいつを斬り捨てる。
近くでメーイェンの苗刀が弧を描いた。彼女の一閃は二体の小鬼と、一体の怪人を斬り裂いた。
続いて人面コウモリの妖怪が現れる。
人面コウモリは、エナが銃撃で対処してくれた。
散弾で四散した妖怪の残骸を突き抜けて、わたしたちは廃寺の前まで至る。
廃寺は、大きくえぐれた岩陰の下に建っていた。本堂の四方には太い柱が伸びて岩を支えているが、うち一本はへし折れ、地に横たわっていた。屋根瓦も脱落が見受けられる。端に敷かれた瓦はほとんどが剥がれ落ちて、軸部の周りに破片を散らしていた。
立地と太陽の位置のせいで、廃寺は基礎までうっすらと影が落ちている。
草の伸び方や壁面の朱色の退色具合からして、誰もいなくなってさほど長い時間は経っていないようだ。
あの四白眼の少女は、ここをねぐらにしているのだろうか……?
だが――、
「……かなり強い妖気を感じます」
メーイェンが言った。
エナも小さな声で同意を示す。
「あたしにも感じるよ……。こりゃあ恐ろしいや……」
「……二人は周囲の警戒を。中の調査はわたしが」
わたしは寺に踏み入って、扉を開ける。
堂内には、大きな球体があった。本尊を安置する位置に、あたかも己が本尊であるかのように鎮座していた。
球体の表面は真っ白で、そこに赤い筋が走っている。血管のようにも見えた。
訝しみながら見上げていると、球体がにわかに震える。
エナが叫んだ。
「逃げろ! 毒霧が来るぞ!」
だが遅かった。
球体は急速に萎み、強風を伴って鈍色の毒霧を吐き出す。
メーイェンとエナは叫び声と共に飛び退き、わたしは毒霧を真正面から浴びる。
悪臭が鼻を突いた。燃える油と、人毛を焼いたにおいを混ぜたような臭いだ。
けれど、それだけだった。
「……なんで……なんでアンタなんともないんだ……!?」
エナが言った。
「わたしに毒は効かない」
と返して、わたしは本堂の奥に進んだ。
「一時間して戻らなかったら助けを呼んで」
討伐手となってからの仕事は、休耕地の見張りと、力場で作った缶を満載した荷車の護衛だった。いずれもメーイェンと二人一組で動き、すこしずつだが着実に仕事の流れを覚えていく。
メーイェン以外の同僚や先輩方とは、寄合所以外ではめったに会わないが、上手く交流できている。三五七番目の世界の武林は、引き締まった空気ではあるが殺伐としておらず、面倒なほど上下関係に厳しいわけでもなかった。皆、心に余裕があり、言動には想像力に富んだ配慮を感じ取れた。
二十二番目の世界で最後に就いていた仕事とは大違いだった。
あの頃はやりがいを感じることを強いられていた。上司は基本的に善人であったが、それを思い出せるのは休憩中や終業時くらい。彼は自分の機嫌を自分で取れないタイプで、多忙やミスで仕事の段取りが狂った時なんかは露骨にイライラしていた。そんな性情なのに「わからないことがあったら訊いてくれ」と言われても、素直に従えやしない。
最低の職場だったが、単身赴任中の父がスケジュールの合間を縫って紹介してくれた仕事で、おいそれと辞められるはずもなかった。今となっては良い教訓だが。
……殺しへの覚悟も、思いのほか短期間で決まった。
出てくるのは小鬼が大半で、そこに毒トカゲや人面コウモリといった獣もどきと、超大型の虫なんかがたまに交じる。妖怪たちは致命傷を与えれば数分で乾いた泥のように崩れ去り、土に還ってゆく。そのことが尚更、慣れを加速させたのだろう。
慣れてきたと言える頃には、見張りの仕事に退屈さを覚えてしまう時間が増えた。が、荷車の護衛は移りゆく風景の中を往来するのが楽しかった。
荷車は仙碑炉で動くトラックで、二十二番目の世界の基準では二トントラックに相当する大きさだ。前方に突き出た長い円筒のボンネットと、その両脇に備わる丸目の前照灯が親しみと機能美を感じさせてくれる。荷台を覆う分厚い生成り色の幌も、年季が入っていて、缶と一緒に中に入っていると、どこか香ばしいにおいがした。幌は一部が網目になっていて、そこから外の風景が見える。
町から集落への道は、渓谷の川沿いに延びていた。途中に民家や茶店がいくつか建っていて、川に面する岩壁には、等間隔で治水の言葉が彫られている。磨崖碑の一種で、碑文からは秘めたる強力な氣を感じる。おそらく洪水や氾濫時には、その氣を放出して被害を軽減する仕組みなのだろう。
何もかもが調和している光景だった。
文明が自然を汚し、踏みにじることも、大自然が人間を削り、潰すこともない、完璧な共存の有様である。すくなくともわたしの目にはそう見えた。
荷車が橋を渡る。目的の集落まであとわずかだ。今日も滞りなく終われるかな。
そう思った矢先、妖怪の気を感じる。
次の瞬間、荷車の輪胎から破裂音がした。
荷車はわずかに揺れて、道の端で停まる。
わたしは荷台から降り、メーイェンも助手席から飛び出た。
「ミラー」メーイェンは周囲を見回す。「気配を感じましたか?」
「ああ。でもこれは何か……いつもとは違うような」
わたしたちは刀を抜く。妖怪の姿は見えない。普段であれば気配の直後に即、出現というのがお決まりなのだが。
わたしは運転手に顔を向ける。
「輪胎以外にどこかやられました?」
「いや……輪胎だけだが……」
運転手は渋い顔をして、わたしたちに<ある物>を見せた。
「コイツが刺さってた」
矢だった。弓を引いて放つものより短いが、投げ矢よりは長い。
おそらく弩の矢だろう。
「まさか賊が?」
「じゃあさっきの気配はいったい……?」
わたしたちが顔を見合わせていると、ひとつの人影が現れた。
虚無僧か? そう思った。深編笠の一種ととれるような、灰色の頭装具で顔を隠し、墨色の僧衣を着ている。が、頑強そうな革製の胴鎧で腹部を保護していた。
そして、手には弩を握っている。
わたしたちは身構えた。
順当に考えれば、ヤツは虚無僧もどきの賊だろう。が、それならばヤツから感じる妖気はどう解釈すればいいのか。メーイェンのような暗黒剣の使い手とは違う。体の芯から発せられる純然たる負の気魄は――。
運転手は水平二連散弾銃を手にし、銃口を虚無僧もどきに向けた。
「あんた、なんのつもりだ!? コイツには金目の物なんか積んじゃいないぞ!」
しかし、虚無僧もどきは何も喋らない。
代わりに、ヤツは腰だめに弩を構えた。
「あぶな――!」
わたしの言葉の途中で、運転手は発砲した。
大粒の散弾が虚無僧もどきの全身を襲う。
が、ヤツはすこし仰け反っただけであった。
弩が再度我々に向く。
「隠れて!」
わたしは言いながら敵に駆け寄った。
虚無僧もどきが矢を放つ。
それを斬り払い、返す太刀で肩口を狙う。
敵は斬撃を躱したが、その先にメーイェンが控えていた。
彼女の斬撃は虚無僧もどきの首を断つ。
深編笠が転がって、欄干の隙間から落ちた。
仕留めた。
わたしは思ったが、メーイェンの顔には困惑の色があった。
「手応えが無い!」
「なんだって?!」
驚いていると、わたしは敵に回し蹴りを出されていた。
咄嗟の防御は間に合い、敵は脚を引く。
「なんだコイツ……」
わたしも、メーイェンも、そしてきっと運転手も、慄いた。
虚無僧もどきには首がなかった。深編笠は頭部があるように思わせる偽装だったのだ。
無頭の怪人は横に跳びながら矢を装填する。
「させない!」
メーイェンが刺突を放った。
怪人の手から弩がはじけ飛ぶ。
わたしは敵の胸ぐらを掴んで投げ倒し、魔滅刃を心臓に突き立てた。
この時、衣のはだけた怪人の胸に目があることに気づく。
見開かれたその目と、わたしの目が合い、ほんのわずかに動揺した。
魔滅刃を抜くと、怪人の体は崩壊して塵芥と化した。
「……こんな妖怪……初めて見る……」
メーイェンが言った。
わたしも初めてだ。筆記試験対策で見た図譜にもこんなのは載っていなかった。
我々は顔を見合わせ、怪人の武具や衣類、そして灰燼となった体の一部を回収する。こいつの正体や出処の手がかりになるかもしれない。
そして、射抜かれて空気の抜けた輪胎を予備の物に交換し、その日の仕事をどうにか終わらせた。
仕事を終え、討伐手の寄合所に行くと、いつもとは毛色の違うどよめき方がわたしたちを迎える。
わたしは同業者の一人に訊ねた。
「何かあったんですか?」
「ああ。見たことのねえ妖怪が現れたんだ」
隣のメーイェンが眉をひそめた。
「……それって、首のない怪人ですか?」
「おめえたちも――!?」
「なんとか斃せましたけどね」
わたしはそう言って、手近な台に回収した怪人の装備を広げる。
同業者は、弩を持ち上げて言う。
「同じのだ……」
「アタシはこれで襲われたよ」
別の同業者が打刀を見せた。
わたしは胴鎧を手にする。
「身につけてた物から、何かわかりませんかね」
「そのへんは邏査の仕事だからなあ……」
皆、不測の事態に唸っていた。
扉が音を立てて開いたのは、そんな時だった。
現れたのは、金髪を後ろで結った、黄色い衣の女性だった。銃口がラッパのように広がった散弾銃を担ぎ、片手に怪人の深編笠を持っている。
メーイェンは彼女を見て、声を上げた。
「エナ、あなたも――」
「事態は思ったより厄介かもしれないよ」
金髪の女性――エナは深編笠を突き出して言った。
「人間の格好する妖怪なんて前代未聞じゃないか。しかも武器を使うだけの頭もある。つまり……」
「何も知らない人が誤認する……」
わたしは言った。
エナは頷き、メーイェンも眉間にしわを寄せる。
「万が一、町にでも入り込まれたら……」
「ああ……町全体がダンジョンになりかねない。それだけは避けなきゃ」
「ここに来る途中で邏査に伝えといた」と、エナ。「けどあたしらも備えとこう」
「そうだな……。人里を断所にするわけにはいかん」
同業者の一人が言い、わたしたちは皆、頷いた。
それからわたしたちは、ひとまず仕事を上がる。邏査の方々と、討伐手の<夜回り組>に情報を共有して、しばらくは様子見しつつ普段通りに過ごすこととなった。怪人に関してはまだ謎だらけ。下手に動くのは得策ではない。
帰り道は、エナと一緒になった。
「エナ、今日はすこし早いのでは?」
メーイェンが言った。
「あの怪人に出くわしてね。向こうの仕事は相棒が任せろってさ」
「なるほど」
「ところで、挨拶しそびれていたんだけど――」
エナがわたしに顔を向ける。
わたしは名乗った。
「ミラー・ヴォルフだ」
「あたしはエナ。よろしくネ」
「メーイェンとイワミさんから聞いてるよ。珍しい、銃使いの討伐手だと」
「おっと、あたしも有名になったもんだ」
彼女は笑って、自身の得物を見せつける。
「あたしの氣は炸薬で散らない、変わった質らしくてね。おばあちゃんに感謝だよ、ホント」
「……もしかして……きみも異世界から?」
「まあね。……あれ? 『も』ってことは……」
「わたしも最近、二十二番目の世界から来たんだ」
「おお~!」エナは白い頬を赤くして笑う。「まさかあたし以外にもホントにいたとは! よろしくよろしく!」
わたしは手を差し出してきたエナと、固い握手を交わす。
すると、温かい目で見ていたメーイェンが突然立ち止まり、森の側に顔を向けた。
「……どうしたんだい?」
わたしは訊ねた。直後、妖怪の気を感じる。
「……妖怪か」
「まったく、どうなってんだ最近は」
「この先……確か廃寺があったはず、すこし様子を見に行きましょう」
わたしたち三人は、道を逸れて妖気のした方へ歩いていった。
すでに夕刻。太陽は山向こうに沈みつつあった。
かつての寺院への道は、草の中に埋もれていたものの、木々は切り拓かれて空からの明かりは充分に届く。連なる灯籠もまだ生きている。わたしたちは左右で深まってゆく闇に警戒しながら、妖気を辿る。
足元で、がさりと音がした。
次の瞬間、わたしとメーイェンは網の中に囚われていた。
「メーイェン! ミラー!」
エナだけは間一髪で難を逃れていた。
「くそ……ぬかった……!」
わたしは網の中で宙吊りになりながら、懐の小刀を取り出そうとする。
メーイェンも同じように、罠から脱しようとしていた。
「エナ……気をつけて! 妖怪に囲まれてます!」
「ああ、わかってるさ」
エナは喇叭銃を構える。銃口こそ古めかしいブランダーバスだが、ポンプアクションショットガンそのものだった。
彼女は先台を動かし、初弾を薬室へ送る。
森林の暗がりから、妖怪の群れが現れた。小鬼と、湯桶をひっくり返したような風体の大甲虫、そして例の怪人たちだ。弩のみならず、刀や小銃を手にしているヤツもいる。
大甲虫がエナ目がけて飛ぶ。
エナは発砲し、虫を撃ち落とす。
その背後から迫っていた小鬼は、銃床を振り上げて殴り飛ばした。
小鬼が仰け反ったところに正面蹴りを当て、小銃装備の怪人にぶつける。
怪人は小鬼ごと倒れ込み、その拍子に小銃を仲間に暴発させた。
弾は小鬼のこめかみに当たったが、衝撃で姿勢を崩しただけだ。
エナはそこに弾を叩き込む。
無防備な三体の妖怪をいっぺんに撃ち斃し、塵に変えた。
が、背後から大甲虫が鋭い顎を開けて襲いかかる。
「後ろだ!」わたしは叫ぶ。
エナは銃を肩に担ぎ、敵を見ることなく撃った。
散弾は大甲虫を粉々に吹き飛ばす。
彼女は後ろ向きに跳んで、妖怪の群れと間合いを離した。
予備の弾を取り出し、再装填する。なめらかな手つきで、四発を素早く弾倉へ。クアッドロードという技法だ。
「オマエタチに! 構ってる暇無いのさ! こっちは!」
エナは四方に散弾をバラ撒き、妖怪の群れを一気に全滅させた。
彼女の足元には、真鍮色の空薬莢がいくつも落ちている。
そこから漂う硝煙がここまで昇ってきて、鼻を突いた。
わたしとメーイェンは、ひとまずエナの脅威が去ったことに安心の息を吐き、網の切断に専念する。
ほどなくして網は切れ、わたしたちは地上に降り立つ。エナは弾の補充を済ませ、空薬莢を回収していた。
「とんだ災難だったね」
エナが言った。
「でもエナが無事で助かりました。ありがとう」
と、メーイェン。
わたしも彼女に礼を言い、それから罠の残骸を見上げる。
「しかし誰がこんなものを……まさか怪人じゃないだろうな……」
「そのとおり。怪人じゃないよ」
薄闇の中から女の子の声がした。
わたしたちはその方向を見て、身構える。
影から現れたのは、声色の通り小さな少女だった。深い紅色の衣を着ていて、背中に双剣を負っている。
その目は四白眼で、ただならぬ圧を感じる。
彼女はわたしを見て、首を傾げた。
「ああ、びっくりした。トルヴェロスかと思った」
トルヴェロスだって?!
わたしは思わず前のめりになった。
「きみ、トルヴェロスを知って――」
「死にたくなかったら引き返してネ」
「待って!」
少女は聞く耳も持たず、廃寺の方角へ走り去った。
「引き返せっつったって……」エナが頭を掻く。「ほっとけるわけないでしょうよ」
「ええ。危険でしょうが、追うほかありません」
と、メーイェン。
おっしゃるとおりだ。と、わたしは思い、二人と頷き合う。
そして、四白眼の少女を追って走り出した。
廃寺までは一本道。だが、そこに至るまでにわたしたちは妖怪の群れの襲撃を受ける。
目の前に毒トカゲが大口を開け、飛びかかってきた。
わたしはそいつを斬り捨てる。
近くでメーイェンの苗刀が弧を描いた。彼女の一閃は二体の小鬼と、一体の怪人を斬り裂いた。
続いて人面コウモリの妖怪が現れる。
人面コウモリは、エナが銃撃で対処してくれた。
散弾で四散した妖怪の残骸を突き抜けて、わたしたちは廃寺の前まで至る。
廃寺は、大きくえぐれた岩陰の下に建っていた。本堂の四方には太い柱が伸びて岩を支えているが、うち一本はへし折れ、地に横たわっていた。屋根瓦も脱落が見受けられる。端に敷かれた瓦はほとんどが剥がれ落ちて、軸部の周りに破片を散らしていた。
立地と太陽の位置のせいで、廃寺は基礎までうっすらと影が落ちている。
草の伸び方や壁面の朱色の退色具合からして、誰もいなくなってさほど長い時間は経っていないようだ。
あの四白眼の少女は、ここをねぐらにしているのだろうか……?
だが――、
「……かなり強い妖気を感じます」
メーイェンが言った。
エナも小さな声で同意を示す。
「あたしにも感じるよ……。こりゃあ恐ろしいや……」
「……二人は周囲の警戒を。中の調査はわたしが」
わたしは寺に踏み入って、扉を開ける。
堂内には、大きな球体があった。本尊を安置する位置に、あたかも己が本尊であるかのように鎮座していた。
球体の表面は真っ白で、そこに赤い筋が走っている。血管のようにも見えた。
訝しみながら見上げていると、球体がにわかに震える。
エナが叫んだ。
「逃げろ! 毒霧が来るぞ!」
だが遅かった。
球体は急速に萎み、強風を伴って鈍色の毒霧を吐き出す。
メーイェンとエナは叫び声と共に飛び退き、わたしは毒霧を真正面から浴びる。
悪臭が鼻を突いた。燃える油と、人毛を焼いたにおいを混ぜたような臭いだ。
けれど、それだけだった。
「……なんで……なんでアンタなんともないんだ……!?」
エナが言った。
「わたしに毒は効かない」
と返して、わたしは本堂の奥に進んだ。
「一時間して戻らなかったら助けを呼んで」
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