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第九話

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 わたしとエナは廃寺に至った。

「……はなから期待はしてなかったけど、ほんとに何も無いね」

 エナは伽藍堂を見回して言う。
 毒霧の皮球も、邏査に回収されている。他の部屋も空っぽだったので、早々に地下室へと行くことにした。
 やはり何もない。最初に来たときよりもきれいになっているくらいだ。もう血の臭いも薬品の刺激臭もしない。

「そういえばさあ」

 エナは隠し通路の前でしゃがみ込む。

「ここ、どこに通じてるんだろうね」
「わたしたちでは確かめてなかったな」

 扉を開け、中に潜り込む。エナも後に続いた。
 隠し通路は長かったが一本道で、途中に何か落ちているわけでもなかった。
 やがて、通路に変化が生じる。すこし高さに余裕が出てきた。わたしたちは這う姿勢から膝立ちに移り、ほどなくして直立姿勢をとれるだけの余裕を得た。
 そこからは坂道が続いて、地上が近いことは察しがついた。
 坂道の末に、上面を塞ぐ板を見つけ、開ける。河流の音が聞こえた。
 地上に出て、広葉樹の森に立つ。
 次の瞬間、背後から声がした。

「ようやく会えたな」

 わたしとエナは振り返り、驚愕に身を固めた。
 彼は木に寄りかかり、悠然とした様を見せつけていた。
 黒いロングコートと革の胴鎧を装備し、兜割を巨大化したような、枝鈎付きの刀を手にしている。
 深い赤褐色の髪が揺れ、彼はわたしを見た。

「きみがピラの言っていたフェンサーか。なるほど、似ていなくはないな」
「……トルヴェロス……」
「先行試作型といえど<ケティエン>たちを退けたのは……ほんとうに大したものだよ」

 トルヴェロスはまっすぐ立ち、わたしを正面から見る。

「さしずめ、時空の守護者から私を殺せと命を受けたのだろう」
「……なぜ、あなたはあの怪人たちを造ったんだ? 村ひとつ消してまで……」

 わたしは一歩踏み出る。

「二十二番目の世界では平和を求めて戦っていたあなたが! どうして平和を乱すような真似を!」
「平和であるがゆえに、だよ」
「……どういうことさ?」

 言ったのはエナだった。

「この世界は理想郷などではない。鍛錬も、研鑽も無い家畜の檻だ。他者から与えられた平和と幸福に慣れきっていて……あまりにも危険すぎる」

 言いながら、トルヴェロスは川の方を見る。表情は無かったが、忌々しげな目つきだった。

「私を介抱してくれた村の者たちも、善良ではあったが……未熟すぎた」
 彼はまたわたしを見た。
 が、エナが言う。

「勝手なこと言わないでくれないか! ここはあんたのいた世界とは違うんだ! 毎日をのんびり生きて、何が悪いってのさ!」
「この世界の平和は上位存在の腹一つでたやすく崩れる。私はそれを危惧している!」

 トルヴェロスはエナを指差した。

「全てが歪な欺瞞にすぎない……。きみらはそれに気づくべきだ」
「気づいてどうする? みじめったらしく凍える毎日に逆戻りはゴメンだね」
「人は進んでいかなければならない。いつまでも快適なゆりかごにはいられない」
「このやろうああ言えばこう言いやがって――」

 エナが前に出ようとして、わたしは止めた。
 トルヴェロスが眉をひそめる。

「……あなたは気づいていない。二十二番目の世界……いや、旧式世界は、所詮クジ運の強い者だけが幸せになれることを」

 わたしは言いながら、魔滅刃の柄を握る。
 そして、刃を引き抜いた。

「あなたの主観では、新式世界は醜悪に見えるのかもしれないな」
「……そうだな」

 トルヴェロスも刀を抜く。

「エナ、手出しは無用だ」
「けどミラー……」
「これはわたしの闘いでもある」

 わたしの言葉に、エナは一歩退いてくれる。だがその表情はいささか不服そうだった。
 トルヴェロスが刀を構え、わたしも構えた。
 正直、彼の剣気に圧されていた。が、彼を止めなければならない。一度は憧れたヒーローと、こうして闘えるのはある意味名誉なことではないか。
 わたしは己を鼓舞し、先手を打った。
 軽く速い斬撃を連発し、刃を打ち合う。
 トルヴェロスは刀の枝鈎で、魔滅刃を絡め取ろうとしてきた。
 刀身が枝鈎に挟まる前に、わたしは魔滅刃を引く。
 同時に蹴りを放つが、トルヴェロスは受け流し、肘鉄を落とした。
 ふくらはぎの側面に杭を撃たれたような衝撃。
 わたしはすこし体勢を崩したが、踏ん張って追撃を避ける。
 膝をやられていたら危なかった。
 身を捻り、勢いをつけて斬撃を繰り出した。が、トルヴェロスはたやすく躱す。
 トルヴェロスが柄頭で突いてきた。
 それを腕で撥ね上げて、刀を握ったままの拳で殴る。
 拳は彼の顔面を打った。
 続けて斬撃を放ったが、トルヴェロスの刀と斬り結び、競り負ける。
 全身が傾いたのを自覚するや否や、刃が下から迫ってきた。
 間一髪で避けたものの、返す太刀は喰らってしまう。
 血が飛散し、鋭い痛みが襲う。左二の腕に刀傷ができた。
 わたしは顔をしかめながら、刺突を放つ。
 それをトルヴェロスは軽々と避け、一瞬で背後に回ってきた。
 膝裏を蹴られ、わたしは崩れた。
 後頭部に刃の気配を感じて、わたしは横に身を転がす。
 次の瞬間、トルヴェロスの刀は土に突き立っていた。
 起き上がると同時に、斬撃が降ってくる。
 それを受け止め、はじき返し、間髪入れず放たれた横薙ぎを防御する。

「――許せミラー!」

 エナが助太刀に入ってきた。
 剣鉈でトルヴェロスに斬りかかる。
 トルヴェロスはエナの斬撃を、後ろに跳んで避けた。
 わたしはそこに攻め込む。
 トルヴェロスがわたしの斬撃を防ぐと、反対側からエナが斬りつけた。
 しかしトルヴェロスは短刀を抜き放ち、受け止める。
 そのまま短刀で斬りかかり牽制した。
 わたしは身を押し出して肉薄し、短刀を向けさせる。短刀は小烏丸作りだった。
 急速離脱して短刀での刺突を空振りさせ、また攻める。
 トルヴェロスは跳んで避けた。
 わたしとエナは彼へ連続攻撃を繰り出す。
 魔滅刃の斬撃は、全て受け止められた。
 エナの剣鉈も、短刀が事も無げにいなす。
 一見トルヴェロスの防戦一方だったが、実際に不利なのはこちらだと悟る。
 エナも同じく消耗するだけだと気づいたようだ。
 その時だった。トルヴェロスが攻勢に出たのは。
 こちらの考えを読んでいるかのごとき切り替わりようだった。
 長大な刀の斬撃がわたしとエナを襲う。
 片手保持だというのに一発がどれも重く、速かった。
 魔滅刃の折損を恐れながらも、わたしは魔滅刃での防御以外に手を打てない。
 エナも斬撃を避けるのに必死だ。
 わたしたちは攻撃の間のわずかな隙と、防御の反動で姿勢が乱れた瞬間を突いて攻撃するが、どれも届かなかった。
 しかし、破れかぶれに放った逆袈裟斬りがトルヴェロスの手から、短刀を打ち上げた。
 短刀は彼の手から離れ、宙を舞う。
 わたしはトルヴェロスの左手側に回り込み、魔滅刃を振りかぶる。
 が、次の瞬間、トルヴェロスの左掌底が妖光を放った。

 まずい!

 本能が叫ぶ。
 防御も回避も間に合わず、わたしはトルヴェロスの掌底を胸に喰らった。
 直撃だった。
 魔滅刃を落とし、わたしは仰向けに倒れる。

「ミラー!」

 エナの叫ぶ声がした。
 わたしはなんとか起き上がって、戦闘を続行しようとするが、胸の激痛と、全身の痺れに似た苦しさに、また膝をついた。
 エナがトルヴェロスの攻撃を転がって避け、魔滅刃を手にする。
 彼女は剣鉈を投げたが、トルヴェロスは難なくはじき返す。
 その隙に刺突をかけようとするも、不発に終わった。
 トルヴェロスは刀の枝鈎で、魔滅刃の刀身を挟み込むと、手を捻って固定した。
 エナは動きを封じられ、喉輪攻めを喰らった。
 トルヴェロスは彼女を押し飛ばし、わたしにぶつける。
 わたしは彼女を受け止めたが、再び胸の痛みに苛まれた。
 けれど苦痛に悶える暇も無く、追い打ちが来る。
 トルヴェロスは魔滅刃を投げてきた。
 わたしはエナの身を引き、魔滅刃を振り払った。
 腕に轟く衝撃が走り、魔滅刃は川縁まで転がる。
 トルヴェロスは笑い、低く構えた。
 妖光が刀全体を覆う。
 わたしは立ち上がり拳を構えた。
 トルヴェロスの突進。
 すると、わたしは川の方に身を引かれた。
 エナだった。

「逃げるぞ!」

 紙一重で、トルヴェロスの突撃を躱し、わたしたちは川まで走る。
 魔滅刃を回収し、流れに身を投じた。
 トルヴェロスは、懸念に反して追ってはこなかった。


 冷たい水の中を、わたしたちは泳ぐ。
 上流から中流へ、中流から下流へ。必死で泳いだ。
 底の石が丸く小さくなっているところまで来て、ようやくわたしたちは川から這い上がった。
 わたしはエナの肩を借り、魔滅刃を杖代わりにして、川岸を進む。
 木陰まで歩いて、わたしはまた膝をついた。
 エナはわたしの背を木の幹に委ね、

「しっかりしろ。手当てする」

 と、服を脱がせようとした。
 そして驚きの表情を見せる。

「なんだこれ……?!」
「なにが……?」

 わたしはエナの視線の先――己の胸を見る。
 わたしも驚いた。
 胸の肉はほとんど剥がれて赤黒くなっているが、傷口から見えるのはおぞましい臓腑や骨ではなかった。
 鮮やかな赤色を放つ、握り拳大の宝石が覗いて、わたしの胸で輝いていた。
 その宝石は静かな光をゆらめかせていて、命の火はまだ消えないと語っているようにも思えた。

「……わたしの……核か……」

 直感でわかった。

「……とにかく、包帯くらいは巻かなきゃ」

 エナはそう言って、腰の雑嚢から応急処置道具を取り出す。道具は氣を込めた文字で防水加工を施した袋に入っていた。
 消毒液と止血剤を全部使って、清潔な乾いた布を当ててくれる。
 最後に包帯を巻く頃には、わたしはだいぶ楽になっていた。

「平気?」エナが上着を絞りながら訊ねる。
「ああ……お蔭さまで……」

 わたしはどうにか答えた。
 すると、すこし離れたところから車の音が聞こえてくる。

「助けを呼ぶから、死ぬなよ」

 彼女はわたしの頬に掌を当てる。冷たい掌だった。
 立ち上がり、駆け出す。
 車が止まる音がした後、エナと運転手の会話が耳に入った。
 運転手の声、聞き覚えがある。
 二人の足音が近づいてきて、

「ミラーさん!?」

 アマノリ氏の驚いた顔が現れた。

「どうしてここに……?」
「お客さまとの商談帰りです」彼は答え、しゃがむ。「ああ……なんと痛ましい……」

 エナが戻ってくる。彼女はアマノリ氏のジャケットを肩にかけていた。

「車までお願いできます?」
「もちろんですとも。さあミラーさん、失礼します」

 アマノリ氏とエナはわたしの肩を担ぎ、車まで連れてゆく。
 道の脇に、アマノリ氏の車は停まっていた。A型フォードに似たコンバーチブルセダンだ。
 後席のドアを開けて、アマノリ氏は言う。

「さあ、どうぞ。エナさんも」
「ありがとうございます」

 わたしたちは後席に座り、やわらかなシートに身を委ねた。
 アマノリ氏は運転席に滑り込んで、賢帖を開く。

「ここからでは町の医薬舎は遠すぎますね……」
「かまいません……」わたしは言った。「それまで持たせます……」
「いえ、容態の急激な悪化も懸念されます。エナさんもずぶ濡れでしょう」

 彼は賢帖に何か書き込む。

「すこし回りくどいですが、お医者さまをイワミさまの邸宅までお呼びします。それからお二方をそちらまで。それが最短です」
「……お願いします」

 わたしはできるだけ深く、頭を下げた。
 アマノリ氏の車が発進する。
 かなり飛ばしているが、荒っぽさの感じない、丁寧な運転だった。
 そうやって十数分ほど走っただろうか。
 エナが訊く。

「……寒くない?」
「ああ……わたしは大丈夫……」

 この世界に来てから、わたしは暑さや寒さにかなり高い耐性を持っていることを自覚していた。三五七番目の世界が、二十二番目の世界ほどひどい寒暖差が無い……あるいは感じない構造になっていることもあるのだろうが。

「……きみはどう?」
「まだ平気。暖房が効いてるから」
「イワミさまの邸宅まであとわずか……もうすこしの辛抱ですよ」

 と、アマノリ氏。窓の向こうには、イワミ邸のコンクリート塀が見えてきた。
 わたしはにわかに安堵して、後席のドアにもたれかかる。トルヴェロスとの交戦を報告する良い機会でもあるな、と思った。
 その時、わたしの耳は異音を捉えた。
 銃声か?
 わたしは窓を開ける。

「どうした?」

 とエナが訊いてきた直後、風の中に明確な銃声が響いた。イワミ邸からだ。

「今の音――まさか、トルヴェロスが――!?」
「ヤツじゃなくても、仲間に違いない」

 そういえばトルヴェロスは、ピラという名を口にしていた。
 わたしは魔滅刃を握り、上体を起こす。

「アマノリさん、飛ばしてください」
「闘うおつもりですか!? 無茶ですよ!」
「承知の上です!」
「ああもう、ご自愛ください!」

 アマノリ氏はアクセルを踏み込む。
 車がさらに加速した。
 銃声の代わりに、剣戟の音が絶え間なく聞こえてくるようになった。
 ひとつがメーイェンの苗刀であることはわかる。が、もうひとつはトルヴェロスではなかった。
 かなり短い間隔で二回。比較的軽量級――双剣の音に思える。

 確信した。ピラだ。

 すると、塀の向こうから暗黒力の矢が空へと飛んでいく。
 メーイェンの斬撃の音も、くぐもったように変質していた。

「マズイぞ!」エナが叫んだ。「あのコ、暗黒剣使ってる!」

 つまり戦闘が長期化するほどメーイェンが不利ということだ。

「どうするんです!?」

 アマノリ氏が問う。

「ギリギリまで近づいてください、塀は自力で跳び越えます!」

 剣戟に双剣の音が増えてきて、その中にメーイェンの短い悲鳴が交じる。

 あとすこしだ。もう目の前なんだ。持ちこたえてくれメーイェン。

 正門へ近づき、衝突寸前のところで制動がかかった。
 アマノリ氏の車は横滑りし、正門から数メートル手前で停車する。
 わたしは車から降りて抜刀し、肩に担いだ。
 もはや痛みもだるさも感じない。
 駆け足にありったけの力を込めて大地を蹴り、壁面に貼り付き、這い上がって、跳んだ。
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