上 下
54 / 56

054 哀愁漂うゴブちゃん

しおりを挟む
 アンズが一呼吸置いて言った。

「結果はオッケーだったよ」
「オッケーとは、つまり?」

 唾をゴクリと飲み込み、訊きなおす。
 その瞬間、アンズの表情がパッと明るくなった。

「こちらの要望が完全に通ったってこと!」

 俺は「うおおおおお!」と叫んだ。
 八畳間の狭い部屋に、俺の声が響き渡る。

「やったぜ、これで引っ越ししないで済む」
「イエイ!」

 俺はアンズとハイタッチした。

「まさか、二菱が倉庫の建設を受け入れてくれるとはな」

 俺の案は、二菱の建設物を倉庫に変えてもらうことだった。
 もちそん、その倉庫は俺の物である。
 ただ単に、建設物をこちらの物に変えろとは言わない。
 譲歩案として、必要な設計及び施工会社は、全て二菱に任せることにした。
 加えて、多少の手間賃は受け入れる考えも示す。
 取る・取らないではなく、一緒に仕事をしようという形にしたのだ。
 これが、俺の描く『共存共栄』の図だ。

「それでも、ある程度は要求されたけどね」
「ほう。いくらだ?」

 一度目の商談では、四〇〇億円が提示されていた。
 四〇〇億円の内訳は、大きく分けて四項目。
 土地代七〇億、見込み利益二三〇億。
 そして、手間賃が一〇〇億だ。
 さて、それが一体いくらまで落ちたのか?

「なんとびっくり、一五〇億円なり!」
「ひゃ、一五〇!? それって、全部込み込みで?」
「イエス! 込み込みで一五〇億!」

 アンズがドヤッと胸を張る。
 そんなアンズの両手を握り、俺は声を弾ませた。

「すごいぜ、流石はアンズだ!」
「そうガッツリ褒められると、少し恥ずかしいかも」

 珍しく、アンズが頬を赤らめる。
 されど、俺は気にしなかった。
 アンズの手を取り、ピョンピョン跳ねる。
 ひとしきり興奮した後、「ふぅ」と落ち着いた。

「で、一五〇の内訳は?」

 アンズが「えっとね」と数秒考え込む。
 その後、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「土地代が七五億で、建設費が二五億だね」
「残りの五〇は手間賃か?」
「今回は『色を付けて』という表現だけど、意味は同じだね」

 要するに、五〇億は相手にプレゼントしてやる金だ。
 余分と分かっていて支払うのは癪だが、仕方がない。
 相手の立場を考慮すれば、これでも十分譲歩している。

「それにしても、この土地は五億もするんだな」
「そうみたい」

 前回の提示だと、土地代は七〇億だった。
 それが今回は、七五億に増加している。
 増えた五億は、今住んでいるマンションの土地代だ。
 別に、二菱が新たにボろうとしているわけではない。

「一五〇で土地と倉庫をゲットできるなら安いものだな」
「当初の四〇〇からは大幅ダウンだね」
「あとは設計と施工が手抜きにならないか不安だけど……」
「その点は大丈夫だと思うよ。相手の信用に関わる部分だから」
「なるほど」

 なら、何の問題もない。
 願ったり叶ったりの展開だ。

「ただ、前にも言った通り、ユート君の出番があるけどね」
「そこは避けられなかったか……」
「むしろ、相手からするとユート君の顔を見るのがメインだね」
「え、なんで?」
「だって、謎の大富豪だから」

 たしかに、客観視すると俺は『謎の大富豪』だ。
 会社にしたって、まるで知られていない。
 株式会社ユート君なんて、誰も知らないだろう。

「それに、金回りの良い客とは、仲良くしておきたいものだから」
「なるほどな」

 コミュ障の俺にとって、大企業の重役と会うなんて試練だ。
 それも、難易度は最上級だ。
 想像するだけで、ブルブルと震える。

「思えば、滑稽なものだよ」

 ふっとひとりでに笑う俺。
 アンズが「なんで?」と訊いてくる。

「就活時代はさ、大企業の重役なんて、会いたくても会えなかったんだ」

 就活のことは、いまだによく覚えている。
 基本的に、面接にすらたどり着けなかった。
 履歴書やエントリーシートを送っては、落ちる日々。
 たまに面接まで行くと、一次試験で無事に玉砕。
 重役が控える最終面接なんて、論外もいいところだった。
 それどころか、部長クラスとすら会えなかったのだ。

「それがさ、会いたくないと思った途端に会えるんだぜ?」

 しかも、向こうから会いたがられている。
 こちらは緊張するから会いたくないというのに。
 これは一体、何の冗談だ。

「世の中、何があるのか分からないものだね」

 と、アンズが笑う。
 俺も「そうだな」と笑った。
 本当に、世の中は何があるか分からない。

「じゃあ、二菱の重役と会う日が決まったら言うね!」
「おう。今日もお疲れ様、そしてありがとうな」
「なぁに、これが私の仕事だから!」

 こうして、問題が一つ解決された。

 ◇

 翌日。
 この日も、アンズ抜きで営業が行われた。
 資金力ランキングは二九八〇位。
 どうにかギリギリ二〇〇〇位台からのスタートだ。

「ありがとうございました、なの♪」

 そして一時間後、問題なく終了した。
 今日も当たり前のように、完売御礼だ。
 ランキングは、いよいよ二八〇〇位台に突入した。
 しかし、これまでに比べると、伸びる勢いが弱々しい。

「もう少しで順位が停滞するな」

 この調子なら、最終的には二五〇〇位前後で順位が止まる。
 そこからは、三営業日で順位を切り上げ、二休日で全戻しの展開だ。
 もはや、何度も繰り返したことだから、容易に推察できる。

 ただ、俺に焦りはなかった。

 なぜなら、缶詰の仕入れ個数をまだまだ増やせるからだ。
 単体の個数だけではなく、種類もまだまだ増やす余地がある。
 倉庫が完成すれば、一気に増量すればいいだけなのだ。
 それにより、二〇〇〇位台の突破も夢ではなくなる。
 そう、今の適正は二五〇〇位台というだけのこと。
 俺の快進撃が、ここで止まるわけではない。

「さて、リアルに行くか」
「テレビを観るなのー♪」
「なんだか久しい気がするな」

 営業終了後は、リアルで過ごすことにした。
 一人で頑張るアンズを、一秒でも早く迎える為だ。
 そんな優しい提案をするのは、当然、俺。
 ――ではなく、ネネイだ。

「いい子にしていてねなの、ゴブちゃん」
「キェェェ!」
世界転移トランジション、発動!」

 ゴブちゃんを残し、俺達はリアルに戻った。
 リアルについてからは、お決まりの流れだ。

 俺は、デスクトップPCで株のチェックなどを行う。
 なんていえば聞こえはいいが、実際はネットサーフィンだ。
 既に、現実のお金に関することは、全てアンズに一任している。
 俺の出る幕といえば、何かしらのアイデアを絞り出すだけ。
 いわゆる司令官役である。

 一方、残りの三人はノートPCに張り付いて過ごす。
 基本的に、動画サイトやテレビを観ている。
 どうやら今日は、テレビを観るようだ。

『さぁ、簡単なお絵かき歌を始めるぞ!』

 画面には、大きなキャンバスが見える。
 その横には、溌剌としたお兄さんが立っていた。
 どうやら、子供向けのテレビ番組のようだ。

「ワクワクなの、ワクワクなの」
「お絵かき歌とは、一体……!」
「面白そうだな」

 三人とも、興味津々で観ている。
 反応からするに、お絵かき歌自体を知らないようだ。
 歌に合わせてペンを走らせ、絵を描くだけのお遊び。
 子供の頃、俺もいくつかのお絵かき歌を覚えていた。
 小学校を卒業するころには、全て失念してしまったが……。

『さぁ、描く物は用意したかな?』

 テレビから、お兄さんが言ってくる。
 残念ながら、三人は何も用意していなかった。

「らくがき君がないなの!」

 ネネイが周囲を激しく探す。
 しかし、らくがき君は見当たらなかった。
 当然だ。
 らくがき君は、エストラに置いてきている。

「おとーさん、お絵かき歌が始まってしまうなの!」
「そうか、残念だな。適当な紙とペンを使えばいいさ」
「ネネイ、らくがき君がいいなの! らくがき君がいいなの!」

 ネネイは、何が何でもらくがき君でお絵かきをしたいらしい。
 俺がプレゼントしたものということもあり、相当気に入っている。
 やれやれ、こうなっては仕方があるまい。

「じゃあ、取ってくるよ」
「やったぁ! ありがとーなの!」
「間に合うか分からないから、今日は紙とペンで我慢してくれ」
「はいなの♪」

 三人を部屋に残し、俺はエストラに移動した。
 その時の俺の心境は、こうだ。

「今日を我慢するのなら、らくがき君を取りに戻る必要はないのではないか」

 もちろん、そんなことを思っていても、口にはしない。
 これは経験から学んだことなのだが、『行為』に意味があるのだ。
 間に合うか間に合わないかという結果は、それほど重大ではない。
 大事なのは、取りに行こうとした行為である。

 そんなわけで、俺はエストラにやってきた。

「キェー……、キェー……」

 戻った俺を待っていたのは、ゴブちゃんの後ろ姿だ。
 ソファではなく、床にケツをつけている。
 何やら、一人で遊んでいた。
 鳴き声から、哀愁が漂っている。
 俺の存在に気づいていない。
 没頭しているというより、ぼんやりしているみたいだ。

「何をしているのだろう」

 俺は後ろから、そーっと覗き込んだ。
 そして、「あちゃー」っと右手を顔に当てる。
 なんてこった、ゴブちゃんはらくがき君で遊んでいたのだ。
 ちびちびとお絵かきをしては、寂しそうに消している。

「キェー……、キェー……」

 描いている内容は、俺達の似顔絵だ。
 決して上手くはないが、それぞれの個性を捉えている。
 何度も、何度も、何度も、同じように絵を描いては、消していた。

「ゴブちゃん」
「キェッ!?」

 突如背後から聞こえる俺の声に、ゴブちゃんが驚いた。
 曲がっていた背中をピンッと伸ばし、肩をブルブルさせる。
 そして、ゆっくりとこちらに振り返った。

「らくがき君を取りにきたんだけど……」
「キェー……」

 ゴブちゃんが、目をウルウルさせる。
 そして、描いていた絵を消し、らくがき君を渡してきた。
 あとはそれを受け取り、リアルに戻るだけだ。
 しかし、こんなにも寂しそうにされたら、そんなことはできない。

「うーむ、困ったぞ」

 戻るのが遅かったら、ネネイが怒るだろう。
 かといって、らくがき君を奪い取る気もしない。
 さすがにそれは、可哀想すぎる。

「ゴブちゃん、一緒にリアルへ行くか」
「キェッ!」

 俺はゴブちゃんを連れていくことにした。
 ゴブちゃんがリアルに行くのは、これが初めてというわけではない。
 だから、特に問題もなかろう、と判断した。

「行くぞ、ゴブちゃん」
「キェェ!」

 ゴブちゃんから、らくがき君を受け取る。
 その後、ゴブちゃんと手を繋ぎ、世界転移を発動した。

「おかえりなさいなの――あっ、ゴブちゃんも一緒なの!」
「寂しそうにらくがき君で遊んでいたから、連れてきたよ」

 事情を説明する。
 ネネイはニッコリと微笑んだ。

「ゴブちゃん、一緒にテレビを観ようなの!」
「キェェェェ!」

 こっちに来い、とゴブちゃんに手招きするネネイ。
 それに従い、ゴブちゃんはネネイの横に腰を下ろした。

「じゃあ、俺は作業に戻るぜ」
「はいなのー♪」

 事後報告だが、アンズに知らせておこう。
 ゴブちゃんのご主人様は、アンズだからな。
 ということで、俺はスカイブを立ち上げた。

============
プリン大好き君の発言:
 お疲れ様
 事後報告で悪いけど、ゴブちゃんを連れてきた
 問題があったら言ってくれ
============

 発言をしてから、約十分。
 これといって、返事はなかった。

「忙しいみたいだな」

 画面に向かって、独り言を呟く。
 その瞬間「ピコン♪」と音が鳴った。
 アンズこと戦うシマウマ君から、返事がきたのだ。

============
戦うシマウマ君の発言:
 オッケー!
 俺には冷たいのに、ゴブちゃんには優しい男だな!
 もしかしてプリン、男の子好きか?
============

 俺は画面を眺めながら「馬鹿だ」と呟く。
 その表情は、ほんの少し笑っていた。
 それから、再びキーボードを打ち込む。

============
プリン大好き君の発言:
 それより、いつまでネナベを演じるんだ?
 君が男じゃないことは、もう知っているよ

戦うシマウマ君の発言:
 ネットでの一人称は生涯『俺』だよ!
 それと、俺はネナベじゃない!
 なぜなら、自身の性別を男と言ったことはないから!
============

 ネナベとは、ネット上で男を装う女のことだ。
 アンズ曰く、自分はそれに該当しないらしい。
 その理由として、「男と言ったことはない」と。

 要するに、勝手に勘違いした奴が悪い理論である。
 ネトゲにおいて、意図的に女っぽく演じる男のよく使う論だ。
 俺が唯一恋した相手も、この手法でピュアな俺の心を切り裂いた。

 俺は「ふっ」と鼻で笑う。

============
プリン大好き君の発言:
 とにかく、終わったら部屋に来いよ
 三〇二で適当に過ごしているからな

戦うシマウマ君の発言:
 オッケー、すぐ行くよ
============

 そのやり取りから二分もしない内に、アンズはやってきた。

「イエイ、私の登場だ!」
「本当にすぐ来たな」

 あまりにも早すぎて、苦笑いが込み上げる。
 アンズは「まぁね」と言い、親指をグイッと立てた。

「おっ、ゴブちゃん!」
「キェェ!」
「今日も可愛い我が子よ! さぁ、おいでおいで!」
「キェェェェ! キェェェェ!」

 部屋に入ってきたアンズに、ゴブちゃんが飛びつく。
 アンズの足に抱き着き、頬をスリスリしている。
 俺がやればセクハラになる行為だ。
 子供っぽいゴブちゃんだから、絵になっている。

「よーしよしよし!」

 アンズがゴブちゃんを撫でまくる。
 ひとしきり撫でた後、抱っこした。
 その状態で、俺に向けて言う。

「さてユート君、二菱の重役と会う日程が決まったよ!」
「ま、まじかよ!」

 このタイミングで飛び出すとは思わなかった言葉だ。
 それを受け、俺の身体はかつてないほどにソワソワした。
しおりを挟む

処理中です...