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第002話 諭吉が使えない

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 大草原を駆け抜けた私達は、滞りなく街に到着した。
 一応は競争だったのだけれど、ゴールは同着だ。それは私が犬並の脚力を誇っているから……ではない。レオンが私に合わせて走ってくれたからだ。

「勝手に入っていいのか分からないけど、ここがどこなのかを特定する為にもいかないとね」
「ワンッ♪」

 私はリードを持ち、レオンと共に城門をくぐろうとした。
 その時、門番から「待て」とストップをかけられる。
 驚いたことに彼の言葉は日本語だった。
 現在進行形で必死に思い出していた英語能力は必要ないようだ。

「その犬……見たことのない犬種だな」

 門番がレオンを見て眉をひそめる。
 レオンはその場に伏せて、私の判断を待っていた。

「この犬はレオンベルガーという犬種です。ニューファンドランドとセント・バーナードを交配させることで――」
「ニューファ……なんだって? あともう1つはセントバナナ?」

 門番は犬種に関する知識が乏しいようだ。
 どう説明しようか悩んだ後、私は言い方を変えた。

「特徴をお伝えしますと、賢い甘えん坊です。しっかりと躾ておりますから、他人様にご迷惑をかけることはありません」

 犬種ではなく特徴を伝えたのだ。
 これならば、犬種の知識がなくても問題ない。
 門番の反応は「そうか」の一言だった。

「犬のことはさておき、お前のその紐はなんだ?」

 門番がリードを指す。
 私は「ただのリードですが……」と困惑した。

「犬が可哀想だろ。奴隷じゃないんだぞ。その紐を今すぐ外せ。さもなくば動物虐待と見なして逮捕する」

 どうやら問題はリードにあったようだ。
 門番は腰に差している剣に手を掛け、今にも抜きそうな構え。
 リードを外して良いのなら、私にだって文句はない。

「わ、わかりました」

 私はイソイソとリードを外した。

「首輪も外したほうがよろしいでしょうか?」

 念のために尋ねる。
 門番は「好きにしろ」と言った。
 どうせだから、と私は首輪も外しておく。

「よし、中に入っていいぞ。今度から動物を縛るような真似はやめろよ」

 門番が私からリードを取り上げる。
 よほどリードが気にくわなかったようだ。
 私は「気をつけます」と頭を下げて門をくぐるのであった。

 ◇

 街に入った私は驚愕した。

「ここは日本じゃない……!」

 門番が日本語だったことから、日本のどこかだと思い込んでいた。
 しかし、ここは間違いなく日本ではない。
 そう確信したことには理由がある。

 文明のレベルが遅れているからだ。
 建物の建材は木や石が主流で、たまにレンガが見受けられる程度。コンクリートが使われている建物は皆無だ。更に、日本であれば必ず見かける電柱がない。昨今では技術の発達と景観良化の観点から電柱を埋める所もある。しかしそれは都市部に限られた話だ。
 また、大草原の中にある街にしては若者が多い。10代から30代と思しき男女があちらこちらを歩いているのだ。そして、それらの大半が鎧やローブといったファンタジーチックな服装をしている。

「なんだか不思議なところだね」

 私が呟くとレオンが「ワンッ」と吼えた。
 どうやらレオンも私と似た感想を抱いているようだ。

「とりあえず晩ご飯を食べよっか。なぜか明るいけど」

 現在の日本時間は19時頃のはず。
 なのにこの明るさときたら正午のようだ。

「日本とこれほどの時差があり、公用語が日本語で、文明レベルは一昔前……」

 得られた情報を元に場所を特定しようとする。
 その結果、「ここは地球ではないどこかの星だ!」と結論づけた。

 通常であれば、そのような考えは抱かない。
 しかし、今回は通常ではない。扉を開けた瞬間に草原へ降り立ったという異常事態から始まっている。だから、この場所が異世界であったとしても何ら不思議ではない。

「そうなるとお金が不安だなぁ」

 街を適当に歩いて飲食店を探す。
 酒場は何軒もあるが、レストランは見当たらない。

「もういっか、酒場で!」
「ワンッ!」

 空腹と疲労に勝てず、私は酒場に入った。

「いらっしゃいませー! ってこれは大きなワンちゃん!」

 接客担当の女性がフレンドリーに寄ってくる。
 レオンの入店をお断りされなかったことにホッとした。

「ささ、こちらの席にどーぞ!」

 女性が案内を始めようとする。
 私は「待ってください」と制止した。
 きょとんとする女性をよそにポケットをまさぐる。

「あったあった」

 取り出したのは財布だ。
 少しのお札と大量の硬貨が詰まっている。
 面倒臭がりで何かとお札で支払う性格の表れだ。

「これ使えますか?」

 私は財布の中から諭吉を取りだした。
 分身して欲しい男部門で堂々の1位に輝く名手だ。

「なんですかこれ?」

 女性が首を傾げた。
 不安が的中する。お札は使えない。

「じゃ、じゃあ、これは!」

 500円から1円までの硬貨を取り出す。

「うーん、これらは異国のお金なんですか?」
「そうです! 使えませんか?」
「ウチは異国のお金は扱ってないんですよねぇー」

 この様子だと他の店でも同じだろう。
 これには脳天気な私も絶望を抱かざるを得ない。
 衣食住のない無一文とはなんてこった。

「このままだと使えませんがー」

 今にも泣きそうな私を見て、女性が言った。

「異国のお金なら換金してもらうといいですよぉー。冒険者ギルドでは色々な物を換金してくれますから! 異国から来られる方や狩りを終えた冒険者さんは、不要な物をギルドで換金してもらうんですよー」

 絶望の闇に一筋の光が差し込んでくる。
 換金できれば今日の食い扶持くらいは確保できるはずだ。

「分かりました! 今すぐ換金してもらってきます! ところで、冒険者ギルドはどちらにあるのでしょうか?」

 女性が「あそこですよー」と外に出て教えてくれた。
 いくつかある建物の向こうにそびえる大きな施設のようだ。
 大きいから迷うことはないだろう。

「ありがとうございます。あと1つお尋ねしたいのですが、この世界で生活費を稼ぐにはどうすればいいのでしょうか? 異国の者だから何も分からなくて」
「すぐにお給料が必要なら冒険者が一番ですよー。ウチやそこらのお店でも働き手は募集していますが、お給料は日払いじゃないのですー」

 冒険者……。
 そんな職業は日本になかった。
 ファンタジー作品でしか聞かない言葉だ。
 名前からして危険を伴うイメージがあって怖い。

「色々とありがとうございました」
「いえいえー! 換金したらウチで食べて行ってくださいねー!」
「もちろん!」

 女性に一礼した。
 私の隣でレオンも頭を下げる。
 それから、酒場を後にした。

「どんなところだろうね」

 冒険者ギルドに向かいながら話しかける。
 レオンが「クゥン♪」と鳴き、私の足に顔をスリスリした。
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