18 / 19
2章 爆発な事件
2-11
しおりを挟む
閉じ込められていた人々が、岩板に開けた穴から次々外へ出てきた。家族や親しい者達と抱き合って喜び、すぐ水と軽食が与えられた。
エルンストは最後に出てきた。一番体が大きいから、穴に詰まったら後の者が出られなくなる、と言い張ったらしい。
何だそれは、と人々は思ったが、実際少し引っ掛かって上着を破いた。
出てきたエルンストに向かって人影が駆けてきた。月とカンテラの光の下、なびく髪が赤い。
エルンストは気づいて、引き寄せられるようにそちらへ一歩踏み出す。
と。人影がべしゃっと倒れた。
辺りに岩板を砕いた時にできた石が沢山散らばっていて、それを踏んで見事に顔から転んだ。
エルンストが慌てて駆け寄って助け起こす。
「エルンスト、大丈夫?」
「ベルティーナの方が大丈夫じゃなくないか?」
いつも通りすぎる緊迫感のないエルンストに、張り詰めていたベルティーナの気持ちが一気に緩んだ。
「---っ」
座り込んだまま俯いてしゃくり上げるベルティーナの赤い頭を、同じくしゃがみこんだエルンストがわしゃわしゃと撫でる。
端から見ると猿の毛繕いに似ている。
エルンストは閉じ込められている間、一応命の危険があることは分かっていたから、生きて帰れたらベルティーナに言おうと思ったことも色々あったのだが、何だか一気に吹っ飛んだ。
それでも十分満ち足りてしまったので。
ただ、やっぱりベルティーナは泣いたなぁと思った。でも死んで泣かせるのでなく生きてて泣かせたから、勘弁してもらおうと思う。
少し離れて見ていたコーエンとエリザベートがやってきて、コーエンに「もう少し何かないのか」と耳打ちされた。
◇◆◇◆◇◆
ベルティーナ達は事故後3日間留め置かれた。関係者としての聴取とエルンストの休養のためだ。エルンストは一晩ぐっすり寝たら、すぐ後始末の手助けに飛び回っていていたが。
今回もやはり粉塵爆発の可能性が高いと判断された。
坑道本体でなく換気孔内で爆発が起こり、その衝撃で坑道が崩落したという間接的なものだったことも、坑道にいた人間が全員無事だったことに繋がったのだろうとのことだった。
3日目の、雲一つなく晴れた空の下。
工場から鉱山へ向かう山道の脇道を少し入った、見晴らしのいい高台に2つの人影があった。
一つは赤い髪を風に靡かせたベルティーナ。もう一つはウィルフリードだった。
「貴女が爆薬を作ってくださったのが、迅速な救助に繋がりました。ありがとうございます」
「実際に活躍したのは現場の皆さんで、私は一要素に過ぎません」
ベルティーナは慌てて答えた。
少し2人でお話を、と連れてこられたが、貴族様と2人きりは心臓に悪い。
まぁ、屋敷に招いたりせず、現場で少し休憩がてら、という形にしてくれたので少し気楽だ。きっと彼の気遣いだろう。
見下ろす山の緑が目に優しい。
爆薬作りはある程度賭けだった。
ベルティーナは天文学者で、化学者ではない。原理は分かるし基礎的な化学実験は経験があるが、当然爆薬を作ったことはない。
爆薬があれば、という話を聞いた時、ベルティーナは頭の中の記憶と知識を総動員して方法を考えた。
--答に辿り着く道は一つではない。少々回り道でも、確実に正しい答に辿り着く方法を考え付く思考ができるのは重要だ。
馬車の中でエリザベートに言った自分の言葉を思い出す。
様々な道を頭の中で検証する。爆薬を手にいれるというゴールにたどりつくには、どんな方法が最善だろう?
すぐ爆薬の注文をする? 届くまで数日かかると言っていたが、早く届ける方法はないか? --だめだ、どれも大差ない。
やがて、ウィルマに化学実験室を案内してもらった時の記憶に行き当たった。
鉱石の簡易な製品検査が中心のため、あまり充実してはいなかった。しかし、ごく基礎的な薬品である硫酸と硝酸があるのは気付いていた。
--有機化合物には、硫酸を触媒に硝酸を反応させると爆発物になるものがある。ニトロ化(硝化)や硝酸エステル化の反応だ。
有名なのはグリセリン。爆薬のニトログリセリンになる。でもここにグリセリンはない。油を使って作れないことはないけれど、作る時間が惜しい。
もっと手に入りやすい材料……セルロース! 植物の繊維だから、木綿の布や紙などでよい。
ニトロセルロースは爆発性がある。爆薬というよりは火薬で、破壊力は劣るが使い方次第だろう。
ウィルフリードの指示で場内から掃除用のボロ布や手拭いなどが集められた。
ベルティーナは集められた材料を使って実験室でニトロセルロースを生産する。
反応が終わったら、本当は何日もかけて大量の水で洗って念入りに酸を取り除いたり、不純物や水分をとったり、安定化剤を加えたりという工程が必要なのだが、今回はすぐ使う上に一発勝負なので、最低限の処理だけする。
運んでくれるウィルマ達には、酸火傷や安全にくれぐれも注意するよう頼んだ。
屋外で完成品の少量に火をつけて爆発させる実験を数回。
どの程度の量でどの位の威力かの当たりをつけたり、岩板の蓋にどう傷を入れてから火薬を使うと割れやすくなるか判断したりしたのは、鉱山技術者とベテラン達だ。
様々な人達が持てる力を出しあって、救助が成功したのだ。
勿論、こちらが失敗する可能性に備え、並行して元の出入口の方の発掘を進めてくれていた人達も影の功労者だ。尽くせる手は尽くしておく必要があった。
「報告会では、父が貴女に暴言を吐いたと聞きました。責任者代行として、お詫び致します」
ウィルフリードが頭を下げる。
「そんな。ウィルフリード様は悪くないのに」
「まぁ、確かにそう思います。あのバカ父が謝るべきなんですよね。でも責任者代行の立場になった身として、必要なことと思うので」
ウィルフリードがしれっと何か不穏なことを言った気がする。
スルーしつつ、ベルティーナはずっと引っ掛かっていたことを話す。
「私からの説明に対して、男爵はただ決定事項としてダメだと伝えて、否定する根拠を示してもらえませんでした。根拠を示して貰えれば納得や反論もできるのにと思いました。
男爵には、何か私の知らない高次の判断があったのか気になっています」
「そんな時代が私にもありました…」
ウィルフリードがふっと遠い目をした。
「私も子供の頃、父が頭ごなしに私を否定する度、自分の何が悪かったのかと理由を探し努力しました。
しかし無意味でした。
根拠を示さず強気に強弁すれば、相手はそうやって、高次の判断なのかもしれない、自分に非があるのかも、と勝手に根拠を探して従ってくれる、という只の卑劣な『手口』なんです。
根拠を絶対示さないのは、根拠なんてないことをバラさないためです。
自分を実際以上に大きく膨らませて見せるばかりで中身が空っぽの、DV親父の典型に過ぎませんでした。
真に受けたら貴女の方が病みます。父は『そういう人』なんですよ」
疲れたように笑うウィルフリードは、そこに至るまで色々あったのだろう。それはもう色々。
あの父を持つ割にまともな人なのは、父を反面教師にしたのだろう。
ベルティーナも、心のしこりが取れてスッキリした。
「父は痛風の持病があって、医者から好物を控えるよう言われているんです。でも、嘘だ、俺のことは俺が一番分かっているお前に何が分かる、と絶対受け入れないんです。
だから貴女に指摘されたような栄養学的な問題は尚更、逆鱗で、全否定なんでしょうね」
そんな理由ーー?! 幼児か!
いい大人が、俺の好き嫌いで領民や労働者の命左右するなーー!
しかも、よりによって痛風か…。高価な動物性食材に多い成分の過剰摂取が原因の病気ゆえ、贅沢病とも言われる。
労働者や領民を栄養失調にして、本人は痛風か…。
「父の怪我は骨折だけしたが、年齢と不摂生が祟って完治には半年かかるそうです。持病もあるし、これを機に隠居してもらいます。そうしたら私が跡を継ぐことになります」
え?! いや…正直、あの男爵に権力持たせちゃイカンだろうと思うので、いいことじゃないかという気がするんだけど……。あの男爵が簡単に爵位を譲るだろうか?
その疑問がベルティーナの顔に出たのだろう。
「父は認めたがらないでしょうが、中央に申請済みですので、受理されたら王命で強制的に代替わりとなります。
--父は陰謀論者で、隣国から破壊工作を受けているという偽情報を社交界でよく吹聴していました。
隣国との関係悪化や混乱の煽動という面で問題があるだけでなく、国の外交施策や情報把握に欠陥があると根拠なく公然と非難していた訳で。中央も父を排除したがってるので、受理されるでしょう」
ウィルフリードの笑みが微妙に黒い。
基本的に綺麗な仕事をする人だけど、必要とあらば腹芸や根回しもできる人なんだろうな、と気付く。まぁ、あぁいう理性の通じない相手には、そういう技も必要なんだろう。
調査初日に、ウィルフリードは別件で工場に来ていた。恐らく以前から、事業所運営を引き継ぐための勉強や根回しを進めていたのだろう。
「そして爵位継承を控えた次期男爵へは、早く身を固めろという声が沢山寄せられていまして」
「大変ですね」
「男爵夫人の座に興味はありませんか?」
「は?」
ベルティーナは思わずまじまじとウィルフリードを見る。整った顔立ちが柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。
「本気ですよ」
ベルティーナが、ご冗談をと言おうとするのを先読みしたかのように言う。
「聡明で理性的で、思いやり深い。そんな善き人間であろうと、人生でずっと努力を重ねてきた人だと分かります。私は人間観察眼には少し自信があるんです。
貴女に支えて貰えたら、私はもっとよい当主になれると思う。男爵夫人でいるだけでは不足でしたら、結婚後も無理のない範囲で仕事を続けても構いません」
驚愕で真っ白になったベルティーナの頭は、一瞬後フル回転する。
「光栄ナコトトハ存ジマスガ、私デハ分不相応デゴザイマスノデ……」
「……貴族相手だから本心言えないよね、分かった」
ウィルフリードが半眼で片手を上げて、絡繰人形のように繰り出す彼女の言葉を制す。
「まぁ、即答だったし、断る意思は通じたよ。--せめて、何故私が振られたのか正直なところを教えてくれないか? 今後の自分の戒めとして生かしたいから。勿論罰したりしないよ」
つくづく聡明な人だ。そして誠実だ。
砕けた口調に変えたのも、本音を言いやすい雰囲気にするためだろう。
峻巡した後、ベルティーナは思いきって話す。ここは誠実に答えるべきだ。
「ウィルフリード様は、『貴方が夫として支えれば、理系屋はもっといい仕事ができる。理系屋に婿入りするだけで不足なら、無理のない範囲でなら男爵の仕事を続けても構わない』と言われたら、どう思いますか?」
ウィルフリードは瞠目する。
--そしてゆっくりと目を閉じた。
「あぁ……そういうことですね。私は貴女にとても酷いことを言った」
心より謝罪します、と彼は膝をつき頭を下げた。
ウィルフリードの言葉は、ベルティーナが自分の仕事より夫を支えることを人生の中心にシフトすることを暗黙の前提にしたものだ。だからこそ『続けても構わない』という上から目線の言葉になる。
彼の仕事よりベルティーナの仕事の方が下で優先順位が低いと、無邪気に決めつけた言葉だった。
自分が同じことを言われてみれば、その構造と不快さがよく分かる。
ウィルフリードもベルティーナも、自分の仕事や経験値は、長年かけて悩み学び多大な努力をして獲得したものだ。むしろベルティーナの方が、平民で女性という差別の逆風の中で築いたもので、苦難も価値も大きいかもしれない。
仕事や人生の歴史は、その人の人格そのものでもあるのだ。
ウィルフリードはベルティーナに、
「自分の人格を捨てて私を支える光栄に浴しませんか?」
「貴女が自分の人格を持っていても許しますよ」
と言ったのだ。
貴女の人格はその程度に価値が軽いものだと、息をするように当たり前に決めつけ貶めていたのだ。
ウィルフリードは唇を噛み締める。
ベルティーナがベルティーナであることは、彼女が自分の力で手に入れたものだ。
誰かに許可を貰わなければならないものではない。
何故、人格を奪われ、それを一部でも取り戻すためには許可を得なければならない檻に入れと、傲慢なことが言えたのか。
しかも、彼女がその言葉を喜ぶかもしれないと、無邪気な期待すらしていたのだ。
何より罪深いのは、自分のその認知の歪みを自覚すらしていなかったことだ。
「--私は父を反面教師に、ああはなるまいと思って生きてきました。しかし私も父と違わない。自分本意に傲慢に、他者を貶める真似をしていた」
沈痛な面持ちでウィルフリードが噛み締めるように言う。
「いや、全然違いますよ」
ベルティーナは即応する。
「話が通じてます。ウィルフリード様は、理性や誠意に耳を傾けて受け入れ、自分をより良い方向へ変えていける人だと、私は思います。失礼ながら前男爵は、言葉が通じませんでした」
ウィルフリードは本当に聡明な人だ、とベルティーナは思う。
ほんの一言ですぐ、彼女の言わんとしていることを理解した。更に、逆ギレしたりダブルスタンダードの言い訳を並べ立てて逃げたりせず、自分の非を認めることができ、謝罪する真摯さを持っている。きっと言葉通り、今後の自分の戒めとして生かすだろう。
ウィルフリードは小さく笑う。ベルティーナが追従でなく素でそう言っていることを感じ、少し浮上する。
「ウィルフリード様は、いい当主様になると思いますよ。私がお力になれることがありましたら、お声かけください」
「本当に? 言質は取りましたよ?」
わざと悪そうに口許を歪めて笑ってみせるウィルフリード。
しまった、この人は穏やかそうにみえて、中々の策士だった。--まぁ、彼ならそう理不尽なことをさせないだろうからいいか。
ベルティーナは苦笑混じりに微笑んだ。
頭上で鳥の声が聞こえて、ふと空を見上げる。
事件後暫く工場が操業を止めていたせいか、空は以前より澄んでみえた。
エルンストは最後に出てきた。一番体が大きいから、穴に詰まったら後の者が出られなくなる、と言い張ったらしい。
何だそれは、と人々は思ったが、実際少し引っ掛かって上着を破いた。
出てきたエルンストに向かって人影が駆けてきた。月とカンテラの光の下、なびく髪が赤い。
エルンストは気づいて、引き寄せられるようにそちらへ一歩踏み出す。
と。人影がべしゃっと倒れた。
辺りに岩板を砕いた時にできた石が沢山散らばっていて、それを踏んで見事に顔から転んだ。
エルンストが慌てて駆け寄って助け起こす。
「エルンスト、大丈夫?」
「ベルティーナの方が大丈夫じゃなくないか?」
いつも通りすぎる緊迫感のないエルンストに、張り詰めていたベルティーナの気持ちが一気に緩んだ。
「---っ」
座り込んだまま俯いてしゃくり上げるベルティーナの赤い頭を、同じくしゃがみこんだエルンストがわしゃわしゃと撫でる。
端から見ると猿の毛繕いに似ている。
エルンストは閉じ込められている間、一応命の危険があることは分かっていたから、生きて帰れたらベルティーナに言おうと思ったことも色々あったのだが、何だか一気に吹っ飛んだ。
それでも十分満ち足りてしまったので。
ただ、やっぱりベルティーナは泣いたなぁと思った。でも死んで泣かせるのでなく生きてて泣かせたから、勘弁してもらおうと思う。
少し離れて見ていたコーエンとエリザベートがやってきて、コーエンに「もう少し何かないのか」と耳打ちされた。
◇◆◇◆◇◆
ベルティーナ達は事故後3日間留め置かれた。関係者としての聴取とエルンストの休養のためだ。エルンストは一晩ぐっすり寝たら、すぐ後始末の手助けに飛び回っていていたが。
今回もやはり粉塵爆発の可能性が高いと判断された。
坑道本体でなく換気孔内で爆発が起こり、その衝撃で坑道が崩落したという間接的なものだったことも、坑道にいた人間が全員無事だったことに繋がったのだろうとのことだった。
3日目の、雲一つなく晴れた空の下。
工場から鉱山へ向かう山道の脇道を少し入った、見晴らしのいい高台に2つの人影があった。
一つは赤い髪を風に靡かせたベルティーナ。もう一つはウィルフリードだった。
「貴女が爆薬を作ってくださったのが、迅速な救助に繋がりました。ありがとうございます」
「実際に活躍したのは現場の皆さんで、私は一要素に過ぎません」
ベルティーナは慌てて答えた。
少し2人でお話を、と連れてこられたが、貴族様と2人きりは心臓に悪い。
まぁ、屋敷に招いたりせず、現場で少し休憩がてら、という形にしてくれたので少し気楽だ。きっと彼の気遣いだろう。
見下ろす山の緑が目に優しい。
爆薬作りはある程度賭けだった。
ベルティーナは天文学者で、化学者ではない。原理は分かるし基礎的な化学実験は経験があるが、当然爆薬を作ったことはない。
爆薬があれば、という話を聞いた時、ベルティーナは頭の中の記憶と知識を総動員して方法を考えた。
--答に辿り着く道は一つではない。少々回り道でも、確実に正しい答に辿り着く方法を考え付く思考ができるのは重要だ。
馬車の中でエリザベートに言った自分の言葉を思い出す。
様々な道を頭の中で検証する。爆薬を手にいれるというゴールにたどりつくには、どんな方法が最善だろう?
すぐ爆薬の注文をする? 届くまで数日かかると言っていたが、早く届ける方法はないか? --だめだ、どれも大差ない。
やがて、ウィルマに化学実験室を案内してもらった時の記憶に行き当たった。
鉱石の簡易な製品検査が中心のため、あまり充実してはいなかった。しかし、ごく基礎的な薬品である硫酸と硝酸があるのは気付いていた。
--有機化合物には、硫酸を触媒に硝酸を反応させると爆発物になるものがある。ニトロ化(硝化)や硝酸エステル化の反応だ。
有名なのはグリセリン。爆薬のニトログリセリンになる。でもここにグリセリンはない。油を使って作れないことはないけれど、作る時間が惜しい。
もっと手に入りやすい材料……セルロース! 植物の繊維だから、木綿の布や紙などでよい。
ニトロセルロースは爆発性がある。爆薬というよりは火薬で、破壊力は劣るが使い方次第だろう。
ウィルフリードの指示で場内から掃除用のボロ布や手拭いなどが集められた。
ベルティーナは集められた材料を使って実験室でニトロセルロースを生産する。
反応が終わったら、本当は何日もかけて大量の水で洗って念入りに酸を取り除いたり、不純物や水分をとったり、安定化剤を加えたりという工程が必要なのだが、今回はすぐ使う上に一発勝負なので、最低限の処理だけする。
運んでくれるウィルマ達には、酸火傷や安全にくれぐれも注意するよう頼んだ。
屋外で完成品の少量に火をつけて爆発させる実験を数回。
どの程度の量でどの位の威力かの当たりをつけたり、岩板の蓋にどう傷を入れてから火薬を使うと割れやすくなるか判断したりしたのは、鉱山技術者とベテラン達だ。
様々な人達が持てる力を出しあって、救助が成功したのだ。
勿論、こちらが失敗する可能性に備え、並行して元の出入口の方の発掘を進めてくれていた人達も影の功労者だ。尽くせる手は尽くしておく必要があった。
「報告会では、父が貴女に暴言を吐いたと聞きました。責任者代行として、お詫び致します」
ウィルフリードが頭を下げる。
「そんな。ウィルフリード様は悪くないのに」
「まぁ、確かにそう思います。あのバカ父が謝るべきなんですよね。でも責任者代行の立場になった身として、必要なことと思うので」
ウィルフリードがしれっと何か不穏なことを言った気がする。
スルーしつつ、ベルティーナはずっと引っ掛かっていたことを話す。
「私からの説明に対して、男爵はただ決定事項としてダメだと伝えて、否定する根拠を示してもらえませんでした。根拠を示して貰えれば納得や反論もできるのにと思いました。
男爵には、何か私の知らない高次の判断があったのか気になっています」
「そんな時代が私にもありました…」
ウィルフリードがふっと遠い目をした。
「私も子供の頃、父が頭ごなしに私を否定する度、自分の何が悪かったのかと理由を探し努力しました。
しかし無意味でした。
根拠を示さず強気に強弁すれば、相手はそうやって、高次の判断なのかもしれない、自分に非があるのかも、と勝手に根拠を探して従ってくれる、という只の卑劣な『手口』なんです。
根拠を絶対示さないのは、根拠なんてないことをバラさないためです。
自分を実際以上に大きく膨らませて見せるばかりで中身が空っぽの、DV親父の典型に過ぎませんでした。
真に受けたら貴女の方が病みます。父は『そういう人』なんですよ」
疲れたように笑うウィルフリードは、そこに至るまで色々あったのだろう。それはもう色々。
あの父を持つ割にまともな人なのは、父を反面教師にしたのだろう。
ベルティーナも、心のしこりが取れてスッキリした。
「父は痛風の持病があって、医者から好物を控えるよう言われているんです。でも、嘘だ、俺のことは俺が一番分かっているお前に何が分かる、と絶対受け入れないんです。
だから貴女に指摘されたような栄養学的な問題は尚更、逆鱗で、全否定なんでしょうね」
そんな理由ーー?! 幼児か!
いい大人が、俺の好き嫌いで領民や労働者の命左右するなーー!
しかも、よりによって痛風か…。高価な動物性食材に多い成分の過剰摂取が原因の病気ゆえ、贅沢病とも言われる。
労働者や領民を栄養失調にして、本人は痛風か…。
「父の怪我は骨折だけしたが、年齢と不摂生が祟って完治には半年かかるそうです。持病もあるし、これを機に隠居してもらいます。そうしたら私が跡を継ぐことになります」
え?! いや…正直、あの男爵に権力持たせちゃイカンだろうと思うので、いいことじゃないかという気がするんだけど……。あの男爵が簡単に爵位を譲るだろうか?
その疑問がベルティーナの顔に出たのだろう。
「父は認めたがらないでしょうが、中央に申請済みですので、受理されたら王命で強制的に代替わりとなります。
--父は陰謀論者で、隣国から破壊工作を受けているという偽情報を社交界でよく吹聴していました。
隣国との関係悪化や混乱の煽動という面で問題があるだけでなく、国の外交施策や情報把握に欠陥があると根拠なく公然と非難していた訳で。中央も父を排除したがってるので、受理されるでしょう」
ウィルフリードの笑みが微妙に黒い。
基本的に綺麗な仕事をする人だけど、必要とあらば腹芸や根回しもできる人なんだろうな、と気付く。まぁ、あぁいう理性の通じない相手には、そういう技も必要なんだろう。
調査初日に、ウィルフリードは別件で工場に来ていた。恐らく以前から、事業所運営を引き継ぐための勉強や根回しを進めていたのだろう。
「そして爵位継承を控えた次期男爵へは、早く身を固めろという声が沢山寄せられていまして」
「大変ですね」
「男爵夫人の座に興味はありませんか?」
「は?」
ベルティーナは思わずまじまじとウィルフリードを見る。整った顔立ちが柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。
「本気ですよ」
ベルティーナが、ご冗談をと言おうとするのを先読みしたかのように言う。
「聡明で理性的で、思いやり深い。そんな善き人間であろうと、人生でずっと努力を重ねてきた人だと分かります。私は人間観察眼には少し自信があるんです。
貴女に支えて貰えたら、私はもっとよい当主になれると思う。男爵夫人でいるだけでは不足でしたら、結婚後も無理のない範囲で仕事を続けても構いません」
驚愕で真っ白になったベルティーナの頭は、一瞬後フル回転する。
「光栄ナコトトハ存ジマスガ、私デハ分不相応デゴザイマスノデ……」
「……貴族相手だから本心言えないよね、分かった」
ウィルフリードが半眼で片手を上げて、絡繰人形のように繰り出す彼女の言葉を制す。
「まぁ、即答だったし、断る意思は通じたよ。--せめて、何故私が振られたのか正直なところを教えてくれないか? 今後の自分の戒めとして生かしたいから。勿論罰したりしないよ」
つくづく聡明な人だ。そして誠実だ。
砕けた口調に変えたのも、本音を言いやすい雰囲気にするためだろう。
峻巡した後、ベルティーナは思いきって話す。ここは誠実に答えるべきだ。
「ウィルフリード様は、『貴方が夫として支えれば、理系屋はもっといい仕事ができる。理系屋に婿入りするだけで不足なら、無理のない範囲でなら男爵の仕事を続けても構わない』と言われたら、どう思いますか?」
ウィルフリードは瞠目する。
--そしてゆっくりと目を閉じた。
「あぁ……そういうことですね。私は貴女にとても酷いことを言った」
心より謝罪します、と彼は膝をつき頭を下げた。
ウィルフリードの言葉は、ベルティーナが自分の仕事より夫を支えることを人生の中心にシフトすることを暗黙の前提にしたものだ。だからこそ『続けても構わない』という上から目線の言葉になる。
彼の仕事よりベルティーナの仕事の方が下で優先順位が低いと、無邪気に決めつけた言葉だった。
自分が同じことを言われてみれば、その構造と不快さがよく分かる。
ウィルフリードもベルティーナも、自分の仕事や経験値は、長年かけて悩み学び多大な努力をして獲得したものだ。むしろベルティーナの方が、平民で女性という差別の逆風の中で築いたもので、苦難も価値も大きいかもしれない。
仕事や人生の歴史は、その人の人格そのものでもあるのだ。
ウィルフリードはベルティーナに、
「自分の人格を捨てて私を支える光栄に浴しませんか?」
「貴女が自分の人格を持っていても許しますよ」
と言ったのだ。
貴女の人格はその程度に価値が軽いものだと、息をするように当たり前に決めつけ貶めていたのだ。
ウィルフリードは唇を噛み締める。
ベルティーナがベルティーナであることは、彼女が自分の力で手に入れたものだ。
誰かに許可を貰わなければならないものではない。
何故、人格を奪われ、それを一部でも取り戻すためには許可を得なければならない檻に入れと、傲慢なことが言えたのか。
しかも、彼女がその言葉を喜ぶかもしれないと、無邪気な期待すらしていたのだ。
何より罪深いのは、自分のその認知の歪みを自覚すらしていなかったことだ。
「--私は父を反面教師に、ああはなるまいと思って生きてきました。しかし私も父と違わない。自分本意に傲慢に、他者を貶める真似をしていた」
沈痛な面持ちでウィルフリードが噛み締めるように言う。
「いや、全然違いますよ」
ベルティーナは即応する。
「話が通じてます。ウィルフリード様は、理性や誠意に耳を傾けて受け入れ、自分をより良い方向へ変えていける人だと、私は思います。失礼ながら前男爵は、言葉が通じませんでした」
ウィルフリードは本当に聡明な人だ、とベルティーナは思う。
ほんの一言ですぐ、彼女の言わんとしていることを理解した。更に、逆ギレしたりダブルスタンダードの言い訳を並べ立てて逃げたりせず、自分の非を認めることができ、謝罪する真摯さを持っている。きっと言葉通り、今後の自分の戒めとして生かすだろう。
ウィルフリードは小さく笑う。ベルティーナが追従でなく素でそう言っていることを感じ、少し浮上する。
「ウィルフリード様は、いい当主様になると思いますよ。私がお力になれることがありましたら、お声かけください」
「本当に? 言質は取りましたよ?」
わざと悪そうに口許を歪めて笑ってみせるウィルフリード。
しまった、この人は穏やかそうにみえて、中々の策士だった。--まぁ、彼ならそう理不尽なことをさせないだろうからいいか。
ベルティーナは苦笑混じりに微笑んだ。
頭上で鳥の声が聞こえて、ふと空を見上げる。
事件後暫く工場が操業を止めていたせいか、空は以前より澄んでみえた。
0
あなたにおすすめの小説
王女様は温かいごはんが食べたい ~冷えた王宮料理を変えたら、オープンキッチンと政略婚約がついてきました~
しおしお
恋愛
異世界の王女リリアーヌは、前世の記憶を持つ転生者。
豪華絢爛な王宮で暮らし始めた彼女だったが、ひとつだけどうしても耐えられないことがあった。
――食事が、冷めているのだ。
どれほど立派な料理でも、ぬるいスープや冷めた肉ではホッとできない。
「温かいごはんが食べたい」
そのささやかな願いを口にしたことから、王宮ではなぜか大騒動が巻き起こる。
地下厨房からの高速搬送。
専用レーンを爆走するカートメイド。
扉の開閉に命をかけるオープナー。
ついには食堂に火を持ち込むオープンキッチンまで誕生して――!?
温かさは、ホッとさせてくれる。
それは料理だけではなく、人との距離まで少しずつ変えていくものだった。
冷えた王宮に湯気と笑顔を取り戻す、
食と温かさをめぐる宮廷日常コメディ!
-
最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました
斉藤めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。
白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。
その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。
それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。
やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり――
白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。
身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。
料理スキルしか取り柄がない令嬢ですが、冷徹騎士団長の胃袋を掴んだら国一番の寵姫になってしまいました
さら
恋愛
婚約破棄された伯爵令嬢クラリッサ。
裁縫も舞踏も楽器も壊滅的、唯一の取り柄は――料理だけ。
「貴族の娘が台所仕事など恥だ」と笑われ、家からも見放され、辺境の冷徹騎士団長のもとへ“料理番”として嫁入りすることに。
恐れられる団長レオンハルトは無表情で冷徹。けれど、彼の皿はいつも空っぽで……?
温かいシチューで兵の心を癒し、香草の香りで団長の孤独を溶かす。気づけば彼の灰色の瞳は、わたしだけを見つめていた。
――料理しかできないはずの私が、いつの間にか「国一番の寵姫」と呼ばれている!?
胃袋から始まるシンデレラストーリー、ここに開幕!
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる