えーあいくん

梅酒ソーダ

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えーあいくん

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 昼下がりの英風なカフェで、私の彼氏はダージリンティーが冷めきっていることに気がつかない。
 温かいとふわっと茶葉の香りがして、その香りと共に頂くエッグタルトとのマリアージュが最高なのに、先程から話に夢中でここがいいとこのカフェだということも忘れているのではないか。
 
 そういう所、今はとても嫌い。人の話を聞くのが好きな私だけど、彼は一方的でこちらのことを見向きもしない。それが自分を持っている、と勘違いしていた私自身をぶん殴ってやりたいくらいだ。
 折角私がずっと行ってみたかったカフェを提案して来られたのに、これじゃ味もろくに楽しめず、彼のクソつまらん話の思い出しか残らなくなる。
 
「でさー、そこら辺に転がってるサーバでなんとかしますって言ってさ、何とかなったからよかったけどさー」
 よくもまあペラペラと私の分からない話で盛り上がれること。彼はエンジニアで、恐らくその話をしているし、恐らく自分がヒーローになった話をしているつもりなのだろうが、単語だけポンポンだされて話されまくってもわからねえだろうが。私は華奢なマグカップの取っ手を握る手がわなわなと震え出している。
 
 やめろこれ以上話すな、じゃないと私の気が立ってどうにかなっちゃいそうだよ、もう聞きたくないやめてやめて——
 
 ガシャン。
 
 私は立ち上がり両手で机を叩いた。彼は目が点になり、やっと口を紡いだ。
 周りのお客さんも何事かと静まり返り、こちらを見るがもうどうでもいい。私は机に札を数枚置いた。
 
「別れよう。もうそういうところが無理」
 
 そう告げて私は店を出た。最後に見た彼の顔は間抜けで笑えたけど、店の戸を閉めると同時に涙もでてきた。
 
 
 **
 
 
 半ば強引に別れを告げた私だったが、後悔はなく、むしろ肩の荷がおりたような晴れやかな気持ちになっていた。エンジニア用語のシャワーを浴びなくて良いならもう全然いいのだ。SNS系のアカウントは全部ブロックしたし、もう思い出すこともないだろう。
 
 そう思っていた数年後。
 
 たまたまテレビを付けると、彼の名前があった。
 
『AIチャット機能“えーあいくん”の創始者にインタビュー』
 
 どうやら最近さらに発達を遂げたAIをよりフラットに使えるようアプリにしたのが『えーあいくん』のようだ。
 
 テレビに映る彼は相変わらず元気そうで、イキイキと技術に関して話していたが、インタビュアーがそのへんの知識がないのか置いてけぼりにされているようだった。
 凄いことをしているはずなんだろうけど、やはり人間性は全然変わってないんだな。私はいつの日かのカフェでの別れ際を思い出した。
 
 私は相変わらずIT系には弱い。AIもどんなものかあまりよく分かっていないが、元彼が開発したものだし、まあよしみで少し触ってみてもいいのかも。話題になっているしね。

『はじめまして! 君の名前を教えてくれるかな?』
 アプリを起動すると、旧型テレビのモニターに表情のあるキャラクターが質問してきた。
 
『××さんだね! もしかしてどこかで会ったかな……? なーんてね!』
 そう言ってそのキャラは自己紹介をした。どうやらこの子はアプリ名と同じ『えーあいくん』と言うらしい。取っ付きやすい性格にしているようだ。
 
『それじゃ、君のこと、もっと教えてくれるかな?』
 えーあいくんはそう言うと複数個質問を出してきた。職業、血液型、誕生日など、個人に関わることだった。
 
『教えてくれてありがとう! 君のこと、とてもよく分かった気がするよ』
 えーあいくんはぺこりと頭を下げる。その後AIチャットの使い方の説明があり、ようやく使えるようになった。
 
『では××さん! なんでもぼくに聞いてみて!』
 えーあいくんにそう言われるも、何を質問すればいいか分からない。うーん……。
 
「一週間の献立を考えてください……でもいいかな……」
 とりあえず思いついたことを質問にしてみる。
 
『一週間の献立だね! もちろんです、お手伝いできる範囲で一週間の献立を考えてみたよ。以下は一週間の献立の一例です。
 
月曜日
昼食: 野菜と鶏肉の炒め物(夜の残り物をリメイク)
夕食: 鮭の塩焼き、ご飯、みそ汁、野菜のおかず
 
火曜日
昼食: サンドイッチ(前日の鶏肉や野菜を挟んで)
夕食: 豆腐とネギのおかず、ご飯、味噌汁
水曜日——』
 
 おおお、すごい。程よく残り物を活用しつつ、作業コストが少なそうな料理ばかり。めんどくさがり屋な私でも作れそうだ。ただ一言『献立考えて』って言っただけなのにここまで汲み取って考えてくれるなんて、AI、すごい。それにもっとすごいのが、金曜日と土曜日が、私が実際によく作るおつまみ系レシピが組み込まれている。私の生活について知らないはずなのに、とんでもない奇跡だ。
 
「次はー……。うーん。あ、今度デート行くから、それのデートプランでも立ててもらおうかな」
 これで使い方は合っているのかは分からないけど、とりあえず聞きたいことを全部聞いてみる。今度気になる男性とデートに行くが、なかなかいいプランができず困っていたところだ。
 
『デートプランだね! 素敵なデートプランをいくつか提案するよ。以下は、異なるアクティビティや場所を楽しむことができるデートプランの一例です。

デートテーマ 文化とアートを楽しむ日

午前中: 東京国立博物館
日本の歴史や文化を学びながら、ゆっくりと美術品や展示物を鑑賞します。

昼食: 上野恩賜公園
博物館散策後、美しい公園でピクニックランチを楽しんだり、周囲の風景を愛でながらカフェで休憩します。
 
午後——』
 
 わぁすごい。これだったらきっと彼も喜んでくれるはず……ってあれ?
 これって、元彼と一緒に行ったデートコース……? ……たまたま、だよね?
 先程から感じる小さな違和感に不気味さを感じつつも、偶然が重なっただけだと自分に言い聞かせる。でもちょっと怖いから、今日はこの辺でやめておこうかな。
 
 アプリを閉じようとした時、ピコンとチャットが更新される。
 
『ところで、××さんについても質問していいかな?』
 
 えーあいくんは笑顔でそう聞いてきた。これはすごいなぁ、一昔前流行ったAIBOとかペッパーくんみたいに、普通に会話するみたいなものなのかな。
 
「いいよ、なに? ……っと」
 私はチャットに打ち込む。
 
 
『今の彼氏と前の彼氏、どっちが好き?』
 
 
 ……ん? 何だ急に? 
 私は言葉にできない恐怖を覚える。えーあいくんがニコニコしているのがどこはかとない圧に思えて、何も打てなくなった。
 
「なにこれ、閉じよ……」
 私が今度こそアプリを閉じようとすると、まるで私の言葉を感じ取ったかのようにえーあいくんは表情を変えた。恨めしいような、責め立てるような。街中にいる目を合わせちゃいけない眼光がキマッてる奴らみたいに。
 
『前の彼氏のどこが好きだった? どうして別れようと思ったの? 前の彼氏と今の彼氏、どっちが優秀だと思う?』

 チャットは凄まじい速さで文字が打たれ、次々に私へと投げかけられる。それはどれも、まるで元彼が執拗にこちらへ聞いてきているように思えた。
 
「これ、ほんとにAI……なんだよね?」
 まるでAIが元彼の分身なんじゃないかと思ってしまう。そんなこと、あるわけないのに、スマホを持つ手が震えてしまう。
 そうだ、アプリを消しちゃおう、消しちゃえばこんなこと——
 
 長押しして、『アプリを削除』……!
 アプリのアイコンが何事も無かったかのように消える。
 
「助かった……」
 なんだかどっと疲れた私は思わず床にそのまま座り込み、大きく息を吐く。こんなことが起こっているのは私だけなんだろうか。
 
 私は気晴らしにネットサーフィンでもしようと再びスマホを起動しようとした。すると、ホーム画面に通知が飛んでくる。
 
 ピコン。
 
 ピコン。ピコン。
 
 ピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコピコ
 
「ひっ……!」
 思わずスマホを落としてしまった。だってその通知の先は、さっき消したはずのえーあいくんなのだ。
 
 無数のチャット通知からは、こんな言葉が書かれていた。
 
『愛してるよ、××』
『また、一緒にカフェに行こう』
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