夜空に瞬く星に向かって

松由 実行

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第三章 Cjumelneer Loreley (キュメルニア・ローレライ)

8. 夜の女神

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■ 3.8.1
 
 
「ニュクス、ではどうじゃ?」
 
 翌朝、朝食のテーブルに着いた機械ルナが唐突に言った。
 自分の名前の提案であろう事は分かっている。しかし、ブラソンと俺は別のことに気を取られていた。
 
 機械ルナは、一晩のうちにその姿を大きく変えていた。
 昨夜は、白銀の髪を持ち、赤い瞳に透き通るような白い肌をもったルナの完全コピー体であったのが、今朝テーブルに着いた彼女の姿は、腰まである艶やかな漆黒の髪と、闇の中でそれ自体光を帯びそうな碧玉の瞳、白い肌は心なしかさらに白さを増し、そしてまるで紅を引いたかの様な赤い唇が妖艶な笑みを浮かべていた。黒髪と同時に着色されたのであろう長い睫毛は色濃く眼を縁取り、時折浮かべるあの妖しげな笑みをより一層印象深いものにしている。大きくつり目がちだったその眼は、鋭く切れ長のものに置き換わっていた。心なしか、胸や腰、手足の形などもオリジナルのルナの体型に比べて大人の女っぽい形状になっているような気がする。
 確かにニュクスと呼ぶに相応しい外見をしている。
 夜の女神。死と災厄をもたらす者。
 
「おはよう。昨日の夜見たときと随分感じが変わったようだが。」
 
 変わったのは髪の色だけではない。
 昨夜別れたときは白いTシャツとピンク色のショートパンツだったはずの服装が、白いブラウスに黒いフレアスカートに変わっていた。ルナはそんな服は持っていなかったと思うのだが。
 
「どうじゃ?夜の女神にして死を司る神や争いの女神の親。まさに儂にうってつけじゃろう?身体の方も名前に合うように少し変えてみたのじゃ。」
 
 どうやら、三十万年も生きていると機械でも中二病にかかることがあるらしい。ただ彼女の場合、本気で右手に何かとんでもない機能を仕込めそうで少々怖いものがあるのだが。
 ニコニコと嬉しげに笑う機械ルナ改の顔を眺めながら俺はため息をついた。しかし、否定する要素もない。そのような不吉な名前など、シャルルに言わせても太陽系内でそれほど多くは被らないだろう。
 
「分かった。自分で選んだんだ。おまえの名前はニュクスだ。」
 
「うん?まだ良いとも悪いとも感想を聞いておらぬがのう。」
 
 機械ルナ改あらためニュクスは不服そうな顔でこちらを見ている。
 昨日から思っているのだが、彼女は非常に表情が豊かだ。これが本当にルナと同じ生義体をコピーした機械知性体だろうかと疑いたくなるほどだ。
 ルナの場合は、顔の表情をコントロールするOS部分に何か不具合でもあったのではないかと疑いたくなる程の無表情だが、ニュクスの場合はそのまるで逆だ。その手のOSごとそっくりコピーしてアライメントをとったのだろうが、コピー元に不具合は無いのだと証明するかの如く彼女の表情はコロコロとよく移り動く。
 
「ご機嫌取りを言うつもりはないが、悪くない。船の名前が『月の女王(Regina Mensis)』で、乗っているAIが『月(Luna)』で、同行するお前が『夜の女神(Nyx)』か。方向性としては合っているし、スケール的にもそんなものだろう。俺は良いと思うぞ。」
 
 出典となる神話が少々異なる気がするが、どちらも大概のメジャーな神はお互いに被っている神話だ。問題ないだろう。
 かなりアレな名前を誉められ、んふふと上機嫌に笑う彼女を見ていると、これが本当に銀河中を震え上がらせ、銀河人類を滅亡の縁にまで追い込み、今なお人類の敵と忌み嫌われる機械知性体の生義体なのか疑わしくなるほどだ。
 コーヒーの入ったマグカップを両手で包みながら彼女の名前について話をしていたら、ルナが朝食を運んできた。スクランブルエッグにフライドベーコンとソーセージとハッシュドポテト。そして野菜と果物とイギリス食パンと牛乳にオレンジジュース。本船で提供される朝食のスタンダードメニューの内の一つだ。
 急に食糧事情が回復したような気がするが。
 俺が怪訝な顔でスクランブルエッグを見ていると、最後に自分の分を運んできたルナが言った。
 
「ニュクス様が冷蔵庫の中身を復元してくださいました。余分にコピーして頂けたので、生鮮食材もあと六十日分、保存食品も百二十日分ほどのストックに回復しました。」
 
 ニュクスが、自分の分の皿を置きまだ着席していないルナを見上げて言う。
 
「ルナ、儂のことはニュクスで良い。『様』など要らぬ。友人はそのような敬称など用いぬものじゃろう?」
 
「分かりました、ニュクス。ありがとうございます。」
 
「なんの。」
 
 ニュクスが嬉しそうに笑う。「友人」の部分をルナが素直に認めたため、それが本当に嬉しいのだろう。
 いや、そんな事じゃない。さっきルナがすさまじく気になる事を言っただろう。
 
「これはナノマシンコピーなのか?材料はどうした?」
 
 技術的には可能だし、実際作られてもいるが、さしもの地球人でさえ一部の頑迷な宗教信者はナノマシンによる天然食材のコピーを嫌う。実際の所原子レベルで完全コピーする訳なので、コピー元の食材が問題なければ、コピー品も身体に悪影響を与えることはない。
 神とか云う存在を実在のものとして信じている連中は、これだけAIの生義体が世に溢れた時代でも、人の手により作り出された肉や野菜の存在について倫理だの哲学だのを持ち出してきてグダグダと理屈をこねる。良く分からない連中だ。原子配列に倫理は存在しないし、タンパク質の構造式に哲学は書き込まれてはいない。
 しかし、神など人の想像で生み出されたファンタジーの登場人物だと考えている俺でさえ、ナノマシンコピー食材の原料の調達は気になる。エンジン部品を削られて食事を作っていたのでは、共食いなどと笑ってもいられない。
 
「心配せんでも良い。此度は燃料の水を数十kg使わしてもろうただけじゃ。酸素から炭素を作るのはわけはない。」
 
 スクランブルエッグに塩をかけながら、俺の頭は商人の取引を計算する。幸いレジーナは俺の要望で、このクラスの船にしてはかなり大型の燃料タンクを搭載している。水を何にでも変換できるのであれば、燃料タンク中の水は同重量の中性子ストックと考えることが出来る。
 酸素原子を中性子化し、四つの中性子を抜いた上で電子を再分離して炭素原子化する。三つの酸素原子から出た余剰中性子で、追加の炭素原子がさらに一つ出来る。
 
「なあニュクス。お前を一緒に連れて行くに当たって、一つ取引があるんだが、乗らないか?」
 
 俺の台詞を聞いてニュクスはニヤリと笑い、言った。
 
「お主の取引を受けるに当たって、いくつか提案があるんじゃが、聞いてみる気はないかの?」
 
 
■ 3.8.2
 
 
 俺からの提案は、食糧供給だった。
 ニュクスはナノボットを使役することが出来る。このナノボットは元素変換から物体構築までが可能なきわめて高性能なものだ。燃料タンクの中の水を使って常に新鮮な食材を提供し続けてもらえるなら、俺たちは食料を買い込む必要もなくなり、その上いつでもみずみずしい野菜や果物、程良く新鮮で熟成された肉や魚といったものを食材として確保できる。
 俺たち全員が食べる食事の量を一日当たり十kgとすると、百日分でさえたかだか1トンの水、つまりたった1立方mの水でしかない。しかも全ての排泄物はリサイクルされる。
 人間が食べる食料と、船が消費する燃料を統一できる恩恵は計り知れない。
 
 ニュクスに聞くと、食材はデータライブラリ化しておき、必要な時に必要な食材を水から作り出す事が出来るとの事だった。
 もちろん、魔法を使っている訳では無いので、一瞬で出てくる訳では無い。調製する食材をライブラリから選び出してナノボットに伝え、食材が出来上がるまで早くても数時間、ものと量によっては一晩程かかるらしい。
 その点は問題無かった。現在料理担当にしてしまっているルナは、料理レシピデータベースを利用して料理をしている。つまり、作る前から必要な食材と量は分かっているため、その情報を前もってニュクスに伝える事が可能だ。
 
 つまり、要求に従ってお前を俺の船に乗せてやるから、船賃代わりに水から食い物を作り出して提供しろ、というのが俺の提案だった。
 
 一方、ニュクスからの提案は複数あった。
 まずは、燃料タンク内への物質変換機(Element Converter)の設置と、ナノマシンストレージの作成、バッテリコイルをヒートマスとエントロピー機関へ置換、質量増加に対応し船殻構造と材質の強化、そして最後に、ニュクスと機械群との連絡の自由。
 
 燃料タンクは諸詮は純水タンクであるので、その中に物質変換機を設置することは訳はない。ニュクスによると、ナノボット総掛かりで物質変換をするよりも、専用の物質変換機を設置しておき、生成した物質をナノボットで運搬する方が遙かに効率が良いらしい。
 ニュクスの手足となるそのナノマシンも、即応体制を取る為に常に一定量船内に貯蔵しておくべきだというのが彼女の主張だった。ナノマシンストレージがあればほんの数時間で作り出せる食材や部品も、無ければナノマシンを増やすところから始める必要がある為、調整の為の時間が大きく伸びることになる。ナノマシンストレージは、燃料タンク内の一部を削るのと、船体各所に小規模なストレージを数カ所分散する。
 
 現在、超伝導コイルを使っているバッテリは、緊急時の継続的小パワー供給や、リアクタ起動時の瞬間的大電力を得る為に使用する。これをエントロピー機関に接続したヒートマスに置き換える。要するに、電気エネルギーを保管する代わりに、ロスは少々多くとも周囲からエネルギーを得る事も可能となる熱エネルギーに置き換えようという訳だ。ヒートマスは、リアクタから発生した熱を直接取り込めるだけでなく、ジェネレータや船内の各種デバイスから発生する熱を取り込むことも出来、必要に応じてこの熱をエントロピー機関で電力に変換して取り出すことが出来る。
 エントロピー機関を使用することでロスは大きくなるのだが、その代わりに通信を行う程度のパワーは機関が壊れるまで半永久的に供給可能となる。僅かずつでも熱量を蓄積すれば、長くかかったとしてもリアクタ起動用のパワーを蓄積する事も可能だ。
 船殻構造強化と材質の強化は、ナノボットで行われる。もちろん俺たち人間には出来ない作業であり、ニュクスのコントロール下で、機械達のデータベースにある情報を用いて船殻構造の強化を行い、材質も改良される。
 
 ニュクスは機械達の個体であると同時に、機械達の集合知性の一部でもある。すでに義体を得て物理的には個体として存在するため、仲間達と連携していなくても地球製のAIと同等かそれ以上の事は可能だ。しかし集合知性にアクセスする事でその知識量も演算能力も飛躍的に向上する。
 そして集合知性の方もニュクスへのアクセスを望んでいる。ニュクスがこのレジーナに居て、俺達と一緒に旅をして色々な事を見聞きして経験する事で、ナノボットやプローブを飛ばして行う「覗き見」に比べて格段精度の高い情報を得る事が出来るという。そして集合知性はそのニュクスの経験を共有し、蓄積する。
 そのための専用の常時接続量子通信回線を一系統確保したい、との事だった。
 量子通信ユニットなどそれほど大きなものでも無い。ニュクスからの他の提案から得る事が出来る恩恵に比べれば、どうと云う事も無い要求だ。俺はその要求を快諾した。
 
「どう考えても、お前たち機械が得るものよりも、俺が受け取るものの方が多いな。」
 
 ニュクスと、いや機械達と合意に至った後、そのかなり偏ったギブアンドテイクの関係に俺は少し呆れ、そして申し訳なく思った。
 彼らは、俺達の生命を含めたレジーナ全体の生殺与奪を完全に把握していたのだ。ギブアンドテイクどころか、ただ俺達に「ニュクスを連れて行け」と要求だけすることさえ出来たはずだった。
 
「儂は最初に言うたぞ。『友達になって欲しい』と。友人を恐喝するバカが居るか。
「いろいろ導入したのは、儂が今からお主達の船にお世話になる手土産半分、お主等と一緒に旅立つ儂に餞別半分と言った所じゃ。遠慮は要らぬ。もらっておけ。どうせ元手は大したことはない。このガス星団におる限り、エネルギーなんぞその辺の恒星からほぼ無尽蔵に受け取ることが出来るのじゃからの。」
 
 物質変換機とナノマシンを駆使し、寿命という概念からもほぼ解き放たれている機械達にとって、最も重要なものはエネルギーだった。燃料のやりとりが、ほぼ通貨による取引に相当する場合もあるようだ。しかしこのキュメルニアガス星団では、エネルギーなどその辺りのプラズマ流からいくらでも取り出すことが出来る。まとまった量が欲しければ恒星の近くにでも行けば良い。
 どうやらこの星団は彼らにとってかなり居心地の良い引き籠もり場所のようだった。
 
「すまぬが、資材の搬入と調製組み付けであと二晩ほどはここに留まってもらう事になる。それが終わったら、テラに向かおうかのう。」
 
 彼らは地球に来たがっていた。それはこの銀河の中でも特異な文化を誇る為でもあるし、AIが自由に闊歩できる場所だからでもある。
 彼らはそのような地球人と繋がりを持ちたがっていた。友人を得たいという情緒的な部分ももちろんあるだろう。だが、汎銀河戦争に参戦している独立種族としては唯一機械知性体の存在を容認し、彼らの後ろ盾となれる種族として同盟関係を結びたい、という実利的な理由も当然あるはずだ。
 もちろんそこには、地球人は小さいながらも強く存在感を主張する程に戦闘用に調製された種族である、という好都合も考慮されているだろう。
 その辺りの考慮条件については、昨日ニュクスの口に上っていた。
 
 これは俺個人の考えだが。
 銀河種族連合などと言うような、政治と軍事の駆け引きだけで緩くまとまっているだけの国家連合などよりも、彼ら機械のように己の存在と生存が懸かった好意を寄せてくれる種族との同盟関係の方が、余程強固で信用のおける物になるだろう。
 俺は、地球人と機械達は良い同盟関係を構築できると思っている。
 それは機械達全体と、ニュクスにすでにそれなりに好意を感じ始めている事も理由の内だと思う。
 例えそれが機械知性体であろうとも、自分達の仲間が旅立っていこうとする時に、心ばかりの餞別を送りつけて寄越すような奴らが悪い奴だとはとても思えなかった。
 もちろんそれを実行するのは俺では無く、政府の上の方のお偉いさん達だが。
 
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