看守の娘

山田わと

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エピローグ

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 冬の夜空はどこまでも澄みきっていた。
 張りつめた空気の中、星々は鋭く光り、冷えた天頂に皓々と瞬いている。音という音がすべて凍りついたような夜だった。
 アリセルは焚き木の間に火を灯し、そっと息を吹きかけた。
 頬にかかる栗色の髪が風に揺れ、橙の光が静かにその横顔を照らし出す。
 
 燃えはじめた炎に向けて、細く折った枝をくわえる。
 そのたび、焰がかすかに揺れては持ち上がり、星空の下でひときわ鮮やかな色が浮かびあがった。

 冷えきった世界のただ中で、思い出の品々の一つ一つを燃やしていく。
 父から貰った本に、母から貰ったリボン。服やハンカチ、櫛、髪飾り、ぬいぐるみ、手紙……。

 炎が囂々と唸りを上げながら、記憶の品々を呑み込む。
 形は崩れ、灰へと変わっていく。
 だが、彼女の表情は凪いだ水面のように、わずかな動きさえ見せなかった。

 最後の品を火に投じようと、アリセルは腕を伸ばした。
 だが指先が炎に届く寸前で、動きが止まる。
 最後にただ一つ残っていたのは、"ユーグ"がくれた木の指輪だった。

 握りしめた指先に力がこもる。

 アリセルが愛したユーグはもういない。
 これから看守として向き合っていくのは、その名を捨てた男、ノクスという罪人だ。
 燃やせば、きっと終わる。
 ユーグのぬくもりも、声も、記憶のすべても、煙と灰になって消えていく。
 それを望んでいたはずだった。
 けれど、いざこの手から落とそうとすれば、まるで指輪のほうが拒んでいるかのように離れない。

 なんて、滑稽なんだろう。

 アリセルは、笑おうとした。
 けれど喉が痛くて、声にはならなかった。目を閉じ、深く息を吐いた。
 もう一度、指輪を持ち直す。

 今度こそ、今度こそ……。

 けれど腕は、またしても止まってしまう。
 まるで見えない鎖に引かれているように、火の中へ落とす一歩手前で、動かなくなってしまう。

 指輪を見つめる視線が揺れる。
 燃やさなければと思うのに、どうしても、できなかった。

 途方に暮れたまま、アリセルは木の指輪を握り締め、奥歯を強く噛みしめた。
 流す涙など、とうに涸れ果てていた。
 けれど、それでも凍りついた心が静かに動き出し、血を滲ませたような気がした。



END.

長い物語にお付き合いくださり、心より感謝申し上げます。
またどこかでお会いできる日が訪れましたなら、何よりの歓びです。

2025.11/20 山田わと
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感想 1

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みんなの感想(1件)

四ツ橋ツミキ

状況は不明瞭なのに、何となくの予感を覚えさせる描写に唸りながら、気づけば最新話まで読んでいました。やんごとない人々の陰謀とか企みとか大好きなので、とてもわくわくしながら読み進めました。続きを楽しみにしております!

2025.08.24 山田わと

長い物語にもかかわらず、ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
お時間を割いて最新話まで辿ってくださったことが、何より嬉しく、胸に沁みております。

さらに温かなご感想までいただき、感激のあまり何度も読み返しました。
先の見えない中で漂う予感を受け取ってくださったこと、とてもありがたく大きな励みになっております。

誰が本当のことを言い、誰が嘘をついているのか、あやふやなまま進んでいく物語ですが、どうぞ引き続き見守っていただけましたら幸いです。
ご感想を頂戴して、また筆を取る力が嬉しいほど湧いてきました。本当にありがとうございました!

解除

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