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第1章
慎重さという美徳
しおりを挟む屋敷の馬車寄せに到着すると、信じられない光景が目に入った。
まだ日は高いというのに、玄関ポーチにヴォルフが立っていたのだ。
「ヴォルフ!?」
馬車を降りたエリアスが驚いて駆け寄ると、ヴォルフは安堵の息を吐きながらエリアスを受け止めた。
「お帰り、エリアス。……無事でよかった」
「ただいま戻りました。でも、どうしてこんなに早い時間に?お仕事は?」
「どうしても君のことが気になってしまってね。早めに切り上げて帰ってきてしまったんだ」
眉を下げて苦笑するヴォルフに、エリアスは思わず笑ってしまった。
あの豪胆な商人が、妻の初めてのお茶会が心配で仕事を早退するなんて。
「ふふ、過保護ですね。問題なかったですよ、とても有意義な時間でした」
「そうか……なら良かった」
ヴォルフは心底ホッとしたように表情を緩めると、自然な動作でエリアスの腰に手を回した。
「さあ、入ろう。君が無事だと分かったらお腹が空いたよ。早めの夕食にしよう」
優しくエスコートされ、二人はダイニングへと向かった。
並んで座る食卓で、エリアスは今日の茶会で起きたことをヴォルフに報告した。
男爵夫人の人柄、飛び出した噂話への対応、そして夫人が助け舟を出してくれたこと。
「なるほど。男爵夫人には一つ恩ができたな」
ヴォルフは満足そうに頷き、グラスを傾けた。
「はい。初めての茶会が、トラウマになるようなことにならなくて本当によかったです」
エリアスは少し照れくさそうに視線を落とした。
「私はあまり、会話が得意な方ではありませんから……。とっさの機転も利かないし、言葉が出るのも遅い。ヴォルフも、普段話していてそう感じるでしょう?」
それは、エリアスがずっと抱えてきたコンプレックスだった。
実家にいた頃は、両親や使用人たちから「お前はノロマだ」「自分の意見も言えないのか」と罵られ続けてきた。
だから、社交の場でうまく立ち回れるか不安だったのだ。
しかし、ヴォルフはきょとんとした後、静かに首を横に振った。
「いいや。一度もそう思ったことはないよ」
「え……?」
「エリアスは、言葉を発するのに慎重なだけだろう?相手を傷つけないか、間違ったことを言っていないか、深く考えてから口を開く。それは『遅い』のではなく、君の丁寧で人を気遣う性格が出ているんだと、私は思っているよ」
ヴォルフは穏やかに微笑んだ。
「男爵夫人も、そんな君の慎重さや、計算のない素直なところを気に入ってくださったんだろう。君はそのままで十分に魅力的だ」
「……っ」
エリアスは胸がいっぱいになり、言葉を失った。
「ノロマ」ではなく「慎重」。「何も言えない」のではなく「思慮深い」。
短所だと思って卑下していた部分を、この人は美徳だと言って肯定してくれる。
初めてそんなことを言われた。
冷たい実家で凍りついていた心が、ヴォルフの言葉でまた一つ溶けていくのを感じた。
「……ありがとうございます、ヴォルフ」
潤んだ瞳で礼を言うと、ヴォルフは照れくさそうに鼻を掻き、ふと思い出したように尋ねてきた。
「ところで……茶会の場には、女性しかいなかったか?まさか、付き添いのアルファが近くに居なかっただろうな?」
急に声のトーンが低くなる。
エリアスは瞬きをした。
「ええ、みんな女性でしたよ。付き人のアルファは外にいましたが、広間には入ってきていません。男性もオメガである私だけでした。……どうしてそんなことを聞くんですか?」
茶会は基本的に女性社会だ。そんな心配をする必要はないはずなのに。
不思議に思って問い返すと、ヴォルフは真顔で、とんでもないことを言った。
「今日の君も、眩しいほど美しい装いだったからな。私のいない場所で、他のアルファの目にその姿が晒されるなんて、考えただけで耐えられない」
「――えっ」
「もし茶会の場にアルファの男がいたら、今からでも記憶を消しに行きたいくらいだ」
サラリと言ってのけたヴォルフに、エリアスの顔が一気に沸騰した。
予想していなかった直球の嫉妬だ。
最近のヴォルフは、こうした独占欲や嫉妬めいた感情を隠そうとしない。
以前の遠慮がちな彼も好きだったが、こうして熱烈に求められるのは、慣れていないせいか毎回タジタジになってしまう。
「も、もう……ヴォルフっ……」
真っ赤になって俯くエリアスを、ヴォルフは愛しそうに見つめた。
「……可愛いな」
ヴォルフは上機嫌でスープを一口飲むと、嬉しそうに言った。
「本当に、君の初めての茶会が成功して良かった。男爵夫人には、私からも改めて礼の品を贈っておくよ」
その瞳には深い慈愛が浮かんでいた。
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