銀色の商人と贋作の妻

真大(mahiro)

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第3章

身代わりの血

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定刻となり、叙任式が始まろうとしていた。
ヴォルフとエリアスは、国王と共に別ルートから入場するアルシードと一旦別れ、王宮の騎士と使用人の先導で儀式の間へと向かった。

「こちらです」

重厚な扉がゆっくりと開かれると、その先にはエリアスの想像を遥かに超える数の貴族たちが待ち構えていた。
一斉に向けられる視線に、エリアスは思わず身を縮めそうになる。
だが、その視線に込められている色は、かつて向けられた好奇や侮蔑とは違っていた。

(……好意的な目だ)

彼らはヴォルフを、汚い事業で私腹を肥やしていた悪徳上位貴族に、正当な決闘で勝利した「英雄」として見ているのだ。
悪質な噂を流していたバンガルド卿一派の貴族たちがこの場から排除されていることもあり、会場はハルトマン家への称賛と期待の空気に満ちていた。
その隣に立つエリアスも、気後れしそうになる足を叱咤し、ヴォルフの腕に支えられながら顔を上げた。

(堂々としなければ。私は、ヴォルフの妻なのだから)

背筋を伸ばして歩き始めたエリアスの耳元で、ヴォルフが小さく囁いた。

「……皆、君に見惚れているよ。あまりに綺麗だから」
「そんな……」

そんなことはないと言いたかったが、実際に周囲がどんな目で自分を見ているのか確認する勇気はなく、エリアスは前だけを見据えて歩を進めた。

赤い絨毯の先には、玉座に座る国王と、その傍らに立つアルシードの姿があった。
エリアスは作法通り数歩下がった位置で足を止め、ヴォルフだけが御前へと進み出る。
ヴォルフは優雅な所作で片膝をつき、腰の剣を抜いて、切先を下に向け捧げ持った。
厳かな静寂の中、国王による叙任の儀式が執り行われる。

ヴォルフの低い声が朗々と響き、新たな忠誠が誓われていく。
その完璧な姿を、エリアスは誇らしく見守っていた。
儀式が滞りなく進み、終わりに差し掛かったその時だった。

「――ふざけるなッ!!」

参列している貴族の列の中から、女性の金切り声が響き渡った。
静寂を引き裂く異音に、会場がざわめく。
エリアスが何事かと身を強張らせて振り返ると、声がした方向から、一人の女性が人垣を押し分けて飛び出してきた。

「あ……っ」

見覚えがある。ナンキンス夫人の茶会で、エリアスに執拗に食ってかかったあの女性だ。
やはり彼女はバンガルド卿と繋がりのある家の者だったのだ。末端の貴族ゆえに、まだ選別の網にかかっていなかったのかもしれない。

「ハルトマン!!」

女性の手には、どこに隠していたのか――おそらく身体検査の甘い下着の中にでも忍ばせていたであろう、小型のナイフが握られていた。
彼女は狂ったような形相で、無防備に跪いているヴォルフの背中めがけて駆け出した。

しかし、その動きはあまりに杜撰で、剣術の心得など皆無なのは明らかだった。

「確保せよ!」

王宮騎士たちが即座に動き、ヴォルフ自身も冷静に立ち上がり、身構えることなく冷ややかな視線を向けただけだった。
女性はヴォルフに指一本触れることもできず、騎士たちによってあっさりと地面に組み伏せられた。
会場中に安堵の空気が流れ、エリアスもほっと胸を撫で下ろそうとした、その一瞬。

キラリ。

エリアスがふと顔を上げた視線の先、儀式の間の遥か上方にある採光用の小窓で、何かが一瞬光った。

(……え?)

窓から差し込む逆光の中で、それは鋭利な輝きを放っていた。

矢だ。
誰が構えているのかまでは見えない。だが、その矢尻は確実に、たった一つの標的を狙って静止していた。
その先には――女性の捕縛に協力しようと動き、隙だらけになっているヴォルフがいる。

(……囮だ!)

あの女性は、注意を引きつけるための捨て駒に過ぎない。
本命はあの上にいる。

「ヴォルフ、逃げ……っ」

叫ぼうとしたが、喉が引きつって声が出ない。
間に合わない。
思考するよりも早く、エリアスの身体は弾かれたように動いていた。

エリアスはヴォルフの前へと躍り出ると、その逞しい身体を正面から強く抱きしめた。

「エリアス……?」

ヴォルフが驚いたように目を見開いたのと、同時だった。

ドスッ。

鈍く、重い音が背中で響いた。

「――っ、ぅ……」

抱きしめたヴォルフの身体が、ビクリと硬直するのが分かった。
痛みはなかった。
ただ、背中が燃えるように熱い。
焼きごてを押し当てられたような灼熱感が広がり、何かが大量に、自分の身体を伝って流れ落ちていく感覚がある。

ヴォルフの顔が、信じられないものを見るように歪んでいく。
エリアスの視界が急速に霞み、足の力が抜けていく。
ずる、とヴォルフを抱きしめていた腕が滑り落ち、エリアスは崩れ落ちるようにヴォルフの胸に身を預けた。

(……よかった)

薄れゆく意識の中で、エリアスは心からの安堵を覚えていた。
少しでもヴォルフが傷つくのは嫌だった。
私が盾になれた。ヴォルフを守ることができた。
よかった、本当によかった。
エリアスの心には、痛みも苦しみも届かない。
ただ、愛する人を守れたという気持ちしか無かった。

「――――ッ!! ア―――ッ!!」

ヴォルフが何かを叫んでいる。
喉が張り裂けんばかりに絶叫しているのが見えるけれど、エリアスの耳にはもう何も届かない。
まるで水の中にいるように、音だけが遠ざかっていく。

(泣かないで、ヴォルフ……)

エリアスは最後の力を振り絞り、震える手でヴォルフの頬にそっと触れた。
そして、ヴォルフにしか聞こえないほどの微かな声で、最期の言葉を紡いだ。

「……あい、してる」

ふつり、と糸が切れるように力が抜ける。
愛する人の腕の中で、エリアスの意識は完全なる闇へと落ちていった。
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