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第4章
優しき追跡者
しおりを挟むエリアスが身じろぎもせず見つめていると、しばらくしてヴォルフがふと目覚めた。
長い睫毛が震え、アイスブルーの瞳がゆっくりと開かれる。
「っ……!」
エリアスは反射的にビクリと肩を震わせ、ベッドの上でズルズルと後退りして距離を取った。
寝起きの少し無防備な顔をしたヴォルフは、視線を彷徨わせ、すぐにエリアスの姿を探した。
そして、怯えるように距離を取っているエリアスを見つけると、ふっと安堵のため息を漏らし、目尻を下げた。
「……エリアス」
ヴォルフは優しい声で名前を呼んだ。
逃げようとするエリアスの腕を掴んだり、無理に引き寄せたりはしなかった。
ただ、そこにいてくれるだけでいいと感謝するように、慈愛に満ちた瞳で見つめるだけだ。
その穏やかな空気のおかげで、エリアスの激しい動悸は少しずつ収まり、冷静さを取り戻すことができた。
「……ヴォルフ、どうして……ここに?」
震える声で、ようやくそう尋ねることができた。
ヴォルフは椅子に座り直すと、眠っていて少し乱れた襟元や髪を手櫛で直しながら、静かに口を開いた。
「……君が働いている花屋の店主……ジョセヌさんの息子さんは、ナンキンス夫人の屋敷で執事をしているんだ」
「えっ……」
「ジョセヌさんが息子さんに手紙を出し、君がここにいるという情報が、ナンキンス夫人を経由して私まで伝わったんだよ」
エリアスは息を呑んだ。
ジョセヌのもう一人の息子さん。つまり、この部屋の元の住人。その人が、あのナンキンス夫人の屋敷の執事だったなんて。
エリアスの脳裏に、あの涙の夜が蘇る。
ジョセヌは、エリアスとヨハンが暖炉の前で身を寄せ合って語っていたこと、そしてエリアスが号泣していたことを聞いていたのかもしれない。
『ヴォルフは、今もずっと兄さんを探していると思う』
そう言ったヨハンの言葉と、エリアスの悲痛な叫びを聞いて、彼女はどう思ったのか。
分からないが、その結果、彼女は貴族のツテである自分の息子に手紙を出してくれたのだ。
さすがにその息子が勤めている主人が、ヴォルフと面識のあるナンキンス夫人であることまでは知らなかっただろうが、運命の糸がこうしてヴォルフの元へと繋がったのだ。
それを聞いて、エリアスは身体の力を抜いた。
ヴォルフが「どうやってここを突き止めたか」は、これで分かった。
けれど、「何故ここに来たのか」という核心までは分からない。
連れ戻しに来たのか?
いや、それならわざわざジョセヌの家まで、意識を失ったエリアスを丁寧に運んだり、こうして目覚めるのを待ったりはしないだろう。
そのまま馬車に乗せ、ハルトマン家の屋敷まで強制的に連れて行けばいい話だ。
(……ああ、ヴォルフは)
エリアスは理解した。
ヴォルフは、どこまでも優しく、誠実な男だ。
突然姿を消した妻を心配し、懸命に探し回り、ただその無事を確かめるために来てくれたに違いない。
もしかすると、ヴォルフはまだエリアスが行方不明になった本当の理由――「子どもが産めないから身を引いた」ということ――を知らないのかもしれない。
(……このまま、彼のために)
エリアスの中で、冷たく悲しい決意が固まった。
演技でもいい。彼を拒絶すべきだ。
「もう貴方のことは愛していない」「この生活が気に入っている」と突き放し、彼を諦めさせるべきだ。
エリアスのそばではない、光に満ちた明るい未来へ繋がる道に、彼を返してあげるために。
「……」
エリアスはゆっくりと、深く深呼吸をした。
震える手を拳に握り込み、愛する夫を傷つけるための言葉を喉元までせり上げさせた。
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