krystallos

みけねこ

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100.秒針の音④

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 どれほど首元に手を当てて座ったままの状態でいたのか、気付くと前線に行っていた兵士たちが私の目の前を横切って戻っていく。辺りは酷く焦げ付いた臭い、悲鳴ももう聞こえてこない。戻っていく兵士たちの手にはシュタール国の兵士から剥ぎ取った鎧、奪い取った剣、中には周辺の住人の物だと思われるものもあった。
「こんなところでどうした、ルーファス」
「……アンビシオン」
 そういえば彼の姿が見当たらないと思っていたが、随分と前線にいたようだ。それを口にすると彼は軽く肩を上げた。
「最前線にいた。後ろはよくついてきてくれた」
「……そうか」
「随分と疲れているようだな、ルーファス。顔色もよくない」
 一度離した手だけれども、もう一度軽く首元を指先で撫でる。確かに斬られたはずなのに、その感覚もあったはずなのに今は薄っすらと切り傷がある程度だ。これならば周りは皆掠り傷程度だと思うだろう。
 本当は、致死量の血を流したはずなのに。
「疲れているものの生き残るとは流石だ。流石は『赤』は違う」
 ここのところ彼はずっとそんなことを口にする。前もまったくしないわけでもなかったが、最近ではそればかりだ。とにかく瞳の色を口に出しては流石だと感心する。まるで私自身の腕ではなく瞳の色で生き残っているのだろうとも取れる発言に、視線を下げ小さく口角を上げる。
「戻ったら休んだらどうだ、ルーファス。ずっと休みなしだったからな」
「……そうだね、そうする」
「俺は体力には自信があるからな。お前が休んでいる分働くとしよう」
 これ以上何をどう働くというのだろうか。しばらくの間プロクス国が他国に攻め込まれる心配もないというのに。それとも国境付近を強化するという意味で言っているのだろうか。
 まるでハルシオンでの出来事がなかったかのように振る舞うアンビシオンに思わず表情が歪む。そうして表情を変えたところですでに歩き出した彼は私の顔を見ることはなかった。

 それから私は極力戦場に出ることは控えた。ずっと戦い続けていた兵士が心に傷を置き塞ぎ込むことはよくある。戦場に行こうとしない私は周囲にそう思われたようで、そういう人間に対し「軟弱だ」という否定的な言葉も普段なら出てくることもあるにも関わらず、今までの功績がよかったからか後ろ指を差されることも悪態をつかれることもなかった。
 与えられた一室のベッドの上で、身を丸め一日を過ごす。兵士に対する労わりか食事はしっかりと用意されているが、日を追うごとにその食事が豪華になっていく。それを見てまた複雑な心境になり表情を歪める。
 プロクス国は炎の精霊が加護している国だ、炎で守られ気温はほかの国よりも高い。よって農作物が育ちにくい大陸でもあった。試行錯誤はしているものの戦続きのためそちらに予算と人材を割くこともできず、一日三食食べれるパンとスープがあればいいほう。
 それがこうも数も増え扱っている野菜の種類も増えている。プロクス国含め周辺にある村々でも育てることが厳しい食材があるということは、その分どこからか奪ってきているということでもあった。
「もういいだろう……」
 これ以上他国に攻め入る必要はない。プロクス国から守護の炎が失われたように、他の国でも似たような現象が起きている。正直戦どころの話ではなくなったところも多いだろう。そんな国にプロクス国は攻め入ろうとしているのか。
 まるでタガが外れたかのように、今のプロクス国は自分たちがされたことと同じようなことを他国にしている。そこまでする必要はない、そう口にする人間が兵士の中で誰一人としていない。自分たちがされたのだから、ここぞとばかりに仕返しをしようとしている。
 そしてそんな兵士たちをまとめているのは今や前線で戦っているアンビシオンだ。彼は兵士の期待に応え、自分の背中を見せることによって鼓舞している。そうしてどんどんと戦場を広げ被害を拡大させていっていた。
 流石にもう、アンビシオンを止めなければ。
 誰かが傷付く姿を見たくないとずっとここに蹲っていたが、もうそんなことしている場合ではない。誰かが止めなければ戦が止まらない。負の感情はまた新たな負を生み連鎖が続く。
 ベッドから降り扉を開ける。廊下を歩くと私が部屋の外に出るのがめずらしいのか、すれ違った人たちが目を丸めて私の背中を追いかけた。この間は南西に向かうという噂を聞いたが、それが本当ならばそろそろ戻ってくる頃だ。
 話しをしてみよう、アンビシオンと。今の彼が一体どれだけ私の言葉に耳を傾けてくれるかはわからないが、それでも何もしないよりもずっといい。止めさせなければ、彼に。こんな戦いを。

 そう思い行動したというのに、事件が発生したのは兵士たちが戻ってくると読んでいたその日の夜だった。
 宿舎に戻ったという知らせを受け向かってみたものの、目的の人物はすでに休んでいると入り口で追い返された。確かに彼もずっと戦い続けていてろくに休めてはいない。ならば話は明日でいいかと私も療養所へと戻る。
「ッ――⁈」
 異変を感じ横になっていたベッドから急いで飛び起きた。ドッドッと嫌に心臓が脈を打ち、深夜だというのに慌ただしくベッドから降り部屋から飛び出す。深夜なのだから皆休んで辺りは静まり返っている。それは当たり前のことなのに、その妙な静けさに違和感を感じた。
 足は迷うことなく異変を感じたほうへと進める。今やプロクス国に攻め込んでくる国はそうはいない。やったとしても兵士を多く向かわせるわけではなく、隠密行動が得意な者に暗殺をさせるぐらいだ。だがもちろん国はそれもわかっている。例え守護の炎が失われたとしても『赤』の瞳の持ち主に結界を張らせていた。
 だから他所の国の者がプロクス国に侵入してくることは絶対にない。だというのに、この焦燥感はなんだ。
 城の中を進み、王座へ続く廊下を歩く。厳重な扉の前に控えている兵士たちの姿が見当たらないことに、より一層焦りを覚えた。この扉を開いてはいけないという気持ちと、だからこそ開かなければならないという気持ちが同居する。
 一度生唾を飲み込み、扉に手をかける。普通ならば王もこの時間帯なら休まれているところだ。ここを開けたところで見張り役の兵士が一人いるかどうか。その者の姿を確認して、安心すればいい。
 ゆっくりと扉を動かす。明かりの灯っていない王座は薄暗く、窓から小さな月明かりが差し込む程度だ。
「ッ……‼」
 息を呑み、目の前の光景に絶句する。
「……ああ、ルーファスか」
「……アンビシオン、君は一体、何をっ……⁈」
 王座の前に広がる、おびただしいほどの血液量。何人もの人間が血を流して倒れ込んでいる。
 そして、王座の前に立っているアンビシオンはプロクス国の王の首を鷲掴みし、心臓を剣で貫いていた。
「何をやっているんだアンビシオンッ‼」
「何をって、見てわかるだろ。役立たずを片付けていたところだ」
「なっ……⁈ この国の王に、向かって何をッ」
「だってそうだろうルーファス。この老いぼれは何をトチ狂ったのか、他国に攻め入ることを禁止しようとしていた。愚かだと思わないか?」
 王がやっとそういう決断をしてくれたというのに、アンビシオンは一体何を言っているのか。彼の言葉を受け入れるのは難しく、こんな状況だというのにその場から動けずにいた。
 手が外された身体がずるりと傾き、ぐしゃりと床の上に転がる。王、と呼びかけた声は情けなく震えていた。そして私のそんな声に返ってくる言葉もない。
「国を守るのにはもう十分だと言う。何が十分だと言うのだ。この国は食糧問題を抱えている。それを解決するには他から奪ってくるしかない。他の国が弱っている今がチャンスだというのに、この愚かな老いぼれは今更人の心がどうとか言い出した――疑惑だけで、ハルシオンの人間を滅ぼした奴がよく言う」
「アン、ビシオン……」
「ルーファス、俺は前にも言っただろ? 力こそがすべてだと。力があれば何でも手に入れることができる。俺はそうして手に入れてきた。その邪魔をしようとしてきたハエを処分したまでだ」
「私は、君の言い分がまったくわからない。なぜ奪おうとするんだ。奪われる苦しみを痛いほど私たちはわかっているだろう⁈ なぜその苦しみを他者に与えようとする!」
「なぜ俺たちだけが苦しみ、他の人間は苦しまないのか。それこそ不公平だろッ‼」
 声を荒らげた彼の剣が、王の亡骸からずるりと抜き取られる。
「シュタール国はやって、なぜプロクス国はやってはならない! それは一体何の決まりだ一体誰が決めたッ! そんなもの、苦しんだことのない人間が言う戯言だろうがッ!」
 ここまで感情を顕にする彼を初めて目にする。彼は常に冷静で物事を見極めている、それが彼に抱えている印象だった。
「ルーファス、お前は誰よりも力を持っている。一体いつまで部屋に閉じこもっているつもりだ。俺と共に来い。それがお前の正しい姿だ」
「私でなくても、『赤』の瞳は、他にもいるだろう?」
「いいや? この国にはもう存在していない。お前だけだ」
「は……?」
 王の身体を貫いたというのに、アンビシオンが持っている剣は一滴足りとも血は付いておらず月明かりに照らされて場違いなほど透き通る美しさを持っていた。
「シュタール国が鉱石を発掘している鉱山にはめずらしい石があるという話しを聞いた。つい先日それを取りに行ったばかりだ」
 その先日というのは、恐らく私が首を斬られて倒れた時。彼は最前線に立っていたがまさか前線に立っていた理由は、その鉱石を取りに行くためだと今になって気付く。
「美しいだろ? その鉱石で作らせたまだ未完成だが特別な剣だ。話によるとこの鉱石は他者の魔力を奪い取り自分に取り込むことができるらしい」
 まさか、と瞠目する。彼は先程なんて言った。私以外の『赤』の瞳はもう存在していない、そう口にした。私の元に歩み寄ってくる彼の表情が徐々にはっきりと見えてくる。
 月明かりに照らされた瞳は、あの美しい色をしていた『青』ではなかった。
「アンビシオン、まさか、君は……!」
「ああ、取り込んでやった。奴らが持っているよりも俺が持っているほうがずっといい。だがルーファス、お前は別だ。お前の魔術の腕は群を抜いている。しかも剣の腕も一流だ、他の愚者とは違う。だから俺はお前から力を奪わずにいた」
 目の前に立ち止まったアンビシオンが月明かりに照らしていた剣を下ろし、淀んだ色をしている瞳で私に手を差し伸べてきた。
「俺と共に来い。俺たち二人ならばこの世界ごと手に入れることができる」
 小さく開いた口を、グッと閉じる。差し伸べられた手に向けていた目は一度グッと閉じ、ゆっくりとまぶたを持ち上げ彼を見つめる。
「断る。僕は君の考えに賛同できない。誰かを傷付けるのはもうごめんだ」
 穏やかだった表情が途端に歪み、そして無になる。差し伸べていた手はだらんと落ちた。
「……お前には失望した、ルーファス」
「アンビシオン、私はッ……! ――ぁ、が」
「ならばお前の魔力を俺に渡せ。お前だとただの宝の持ち腐れだ」
 恐ろしいほど美しかった剣が、私の腹を貫いている。ただ王やその近くに倒れている側近たちとは違い、そこから血は流れ出てはいない。
 ただし、身体の中にある魔力がどんどん奪われていっているのがわかる。ここで死ぬのは構わない、ただ、これをすべて奪われてしまったら一体どれほどの魔力がアンビシオンの身体の中に蓄積されることになるのか。
 それだけは阻止しなければならなかった。
「ッ……! 転移魔術か!」
 術式を発動させ、光が私の身体を包み込む。身体が何かに引っ張られるような感覚は転移魔術には付きものだ。
 やがて私の視界からアンビシオンの姿は消え、腹を貫いていた剣の姿も消える。
「腰抜けが」
 吐き捨てられた声も、私の耳に届くことはなかった。
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