krystallos

みけねこ

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103.しばしのお別れ

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 女神の居場所を突き止める。それが何よりも現状を解決させることができる近道だということはこの場にいる誰もがわかっている。ただ問題は、その女神の手掛かりがまったくないこと。イザナギに視線を向けたが小さく首を左右に振るだけだった。イザナギでもこれならお手上げ状態じゃねぇか、と思ったところ神父が口を開いた。
『一度ラピス教会に戻っておいで。手掛かりはそこにあるはずだ』
「ラピス教会に、ですか? 神父様……確かにあそこにはあらゆる文献が置いていますが、女神様のことに関してのものはあまり目にしたことがありません」
 ラピス教会に在籍しているティエラがそう言うのだから望み薄じゃねぇのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
『君の知らないものもあるんだよ、ティエラ』
 神父は意味深な言葉を口にし、小さく笑みを浮かべる。コイツもコイツで無駄に隠し事が多い。まぁ、今までの話を聞いた限りそうベラベラ喋る立場でないことも理解できないわけでもない。
 そうとなれば、女神の手掛かりを探しにラピス教会へ――という単純な話でもなかった。
「いいや、先にセイクレッド湖だ」
 確かに女神を探すのも急務だが、それ以上にセイクレッド湖のほうが差し迫っている。決して後回しにしていい状態なわけがない。それを口にするとアミィたちは賛同するように首を縦に振り、『それもそうだな』と神父も小さく呟いた。
「セイクレッド湖に行くのはあたしも賛成だよ。でもどうやって行くんだい? ここにはあたしの船はないよ」
 ふと思い出したように口にしたフレイにウィルたちが僅かに固まった。まぁ俺の転移魔術で移動できないわけでもないが。それをやろうとすれば今のコイツらは止めるかもしれない。
「ああそこは安心していいよ、私が送ってあげよう」
 ここで手を上げたのがイザナギだった。両側に立っている男たちはいい顔をしなかったが、反面イザナギの表情はどこまでも穏やかだった。
「私が今できることはそれくらいしかないからね。ただ、私ができるのは送るだけ……セイクレッド湖に関しては君たちで解決してもらうしかない」
「なんとかするしかねぇな」
 イザナギがこの場から離れられねぇと聞いた時からあんまりそう期待していない。イザナギにも事情があるんだろう。人間じゃない人間の姿をしているヤツらの表情からして、こうして関わることもあまり良しとしていないのかもしれない。
 ただ送ってもらうだけでもかなり助かる。こうして喋っている間にもここに満ちている力が体内に入ってきて奪われた魔力が徐々に戻りつつある。流石に顔はもう真っ青になってはいないはずだ。
 立ち上がればアミィも慌てて立ち上がり見上げてくる。流石にこの格好のまま移動するわけにもいかねぇし、きっとどこかに俺たちの服は保管しているはずだ。
「準備が終わったら鳥居の前で待っているといい。そこで送ってあげよう」
 鳥居とは、この城に来る前に立っていた門みたいなもんかと前に見た光景を頭に思い浮かべる。前の時はまったくわからなかったが、今の姿だとあの門も敵を寄せ付けない役割を果たしているのがわかる。一種の結界だ。アミィとエルダが前に一度あの門の前に立ち止まった理由がわかった。
 イザナギの言葉に頷きその場をあとにする。神父が映し出されていた映像も消え、俺の後ろからぞろぞろと動き始めたのがわかった。それぞれ最初の寝かされていた部屋へと足を進める。どうやら症状の違いで寝ていた場所も違っていたようで、ウィルとティエラ、フレイが同じ方向に進みアミィとエルダも二人別の廊下を歩いていく。俺の寝ていた場所は、この城の中でも力が満ちている場所だったようだ。

 着替えも持っていたガジェットも身に着けていたものも、どれも丁寧に整理された状態で置かれていた。着ていたこの島の服を脱ぎ捨て自分の服に着替える。細々と持っていたガジェットもしっかり元の場所に収め、支度を済ませ鳥居と呼ばれている門へと向かう。
 俺が最初だったようで待つ状態になったが、そう長い時間はかからなかった。次々に城から他のヤツらがやってきて全員揃ったのはわりと早かった。最後にイザナギも現れ、金髪と青髪の男たちの姿もある。
「まだまだやることがたくさんだけれど、幸運を祈っているよ」
 そう言ってイザナギの手が俺たちに向かってかざされた瞬間、身体が淡い光に包み込まれる。俺たちが使うような転移魔術とはまた少し違うのかと顔を上げた瞬間、イザナギと目が合う。微笑みを向けられたとわかった瞬間引っ張られるような感覚が身体に襲いかかった。
「うっ……やっぱり慣れない……」
「君の気持ちはよくわかるよ、フレイ……僕も中々船酔いに慣れないんだ……」
 一体どこで共感してるんだと思いつつ目の前に視線を向ける。どうやらセイクレッド湖のど真ん中じゃなく、その入口に飛ばしたようだ。ただなぜイザナギがそこを指定したのか、目の前に広がる光景で嫌でもわかった。
「ひどい……全部真っ黒だよ……」
 水の精霊、ウンディーネの住処とされているセイクレッド湖は年中綺麗な水で満たされている。木々から滴り落ちる雫もキラキラと輝いており、滅多に足を踏み入れることができない人間たちはその光景を幻想的だと口にしていた。
 だが今の目の前にある光景は、穢れで満たされていてとてもじゃないが幻想的とは言えない。寧ろそれとは程遠い景色だ。精霊の住処だというのに、綺麗と言えるものは何一つない。
「これって……どうにかできるもんなのかい……?」
 あまりの酷さに表情を歪めながらフレイはそう口にする。ここまでの濃さに広さ、今まで浄化してきたものと比にならない。けれどここでどうにかしない限り、先にミストラル国が干上がってしまう。精霊の住処でもあるが、ミストラル国の人間たちが普段使う水もここから溢れ出るものだからだ。
 それに問題は他にもある。ミストラル国が干上がる可能性もあるが、下手したら穢れのある水がそのまま国に流れてしまうかもしれない。それを人間が口にするとどうなるか。人間自身も穢れるか、もしくは何かしらの病に侵されるか。そのままくたばってしまうのか。
『……私に考えがあります、人の子よ』
 久しぶりに姿を現したウンディーネの姿は、セイクレッド湖が近くにあるというのに相変わらず小さい。それに、折角徐々に戻りつつあった力がまた失われていっている。あれだけちゃんと目視できていた姿が、今では揺らいでいて不安定だ。
「なんだ、考えって」
『……本来精霊は穢れを浄化できる存在。なので、私がこの身を賭して穢れを浄化しましょう』
『ま、待ってよウンディーネ!』
 慌ただしく姿を現したのはシルフだった。精霊は人間と比べて顔色がはっきりわかるわけじゃないが、それでも焦っていることだけはわかる。忙しなく羽をパタパタと動かしウンディーネの周りを飛び回っている。
『そんなことしたら、ウンディーネがどうなっちゃうかわかんないよ⁈ 力が戻りつつあったけど、今はこんなにも弱々しいじゃん! 危ないよ、危険だよ!』
『いいえ、この場をこのままにしておくほうが危険です。人の子は私たちのように生命が長くなければ身体も脆い。こうしている間のもきっと苦しんでいる人の子はいるでしょう』
『ッ……! こうなったのも、人間が悪いんじゃんッ! もしどうにかなったってそれも人間が悪いッ――』
『シルフ!』
 強い言葉でウンディーネはシルフの言葉を遮った。普段穏やかなウンディーネが声を荒げることはまずない。シルフだけじゃなく、様子を見守っていたアミィたちも小さく息を呑んだ。
『私たち精霊がそのようなことを口にしてはいけません。私たちは精霊王に、人を憎めと言われましたか?』
『っ……!』
『そんなことはありませんよね? 私たちは人の子を慈しめと言われました。私たちよりも弱い存在を包み込むように、守るべきだと……精霊王は大きな悲しみに襲われたあと、姿を消しました。彼女の悲しみはきっと私たちの想像を遥かに凌ぐのでしょう……でも、そんな彼女を私たちが支えなければ』
 穏やかだがどこか力強いウンディーネの言葉にシルフは言い返すことができなかった。悔しがるような表情を見せ何かを言い淀み、結局言葉にせず姿を消す。そんなシルフに恨み言を言うわけでもなく、ウンディーネは俺たちのほうに振り返りしっかりと俺に視線を向けてきた。
『貴方の力が必要です。協力してもらえるでしょうか』
「ああ」
 そもそもイザナギから預かったあの石でこの広範囲の穢れを浄化できるとは思っていなかったし、弱っているウンディーネの力でもできるとは思っていなかった。やるなら精霊と力を合わせてやるしかない。
『ありがとう、人の子よ。では、参りましょう』
 穢れを浄化するには中心部に進むしかない。ただウンディーネはこの状態、俺もブレスレットを引き千切ったままで代わりをイザナギからもらったわけじゃないから自分で自分の周りに結界を張る必要がある。
 そのブレスレットも果たしてこの穢れを完璧に塞ぎきれるのかわからない。後ろに振り返りアミィたちに視線を向ける。
「お前らはここに残ってろ」
 万が一のことがあったとしても、果たしてヤツらを無事な状態のままセイクレッド湖から出すことができるかどうか。そう思ってのことだったが、アミィは小さく頭を左右に振る。
「ううん……アミィたちも一緒に行く。危ないって思ったら、すぐに引き返すから……だからお願い、ウンディーネのこと見守りたいの」
 その言葉にウンディーネと視線を合わせる。すぐにその表情が柔らかい笑みへと変わった。
『わかりました。では共に参りましょう』
「うん、ありがとう。ウンディーネ」
 これからウンディーネが何をするか、その詳細をウンディーネは言葉にしない。だがさっきの会話からして何をしようとしているのか大体のことは察しているのかもしれない。どいつもこいつも神妙な顔をしていて逆にウンディーネのほうが困っているぐらいだ。
 そのウンディーネの視線が俺たちからセイクレッド湖へと向かう。自分の周りに結界を張り穢れの影響を受けないようにする。他のヤツらはブレスレットでそう影響を受けることはないだろうが、あまりにも穢れが強かったらセイクレッド湖の外に魔術で移動させるしかない。
 そうして穢れで満ちているセイクレッド湖へと足を踏み入れた。
 ミストラル国の王と一緒にやってきた時の風景はどこにもない。穢れのせいであちこちに生えていた木々が腐り落ちようとしている。精霊の力を一切感じることのない場所へと変貌してしまっていた。
 穢れは予想以上に濃い。穢れを身体に蓄積していたアイツが湖に落ちてしまったことも大きいんだろう。アイツを基点として広がっているような気がする。少し後ろの様子を探ってみたが、今のところ穢れのせいで足が止まるヤツはいない。それも、時間の問題なんだろうが。
 セイクレッド湖と呼ばれる場所は確かに広くはあるが、それは湖が広いからだ。湖に辿り着くのはわりとすぐだ。やがて、足を止め目の前に広がる湖にウンディーネの表情が暗くなる。
『あんなにも、美しかった場所が……』
 湖に透明度などない。どこもかしこもまるで墨を落としたかの如く真っ黒に染まっている。これが全部穢れだ。
「ウンディーネ」
『……貴方に謝罪を。本来なら私だけで穢れを浄化しなければならないと言うのに……病み上がりの貴方の力をお借りします』
「ああ」
『それでは、人の子よ』
 湖を背にウンディーネが振り返る。顔はいつもの穏やかな笑みだ。
『私はしばらく眠りにつきます。ここまで来てくれてありがとう』
 言葉が終わった直後、ウンディーネから眩い光が溢れ出す。それと同時に俺も石を使って魔術を発動させた。なるほどな、と思った。なんでイザナギが穢れを浄化させる時俺じゃないと駄目だと言っていたのか。
 俺の身体が精霊たちに近いから、媒体とか異物が入ることのない純粋な精霊の力が使えるからだろう。精霊の力は穢れを祓う、どこまでも清らかなものだから。
 辺り一面に広がった強い光はしばらくして徐々に収まっていく。それと同時にセイクレッド湖に広がっていた穢れも、まるでその光に飲み込まれるかのように霧散していった。
 太陽の光が差し込むようになったセイクレッド湖の近くで、穢れの浄化をして力を使い果たしたウンディーネの姿もまた、霧のように消えていった。
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