krystallos

みけねこ

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129.出立

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 あの日の眩い、でもどこか優しい光を多くの人が目にしていた。光が広がる前に大地の穢れが溢れていたから、尚更その光に誰もが助けを求めていたのかもしれない。
 大地の穢れを祓ったのはイザナギの力だけれど、そのことを知っているのはほんの一握り。ほとんどの人が女神様の力だと今でも信じている。それをイザナギもわざわざ訂正しようとはしない。いつものように穏やかな表情で、それで人々の心が救われるのならそれでいいと言っていた。そして、あながち間違いでもないのだと。
 なだれ込んできた屍、広範囲での大地の穢れ。どこも大きな被害に合っていて、悲しいことにそれに巻き込まれてしまった人もいる。それでも、生きている人たちはみんなで必死に生きようとした。それに応えるように各国の王も一気に政策を進めた。
 あれから世界は少しずつ変わりつつある。まずは互いに手を取ること。相手の不得意な部分は補ってあげて、そして自分が不得意とするところは相手に支えてもらう。どこの国の出身かなんか関係なしに行き場をなくした人たちはみんな受け入れるようにしていた。もちろんまったく問題がないっていうわけでもない。当時はあちこちで言い争うこともあったようで、その度に王たちが手を打って騎士や部下の人たちが動いていた。
 そうして少しずつ少しずつお互いを知っていて、わかり合えるようになって今では言い争うことは随分と減った。まったくなくなった、っていうことはない。やっぱり違う人間同士だから考え方も違うし、やり方も違う。そこでちょっとしたいざこざが起こるけれど、話し合いで折り合いをつけるようにはなっていた。
 そんな中かなり変わってしまったのは、やっぱり魔力に関すること。女神様が現れて崩れそうになっていた世界が留まることはできたけれど、精霊たちの力が弱まっていることには変わりはない。前までは普通に使えていた魔術が、精霊から貰っていた力が減ってしまったことによって威力のあるものがほとんど使えなくなってしまった。
 元から魔力の少ない人たちはあまり影響はないようだけれど、かなりの影響を受けてしまったのは『赤』までとは言わないけれど相当の魔力のある人。そして研究者たち。
 魔力のある人ほど無意識に身体が魔術に依存してしまっている。今まで普通にできたことができなくなってしまったことに、その人たちの頭を大いに悩ませた。前までなら簡単に炎の魔術を出して爆発できたものが、今ではプスン、と小さく爆ぜるだけ。種火程度にしかならない。それは炎の魔術だけじゃなくて他の魔術もだ。
 研究者も魔力ありきの研究が多かったため、ほとんどが滞ってしまったとのこと。スピリアル島ではあちこちの塔から悲鳴が上がったそうだ。
 逆に、この苦境の中とても存在感を放ち始めたのがガジェットだった。魔力のある人たちの中には魔力のない人たちが使うものだと、どこか見下していた代物。それが今となっては救いの手となっている。
 元は魔力のない人たちがある人たちと同等に魔術のようなものを使えるようにと、そうして生み出された道具は今は世界中の人たちに使われている。そしてサブレ砂漠で発見された小さな石が、ガジェットの中にある小さな魔力を増幅できるものだとわかった瞬間職人たちは尚更創作に力を入れた。
 ガジェットも結局は魔力で動くもの。精霊たちの力が弱くなっている今、いつその魔力が使えなくなるかわからない。そうして危惧していたけれど、僅かな魔力でもその小さな石のおかげでガジェットは動くことができる。幸いにもその石は砂漠の砂の中にたくさん混じっていて、今のところ枯渇する恐れはまったくないとのことだった。
 小さな村で精霊を信仰していた人の中で、その石は精霊ノームからの恵みではないかと言う人がいた。前はそれを鼻で笑う人が多かった中、今ではそうなのかもしれないと信じる人のほうが多い。
 女神様だと思われる光が世界を包み込んだということもあるかもしれない。でも各地で現れていた異変がぴたりと止んで、そして濁っていた水は透き通った美しいものになり、上空には常に穏やかな風が流れている。普通にあるものが失くなるかもしれない、それを実感した人たちはそうやってやっと精霊の力に自分たちがどれほど支えられていたかを知っていった。

 両手に本を抱えたままパタパタと走る。廊下ですれ違う人たちはありがたいことに避けてくれて、中には「転ぶなよ」と忠告してくれる人もいる。その人にお礼を言いつつ走っていると後ろから呼び止める声が聞こえて、足を止めて振り返った。
「そんなに忙しなく動いてどうしたんだ? アミィ」
「王様!」
 八年の月日が経って、私は二十二歳になっていた。あれからミストラル国に身を寄せて必死に色々と勉強していた時、城内で騎士や文官とは違う別の部所を作るという話が出ていて私もそこに所属したらどうだという打診を受けた。
 それは精霊に関する研究を行う部所。本来ならスピリアル島でやるような研究を今はどの国でも自国で行うようにしている。
 今までずっと自分たちも恩恵を受けているため見て見ぬふり、という扱いを受けていたスピリアル島には各国から大きな介入があった。研究することに手出しも口出しもしない、ただしそれは人道的であった時の場合。非人道的な研究が行われた場合即座にその研究を取りやめるようにと勧告が入る。それでもやめなかった場合強制撤去。研究者にも罰が下されるようになった。
 そうなったのも、まず世界中に穢れを広げた一人としてアイヴィー・アストゥがスピリアル島の研究者であったこと。そして『人間兵器』を作ろうとしていたことが発覚したからだ。再び八年前と同じことが起こるかもしれない、そう誰もが危機感を抱いた。
 研究資金はかなり減ったとのこと。そして魔力も少なくなったことでスピリアル島で研究する人が徐々にいなくなっていることを先日教えてもらった。大部分が多額の資金で自分の自己満足という私腹を肥やしていただけで、今残っている人たちこそ心からの研究者。もとい、言い方はあれだけど変人、だそうで。でも介入もあって人の役に立つような研究が日々行われているとのこと。
「どうだアミィ、新しい環境には慣れたか?」
「はい! 精霊に関することをたくさん知ることができて嬉しいですし、何より楽しいです!」
「ははっ、そうか!」
「この研究で少しでも精霊たちの力が戻ればなって、思っています」
 最初は少しだけ悩んだ。ミストラル国に行くか、自分の故郷であるクロウカシスに戻るか。あの家に戻って、父と母と一緒にいた時と同じような暮らしをするという選択肢もあった。
 でも今まで色んなことがあって、色んなものを見てきて。そんなにのんびりとした暮らしだけをしていていいのかなって疑問も浮かんだ。きっとあの時の私は同年代の子よりも多くのことを知っていた。多くの経験もしていた。それを活かさないままで生きていくのはどうだろう、と。
 だからそのことをみんなに相談してみたら、取りあえずミストラル国に行ってみてはどうかというアドバイスを貰った。どうせあたしも行くし、乗せていくよっていう言葉に甘えて一緒にミストラル国に向かって、そして数日滞在して自分がこれから何をやりたいのかとたくさん考えた。
 待っているって言った。いつになるかはわからない。でもどうせなら、再会した時にうんと立派な姿になった自分の姿を見てもらいたかった。
「まぁ無茶だけはせずにしっかりとやれよ」
「はい! わっ」
「はははっ、でかくなったけど中身はあんま変わんねぇな」
「王様、女性の髪ぐちゃぐちゃにするのどうかと思います」
「そいつは悪かったな!」
 ミストラル国王は昔と変わらずよくこっちを気遣ってくれる。まるで近所のおじさん……と言ったら不貞腐れるだろうから、お兄さん辺りにしておこう。近所のお兄さんのようで、でも実際はこの国をまとめる王なのだから今更ながらとても気さくな王様だなと思う。
 豪快に笑って髪をくしゃくしゃにするのも変わらないし、でも流石に成人した女性の髪をぐしゃぐしゃにするのってどうなの? って小さく頬を膨らませたら笑いながら手は退かされた。笑みを浮かべている王様の目尻には八年分の積み重ねが刻まれている。
 廊下の奥のほうから補佐官であるシーナさんの声が聞こえてきた。またシーナさんの目を盗んで一人で行動していたんだろう。怒られますよ、って言う前に王様はすでにさっさと逃げようとしていた。相変わらず逃げ足が早い。ちょっと呆れたように小さく息を吐き出そうとしたらその姿がぴたりと止まって、こっちを振り返ってきた。
「それ似合ってるぞ、アミィ」
 トン、と王様は軽く自分の鎖骨辺りを軽く叩いた。その言葉に一瞬だけ目を丸くして、すぐに笑顔を浮かべて「ありがとうございます」とお礼を告げた。満足そうな表情を浮かべた王様はもう一度シーナさんの声が聞こえて、今度こそ脱兎の如く逃げていく。
 私の首元にあった媒体は、今はもうそこにはない。あまりにも大きな魔力は身体に対する負担を大きくする。私が生まれる何年か前にそのことが発覚し、直接身体に着けることは禁止されていたものだった。けれど私に着けられた媒体は精霊の力が弱まったことと、そして外すための研究をしてくれたおかげで今のうちにと十六歳の頃に無事に外された。首には綺麗さっぱり、というわけでもなくちょっとした痕が残ってはいるけれど。
 ただ私の首にはあの時直接着けられていた宝石がネックレスとして下げられている。媒体はこの宝石のほうで、その周りにあった装飾品は身体に定着させるための装置のようなもの。媒体が外された時に処分するかどうか聞かれたけれど、小さい私が魔術を使えたのもある意味その媒体のおかげでもあった。だから装飾品は外し、宝石のほうは加工してもらった。今も昔ほどの効果はないけれど、このネックレスは媒体として機能してくれている。
 バタバタと後ろから走ってきたシーナさんに王様が逃げていった方角を教えてあげて、そういえば私も急いでいるんだったと再び走り出す。まずは研究で使っていたこの本を片付けて、それで、と今後の予定を頭の中で思い浮かべながら目的地へと向かっていた。
「ア、アミィ!」
 本を借りていた場所に返して部屋から出てきたタイミングで声をかけられた。相手はミストラル国に所属している若い騎士だ。何度か顔を合わせたことがある人で、軽く挨拶をする仲でもあった。
 私とあまり歳が変わらないこともあって、よくこうして声をかけてきてくれる。どうしたんだろう、って首を傾げて待っていると相手は視線を少し彷徨わせながら何度か口を開閉している。トイレかな、と思ったけどトイレだったら私に話しかけずにさっさとトイレに行っているかと自分でツッコんでしまった。
「そ、その、いきなり呼び止めてすまない。実は話があって」
「うん?」
「えっと……今夜、時間はあるだろうか? よかったら一緒に食事でも……」
「あっ、ごめんね。私今から出立するの」
「えっ? あ、そう、なのか?」
 そう、だからバタバタ走っていた。折角誘ってくれたのにごめんね、ってもう一度謝ると彼は急いで頭を左右に振った。
「その、すぐに戻ってくる……とかだろうか? 差し支えなければ予定を聞いてもいいだろうか……?」
「うーん、すぐには戻ってこないと思う。部所のほうにも休暇届出しているし」
「もしかして里帰りとかか?」
「ううん」
 クロウカシスには忙しくなければちょこちょこ帰っている。お父さんとお母さんのお墓参りもしっかりしていたいし、氷の精霊として土地を守ってくれているフラウの話も聞きたいから。でも今回行こうとしている場所はそこじゃない。
 彼には悪いけどすぐ出立したいから、ちょっと駆け出して振り返る。
「会いに行くの――私の『王子様』に!」
「……『王子様』⁈ え、それはどういう意味っ」
 笑顔でまたねと告げて走り始めたら、後ろから戸惑いの声が聞こえてきた。どういう意味って、そのままの意味ってくふくふと笑う。
 前に貸してもらった絵本の中で、お姫様を助けるのは王子様なのだと書かれていた。子ども向けの本だけれど、当時の私からしたらすっごく納得できるもので今でもその内容は覚えている。
 そういうことなら、私の『王子様』はこの世界で一人しかいない。
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