元団長はモブ志望

みけねこ

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9.お呼び出し

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 あの騒動のあと学園は噂話で持ち切りだ。自分の婚約者を信じることなく、寧ろ蔑ろにしていた王子は退学まではいかなかったものの謹慎となり、その周囲にいた男子たちも同じ扱いとなった。ただ監視付きの謹慎のようで、それが彼らにとってどれほど堪えるものなのか俺はわからない。
 ただし、事の発端である彼の女子生徒は退学処分となった。それもそうだ、庶民でありながら貴族の令嬢を貶め自分が婚約者の座に座ろうとしていたのだから。処刑とまでならなかったのは、偏に彼女がまだ学生であったということと、そして何より令嬢からの口添えがあったからだ。
 令嬢はこのような事態になってしまったのは自分の責任でもあると、父とそして婚約者の父親……つまりこの国の王に頭を下げたそうだ。婚約破棄も受理され今王族周辺では騒がしいことになっているらしい。
 どうやら、王の子の男子ただ一人のようだ。跡継ぎにあの王子と考えていたようだったが、その王子があの体たらく。王子の下には妹がいるらしいがまだ社交デビューも果たしていない。そもそも、後継ぎは嫡子ということになっているため跡継ぎ候補から外されているのが現状らしい。
 俺たちは自分の見たものを信じ、自分が正しいと思った行動をしたまでだが。後悔はない。しかし王族の予想以上の混乱ぶりにこちらは困惑する。そんなので大丈夫なのかと。自分たちの将来はそんな人間たちに握られていると思うと不安になる者もいるだろう。
 王族たちには今までの行いをしっかりと見て返してもらいたいと思わずにはいられない。
 ちなみに今回の件で二人の令嬢の評価はグンと上がったそうだ。シェリー・ノービリスに関しては民衆に耳を傾け味方につけたことが大きく評価され、彼女の高笑いが止まらないと色々と知らせてくれたハワードが笑みを浮かべながら言っていた。

 親睦会という名の王子と婚約者の決別があったものの、学園生活は通常に戻っていた。もう令嬢に愚行を起こす者もいない。やっと平穏な学園生活だと一般クラスの生徒たちは笑顔を浮かべていた。
「お時間よろしいですか」
 俺も平穏な日常に戻ると思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。校門から出るとまるで待ち構えていたかのように一人の人間が俺の前に立ち塞がった。身なりがもう庶民のそれではない。着ているものも所作もすべて貴族と親しいことがわかる。
 だが俺はそのような人間に声をかけられる覚えもない。あの令嬢ならばハワードが使いとしてやってきたはずだ。その場から足を動かさず、ただジッと目の前に立つ人間に視線を向ける。
「悪いが、貴殿のような者に声をかけられるような人間ではないが」
「ご無体を強いるわけではございません。主の命により、貴方様をお連れするようにとのことです」
 主の名を明かさないのは、学園の校門前だからか。まだ数人の生徒が下校でこの場を行き来している。一般クラスの生徒は何事かとチラチラとこちらを伺うように視線を向けていた。
 別に騒ぎを起こすほどでもないと判断した俺は、首を縦に振った。その俺にホッとした表情を僅かに浮かべた相手は馬車に乗るように促してくる。そんな、庶民が一生で乗れるかどうかの馬車に乗れというのか。前世でも俺はその馬車を護衛する立場だったため妙な感覚だ。
 だがいつまでもこうしていると相手は更に困るだろう。諦めたように一度息を吐き馬車に乗り込めば、扉は閉じられゆっくりと馬車は走り出された。

 馬車で運ばれた先は見覚えのない場所だ。所謂上流階級の人間が住まう場所に庶民が行くことなどまずない。俺をここに連れ出した人間の身なりからして予想はしていたが、降りた先で待ち構えていた立派な門には流石に困り果ててしまった。
 正真正銘、貴族からの呼び出しということだ。しかも学園内ではなく、恐らく呼び出した当人が住まう屋敷に呼び出すという所業。ここに呼び出されるようなことをしでかしたつもりもないし覚えもない。
「クラウス様ですね、こちらへどうぞ」
 メイドが待ち構えており、どうやら俺を案内してくれるらしい。こちらは相手が誰なのかわからないというのに向こうは俺のことを知っている。あまり心地の良いものではない。チラッと門のほうへ視線を向ける。
 門番が二人、強引に突破できないわけでもないか。いざという時のために頭の中でシミュレーションしメイドの後ろを歩き屋敷の中へと足を進めた。
 歩いている最中特に会話という会話もなく、だからと言って物珍しさにあちこちキョロキョロしながら歩くこともしない。貴族の屋敷など昔とそう変わりはしないだろう。ただこの家の主は着飾るよりも上品さを好むようだ。装飾品はすべて洗練された美しさがある。
「こちらです」
 そうして案内された場所は客室だろう。メイドが扉を開け室内が顕になる。そして、そこにいた人物に思わず目を丸めてしまった。
「御機嫌よう。突然このように呼び出してしまって悪いわね」
「貴女だったか」
「中に入ってきてちょうだい」
 俺を呼び出した貴族は、つい先日まで王子の婚約者であったアリシャ・フィーリアだった。彼女は優雅にティーカップに口を付け、俺に椅子に座るように促してくる。
 ここで拒否する理由もなく、また彼女から座っていいとの許しも出ているため対面する形で椅子に腰を下ろす。すぐさま目の前に香りのいい紅茶がメイドによって置かれた。
「名乗らなかったのは」
「あとで噂になって困るのは貴方でしょう」
「なるほど」
 だが噂になって困るのは彼女のほうだろう。例の件で貴族と庶民の垣根を越えて、という評価だっただろうが他の貴族の中でよく思う者はそうはいまい。だがそういう理由ならば何も聞かされずにこの場所に連れてこられたことに物申すこともない。
 傍で控えているメイドに諸々のことについて感謝の言葉を口にしつつ、紅茶に口をつける。正直村出身であるため舌が肥えているわけでない。まぁ、美味いな。と思う程度だ。
「別にお茶を飲むだけで貴方に来てもらったわけではないの」
「では何用で?」
「あの件で貴方が床に転がした者がいたでしょう? 父親が騎士だという例の男。ああ、報告はしっかりとしておいたから彼も今はしっかりと謹慎中よ」
「そうか。ところで、それが何か?」
「彼、ああ見えて将来有望視されていた男なのよ。同学年で彼に敵う者はいなかったわ」
 まさか、と思わず口に出しそうだったところを急いで飲み込む。あの程度が、将来有望視されている? 力も弱ければ冷静さも併せ持っていなかったあの男子が?
 そこではたと気付く。昔と今とでは状況がまったく違うことを常々感じ取っていただろうと。昔は魔物が普通に蔓延っており常に人を襲っていた。人々はいつ自分が魔物に喰われるか怯えながら暮らしていたのだ。だが今はそのような心配は一切ない。暮らしていて突然魔物に出くわす、なんてことがまったくないのだ。
 つまりだ、剣術など強さに対しての水準が大きく変わっている。彼女が言う将来有望視のあの力量は、儂たちにとってはまだまだ殻のついたひよっこだ。あれならば前世だとまだ子どものほうが強かった。
「驚いているようね」
「いや……うん、確かに驚いたな」
「そうよね。貴方はそんな彼をまるで赤子の手をひねるように扱ったもの。貴族は驚きを隠せなかったのよ。エドガーの顔は見た? 真っ青にしていたでしょう? エドガーはローガンに勝ったことなど一度もなかったのだから尚更ね」
 それは、王子は護衛対象なのだから今の世ならば別にいいのではないか。だがあの程度で勝てないとなるとかなり心配になってくるが。何かあった際自分の身を自分で守れないとなると、護衛する側としては苦労が絶えないだろう。
「そういうことで、今貴族の間では貴方の話題で持ちきり。一体どこの騎士の息子か、どこの出身か、みな血眼になって調べているの」
「調べたところでただの小さな村の出身としかわからんだろう」
「ええ、その通りよ。何か裏があるのではないかと疑り深くなっているの。見ていて滑稽よ」
「貴女が俺を呼び出したのはそれを知らせるためか?」
 ティーカップに口をつけている彼女にそう問いかける。それならば誰か使いの者に頼んで伝えるだけでよかったはずだ。こうして面と向かってお喋りを楽しむ間柄でもない。
 目の前に差し出されたパイからはいい香りがしてメイドに視線を向ける。どうやら俺に出したようだ。なぜこんなにも手厚くもてなしているのだろうか、ただの村人その一に。
「二度も貴方に助けられたわ。そのお返し」
「別にそれほどのことでもないだろう」
「貴方にとってはそうなのね。でも一度目は、わたくしは酸を被る気でいたわ。顔に傷は残るだろうけれど確かな証拠になると思って。でも貴方のおかげで傷一つつかなかった」
 折角目の前に差し出されたのだから、食べないということは逆に失礼に当たるだろう。一言「頂こう」と告げパイを口に運ぶ。きっといい材料だ、食感も香りも今まで食べていたものとまったく違う。
「貴方をぜひ騎士団に、と。ローガンの父親がそうおっしゃったそうよ」
「……何?」
「これから忙しくなりそうよ、ということを知らせようと思ったの。貴方のような優秀な人材を人は放ってはおかないでしょう?」
 でも決して悪い話ではないはずよ、と彼女も同様にパイを口に運び咀嚼ししっかりと飲み込んだあと口を開いた。
「騎士になるということはとても名誉なことよ。暮らしも保証される。きっと貴方のご両親も安定した日々を過ごすことができるわ。貴方が騎士になるというのであれば、わたくしからも口添えができる」
「ふむ、それは困った」
「なぜかしら? 悪い話ではないのに?」
「ああ。俺は将来、父の跡を継いで木こりになろうと思っていたものでな!」
 面白いほどぴたりとその場の空気が固まる。彼女たちにとっては可笑しな話であっただろう。だが小さい村の出身で、ただの庶民である今の俺にとってはただただ普通の話であった。
「あそこはよい村だが人が少なく、若者も出ていったっきりだ。男手一つあったほうがいいだろう」
「……本気で言っているの?」
「庶民にとってはそう可笑しな話でもあるまい?」
「……ふふっ、あはは! 貴方って面白いのね!」
 貴族の令嬢とは、表情をあまり表に出さない印象だった。故に、こうして楽しげに笑う姿に思わず驚いてしまった。それは俺だけではない、メイドやずっと控えていた騎士たちもだ。だが彼女は俺たちの反応を気にすることなく、目に涙を浮かべながらも未だに笑みをこぼしている。
「ふふっ、ふぅ。こんなに笑ったのって生まれて初めて。そう、だからなのね」
「何がだろうか?」
「シェリーも言っていたわ。貴方って不思議と周りの人に慕われているようだって。その理由がわかったような気がしたの。あと、貴方には悪いけれどほんの少し叔父様と話をしている感じだわ」
「……そうか」
 ここでもジジィか。まぁ、いいだろう。中身はジジィだ、ここまできたら諦めも付く。目の前にあったパイを完食し紅茶も飲み終えれば、ティーカップには新たな紅茶が注がれた。
「わたくしは貴方を支援するつもりよ。困ったことがあったら訪ねてきてちょうだい」
「いや結構だ」
「ふふっ……んっんん、ではわたくしが勝手に世話を焼くわね」
 再び笑ってしまったことを流石に恥ずかしかったのか、軽く咳払いをした彼女は真っ直ぐに俺に視線を向けた。言葉にも悪びれもなく、その眼差しも遠慮をするつもりが一切ないことが伝わってくる。
「騎士への勧誘が激しくなると思うから、頑張ってちょうだい」
 最後に笑顔でとんでもないことを口にし、思わず紅茶を吹き出すところであった。
 女神よ、これも儂が望んだ『普通』に該当するのであろうか?
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