鹿と森林

鹿ノ杜

文字の大きさ
上 下
2 / 34

雨宿り

しおりを挟む
 別れ話が済んだと思ったら雨が降り出したので、わたしたちは雨宿りをすることになった。
 わたしたちはなにか大切な話をするときには、どんな場所でもいい、歩きながら話すようにしていたから、このときもそうしていた。わたしのアパートからほど近い商店街の、土曜の昼下がりにもかかわらず人通りの少ない道を、歩きながら、会社から転勤の知らせを受けたと彼に伝えた。
「だから、別れようか。わたしたちにエンキョリレンアイだなんて、ムリっしょ」
 ほっとしたような彼の表情をわたしは生涯わすれないだろう。
 その後で彼はあわてて表情をとりつくろい、何か前向きなことを言って、あきらめきれないふりをした。だけど結局、わたしたちは別れた。かたい握手まで交わした。振った、でもなく、振られた、でもなく、わたしたちは仕方なく別れたのだという事実に、わたしたちは満足した。
「さてと、荷造り始めないとな」
 わざとらしく大げさなわたしの言葉をさえぎるように、
「あ、雨だ」と彼がぽっかり言った。
 見上げると、半分くもって、半分晴れているような中途半端な空から、雨粒がわたしの額に当たり、そうかと思えば次第に雨脚が強くなった。
 すぐそばにあった商店の軒下に駆け込んだ。もう、とっくに潰れた精米店の日に焼けすぎたひさしの下で、わたしたちは雨宿りをした。
「すぐやむよ。通り雨だと思う。雨の予報なんて見なかったし」
 彼はそう言って、落ち着かないのか、あたりを見回している。
 ひさしの下にはわたしたちと一緒に雨宿りをしているような自販機があった。コカ・コーラのロゴの赤い自販機から、缶のコーラを買って、わたしが口をつけた後に、彼に渡す。彼も口をつけ、わたしがまた飲みたがるまで、彼が缶を持ったままでいる。そういう、いつもの、ありふれたやり取り。
 あれ、わたしたちはいつまで恋人同士なのだろう。
 恋人だった頃の名残りを抱えたまま、わたしたちは少しずつ、恋人同士ではなくなっていく。
 ひさしをたたく雨音を一つひとつ数え上げているうちに、喉が渇いて、わたしは彼の持つコカ・コーラに手を伸ばした。
しおりを挟む

処理中です...