鹿と森林

鹿ノ杜

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ナゾ

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 ぼくが学校に着くと、教室ではケンタがヤマンバを見かけたという話で持ちきりだった。ヤマンバってなんだっけ、などと考え込んでいると、ケンタはごていねいに身振り手振りをまじえて説明をはじめた。
「昨日の夕方、裏山に灰色の髪のばあさんがいたんだ。あそこっていつも人なんかいないだろ? それで見ていたらこっちに向かって、髪をこう……」
 そこでケンタは頭を激しく振り回した。
「ばさばさってしながら走って来たんだ。おれ、こわくなっちゃって。走って逃げたんだ。だからさ、みんな、裏山には近づかない方がいいよ」
 もう何度目かの話だったようで、クラスメイトの間にはちょっとしらけた雰囲気がただよっていた。
 ケンタがあまりにも一生懸命だったから、ぼくは信じてもいいかなという気にもなっていたが、
「おまえ、小三にもなってガキみたいなこと言うなよ」
 と、ミヤジが切り出した。
「だいたい、普段から誰も近づかないような裏山で、ケンタは何をしてたんだ?」
 ミヤジの言葉にケンタはすっかりあわててしまった。
 そういえば、とぼくは思い出した。前にケンタが、おじいちゃんの家で見つけてきたのだと、宝の地図を見せてくれたことがあった。だけどその地図は、古ぼけてはいるが、ただの海図だということを頭のいいミヤジはあっさりと見破ってしまった。
 そのときケンタはあきらめきれなかったのか、あわてたように言った。
「火のないところに……なんとかっていうじゃないか」
「煙は立たない、だろ?」
 だけど、ミヤジにすぐに言い返されてしまった。
「それはちょっと意味がちがうんじゃないか?」
 宝の地図のときと同じようにケンタは顔を赤くして、
「コロロの散歩だよ」
 と、何とか返した。
 コロロというのはケンタの家で飼っているコーギーの名前で、ぼくも一緒に散歩をしたことがあった。いつも笑っているような顔をした愛くるしいやつだった。
 ただ、ケンタの家から裏山まではけっこう距離があったはずで、
「コロロが、昨日は急に裏山の方に行きたがったんだ」
 そう続けるケンタの言葉も急にあやしいものになってしまった。
 半信半疑のぼくたちだったが、先生が来てしまったので、朝のやり取りはそれでお開きになった。
 放課後になり、
「じゃあ、見に行ってみようよ」
 と、ぼくは言った。
 あぶないからやめた方がいい、となぜか朝よりも必死になっているケンタと、ミヤジと、それにモモコまでついてきたのは意外だった。
 ぼくたち四人は通学路から道をそれて、裏山までの道をたどった。
 モモコは、男子同士の「おまえ誰が好きなんだ」という話の中で必ず名前があがる人気の女の子だった。笑うと口元の左側にだけエクボができるのがかわいらしく、実のところ、隣を歩くモモコにぼくはずっとドギマギしていた。
「こういうの、好きなんだな」
 と、ミヤジがモモコに言った。
「まあね……この前テレビでやってて、おもしろかったから。UMAとか古代遺跡とか、世界のナゾを追う、みたいな?」
 モモコはくつくつと笑った。ぼくにとって、いや、ぼくたちにとっては、女の子という存在の方がよっぽどナゾに満ちたものだった。
 だけどモモコの言う通り、住宅街を抜けてこんもりとした深い緑の山色と、日の差さない薄暗い舗装階段が見えてきて、道が少しずつ険しくなってくると、気分はさながらミステリーハンターだった。
 子どもだけでも簡単にのぼりきれる小さな山ではあったが、階段の先は岩が転がるけもの道になっていて、ぼくたちは息を切らしながら、時に立ち止まり、辺りを見渡した。木々のすき間からまだ夕焼けになる前の淡い色の光が漏れ入り、まるで水の中にいるみたいに、きれいだった。
「どこらへんで見たんだよ」
 と、ミヤジの声が山に響く。
「まだ、もうちょっと……」
 と、ケンタの少し情けない声も山に響く。
 先を行くモモコがぼくたちを振り返った。モモコはツタがはう斜面だってスイスイのぼり、誰よりも果敢に探検をしているようだった。
 やがて頂上についた。頂上には小さなほこらがあるほかはがらんとしていて、ぽっかりと開けた空の下には隣町が広がっていた。ぼくたちはちょっとした達成感に包まれた。
 はずませた息をととのえているとモモコが言った。
「ねえ、ケンタくん、もういいんじゃない?」
 ケンタはもじもじとからだをくねらせ、小さくうなずいた。そんなケンタを見ながら、モモコはくすりと笑う。
 ぼくは不思議に思い、二人の顔を交互に見た。
「わたしとケンタくん、たまにこの場所で会ったりしてるんだよね」
 と、モモコが打ち明けるから、
「あ、そういうことっ?」
 思いがけず、すっとんきょうな声が出た。
「どういうこと?」
 首をかしげるミヤジにモモコがこたえる。
「だから、クラスの誰かが来ちゃうと困るね、ってケンタくんが言いだして……」
 アー、と声を出しながら口をぽかんと開け、急に間抜けな鳥みたいになってしまったミヤジは、
「バッカだなあ、逆効果だろ」
 と、ケンタに言った。
 ケンタは顔を赤くした。
「そうだったかもしれない、どうしよう、ねえ、ミヤジもヤマンバを見たって言ってくれたら……」
「そんなバカみたいなことは、おれは言わない。明日、学校で、ヤマンバなんかいなかったって言う」
 ミヤジは言いながら、眼下の景色に目を向けた。
「……だけど、裏山はがけがくずれたりしていて、あぶなかった、とでも言っておくよ」
 帰り道、ぼくはモモコにこっそりきいてみた。
「あのさ、ケンタのどこがいいの?」
 ちょっと嫌な言い方だったかもしれない、と言ってから気がついた。
 だけどモモコはそんなこと、全然、気にしていないみたいだった。
「だって、なんにでも一生懸命でかわいらしいじゃない」
「なんだか嫉妬しちゃうな」
 ぼくとモモコの話が聞こえていたみたいで、ミヤジがぽつりとつぶやいた。
 シット、というものは、ぼくにはよくわからなかったけれど、ケンタのことを少しうらやましく思うことだけは確かだった。
 先を行っていたケンタが不思議そうにぼくたちを振り返った。
「ねえ、みんな、はやく帰ろうよ。もうすぐ暗くなっちゃうよ」
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