上 下
5 / 34
最初の事件編

その4

しおりを挟む
「おはようございます、阿化紀李です。久々の出演で緊張していますが、よろしくおねがいします」

 阿化紀李氏は恭しく(うやうやしく)一礼してから、俺の横の席に腰掛ける。

「カンナさんお久しぶりです。またこうしてご一緒させていただけるなんて感激ですよ」

 彼は挨拶をしたが、俺からの返事が返ってこない。

「どうしました? 私の顔に何か付いています?」

 俺が唖然とした顔で阿化紀李氏見つめていたのを不思議に思ってか、彼は俺に問いかけた。

「えっ? あー、阿化紀李さんお久しぶりです。まさか二回も仕事を御一緒出来るとは思ってなくて、吃驚しただけですよ」

 俺は苦笑いを浮かべながら彼に答えると、阿化紀李氏は不思議に思ったのか、首を傾げた。

「打ち合わせ始めるぞ。今日の『ナイトレディオを聴かんな』はゲストに人気作家の阿化紀李さんが来て下さっているから、小説の制作秘話なんかを織り交ぜつつ、リスナーの新生活に関するメールで話を広げていくという構成で行こうと思っている。あらかじめ……」

 鬼軍曹の長い番組構成の話を聞いていると、お経を聞いているみたいで次第に俺の瞼は塞がっていく。

「だから寝るんじゃねぇ!」


 スパコーン。


 俺の頭に鬼軍曹のニ発目がジャストミートした。
 この攻防がこの後も何度も続き、結局打ち合わせ終了間際まで、俺は鬼軍曹に計二十五発殴られることとなった。


 打ち合わせが終わり、俺は番組が始まるまで二階の局スタッフ専用ドリンクバーの机に腰掛け、スマートフォンをいじる。
 ユーザーコードとパスワードを入力して【テリトリー】を本格稼動。阿化紀李氏の電子書籍の回収を始める。電池残量との戦いなので手早く終わらせないと。

「カンナさん、打ち合わせ終わってから居ないと思ったら、こんなところで何しているのですか?」

 そこに、湯気のあがる紙コップを大事そうに持った阿化紀李氏がやって来た。
 俺はさっと【テリトリー】の画面を閉じ、普通のブラウザで新生活についての記事を表示し、カモフラージュをする。

「ラジオで喋るネタ集めですよ。今日は特に天下のミステリー作家の阿化紀李さんがいますから、俺がネタ切れでもしたら阿化紀李さんの番組になりそうで」

 俺の冗談に、彼はクスッと笑った。

「いえいえ、私なんて最近スランプで困っているところで、ここはカンナさんに一つご教授して欲しいものですよ」

 彼は恐縮そうに頭を掻いた。

「へぇ、阿化紀李さんでもスランプなんてあるんですねー。俺なんかで良かったらいつでもお手伝いしますよ。とはいってもやっぱりベストセラー作家さんのお手伝いなんて、俺には出来ないですよねぇ」
「いえいえ、大歓迎ですよ! ちょうど次回作はラジオ局で起こった話を考えていて、今回のラジオ出演もそれの取材も兼ねているんですよ。あっ、そうだ……」

 彼はごそごそとポケットからスマートフォンを取り出して、赤外線通信の通信機部分を指差した。

「もしよければ、電話番号交換しませんか? こんなところではなかなか言えない裏話なんて話していただけると嬉しいのですが」

 阿化紀李氏はニコリと微笑む。
 こうして俺たちは電話番号を交換することになった。

「じゃあ、家に帰宅してから連絡しますね。それにしても、まだ新作が発売されて一ヶ月しか経っていないのに、もう次回作構想だなんて凄いですね」

 俺の言葉に彼は照れ笑いをする。

「私に想像や創意という概念があるうちは作品を作り上げていかなければと思っていますし、私の作品を心待ちにして下さっているファンの方もいらっしゃいますから」
「しかし、作品の味である“リアルさの追求”に躍起になってしまいまして、先ほど言ったとおりどうもスランプ気味なんですよ。担当さんには私のスランプのせいで大変迷惑をかけてしまっているのが、情けなくて」
「そうなんですか。阿化紀李さんのその創作意欲、凄いですね。おっと、そろそろ台本なんかの最終チェックをしないといけないので、楽屋にもどりますね。それでは、またスタジオで」
「あー、引き止めてしまってすいませんでした。では、また。話を聞いてくれてありがとうございました。カンナさん」
「いえいえ、俺でよければいつでも聴きますよ」

 俺は阿化紀李氏にひらひらと手を振ると自分の楽屋へと赴く。
しおりを挟む

処理中です...