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第4話 ~秋~
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高度7,700m、第8キャンプ、北壁ルート。
最悪の吹雪と嵐、地球上に14座しかない8000m級の山の一つ、世界第二の高峰、K2。
その頂上アタックを目前にして、方角を失い、視界をなくす。
手の中にまだ残っている走っていったザイルの感触。谷底に落ちていったパートナー。
若手登山家のホープとして名を馳せてきた俺 “山下 慶一”の強運もついに尽きる時がきたのか。
急な氷壁の斜面に一人取り残され、途方にくれる。
“山で死ぬなら本望”
それは、頂上を極めた人間の言う言葉だ。
俺は、まだ、見ていないんだ。
超然たる聖域、K2の頂を。
* * *
東北、神室山。高度1,365m。
「おい、隆太はどこへ行った」
笹原隆太の親友(自称)― 村田は、半ばあきらめ気分で辺りを見まわした。
青い空、白い雲。
奴が、“秋山登山”に参加したことでさえ奇跡に近い。ましてや、こんな気持ちのいい日に、まともに学校活動をやるわけないよ。
「隆太あ~! 焼き芋できたぞ。だから、出てこいよお~!」
中二の俺たちの、テーマは“自然に溶け込もう”
山頂での“焼き芋”作りと“自然に溶け込もう”がどう繋がるのか、さっぱり、わからなかったが、笹原 隆太が登山に参加した理由があるとしたら、“それ”としか考えられなかった。
奴の好きな物は、学校給食。嫌いな物は学校活動。
“焼き芋”も学校給食なのか。
疑問はあったが、隆太を呼び寄せるくらいの効果はあるはずだ。
「また、行方不明? 笹原って協調性ゼロ。同じ班になった私らの苦労も知らないで」
クラスメートの石井 美夏が、膨れっ面をする。
「あいつって学校をなめてるんじゃないの」
と、その友人のゆうちゃん。
「……せっかく、うまそうな焼き芋ができたのになあ」
「村田は、あいつに甘すぎるよ」
と、怒りながらも三人は、隆太が戻って来てはいないかと、きょろきょろと辺りを見渡した。どーでも、いい奴なのに、何故かそばにいる方がいい。
村田が、仕方ないなと、焚き火から取り出した焼き芋のアルミホイルに手をかけた、その時だった。
「おっ、いい匂い!」
手に栗の実をいっぱいに抱えた、笹原 隆太が現れた。
「隆太、お前、どこに行ってた?」
聞いても無駄な質問。
「ちょっと、栗拾い。これもパチッと焼いてもらおうと思って」
爽やかに微笑んで、ばらばらと栗の実を、焚き火の中へ放りこむ。
パチッ、パチッと弾ける音
だが、突然
パーンッっと、強く弾けた毬《いが》が笹原を直撃した。
「あっ」
やばっ、俺、飛ばされるっ
* * *
K2。吹雪はまだ、静まる気配も見せない。
「とりあえず、テントの入口から雪が舞いこむのだけは阻止しなければ」
風がテントを引き裂いたら、もうどうしようもない!
若手登山家、山下慶一は、冷たささえ感じなくなった手で、懸命にテントを押さえこんだ。
テントを押さえるペグが、吹き飛ばされた時、山下は狂おしげにその方向を見た……が、
「……お前……誰だ?」
「俺?」
ジャージ姿の少年が、テントの隅にちょこんと座り込んでいる。
「笹原 隆太。中学二年」
少年は、照れたような笑いを浮べ、そう言った。
* *
……この世界最高所に、中学生?!
山下は、妄想を吹き飛ばすかのように、2、3度、頭を横に振った。
「ここ寒いなー。おっさん、ここで何してんの」
笹原 隆太は、屈託なく笑う。
「何してんのって、それは、こっちが言いたい台詞だ。ここは、世界第二の高峰、K2だぞ」
「えっ、K2ってエベレストの次に高い山の? やばっ。そんな所まで飛ばされてたのか」
まいったなと、隆太はテントの端をめくり、外の景色を覗き込もうとした。
「や、やめろっ! テントをめくるなっ!」
ところが、
吹雪は嘘のように静まり、西から回り込んできた太陽が山の雪肌を、オレンジ色に染め上げていた。
K2の夕暮れ。羽衣のような薄い雲が、長くたなびいている。
「すごい、すごい! こんな絶景、初めて見た」
一瞬、はしゃぐ少年が姿が山の景色と重なりあった。その背中が稜線の向こうに沈んでゆく太陽に、とり込まれるかのようだった。
山下は慌てて隆太の首ねっこを引っつかむ。
「さっさと、中に入れ! そんな格好で外にいたら、凍傷になって手足の指を全部なくすぞ!」
* *
「馬鹿げてる。まったく、信じられない……ジャージでK2に登頂? 学校の遠足じゃないんだぞ」
山下は自分のリュックからヤッケを引き出し、それでも着てろ! と、隆太に放り投げた。
「あ、俺、今日は遠足だよ。秋山登山。“テーマは自然に溶け込もう”」
「……」
「せっかく、村田が“焼き芋”作ってくれたのに、食べそこねたなあ。ちぇ、思い出すと、腹がへってきた。おっさん、何か食うもんない?」
「おっさんは、やめろ! 俺には山下 慶一って名前があるんだ。あいにく、食料はほとんど、雪崩で流されてしまった。リュックを探れば、非常食の残りくらいはあるかもしれないが……」
えっ、困ったなあ。と隆太は自分のポケットをごそごそと探りだす。
栗の実、ブナの葉、鉄釘、そして、ぴょこんと飛び出したアオガエル。
「お前のポケットは、地球の裏にでもつながってんのか!」
どこの登山家が、高度7700mでアオカエルを見るんだ? あきれ返る山下を気にもせず、隆太はうれしげに笑った。
「あった、あった。おやつにとっておいたチョコレート。えーっと、俺と、おっさん……山下だっけ、それと……」
少し、俯いて隆太が言った。
「あんた、一人?」
「今……はな」
「今はって?」
「俺のパートナーは、北壁の割れ目の深い谷底に……落ちていった」
山では弱気になることは、禁忌だ。くじけた心では、気が遠くなるような雪渓を乗り越えることはできない。
「まだ、日があるうちに、このテントの周囲を見にいってくる。うまくルートが見つかれば明日は下のキャンプ地におりれるかもしれない」
山下はわざと明るい声で言った。そして、お前はここを絶対に動くなと、言い残すと、外へ出て行った。
「あ~あ、ここ、退屈だよな……」
隆太は、少し頬を膨らませると、ごろんとテントに横になる。
さわさわと外の雪がきしむ音
あのおっさん、このままだと、死ぬな……
* * *
「まいったな、ここまで積雪があるとは……」
山下は口を真一文字にくいしばった。
膝上まですっぽり、雪に埋もり身動きがとれない。山の上部ではまた、風が激しく舞いだした。
耳元をびゅうと、風が通り過ぎた時、
パキッ
氷の裂ける音がした。
「しまった! クレバス(氷の裂け目)に……」
驚く間もなく、山下は積雪で隠されていた落とし穴に引きずり込まれていった。
真っ暗な奈落に落ちてゆく。だが、突然、開けた明るい景色に目をみはる。
「ここは……?」
青い空、白い雲。
がさごそと、手を伝わってくる落ち葉の感触。
“俺、今日は遠足だよ。秋山登山”
隆太の言葉が頭をよぎる。
山下は思わず笑みを浮べた。差し迫った現実から、一瞬、目をそらしたい衝動にかられたのだ。だが、
「馬鹿な! K2の雪と氷と風は幻なんかじゃない。俺を騙すのはやめろっ!」
* *
再び吹雪に閉ざされた雪稜で、山下は天を仰いだ。
“ちぇっ、何でもどってきちまうんだよ”
風がその足元の雪をふわりと舞い上げた。
一面の白い世界が強風にさらされ、激しく揺れうごいている。
もう、無理だ。これでは一歩も動けない。
山下は、何かを諦めたかのように、その場に膝から崩れおちた。だが、岩とは違う硬い感触を手元に感じ、はっと、そちらに目をむける。
これは、あいつのピッケル……?
谷に落ちていったパートナーの。
その時、一瞬、途切れた雪の間から、頂上付近が垣間見えた。
K2の聖なる頂……何故、お前は俺たちを拒むんだ!
再び視界は閉ざされ、日は暮れて、闇までが近づいてくる。
俺は、ここで死ぬのか……雪に埋もれて、たった一人で……。
“一人じゃない……んだよなあ”
頭上から突然響いてきた声。信じられないくらいK2に不釣合いなジャージ姿の少年
笹原 隆太……
「お前、何でそこにいるっ、ついて来るなと言ったのに!」
「だって、秋山登山に誘ったって、来やしない。だから、教えてやろうと思って」
「何っ?」
「雪崩が来るんだよ」
音もなく波のような雪が流れてきた。
そして、隆太は鮮やかに笑った。
“山が人を拒むものか。山はそこに居るだけだ”
* *
「隆太、遊んでないで早くやれよ。終わってないのは、俺たちの班だけなんだぞ」
またまた、うるさい村田がやってきた。
学校のHRの時間。今日の課題は、秋山遠足のレポートをパソコンでまとめる作業。
「ちょっと待てよ。今、クックポット見てるんだ」
「はあ? お前、ネットでも食い物サイト見てるんか。そんなのは休み時間に見ろよ。時間がないんだから、さっさと、画面もどせ」
隆太からマウスを、奪い取った村田は、あれ? とパソコンのトップニュースに目をやった。
「先日、世界第二の高峰K2(8,611m)の北壁で雪崩が起き、登山中の日本山岳隊隊員、佐伯 数馬、山下 慶一が巻き込まれた模様。両名とも捜索を断念……ま、死んでても、仕方ないわな。そんな高い山に登るんじゃ」
その時、教頭に付き添われ、教室に見知らぬ男が入ってきた。
「今日から来てもらった、産休の担任の代わりで、地理も教えてくれる先生を紹介するからみんな、着席」
えっ!
何っ!
互いに顔を見交わす、隆太とその男。
「何でお前がここにいるんだっ!」
笹原 隆太!
やっぱり、ついて来たんだな。でも……この展開は以外だったなあ。
隆太は照れたような笑いを浮べた。
おっさん、名前は……山下 慶一
* *
HRが終わった後の廊下。隆太を山下がとっ捕まえる。
「こらっ、待てっ、 俺にきちんと説明しろ」
「何だよ。もう、帰るんだから邪魔するな」
「帰るな! まだ、二時間目が終わったところだ」
「あんたなんか、知らない」
「しらばっくれるな!」
あの雪崩の後
何で俺は神室山(東北の)にいたんだ。
お前は何故、K2に現われた。
そして、
何で俺は生きてるんだ?
“時の間を飛び越えてしまったんだよ”
え? 山下の頭に響いてきた声
「あの後、この学校の知合いに頼みこんで、先生の職を世話してもらったんだ。登山家の山下 慶一の名は伏せて。その説明も四苦八苦だ。考えてもみろよ。K2で死んだはずの男が、一週間もしないうちに日本にいるなんておかしすぎる」
まくしたてるように山下は言った。
「ほとぼりが冷めたら、俺は、またK2に登る。あの山で別れたパートナーが心残りでならないんだ」
しらばっくれてるのも、面倒になってきた。ふうと一つ息を吐くと、隆太は笑った。
「おっさん、また、死ぬぞ」
「死ぬものか。K2の頂を俺はまだ、見ていない」
ふうん。なら、勝手にすればいいや。
「俺、帰るから。今日の給食は、一番まずい酢豚チャーハンなんだ」
廊下の窓からひゅうと秋風が飛びこんできた。舞いこんできた銀杏の葉がくるりと宙を舞った瞬間、目の前から突然、隆太がいなくなった。
「……あいつ、堂々と消えやがった」
もう、驚く気にもなれない。山下は、苦い笑いを浮べると、次の教室へ歩き出した。
はらはらと舞う銀杏の間を縫うように、風が通り過ぎてゆく。
“山は人を拒まない。だから、人は山を目指すのか……”
時の間をすり抜けて
【時の守り人】 ~ 秋 ~ (完)
― 第5話に続く ―
最悪の吹雪と嵐、地球上に14座しかない8000m級の山の一つ、世界第二の高峰、K2。
その頂上アタックを目前にして、方角を失い、視界をなくす。
手の中にまだ残っている走っていったザイルの感触。谷底に落ちていったパートナー。
若手登山家のホープとして名を馳せてきた俺 “山下 慶一”の強運もついに尽きる時がきたのか。
急な氷壁の斜面に一人取り残され、途方にくれる。
“山で死ぬなら本望”
それは、頂上を極めた人間の言う言葉だ。
俺は、まだ、見ていないんだ。
超然たる聖域、K2の頂を。
* * *
東北、神室山。高度1,365m。
「おい、隆太はどこへ行った」
笹原隆太の親友(自称)― 村田は、半ばあきらめ気分で辺りを見まわした。
青い空、白い雲。
奴が、“秋山登山”に参加したことでさえ奇跡に近い。ましてや、こんな気持ちのいい日に、まともに学校活動をやるわけないよ。
「隆太あ~! 焼き芋できたぞ。だから、出てこいよお~!」
中二の俺たちの、テーマは“自然に溶け込もう”
山頂での“焼き芋”作りと“自然に溶け込もう”がどう繋がるのか、さっぱり、わからなかったが、笹原 隆太が登山に参加した理由があるとしたら、“それ”としか考えられなかった。
奴の好きな物は、学校給食。嫌いな物は学校活動。
“焼き芋”も学校給食なのか。
疑問はあったが、隆太を呼び寄せるくらいの効果はあるはずだ。
「また、行方不明? 笹原って協調性ゼロ。同じ班になった私らの苦労も知らないで」
クラスメートの石井 美夏が、膨れっ面をする。
「あいつって学校をなめてるんじゃないの」
と、その友人のゆうちゃん。
「……せっかく、うまそうな焼き芋ができたのになあ」
「村田は、あいつに甘すぎるよ」
と、怒りながらも三人は、隆太が戻って来てはいないかと、きょろきょろと辺りを見渡した。どーでも、いい奴なのに、何故かそばにいる方がいい。
村田が、仕方ないなと、焚き火から取り出した焼き芋のアルミホイルに手をかけた、その時だった。
「おっ、いい匂い!」
手に栗の実をいっぱいに抱えた、笹原 隆太が現れた。
「隆太、お前、どこに行ってた?」
聞いても無駄な質問。
「ちょっと、栗拾い。これもパチッと焼いてもらおうと思って」
爽やかに微笑んで、ばらばらと栗の実を、焚き火の中へ放りこむ。
パチッ、パチッと弾ける音
だが、突然
パーンッっと、強く弾けた毬《いが》が笹原を直撃した。
「あっ」
やばっ、俺、飛ばされるっ
* * *
K2。吹雪はまだ、静まる気配も見せない。
「とりあえず、テントの入口から雪が舞いこむのだけは阻止しなければ」
風がテントを引き裂いたら、もうどうしようもない!
若手登山家、山下慶一は、冷たささえ感じなくなった手で、懸命にテントを押さえこんだ。
テントを押さえるペグが、吹き飛ばされた時、山下は狂おしげにその方向を見た……が、
「……お前……誰だ?」
「俺?」
ジャージ姿の少年が、テントの隅にちょこんと座り込んでいる。
「笹原 隆太。中学二年」
少年は、照れたような笑いを浮べ、そう言った。
* *
……この世界最高所に、中学生?!
山下は、妄想を吹き飛ばすかのように、2、3度、頭を横に振った。
「ここ寒いなー。おっさん、ここで何してんの」
笹原 隆太は、屈託なく笑う。
「何してんのって、それは、こっちが言いたい台詞だ。ここは、世界第二の高峰、K2だぞ」
「えっ、K2ってエベレストの次に高い山の? やばっ。そんな所まで飛ばされてたのか」
まいったなと、隆太はテントの端をめくり、外の景色を覗き込もうとした。
「や、やめろっ! テントをめくるなっ!」
ところが、
吹雪は嘘のように静まり、西から回り込んできた太陽が山の雪肌を、オレンジ色に染め上げていた。
K2の夕暮れ。羽衣のような薄い雲が、長くたなびいている。
「すごい、すごい! こんな絶景、初めて見た」
一瞬、はしゃぐ少年が姿が山の景色と重なりあった。その背中が稜線の向こうに沈んでゆく太陽に、とり込まれるかのようだった。
山下は慌てて隆太の首ねっこを引っつかむ。
「さっさと、中に入れ! そんな格好で外にいたら、凍傷になって手足の指を全部なくすぞ!」
* *
「馬鹿げてる。まったく、信じられない……ジャージでK2に登頂? 学校の遠足じゃないんだぞ」
山下は自分のリュックからヤッケを引き出し、それでも着てろ! と、隆太に放り投げた。
「あ、俺、今日は遠足だよ。秋山登山。“テーマは自然に溶け込もう”」
「……」
「せっかく、村田が“焼き芋”作ってくれたのに、食べそこねたなあ。ちぇ、思い出すと、腹がへってきた。おっさん、何か食うもんない?」
「おっさんは、やめろ! 俺には山下 慶一って名前があるんだ。あいにく、食料はほとんど、雪崩で流されてしまった。リュックを探れば、非常食の残りくらいはあるかもしれないが……」
えっ、困ったなあ。と隆太は自分のポケットをごそごそと探りだす。
栗の実、ブナの葉、鉄釘、そして、ぴょこんと飛び出したアオガエル。
「お前のポケットは、地球の裏にでもつながってんのか!」
どこの登山家が、高度7700mでアオカエルを見るんだ? あきれ返る山下を気にもせず、隆太はうれしげに笑った。
「あった、あった。おやつにとっておいたチョコレート。えーっと、俺と、おっさん……山下だっけ、それと……」
少し、俯いて隆太が言った。
「あんた、一人?」
「今……はな」
「今はって?」
「俺のパートナーは、北壁の割れ目の深い谷底に……落ちていった」
山では弱気になることは、禁忌だ。くじけた心では、気が遠くなるような雪渓を乗り越えることはできない。
「まだ、日があるうちに、このテントの周囲を見にいってくる。うまくルートが見つかれば明日は下のキャンプ地におりれるかもしれない」
山下はわざと明るい声で言った。そして、お前はここを絶対に動くなと、言い残すと、外へ出て行った。
「あ~あ、ここ、退屈だよな……」
隆太は、少し頬を膨らませると、ごろんとテントに横になる。
さわさわと外の雪がきしむ音
あのおっさん、このままだと、死ぬな……
* * *
「まいったな、ここまで積雪があるとは……」
山下は口を真一文字にくいしばった。
膝上まですっぽり、雪に埋もり身動きがとれない。山の上部ではまた、風が激しく舞いだした。
耳元をびゅうと、風が通り過ぎた時、
パキッ
氷の裂ける音がした。
「しまった! クレバス(氷の裂け目)に……」
驚く間もなく、山下は積雪で隠されていた落とし穴に引きずり込まれていった。
真っ暗な奈落に落ちてゆく。だが、突然、開けた明るい景色に目をみはる。
「ここは……?」
青い空、白い雲。
がさごそと、手を伝わってくる落ち葉の感触。
“俺、今日は遠足だよ。秋山登山”
隆太の言葉が頭をよぎる。
山下は思わず笑みを浮べた。差し迫った現実から、一瞬、目をそらしたい衝動にかられたのだ。だが、
「馬鹿な! K2の雪と氷と風は幻なんかじゃない。俺を騙すのはやめろっ!」
* *
再び吹雪に閉ざされた雪稜で、山下は天を仰いだ。
“ちぇっ、何でもどってきちまうんだよ”
風がその足元の雪をふわりと舞い上げた。
一面の白い世界が強風にさらされ、激しく揺れうごいている。
もう、無理だ。これでは一歩も動けない。
山下は、何かを諦めたかのように、その場に膝から崩れおちた。だが、岩とは違う硬い感触を手元に感じ、はっと、そちらに目をむける。
これは、あいつのピッケル……?
谷に落ちていったパートナーの。
その時、一瞬、途切れた雪の間から、頂上付近が垣間見えた。
K2の聖なる頂……何故、お前は俺たちを拒むんだ!
再び視界は閉ざされ、日は暮れて、闇までが近づいてくる。
俺は、ここで死ぬのか……雪に埋もれて、たった一人で……。
“一人じゃない……んだよなあ”
頭上から突然響いてきた声。信じられないくらいK2に不釣合いなジャージ姿の少年
笹原 隆太……
「お前、何でそこにいるっ、ついて来るなと言ったのに!」
「だって、秋山登山に誘ったって、来やしない。だから、教えてやろうと思って」
「何っ?」
「雪崩が来るんだよ」
音もなく波のような雪が流れてきた。
そして、隆太は鮮やかに笑った。
“山が人を拒むものか。山はそこに居るだけだ”
* *
「隆太、遊んでないで早くやれよ。終わってないのは、俺たちの班だけなんだぞ」
またまた、うるさい村田がやってきた。
学校のHRの時間。今日の課題は、秋山遠足のレポートをパソコンでまとめる作業。
「ちょっと待てよ。今、クックポット見てるんだ」
「はあ? お前、ネットでも食い物サイト見てるんか。そんなのは休み時間に見ろよ。時間がないんだから、さっさと、画面もどせ」
隆太からマウスを、奪い取った村田は、あれ? とパソコンのトップニュースに目をやった。
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その時、教頭に付き添われ、教室に見知らぬ男が入ってきた。
「今日から来てもらった、産休の担任の代わりで、地理も教えてくれる先生を紹介するからみんな、着席」
えっ!
何っ!
互いに顔を見交わす、隆太とその男。
「何でお前がここにいるんだっ!」
笹原 隆太!
やっぱり、ついて来たんだな。でも……この展開は以外だったなあ。
隆太は照れたような笑いを浮べた。
おっさん、名前は……山下 慶一
* *
HRが終わった後の廊下。隆太を山下がとっ捕まえる。
「こらっ、待てっ、 俺にきちんと説明しろ」
「何だよ。もう、帰るんだから邪魔するな」
「帰るな! まだ、二時間目が終わったところだ」
「あんたなんか、知らない」
「しらばっくれるな!」
あの雪崩の後
何で俺は神室山(東北の)にいたんだ。
お前は何故、K2に現われた。
そして、
何で俺は生きてるんだ?
“時の間を飛び越えてしまったんだよ”
え? 山下の頭に響いてきた声
「あの後、この学校の知合いに頼みこんで、先生の職を世話してもらったんだ。登山家の山下 慶一の名は伏せて。その説明も四苦八苦だ。考えてもみろよ。K2で死んだはずの男が、一週間もしないうちに日本にいるなんておかしすぎる」
まくしたてるように山下は言った。
「ほとぼりが冷めたら、俺は、またK2に登る。あの山で別れたパートナーが心残りでならないんだ」
しらばっくれてるのも、面倒になってきた。ふうと一つ息を吐くと、隆太は笑った。
「おっさん、また、死ぬぞ」
「死ぬものか。K2の頂を俺はまだ、見ていない」
ふうん。なら、勝手にすればいいや。
「俺、帰るから。今日の給食は、一番まずい酢豚チャーハンなんだ」
廊下の窓からひゅうと秋風が飛びこんできた。舞いこんできた銀杏の葉がくるりと宙を舞った瞬間、目の前から突然、隆太がいなくなった。
「……あいつ、堂々と消えやがった」
もう、驚く気にもなれない。山下は、苦い笑いを浮べると、次の教室へ歩き出した。
はらはらと舞う銀杏の間を縫うように、風が通り過ぎてゆく。
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― 第5話に続く ―
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