看板婿の化けもの事情

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ニ、狐と恋煩い

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 ふかふかの布団にぬくい陽気は眠気を誘い、いつまでもここにいることを許してくれているようである。
 ひょいと布団の隙間から飛びだしているのは黄土色の毛で覆われた尖った耳で、人間のものではない。当の本人は耳が出ているとも知らず、稲荷を追いかけるというこの上ない幸せな夢を見ていて、夢の中にいる。手代の佐平。狐の化けものである。齢、百五十過ぎたころのオスだ。
 頭から生えている二個の耳以外は、狐とわかる特徴はなく、それ以外は至って普通の人の身なりをしている。首元まで伸びている長めの髪、顔立ちは何処か軽薄そうだが、見た目は二十代前半のそれだ。
「おーい、起きろー朝だぞー」
 そんな狐……いや、佐平を幸せな夢から叩き起こそうしているのは、こちらも化け猫の弥助。齢、百八十歳。こちらは見た目で猫とわかる特徴はなく、普通の人である。佐平と同じくらいで二十代後半で、切り揃えられた短髪でさっぱりした容貌している。
 弥助は何度も繰り返し呼びかけるが、佐平は好物の稲荷を手に入れようと必死でそれどころではない。ゆすられ、揺り起こそうとしているが、一向に目覚める気配がない。
 痺れを切らした弥助は、苛立ちのままに伸ばし縮み自在な爪を思いっきりつき出した。
「朝だってつってんだろ!」
「いっってぇ! 何すんだよ!!」
 顔を襲った痛みに飛び起きた佐平は、犯人を睨みつける。
「寝ぼけてんじゃねーぞ! 化けギツネ! 惰眠貪ってねーでとっとと起きやがれ!」
「お前こそ化け猫じゃねーか! 猫の癖に狐様の睡眠を邪魔してんじゃねーよ!」
「ハッ、どうせ稲荷を追いかける夢でも見てたんだろ!」
 図星である。
「うるせー! 祀られたこともねーくせに!」
「なんだと! てめぇちょっと神社あるからって調子乗ってんじゃねーぞ! 近所の稲荷神社のお供えの稲荷、ちょろまかしてんのバレてんだぞ! 自分で餌も用意できねえんじゃねーか?」
「馬鹿か! 狩りくらいできるわ!」
「どーだかな。化けギツネは嘘が得意だからな」
「なんだと貴様! もういっぺん言ってみろ! 今度こそお前をくいちぎってやる!」
「はっ、そんなもん俺様の爪で返り討ちだわ!」
「何だと!」
「やるかこの野郎!」
「はいはい、そこまで」
 スパーンと勢いよく襖が開き、胸ぐらを掴み合う二人の間に割って入ったのは、店主の榎吉である。自然な動きで二人の手を解くと、間をすり抜け、部屋を突っ切り、反対側の襖を開く。新鮮な風と清々しい日光が部屋の中のトゲトゲした空気を押し流していく。
「いやー良い朝ですねーお二人とも朝から元気ですし。いやぁなによりなにより」
 にこにこしながら振り向くと、さっきまで一触即発だった二人はバツの悪そうな顔をして、互いに頭を俯けている。この二人の化け物達も榎吉には頭が上がらないのである。というのも、化け物達の間で最も重要 視されるのは年功序列。つまりどれだけ長く化け物として生きているかである。
「さあ、今日もお仕事しましょう」
 爽やかな笑顔には、爽やかな朝が
 佐久間榎吉。犬の化け物、齢およそ六百歳を超えたころ。最早年齢は数えるのを止めてしまっているので正確なところはわからない。
 容貌は他の二人と同じく二十代だが、今現在天満堂の店主を任されている男である。

 * * *

「ねえねえ、やっぱ格好良くない?」
「でもでも結婚してるじゃん」
「いやいや、そうじゃなくて、あの人の方」
「えー、軽薄そう」
「そうかなー私は良いと思うけど」
「だめよ、やっぱり看板婿だよ」
「えーあの人はなんか完璧すぎるよ」
 天満堂の軒先、かわるがわる入れ違う人々の隙間でいたいけな女子二人が、小声だが熱心に話しこんでいる。年頃の若い娘が盛り上がる話題は、言わずもがな、恋バナだ。議題の中心は手代の佐平、はたまた若旦那の榎吉のどちらがより男前かである。
 改めて見ると、容姿は何処か対極にある二人だ。軽薄そうというが、言い換えれば親しみやすそうな雰囲気を持ち、何処か抜けているところがまた魅力的に映る佐平。一方榎吉は作り込まれたかのような美しい笑みに、洗練された所作、無駄のない接客でもてなす姿に見惚れぬ女子はいないだろう。
 もちろん、人気は圧倒的に榎吉だが、佐平の姿を目で追うおなごも少なくない。
 白波瀬つゆもその一人である。
「あっ」
 視界の端にいた佐平がお客の勘定の為に店の奥に引っ込むと、つゆの場所から佐平の姿が見えなくなる。つゆはその度にため息をつくのである。
 初めは友人の『凄い男前がいる』という噂にウキウキしながらやってきた。勿論、最初は友人にならって榎吉目当てだったわけだが、何度か店を覗くうち、つゆの目当ては佐平に変わって行ったのである。
 佐平の姿に釘付けになってから早数カ月。いつの間にか、天満堂に来ることが、いや佐平の姿を見ることが日課になっている。一日一回、見なくては息もしづらい。
「もう、そんなに好きなら、突撃しちゃいなよ」
 発破をかける友人に、つゆは首を振る。
「だめだよ。だって、私なんて明らか子供だし、相手にされないよ」
 つゆは、この前十四になったばかり。実際佐平からすると、子供というより赤ん坊に近いかもしれない。そもそも人間とは決定的な違いがある訳だが、見た目だけでそれと分かる訳では無い。
「お嬢さん方、なんかお決まりで?」
 そう声を掛けられて見やると、勘定が終わったのか手代の佐平がそこにいた。
 つゆは佐平を前に思考が止まった。
 棒立ちになってしまった、つゆを見かねて友人が頭を下げる。
「す、すみません! 見ていただけなんです!」
「いやいや、とんでもねぇ、見ていくだけでも結構です。ゆっくりご覧下せえ」
 どこかゆるっとしている気楽な笑顔に、榎吉とは違う柔らかな魅力がある。目の前でそれを向けられ、つぬの脳内は破裂寸前。どうにかこうにか、こくこくと首を動かすだけで精一杯だ。
 声を掛けるとさっと他所へ立ち去る姿に、また見とれてしまう。寂しくもあるが、深追いをしない所に配慮も感じられて、心臓が傷んだ。
 何もできなかったつゆに、友人が非難の視線を向ける。
「ちょっとー……折角のチャンスだったのにー……」
 そんなことを言われても、これ以上どうすることもできなかった。
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