看板婿の化けもの事情

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一、戯作者と猫

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 旺志郎はまず川の畔に行ってある物を探し出した。それはすんなりみつかり、ほくほくとした気持ちでそれを一本引っこ抜いた。それはまさしく、猫にはまずこれだろうと言われているその名の通り、猫じゃらしである。勿論、これで茶太郎を釣ろうという魂胆だった。釣れるかどうかの逡巡など旺志郎の脳にはない。
 やって来たのは三度目の正直、天満堂だ。本日も大盛況の様子で閑古鳥が鳴いている龍神堂とは理由が違う。しかもやってくるとすればむさい男ばかりの龍神堂とは違い、若い女性が圧倒的に多い。今も、若旦那は若いおなごに囲まれ接客に精を出している。全く羨ましい限りである。帳場の弥助も他の客に対応していて、旺志郎に気づく様子もない。
 これは願ったり叶ったり。肝心の茶太郎の姿はと見回すと、周りの騒ぎも意に返さず、軒先で丸くなって寝ていた。今だ、と右手に猫じゃらしを握りしめ、ゴクリと唾を飲み込み、そっと茶太郎に近づく。猫に自ら近づくなど、旺志郎にとっては前代未聞、いまだかつてやったことがない。けれどこの天満堂のためならばと、意を決した。趣旨が変わってきていることには気がついていない。
 茶太郎は旺志郎の気配に気づき、すぐに顔を上げた。目が合うや否やすぐに「にゃおん」とひと鳴き。それに一瞬慄いた旺志郎だが、もひとつ勇気を出して足を踏み込む。そうして鼻先でふりふりと猫じゃらしを振った。茶太郎はカッと目を見開き、動きに合わせて俊敏に手を振りかざす。三、四回振り回したあと、旺志郎は徐々に後退った。その罠に引っかかったようで旺志郎に……いや、猫じゃらしに茶太郎はついてくる。そのままの延長線で人混みの中を抜け出し、頃合いを見て一気に駆け出した。
 天満堂から程近くの人気のないの袋小路に、茶太郎を追いやった。
「やい、この化け猫! 姿を現せ!」
 威勢よく吐き出したが、当の本人は旺志郎の足元にすり寄り「にゃおん」とひと鳴き。
「こら、やめんか! やめよと言っているだろう! お主のせいで若旦那が怯えて暮らしておるのはわかっているのだぞ!」
 必死の剣幕にも、茶太郎の心には届かず、足元で大人しく撫でられるのを待っているようだ。
 旺志郎は仕方なく、しゃがみ込む。
「ぬううう。お主、本当は化け猫なのだろう。良いから、天満堂から手を引き、平和な暮らしをさせてやってくれぬか」
 今度は諭すように告げる。
 顔が近くなったことを良いことに、今度は膝下に体を擦り付けられる。その瞬間、背筋に寒気が通り抜けた。
「き、貴様……! いい加減にしろ!」
「おや、茶太郎が何かしましたか?」
 聞き覚えのある声に、ギクッとして後ろを振り返る。にこにこと立っていたのはこれまた天満堂の若旦那、佐久間榎吉であった。
「おや、戯作者さまではありませんか」
 「ははは」と誤魔化すように立ち上がると同時に、足元にいた茶太郎は榎吉の元に歩み寄った。
 榎吉は旺志郎と茶太郎を交互に見ると、旺志郎の手元に猫じゃらしが握られてる気が付き、だが、その場の空気が決して猫と遊びたいからではないということを察したらしく、声色を落として話し始めた。
「茶太郎は猫の中でも長生きでかれこれ十五年は店にいるそうです。それを取ってつけて噂が流れているそうですね、ああ…そう、化け猫とか」
 旺志郎の肩が揺れた。
「うちの猫まで化けもの扱いされて困っているんですよね。勿論、茶太郎は化け猫ではありませんし、猫又でもありません」
「……本当なのですか?」
 恐る恐る尋ね返した旺志郎に、榎吉はしっかり頷く。
「ええ、本当ですとも。信じられませんか?」
「……はい。生来、猫とは縁のないもので」
「なるほど、でも茶太郎には好かれているようです。茶太郎は見ず知らずの人について行くようなあ愛想の良い猫ではありませんからね」
 決して好かれたくて好かれているわけではないと、旺志郎は苦笑を浮かべる。
「戯作者さま、口出しはしたくありませんが、あまり周りの噂を鵜呑みにされますと、きっとどこかで大変な目に遭いますよ」
 真に迫った言い方に、「……すいやせん」と素直に頭を下げる。
 とぼとぼ帰っていく旺志郎の背中を、佐久間榎吉が無表情でみつめていた。


「お前、何にうつつを抜かしておるかと思えば、天満堂にちょっかいをかけているらしいな」
 食事の席、向かえにいた源三郎がそう切り出した。ここのところ毎日天満堂に行っている。正直、こんなに熱心になっているのは戯作をしたためている時以来だ。
「確かにあの婿とかいうやさ男が来てから、天満堂は大流行りしておる。何が化物遊戯だ、何が化けものだ。全くいけすかねえ。信次郎がやっていた頃は良かったが、あの男はどうも気に入らねえ……なんであんなもんに人気が出ちまうのかもわかんねえ。お陰でうちは商売上がったりだ」
 旺志郎の顔が俯く。あの店に悪い者はいないが、あの店がある限り龍神堂には光が差さないように思えた。
「婿だかなんだかもよくわかんねえが、信次郎に娘がいたってのもよく知らねえのに、突然振って湧いて来てあの盛況。気に食わねえことこの上ない」
 乱雑に食い終わった茶碗を投げ捨てるように膳に下ろす。既に源三郎の機嫌は絶不調に陥っていた。
「……こうなったら火をつけてしまえ」
 まるでちょっとしたおふざけだというような言い方だった。
 旺志郎は耳を疑った。
「……え、今なんと?」
「いやなに、人を殺せって言ってんじゃねえ。あの家にも戯作を管理している蔵があるだろう? あそこを燃やしちまえって言ってんだ。そうしたらあの店に大打撃を与えられる。ぼや騒ぎが出ちゃ暫く人も寄り付かねえだろう。」
 旺志郎は震え上がった。我が父は確かに見境ないところがあるが、非人道的な遣り方をするような
「しかし、それは犯罪では……」
 言い募る旺志郎に、源三郎は肩をすくめる。
「なあに、バレなきゃどうってことはねえさ。あの家、猫飼っていやがるし、猫の悪戯で片付けしまえばなんてことはねえ」
「ですが!」
「旺志郎……うちの息子でいてぇなら、それぐらいはしねえと、この店の命が掛かってる。わかるな」
 念をおされたが、旺志郎はただ固まっていた。
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