ある人物の伝記

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ある歌姫の伝記

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アナベラ・ベレクセア
史上最高の歌姫と称される人物
彼女の人生は波乱に満ちたものであった

生まれは港町
幼くして母親は他界
父親は酒乱で支配的、幼いアナベラが稼いだ僅かな金銭を集るろくでなしであったと言われている

とても裕福とは言えない暮らしであったが、彼女は生来強かな人間であった

10歳の頃
突如としてアナベラの父親がこの世を去る
泥酔したまま小舟に乗り込み、荒れ狂う海に呑まれるという、半ば自業自得とも言える出来事であった

アナベラはその報せを耳にした途端崩れ落ち、人目も憚らず泣いたという
天涯孤独となった少女を町の大人達は哀れみ、その『故意の事故』に気付く者は居なかった

そして、齢15を迎えて暫く
移り住んだ隣国にて、アナベラは才能を開花させた

勤めていた娼館で酒に酔い歌っていた所、偶然それを耳にした客が絶賛
噂を聞き付けた人々が彼女の元を訪れ、あっという間に稼ぎ頭へと上り詰める

ただ彼女は非常に気分屋で、頻繁に仕事を抜け出しては街を遊び歩いていた
連れ戻されそうになる度に、衣服の裾をたくし上げ全力で走り去っていたという

その技量と度胸に娼館の主も目を付け、アナベラの舞台を店の名物として売り出した
祭があれば広場まで出向き、その名は民衆にも知れ渡る事となった

軈て評判が評判を呼び、貴族達は競うように彼女を囲いだす
その中には大公爵、つまり国王の近縁に当たる人物も含まれていた

斯くしてアナベラ・べレクセア
齢18にして、平民且つ他国出身にも関わらず、高位貴族にも劣らぬ身分を手に入れる

身売りの卑しい女、と蔑む声が無かった訳ではない
それでも、彼女の歌を耳にすれば虜にならぬ者など居なかった

アナベラは非常に適応力が高く、貴族社会でもその才能を遺憾無く発揮した
社交的集会に参加するのみならず自ら主催し、貴族女性らはその招待状をどんな宝石よりも欲したという

時には屋敷で
時には劇場で
国中に轟く名声と歌声が、王の耳に入るのもそう遠い話ではなかった

る年の事
アナベラは王の生誕を記念する式典に招待され、それに相応しい歌を披露するよう命令される

時の王は金遣いが荒く、自尊心は高く、果てには癇癪持ちで有名であった

模範的なまでにアナベラの嫌いな性質であったのだが
如何いう訳か、彼女は二つ返事で出席の意を表明

その身を案じた大公が、欠席する手段が無い訳ではない事を伝えても引き下がらず、ただ悪戯な笑みを浮かべていたという

そして式典当日
それはそれは美しい讃歌を、誰もが期待していたのだが

アナベラが披露したのは、民衆に人気の英雄譚
あろう事か、暴君を打ち倒す物語を歌ったのだ

これを聴いた王は激怒

このようなめでたい席で
余を愚弄するのか
売女風情が

その糾弾に臆する事も無く、彼女は優雅に扇を広げ涼し気な視線で微笑んだ

「これはただの物語に御座います」

心当たりが無いのであれば、そう騒ぐ事でもないだろうと
言外に王を揶揄やゆしたのだ

彼女の身柄は拘束され、政治犯を収容する監獄へと送られた

この報せは瞬く間に国中を駆け巡り、人々の話題を一色に染め上げた

国で一番の歌姫が
あのアナベラ・べレクセアが

この国に生きていて、彼女の歌を知らぬ者は居なかった

世紀の歌姫に似合わぬ暗い牢の中
何故あのような真似をしたのかと訊ねた牢番に、アナベラはこう答えている

「私、目立つの大好きなの
それから、偉そうな奴が大っ嫌い」

これに慌てたのは側近達
歌声に魅せられていた事は勿論、現体制を安定させる為にも彼女の存在は欠かせぬものとなっていた

歌姫アナベラに何かあれば、民衆達のみならず貴族からの反発も避けられない
権勢欲の薄い大公をその気にさせてしまう恐れもある
獣を飼い慣らすには餌が必要です、何卒寛大な御処置を

だが、その進言は聞き入れられず

公演収益の隠匿
貴族宅からの窃盗
国外への機密漏洩
そして、反逆罪
数多の無実の罪と共に、彼女は処刑台へと送られた

広場を埋め尽くす見物人
その様子について、後に歴史的著名人となる芸術家、政治家、聖職者
多くの人々が様々な媒体で後世に伝えている

軈て、荷車に揺られ彼女が姿を現した
兵士に促され、抵抗する様子も無く階段を上って行く

足音、吐息
それら全てが演出であるかのように、彼女の立ち居振る舞いは優美を極めていた

その姿は、雑踏の広場を忽ち荘厳な劇場に変えて見せたと、処刑人を務めた男が書き残している

処刑人、兵士、そして民衆へ
目隠し越しに微笑むと、彼女はそのまま跪き頭を下げた

刃が振られるのを待つばかりとなった、その時

アナベラは、跪いたまま歌い出した
いつも通り、客人に披露するかのように

止める者は居なかった
彼女の前では、誰もが聴衆でしかないのだ

その口から紡がれたのは、何の変哲も無い物語

平穏たる喜び
苦悩する喜び
解放への喜び
その時代を生きる誰もが憧れ、誰もが諦めていたもの

自由を謳歌する一人の人生を、見事に歌い上げた
人々はそこに、確かな未来を見たという

「それでは皆様、次の公演で」

アナベラ・べレクセア
享年21歳
人々の歓声に包まれながら、その人生の幕を下ろす

彼女の遺体は共同墓地に入る事さえ許されず、街外れの林に埋葬された

当時、軟禁に近い生活を強いられていた大公はアナベラの死を人伝に知り、絶望の余り高熱を出して生死の境を彷徨ったという

彼は回復後、改革を求める者達の声に応え反乱を主導した
重税、飢餓、乱発される処刑
各地で爆発した怒りは巨大な群れとなり、多くの貴族をも動かす事となる

革命が始まった

地獄のような戦いであった事は間違い無い
剣に裂かれ、炎に巻かれ、多くの国民が命を落とした

それでも彼等は屈しない

あの英雄譚を口ずさみ、士気に劣る正規軍を圧倒した
もっとも、彼等の多くは反乱軍側に寝返ったのだが
一連の運動は新主義の波と呼ばれ、後に周辺の国々にも変革を齎す事となる

革命後に即位した大公、改め新国王はその在位期間中、財政の立て直し及び人々の生活水準向上に人生を費やした

実は即位以前から複数の知人に、
アナベラの遺体を公爵領内に埋葬し直してはどうかと提案されていたのだが、固く断っていたという

「今や自由な場所に居る人を、どうして私なぞが引き留められよう」

後に彼は、名君として歴史に名を刻む事となる

であれば当然
その愛妾であったアナベラも歴史に名を刻む訳で

没後250年
墓標に国旗が掲げられたり、貨幣に肖像が載ったりするのだが
それはまた、別の話
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