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六章;黄昏の王

40話

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 「そうだ!オレさ、これお前に返そうと思って持って来たんだ」
 そう言うと、ジルファリアは自分のうなじに両手を回した。ぱちんと金具を外すと彼女に差し出す。

 「呼び声の雫」
 マリスディアの言葉に頷くと、ジルファリアはそれを彼女の目の前に掲げた。
 美しい青硝子の球が陽の光を受けてきらきらと光を放っている。

 「ウルファスさまがお前を守るためにくれたものなんだろ?」
「ええ。ジル、持って来てくれたの?」
「うん。大事なものだと思ったから」
 頷いた彼女が手の平を差し出したので、ジルファリアはその上に呼び声の雫を乗せた。
 それを自分の首にかけると、マリスディアは微笑んだ。
「お父さまのペンダント、本当にありがとう、ジル」
 その笑顔を見て、ジルファリアは持ってきて本当によかったと思ったのである。


 「おや、随分と楽しそうだね」


 突然頭上から声が降ってきたかと思うと、何かが近くに舞い降りた。
 ジルファリアは振り返ると息を呑んだ。

 「お父さま」
 見ればウルファスが同じく屋根の上に降り立っているではないか。

 二人の背後にしゃがみ込むとにこにこと微笑んでいる。
 一体どうやって降りて来たんだとジルファリアはきょろきょろ見回した。

 「仕事がひと段落したからね。マリア達を探しに中庭まで行ったんだけれど、二人が姿を消していたからここじゃないかって」
 ウルファスが悪戯っぽい目線をマリスディアに向けると、彼女は伐が悪そうな表情を見せた。

 その時、突然強い風が下方から吹き上げた。
 このような高い場所で、しかも遮るものが何もない屋根の上だ。
 思わず吹き飛ばされそうになるジルファリアをウルファスはしっかりと抱き止めてくれた。

 またいつもの冷たい風だ。
 だがウルファスの懐は不思議と心地よく暖かかった。

 「最近、こういう冷たい風がよく吹くんだ」
 まるでジルファリアの心を読み取ったかのようにウルファスが呟く。
「しばらく待っていると、またいつもの春の陽気に戻るんだけれど」
 そう言うと、ウルファスはジルファリアの肩から手を離した。

 「……私の力が弱くなっているせいかな」

 そんな小さな声が聞こえたような気がしたが、ジルファリアには何のことだか分からず特に聞き返しもしなかった。

 「お父さま。ただでさえお忙しくて休めていないのですから、こんな寒い場所へ来てはお身体に障ります」
 案じる表情でマリスディアが父を見上げる。
「ありがとう。でもね、娘たちがどんな冒険を城の中でしているのか知りたくて」
 少年のような笑顔を見せると、ウルファスは眼下に視線を移した。
「それに、この眺めをマリアと見られてよかった。街がとても美しい」

 そして先程の彼女と同じように、慈しむような瞳で国中を見つめていた。
 マリスディアもジルファリアもまた、同じようにその美しい景色を眺めた。

 しばらくそんな風に並んで座っていると、確かに常春の陽気がまた漂い始めてくる。
 ぽかぽかとした空気がジルファリア達を包み、とてもうっとりとした気持ちになった。
 そうこうしているうちに段々と瞼が重くなってくるのを感じる。

 「そういえば、さっきも気になっていたんだけど……」
 うとうととしかけたその時、ふいにウルファスが思い出したかのように声を上げた。

 「ジルファリアの腕に掛かっている装飾品、それはブレスレットかな?」
 ジルファリアの腕を取ると、ウルファスはそのブレスレットを見つめた。
「うん。オレが産まれたときに、父ちゃんと母ちゃんが作ってくれたんだって。オレの名前が書かれてあって……」
 そこで一旦言葉を切ると、ジルファリアはブレスレットのプレートを裏返した。
「裏にはパン屋の住所が書かれてるんだ。迷子札みたいなもんなんだけどさ」
 憮然とした表情でごちるジルファリアに、ウルファスは吹き出した。
「でも、とても素敵なご両親じゃないか。これは銀製だよ」
「……銀?」
「そう。銀は魔除けの力が込められているんだ」
「ふーん……」

 何の気なしにそれを眺めてみる。
 経年のために黒ずんできているプレートには、そんな意味が込められているのかとジルファリアは驚いた。

 「でも母ちゃん、すぐに怒るんだぞ?」
「それはジルファリアが心配だからじゃないのかい?」
「そうかもしれねぇけど。最近オレの話なんて全然聞いてくれねぇんだ」
 ぶすっと不貞腐れた顔で俯いていると、ウルファスはおやおやと苦笑した。
「ジルはどんな話をお母さんとしたいんだい?」
「……アカデミーの話」
 ぼそりと呟く。
「オレ、アカデミーに行きたいんだ。もっと魔法のことを知りたいんだ」
 けれど、何度訴えてもアドレは聞き入れてくれず、寺子屋へ行けの一点張りだ。

 「たしかに寺子屋でも魔法のことは教えてくれるよ。……けど、なんか違うっていうか」
 うまく言葉に出来ず、ジルファリアは俯いた。
 寺子屋で魔法のことを学ぶということが、どうにもしっくりこなかったのである。

 「確かマリアの話では、娘を助けてくれた時に魔法を使えたと聞いたけれど?」
 ウルファスが問いかけるように覗き込んでくる。
 透き通った菫色の瞳がこちらを見つめていた。

 「……よく分かんねぇ。あの時は魔法だーってオレも思ったけどさ」
 あの時の感覚を思い出し、ジルファリアは両手を叩いた。
「……あれからこうやって何回も試してみたけど、魔法なんかちっとも使えねぇんだ」

 音が鳴った手の平からは何も反応がなかった。
 それに炎を出した時に聞こえてきた声も、あれ以来聞くことはなかった。

 「なるほど……うん、そうか」
 じっとこちらを見つめていたウルファスが何かを納得したように頷いた。

 「ねぇ、ジルファリア」
 そう呼びかけたウルファスは立ち上がり、空を抱くように両手を差し出した。

 するとそれに呼応するかのように、ふわふわと仄かに光る、蛍のような光の玉が周りに集まってきたのだ。


 「魔法はね、ありがとうの気持ちなんだ」


 そう微笑むとウルファスは掲げた両腕を広げたのである。
 あぁ、いつの間にかこんな時間になっていたのだと、ジルファリアはその時初めて気がついた。

 日が傾きかけた空は青から黄金色に移ろい始めており、城下町にも翳りが差していた。

 「黄昏時だ……」
 そんな言葉が唇からこぼれると、隣のマリスディアも静かに頷いた。

 目の前の聖王は、その名の如く神聖な舞を舞うかのように腕を大きく旋回させ、ここが屋根の上であることを忘れているかのような大ぶりな動きをしてみせた。
 そしてウルファスのどこか楽しそうな表情に、ジルファリアたちの表情もまた笑顔になる。

 やがてふわふわとした光の玉もまた、彼の周りから次第に城下町の方へと降りていく。


 「そっか、これが黄昏星なんだ」

 ジルファリアは腑に落ちたような気持ちでそれを見守った。

 この光ひとつ一つが、この国を守っている。
 そう思うだけで暖かな気持ちになる。国の住民たちは、安心して眠りにつくことができるのだ。

 「いつもこの魔法を見ていると、胸がいっぱいになるの」
 マリスディアが小さく囁いた。
 同じくジルファリアも頷いた。
「うん、オレもなんか優しい気持ちになれる気がする」
「わたしもあんな風な魔法を使えるようになりたいわ」
「オレも」

 ジルファリアとマリスディアが頷き合ったその時、屋根の先で光を生み出していたウルファスが二人の名を呼んだ。


 「誰かを大切に想う気持ちや、ありがとうっていう感謝の気持ちがあれば、誰にだって魔法は使えるんだよ」


 そう言って聖王は微笑んだ。
 彼から放たれる柔らかな光がジルファリアとマリスディアを包み込んでいた。

 「ありがとうの、気持ち……」

 確か教会で会った老女も言っていた。
 ジルファリアはその意味を考えたが、今はまだ分からずじまいだった。
 そして周りを漂う黄昏の光をそっと手のひらで掬い取ろうとしてみたが、触れることなくそれはするりとすり抜けた。

 「ゆっくりでいいから、もう一度ご両親と話してみるといい。ジルが本気で挑戦したいのなら、きっと分かってくれると思う」

 そんな温かな声がジルファリアの胸に染み込んでいった。

 そしてやがて突き抜けるような蒼天の空は、少しずつ黄昏の色へと移ろいでいき、ジルファリア達の瞳や髪を橙色に染めていった。



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