アズアメ創作BL短編集

アズアメ

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(11)薬売りの狐

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村に薬を売りにくる怪しい青年。その正体は狐で、村人からは煙たがられていました。それを見た旅人の男は……。
童話テイストのメリバ。
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 あるところに男がいました。
 歴史研究家だった男は、あるとき辺鄙な村へと赴きました。
「あれ何なんですか?」
 男は、フードを被った人物を指さし尋ねました。
 20代半ばの男に見える怪しいそれは、言葉を交わすことなく、村人に何かを手渡しているのです。
「えっ、あんた知らないのかい?!」
「えと、旅人なもので」
「あいつは狐さ。近づかない方がいい。悪さをするからね」
「じゃあどうしてあの人たちは?」
「あれは病気を患った貧民どもがね、狐の薬を買うんだよ」
「あんな胡散臭い薬をねぇ。治ったとして、その後何が起こるかわかったもんじゃないよ」
 ひそひそと噂する村人たち。
 それと目が合った途端、薬売りはそそくさと山の方へ去って行きました。

 男が村に滞在して数日。
 村の子どもたちがなにやら盛り上がっている様子。男はそれに興味を惹かれ、ついついついていきました。
 しかし、子どもは元気の子。ひょいひょい山を登る子どもたちは、まるで子ザルのようにすばしっこくて。
 追いついた頃には、男は息を切らし、汗だくになっていました。
「もっと火を持って来い!」
「石も投げよう!」
 汗を拭って息を整えていたそのとき、何だか物騒な会話が聞こえてきました。
「こら、君たち何をしてるんだ」
「うわっ、びっくりした!」
 放ってはおけないと、子どもたちの前に出てみると。そこには一つ、山小屋がありました。
「狐だよ!」
「狐が出たからやっつけてんのさ!」
 子どもたちが指さす山小屋は轟々と煙を出しながら燃えていました。
「こんなことをしてはいけない」
「でも、みんな狐を見たら追い払えって言うもん」
「そうだやっちゃえ」
「……これ以上やるんなら僕は黙ってはおけないよ」
 そう告げた男は、静かに刀を取り出し、子どもたちに見せました。
「な、なんだよ、本気になっちゃってさ。お兄ちゃんおかしいんじゃないの、狐を庇うなんて!」
 あっかんべー、と舌を出しながら逃げる子どもたち。
 それを追いかけるべきか迷いましたが、男は燃えている小屋の戸を蹴破り、中へと進みました。
「おいっ、大丈夫か、今助ける」
 そこにいたのは、この前に見た薬売りの青年でした。
「にゃうう~ん」
 それと、倒れてきた柱に足が挟まって取れないらしい彼の前で、猫が情けなく鳴いていました。
「これ、持ち上がるか?」
「わ、私はいいですから、その猫を」
 持ち上げようと柱に手を掛けた男に、薬売りは慌てて声を掛け、猫を助けるよう訴えます。
 こいつ、喋れたのか。
「アンタも助けるよ。……はっ!」
 透き通るような狐の声に驚きつつ、男は手に力を込めて、薬売りを助け出しました。
「ほら、掴まれ」
 そう言うと、男は猫を抱き、薬売りを支え、何とか火が回る前に外へ連れ出しました。
「けほっ、あの、その猫を、早く、医者へ」
「アンタは?」
「私がついて行くと、その猫も嫌われてしまいますので……。どうか、貴方が助けてください、どうか、お願いします」
 なんだよ、それ。そんなに酷いのかよ、この村は。
「わかった」
 男は疑念を押し込めて、猫を医者のもとへ連れて行きました。

「大丈夫ですよ、2、3週間すれば元に戻ります」
「良かった」
 胸を撫で下ろし、男は、物陰に隠れていた狐の方に微笑みました。
 しかし、狐はさっと顔をひっこめると、一目散に走って行ってしまいました。
「しかし、子どもと言えど酷いことをする」
 助けた猫は、紐で手足が縛られて、自分では動けないようにしてあったのです。
 恐らくあの子どもたちの仕業だ。それを助けようとして、狐はあの小屋に閉じ込められたのではなかろうか。
 抱き上げた猫をそっと撫でると、猫はまるで感謝でもしているように目を細め、にゃあと鳴くのでした。

 しばらく経ったある日のこと。
 男がいつものように散策をしていると、狐は薬を売りにやってきました。
「あの狐、また性懲りもなく……」
 どうしたものかと見ていると、一人の村人が狐から薬を引っ手繰りました。
「あ、こら、おいっ!」
 追いかけようとした男でしたが、腕を掴まれ、かないません。
 振り向くと、狐が腕にしがみつき、首を振っていました。
「なんでだよ、アイツ、金払ってねえだろ」
「……」
「アンタの生活費だろ?」
「……」
 何を言っても黙って首を振る狐に、男はそれ以上何も言えず、狐がそっと山へ帰るのを見守るほかありませんでした。

 しかし、その晩。
 窓に激しく叩きつけられる雨風の音はいつにも増して激しく、うん十年ぶりの記録的豪雨が村を襲いました。
 男は、ふと狐のことが心配になり、そっと外に出かけました。
 辺りの音も視界も全てをかき消すほどの雨。それに耐え、男はようやく山の入り口までたどり着きました。
 男が山に入るのをためらっていると、木の間で何かが蠢いた気がしました。
「狐?」
 問いかけてみると、それはくるりと身を翻し、逃げていきました。
「おいっ、待てってば」
 追いかけようと、男も急いで山へ入っていくと。
 どっ。
「わっ」
 すぐ近くに雷が落ちた音がして、男は思わず身を竦めました。
 はっとして前方を見ると、狐は地面に蹲って震えていました。
 そういえば、今朝からずっと山に雷が落ちていたな。
「ね、僕の家に来なよ。嵐が過ぎるまでさ」
 男が近づいていくと、狐は一歩下がる。もう一歩近づくと、もう一歩下がる。それをしばらく繰り返した後、追い詰められた狐は逃げ道を探すようにきょろきょろ見渡します。
「こっちに来い」
 男が手を伸ばした瞬間、狐は怯え、後退り……。
 ぐらっ。
 ぬかるんでいた地面が崩れ、狐が崖から足を滑らせて……。
「!」
「狐!」

 昔、狐の先祖は村に大層な悪さを働いていました。
 だから村の人々に狐が嫌われるのは当然のことでした。
 しかし狐は山の不作の影響で、ある年急激に数を減らしました。
 そしてそれ以来、狐は段々と姿を消してゆき、最後に残った子どもがあの狐でした。
 狐は純粋な狐の子ではなく、狐の父と人間の母との間に生まれた、半端な子でした。
 狐の父は皆が弱りゆく中、人間の母に狐を託しました。
 せめてこの子だけでも、人間として生き伸びてほしいと、狐の血が混じっていることを隠して、狐は人間として村で育てられました。
 狐は、母に教えてもらった人間の教養の他、狐に伝わる薬の知識も身に着けていきました。
 でも。
 あるとき、狐の正体がバレてしまい、母は人間たちに殺されました。
 狐は、恐ろしくなって一心不乱に逃げ伸びました。
 それから10年過ぎ、ほとぼりも冷めた頃、村に再び狐が姿を現しました。
 最初は村人たちも狐とわからず、薬売りを重宝しました。
 しかし、怪しく思った者がフードを取ってしまったのです。
 狐は殺されかけました。耳が生えているというだけで、殺されかけたのです。
 でも、狐の薬の効果は本物で、大した悪さもしなかったので、村人たちは黙って狐を泳がすことにしました。
 歓迎ではないにせよ、薬売りを黙認してくれた村人たちに、狐は感謝していました。
 たとえ、嫌がらせを受けようと、薬を無償で取られようと、狐は狐の知識が、薬が役に立っていることをひっそりと喜んでいました。


「……?」
「お、起きたな。大丈夫か?」
「……!」
 狐が飛び起きてみると、そこは男の借り家でした。
 まだ外の豪雨は止まず、雷が遠くで響いているのを聞いて、狐は憂鬱な気持ちになりました。
「……」
「今度はもう逃げるなよ? とりあえずその濡れた服を着替えろ」
 着替えを渡された狐は、それを無視して立ち上がろうとしましたが。
「っ、」
「まだ歩くのは無理だ。お前、崖から落ちたんだぞ。足を捻挫しただけで助かったんだから大したもんだよ」
 よろけた狐を男が抱き留め支えてくれました。
 どうしてこの男は自分を助けてくれるのだろう、と狐は疑問に思いました。
「なんでもいいから、とにかく着替えてくれ。床が濡れちまう」
「す、すみません……」

 それから、嵐が上がっても、男は狐を囲いました。
「怪我の具合もよくなってきたな」
「ええ……」
 この頃には狐も、短いながらに男と言葉を交わすぐらいに心を許すようになっていました。
 いや、それどころか、狐はすっかりこの生活が気に入ってしまいました。
 狐は、両親がいた頃以来の優しさに触れたものですから、男と離れたくないとさえ思っていました。
 だから、怪我が治るのが嫌で仕方がありませんでした。
 怪我さえ治らなければ、男の優しさに付け込んでいられるのではないかと思いました。
 そんな風に想うほど、狐は愛に飢えていたのです。

「私だって、半分は人間。愛がどうしても足りないのです。神様。どうか、卑怯な私をお許しください」
 狐は、涙を流しながら崖から落ちてゆきました。
 この前よりもう少しだけ、大きな怪我ができればいいなと思いながら。

「……狐!」
「う……ん?」
 次に狐が目を覚ました時、狐は男の家の布団の中にいました。
 ああ、よかった。上手くいったんだ。
 狐は、ぼんやりとする視界の中、男を見つめました。
「え、どうして、そんなに泣くんです……?」
 よくよく見ると、男は泣いていました。
 狐はその頬に手を伸ばすため、起き上がろうとしましたが。
「あ……れ……?」
 足に違和感がありました。狐はさあっと全身の血が冷めてゆくのを感じました。
「なんで、足が、ない……?」
 ぺたぺたと自分の足を触ろうとするのに、狐の太ももから下がないのです。
「う、うえっ……。た、たすけ……」
「狐、落ち着け。大丈夫だから」
「なんで、なんで足……」
「お前が崖から落ちてしまったから……。それで、もう、足は助からなくて……」
 男に抱きしめられながら、狐は初めて自分の犯した罪を後悔しました。
「は、はは。私は、またひとつ欠けてしまったんだな……」
「大丈夫。君は足がなくったって。僕がきっと面倒をみるよ」
 男の目は真っすぐで、狐の絶望しきった心は、少しだけ、いや、うんと軽くなりました。
 足がなくなったとしても、男の愛情を受けられるならば、悪くはないとさえ思ってしまったのです。
「ああ。貴方は優しいから……。私は甘えてしまう……。これは罪だとわかっているのに」
「大丈夫。僕が君を不安にさせてしまったのが悪いんだ。君のそれは罪ではない。ねえ、それは僕に対する愛じゃないのか?」
「……ええ、そうです。認めてしまうのも怖いけれど。私は、貴方に怖いほど愛を求めてしまった」
「それじゃあもう、引き返せないよね」
 どんどん。
「なんの音です……?」
「狐、君は僕を優しいと言うけれど。僕はそんなに優しい性分じゃないんだよ」
 がらっ。
「旅人、お前が狐を囲っているのはわかっている!」
 開け放たれた戸を見ると、そこには村の男たち数名が立っていました。その目は厳しく圧するような光を帯びていて、ただならぬ空気が流れていました。
「僕が狐を囲っていたら何なんです?」
「……まさか、お前も狐なのか」
「……!」
 そんな、待ってください。彼は狐なんかじゃありません!
 狐は喋ろうと喉を絞りますが、恐怖が邪魔をして上手く紡げません。
「僕が狐だったらどうするんです?」
「村の決まりだ。狐は生かしてはおけない。その狐も、その足じゃあ碌に薬を作ることもできんだろう」
「今までは、薬があったから生かしていたが。最近じゃ他の村から薬売りも来る。アンタたちを生かしておく意味なんてどこにもないんだ」
「恨むなら村を荒らした先祖を恨みな」
 狐は絶望しました。自分の薬の知識、存在価値がなくなったこと。そして、彼までもが狐だと疑われて殺されようとしていること。
「私、だけなら、いい、けどっ……!」
 狐は、庇うように彼の前に立ちはだかりました。
 迫りくる刃。それに狐はぎゅっと目を瞑ることしかできませんでした。
 しかし。
「ぐ、ぐああああ!」
「恨むんなら狐をいじめた己を恨めよ」
「なに、を……」
 狐が目を開けると、そこには血を吹き出しながら悶える村人たちの姿がありました。
「狐。この村を出よう。そして、二人だけでひっそりと暮らそう」
 そう言って、狐の頬を優しく撫でる男の服は返り血に濡れていました。
「そんな……。どうして貴方がこんなことを……」
「どうして、か」
 男は、手に着いた血を拭い、最低限のものを風呂敷に包むと、ひょいと狐を抱えました。
「僕はお前が欲しくなった。だから邪魔者を消した。それだけだよ」
「そ、んなこと……」
「許してもらわなくていい。僕は君が好きだ。愛しているよ、狐。だから、お前を離さない」
 男が抱きしめる力を強くすると、狐は観念したように抵抗をやめました。
「貴方に離されたら、きっと私は死んでしまう。私だって、貴方のことを愛しています。だから、」
「ああ。共に行こう、狐」
 血で染まった静かな村に、猫が一匹。にゃあんとひと鳴きすると、目の前に置かれた魚を咥え、嬉しそうに去って行きました。
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