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(33)悪魔と魔女と呪われた双子
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ある国に双子が生まれた。双子はそれぞれ悪魔から呪いを受ける。美形の兄は人に触れることのできない呪いを。妹には顔が醜くなる呪いを。
そして、数年後。双子はそれぞれ詩人と魔女に出会う。
美形王子×悪魔、醜悪姫×魔女。童話風。
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ある王国の王と妃の間に双子の兄妹、フュールとリリアが産まれました。
初めて出来た子どもに、二人は喜び、国中も喜び。
浮かれた王と妃は悪魔を呼び、対価を払うことを約束し、生まれてきた双子が美しく育つようにと、願いを叶えさせました。
そして、数年後。
悪魔の力で美しく成長した二人は瞬く間に各国で話題になり、一目見ようと観光客は押し寄せ、国の経済は潤いました。
これには国民も驚き、王様に感謝をしました。
すっかり気持ちが良くなった王は、いつしか狡くなって、悪魔との約束であった街で採れる鉱石や作物を渡すことをしなくなりました。
その代わりに、国に悪魔除けの札を張り、してやったり悪魔を出し抜いてやったと笑いました。
それから、数日が過ぎ、事件は起こりました。
姫はいつものように朝起きて鏡を見ると、悲鳴をあげて震えあがりました。
そこに映っていたのは、この世のものとは思えない、醜悪な化け物でした。
そう、姫は一夜にしてとても醜い顔になってしまったのです。
姫の顔を見た王は、急いで王子の方を見に行きました。
起きて支度をはじめていた王子は、王の形相に怪訝な顔をしてみせましたが、それすらもが美しく、いつも通りに整った顔でした。
安心した王と妃は、姫を部屋に閉じ込めると、何事もなかったかのように王子だけを愛しました。
国民と王子には、姫は死んでしまったのだと嘘を伝え、忘れるようにと告げました。
それからまた一段と麗しくなってゆく王子は、老若男女問わず全ての人を虜にしました。
もちろん、その色香に耐えきれなくなって王子に触ろうとする輩もおりました。
でも、王子に触れようという瞬間、決まって強い電撃のようなものが走って不埒な者を跳ね除けました。
そう。王子にもしっかりと呪いはかかっていたのです。
それは、想いの強い者が触れようとするほど、電撃が強くなるようでした。
王子と長くいるのは危険だとされました。
それでも、人々は王子に引き寄せられるので、王子は困りました。
王子にはそんな気持ちこれっぽっちもないのに、人々はいつだって王子を欲するのです。
心が綺麗だった王子も、いつしかみんなが信じられなくなり、人と会うのが億劫になってゆきました。
そんなある日、王子が本を読んでいると、窓の外から歌が聞こえてきました。
気になって見てみると、若い吟遊詩人が木陰で歌っているところでした。
見たところ王子より少し年上で、帽子から覗く髪は黒く、鴉を思わせる不思議な青年でした。
興味が湧いた王子が、思いきって声をかけてみると、吟遊詩人は驚いたように振り返りました。
その瞬間、王子は自分を呪いたくなりました。だって目が合ってしまえば、きっとこの男も自分の虜になって、まともに話せなくなるのですから。
しかし、幸いにもその目は閉じられたままでした。そう。彼は王子を見ていなかったのです。
「やぁ、僕は君の歌がすっかり気に入った」
「それは、どうも」
「君は、もしかして目が見えないのかい?」
「ええ。どうにも生まれたときから見えませんで」
「それはいい! 是非とも僕の話し相手になっておくれ、お代は払うからさ!」
そう言って思いっきり微笑んでも、彼は変な気を起こすこともなく、ただ単純に頷きました。
それを見た王子は、すっかり嬉しくなりました。ああ、相手を見て微笑むことができるなんて。なんて素晴らしいことだろう、と人生の中で一番に心が躍りました。
こうして、吟遊詩人と王子は友だちになったのです。
吟遊詩人は名をマーレといい、詩人業の傍らで王子と度々お茶を飲みました。
「マーレ、君には家族がいるのかい?」
「ええ。父がいます。でも、もう随分会っていません。忙しい方ですから」
「へえ。それは寂しいね。お父様は何をしてるんだい?」
「さあ。私にもわかりません。ですが、小さい頃からそんな調子なので、寂しくはないのですよ」
マーレはそう言って、帽子を深く被り直しました。
王子は、この頃になるとマーレの瞳が気になって仕方がありませんでした。
一体彼の瞳は何色なのだろうか。もし彼の目が見えていたら、僕を見て何と言うだろうかと、取り止めもなく考えるのでした。
「私のことだけでなく、是非ともフュール王子についてもお聞かせください」
「うん。僕にも妹がいたんだ。でも、死んだんだ」
「……すみません。辛いことを聞きました」
「いや。違うんだ。僕は妹が死んだとは思っていないんだよ」
「……それは」
「そんなに複雑な顔をしないでくれ。別にショックで気が触れたわけじゃない。よく聞いておくれよ……。僕はね、妹は行方不明になってしまったのだと思う」
「行方不明、ですか?」
「そう。いやね、最初はもちろん父の言葉を信じて悲しんだよ。だけど、どうだろう。それからしばらくして、僕は城内をこっそり探検した。そのとき、聞こえてきたんだよ。死んだはずの妹の声が」
「幽霊というやつで?」
「いいや。そんなんじゃないよ。それは地下牢から聞こえてきたんだ。そんなところに妹が化けて出るはずがない。妹はおそらく、そこで囚われていたんだ」
「何のために?」
「それがわからないから、僕はそれからしばらく調査を続けた。調査と言っても、ただこっそりと地下牢に足を運んだだけだけどね。そのとき、僕は見張り番など気にせずに走り込んで確かめてやればよかったんだけど。怖くて見張りの死角にうずくまっているのがやっとだった」
「それは、本当に妹君だったのでしょうか?」
「ああ。きっとそうだよ。いや、さっき言った通り、見てはいないんだけどね。僕が間違うものか。でも、しばらく経ったある日を境に、妹の声はぱったりと聞こえなくなったんだ。どうしてだと思う?」
「それは……。物語ならばきっと、妹君が勇気を出してお逃げになったことでしょう」
「ああまさに。その通りかもしれないんだよマーレ。その前の晩、丁度地震があったんだ。揺れが激しくてね。僕も夜中に飛び起きたさ。恐らく、その騒ぎに乗じて妹は逃げおおせたのだろう。何しろ妹は賢かったからね」
「なるほど」
「でも、このことを誰に伝えても、気を疑われるか笑われるか、はたまた黙り込まれるかで、僕はすっかりこの話をすることを止めてしまっていたんだ」
「私などに話してよろしかったのですか?」
「うん。君には話したくなったんだよ。それで。君はこのおとぎ話を聞いて、一体何を思ったのか。正直に言ってごらん」
「きっとそれが真実なのだと思います。おとぎ話のようですが、フュール王子とて賢いお方。きっと妹君は今もどこかで生きているのでしょう」
「君が言うと本当にそう思えてくるよ。ありがとう」
王子がマーレに微笑んだ時、丁度メイドがお菓子を持ってきました。
「君、ちょっといいかい?」
「あっ。はい……。きゃあ!」
手招きされたメイドが目の前に来ると、王子はその手を掴もうとしました。が、しかし。その手は、ばちりと音を立てて弾かれ、メイドはその痛みによろよろと倒れました。
「君、明日からは他の仕事に回ってくれ。新しいものをまた雇うから」
「そんな、私はもっと貴方の笑顔が見たいわ……! お願いですから、もう一度だけさっきの笑顔を……!」
「誰か! 連れていけ」
微笑みを見てしまったメイドは、可愛そうに二度と王子の目に触れることのないよう、兵士たちに連れてゆかれました。
「随分モテるんですね」
「すまない。今のは僕の不注意だった」
「貴方の顔がわからないのは、さぞかし勿体ないんでしょうね」
「君はわからなくていい。いや、どうか僕が見えないままでいてくれ」
「フュール王子……」
マーレの手をそっと包んだ王子の手は、震えていました。
「幾ら想われたって、誰も触れないんじゃ惨めなものさ」
「すみません。失言でした。さぞお辛かったことでしょうに」
マーレは王子の震える手に指をそっと絡ませると、そのまま身動きもせずにしばらく時を過ごしました。
「ああ。マーレ。やっぱり君は素晴らしい。……君とはずっと、なにもかも忘れてこうしていたいものだ」
一向に弾かれることのないマーレの手を握りしめながら、王子は自分がマーレに恋い焦がれてゆくのを感じました。
そんな風に、二人で過ごす日々を重ねてしばらく。
いつものように、王子とマーレは庭でお茶を飲みながら取り止めのないお喋りをしていました。
「マーレ。君が望むならば、僕は君をこの城に住まわせたっていいんだ」
「お心遣いは嬉しいですが、そんな冗談、言うものではないですよ」
「冗談なんかじゃない。僕は本気だ。何しろ僕は、マーレ、君のことが……」
「危ない!」
「え?」
王子が思い切って告白しようとした瞬間、マーレは叫びながら、王子を押し倒しました。
「チッ。邪魔ナ」
王子が顔を上げると、そこには白い羽の生えた天使がいました。こんな状況でなければ、きっと王子はその神々しさに祈りを捧げていたでしょう。
しかしその天使は、華奢な腕に似合わぬ大剣で王子を殺そうとしたのです。
「どうして、天使が僕を……」
きぃん!
天使とマーレの剣がぶつかり合う音が幾度も繰り返される中、誰かに助けを求めようと王子は辺りを見渡しました。
しかし、見えるのは天使に倒されてゆく兵士たちの姿。聞こえるのは人々の悲鳴。そして。
「何だよ、あれ……。どうして、天使が人間を食べて……」
その光景を見た瞬間、王子は吐きそうになるのを何とか堪えて目を逸らしました。
あれは何だ? 天使の皮を被った悪魔か?
とても現実のこととは思えぬ事態に、王子はすっかり青ざめて目の前の剣戟を見つめました。
「もう少しで済みます。フュール王子。しばらくお待ちを」
マーレはそう言うと、目の前の大剣を弾き、天使の手から落としました。
マーレの瞳はやはり閉じたままで、どうして見えていないはずなのにそんなに強いのだろうと、王子はぼんやり思いました。
「やはり貴方は『マレディオン』ダ。何故こんなところで人間の真似事をしているかは知らないガ、邪魔はやめてくれませんカ?」
「マレディオン……?」
得物を失った天使が悪態をつくように呟いたそれは、悪魔の名前でした。そう。その名は確か――。
「邪魔はそっちだ。ついに天を食い尽くしたか」
冷たく呟かれたそれは、今までのマーレとはまるで別人のように響きました。
「ええ。それでもワタシたちは足りナイ。だからここに来たのデス」
「怪物どもが。お前たちの好きにさせるものか」
「それが大天使様のご命令デス。悪魔、貴方はそれを邪魔してはいけナイ。ワタシたちは忙しいのデス。悪魔なんかよりも人間の方が弱く、食べやすイ。天から逃げ延びた悪魔に構っている暇などナイ」
「そんで今度は地獄にでも追い詰めるつもりか?」
「貴方たちにはお似合いの場所かト」
「随分と舐められたものだな」
ふいにマーレの体がゆらりと揺れ、不気味な湯気のようなものが立ち込めました。
「マーレ……?」
王子が思わず目を擦り、もう一度目を開けると。
そこには目の覚めるような赤い瞳と、全てを塗りつぶすような黒い羽がありました。
その足元には、真っ白だった天使が真っ赤に染まって横たわっているのです。
その姿を見た者は天使だろうと人間だろうと、きっと悪魔だろうとひとり残らず恐怖を感じるでしょう。
「どうして……。悪魔が……」
「フュール王子……。これが本当の私だ」
「あ……」
「これでも、お前はその愚かな口で私に愛を紡ごうとするか?」
「そ、れは……」
王子は悪魔から一歩下がり、また一歩と距離を取りましたが……。
「危ないッ――!」
*
あるところに少女がいました。
少女は名をリリアといい、大層綺麗な娘に育ちましたが、悪魔の呪いで醜くなってしまい、そのままお城の地下牢に閉じ込められていたのです。
しかしあるとき、リリアは地震で兵士が混乱している隙に、鍵を奪って牢から逃げ出したのです。
どこに行けばいいのかもわからないまま、リリアは森を彷徨いました。
「ああ。どうせワタシが生きていても、人々を不快にさせるだけだもの」
身も心もボロボロのままに歩き回って、ついにくたびれてしまったリリアはいっそのこと死んでしまった方が良いとさえ思いました。
その機会はすぐに現れました。
「あ……ああ……。おねがい、来ないで……」
『グルルルルル……』
お腹を空かせたハウンドたちが、リリアの前に立ちはだかったのです。
死を願ったはずのリリアも、いざ獣に襲われると怖くなって逃げようとしましたが、足が竦んでしまって動けません。
「だれか……。ああ、神様……」
リリアが目を閉じた瞬間、ハウンドがリリアに飛び掛かりました。
リリアはきっと自分の腹はもう裂かれてしまったのだと、眩暈がしました。
「でも、思っていたよりも全然痛くないのね……」
「お前は何を言ってるんだい?」
『キャウン!』
「え……?」
リリアが慌てて目を開けると、そこには襲い掛かろうとした体制のまま空中で止まったハウンドたち。そして、それに向かって手を翳している美しい女の人がいました。
なんて綺麗な人なのかしら……。
リリアは、まだ綺麗だった頃の自分よりももっと綺麗な彼女に見惚れてしまいました。
彼女は黒い衣装に変な形の帽子を身に着けた大人の女性でした。
彼女が手を振るうと、ハウンドたちが地面に落ちました。ハウンドたちは、情けない鳴き声を出しながら、尻尾を巻いて逃げてゆきました。
「まるで魔女みたい……」
「まるでじゃなく、本物の魔女だよ。お嬢ちゃん」
リリアが我に返ると、魔女はリリアの方をじっと見つめていました。
「きゃあ!」
魔女の視線に慌てたリリアは悲鳴を上げ、魔女に背を向けると、地面にうずくまって恥ずかしがりました。
「何をそんなに恥ずかしがっているんだい?」
「だって、ワタシ……。こんなに醜い顔だから……」
リリアはそう言って自分の顔に手を当てました。
この顔になってから、人々はことごとく嫌な顔をするのです。
美しい魔女だって、きっとそんな顔をするんだと思うと、何だかリリアの心が張り裂けそうになったのです。
「アタシはそうは思わない。顔なんていわばお飾りだもの」
「貴女はとっても綺麗だものね」
「これこそただのお飾りさ。都合がいいからこんな整った顔にしてるだけ。アタシは本当の姿なんてないからね。魔女ってのは影から生まれた存在なのよ」
そういえば昔、まだリリアが綺麗で可愛がられていた頃に聞いたことがありました。天には人間以外の者たち――魔女や悪魔、天使がいて、時々人間の世界に遊びにくるのだと。
その中でも、魔女は気まぐれで、会ったら何をされるかわからない、見かけに騙されてはいけないと教えられたのです。
「でも、やっぱり魔女は綺麗」
リリアは遠慮がちに魔女の瞳を見つめました。その紫の瞳は薄暗い森の中でさえ美しく輝いているのです。
「アタシはお嬢ちゃんの方がよっぽど綺麗だと思うけどね」
「慰めはやめてよ。そんなものは惨めになるだけだわ」
「そんなんじゃないよ。ただ、神様だのに祈るお嬢ちゃんが素直で可愛いなと思っただけ」
「……可愛い?」
「そ。アタシなんか、そんな風に生きることに必死になれないもの。そんな風に人を頼れないもの」
「それは、ワタシが弱いってことじゃ……」
「所詮は人間だもの。当たり前。でも、それがアタシには妙に美しく見えるのよ」
「わかんない……」
「ええ。そうだろうね」
そう言った魔女は少しだけ寂しそうに笑いました。そしてそれ以上何も言わず、リリアに背を向けると森の中へ歩いてゆきました。
「ま、待って……!」
リリアはその背が見えなくなる前に、駆け出していました。勝手に動いた足と口にリリア自身驚きましたが、どうしても去り際の魔女の表情が忘れられなかったのです。
それからリリアは魔女と一緒に森の中で暮らすことになりました。
魔女はリリアを追い返そうとしましたが、リリアが泣いて叫んで魔女を掴んだっきり放そうとしないので、仕舞いには魔女も折れてしまったのです。
「まぁいいさ。好きにしな。きっとアンタもそのうち飽きるだろうよ」
しかし、魔女の予想とは裏腹に、リリアは大きくなってからもずっと魔女の傍にいました。
野草を取るために出掛ける時も、薬の調合をするときも、ずっと離れることなく傍にいたのです。
「こんな地味な毎日、お姫様であるアンタにはつまらなくないのかい?」
「いいえ。全然。牢で泣いているよりずっと健康的だし、なんだったら姫として皆から猫かわいがりされていたときよりもずうっと今が楽しいもの!」
「そりゃ言い過ぎさ」
「いいえ。本当のことよ。だからメイ、貴女さえよければワタシはずっと貴女といたいの」
「困った子だ。でもまぁ好きにしな。最初にもそう言っただろう。リリアが飽きるまではアタシも、アンタを養ってやるよ」
「飽きるだなんて。メイ、ワタシは貴女が好きなのよ。メイ以上に大事なものなんてないわ。もう何度もそう言ってるじゃない」
「お前はまたそういうことを言う」
「ワタシは本気よ。子ども染みた感情なんかじゃない。メイ、貴女を愛しているの。なんならキスしてやれば信じてくれるのかしら」
「年頃の娘が馬鹿を言うんじゃないよ。全く。それ以上馬鹿なことを言うとここから追い出してやるからね」
「……メイは、意地悪だわ」
「意地悪なのは魔女のサガさ」
拗ねたリリアを魔女は優しく撫でてやると、リリアは居心地が悪そうにもぞもぞと身をよじりました。
「お前にもきっとそのうち良い運命が訪れるさ。今に良い王子様が助けに来てくれるからね。それがお姫様の特権ってやつさ」
リリアは、今すぐにでも優しく撫でつける魔女の手を払って、「そんな運命やら特権なんていらないわ! ワタシが欲しいのはメイの愛だけなの!」と叫んでやりたい気持ちでした。
でも、それをしてしまったら、きっと魔女は今以上に困ってしまうのです。
それに、リリアはもう少しだけ魔女の優しい手を感じていたかったのです。
ああ。神様。ワタシはこんなに幸せで良いのでしょうか。ワタシは化け物みたいなものなのに。今はきっとフュールよりも幸せな自信があるもの。
リリアは、たとえ魔女に自分の愛が受け入れられなくても、傍にいられるだけでいいとさえ思いました。
リリアにはわかっていました。魔女はとても優しいから、自分を追い出すことをするわけがないのだと。リリアはもうそれだけで、とてつもなく幸せな気分になれるのです。
だから、リリアはこの森から出たいだなんて、ちっとも思っていませんでした。自分の故郷などすっかり忘れてしまっていました。いえ。忘れてしまっていたはずだったのです。
「あれは……、なに……?」
いつものように薬草探しの手伝いをしていたリリアは、足を止めて空を指さし、魔女に問いかけました。
リリアが指さした空は、真っ白に埋め尽くされていて、リリアはそれを見た瞬間によくないことが起こりそうな予感がしたのです。
「あれは、天使だ」
空を見上げた魔女の瞳には、はっきりと憎悪が込められていました。
リリアは、魔女がそんな表情をしたところなど今まで見たことがなかったので、驚きました。
「天使がどうしてここに……」
リリアは本物の天使など見たことがありませんでした。同じ天に住む悪魔と魔女は人間界を度々訪れ、人間と商売やら契約やらを交わすこともあるらしいのですが、天使が人間界に訪れたという話は聞いたことがありません。
それに、空を埋めるほどの数です。それらはよく見ると、各々武器を持っているのです。これはただ事ではありません。賢いリリアにはわかってしまいました。天使たちは戦争をするつもりなのだと。
そしてその行く先に思い当たったとき、リリアはすっかり青ざめて震えました。
そう。天使たちが向かう先には、リリアが生まれた国があるのです。
「ああ、魔女。ワタシは行かなくてはいけない」
リリアは、もう随分先へ行ってしまった魔女の背中を見ながら、聞こえないように呟くと、魔女にわからないよう静かにその場を離れました。
リリアが目指すのは、もちろんリリアのいた国でした。
リリアは、どうしても国の安全を確かめたかったのです。幼い頃に教え込まれていた王族としての心得が残っていたのでしょう。いや、そうでなくとも心が良く育った彼女はきっと同じことをしたのでしょう。
リリアは国に近づくにつれて、記憶を手繰り寄せていました。
お父様とお母様はあの日、ワタシの顔を見て酷く青ざめていたわ。お母様なんて、涙を流して床に座り込んでしまって……。それからワタシのことを牢に閉じ込め、ワタシのことを忘れてしまった。
「だけど、ワタシが醜くなる前はとっても優しい両親だったの」
フュールは今も変わらずに、ワタシの分までお父様とお母様の愛を受けているのかしら。
だけど、リリアには全くといっていいほどに、妬みや嫉みの感情が湧いてきませんでした。
リリアを醜い顔に変えた悪魔に対してでさえ、恨みなどあまり湧いてこないのです。
「だって、ワタシには魔女がいた」
そう。リリアは魔女のおかげで、絶望することも復讐心に駆られることもなく、真っすぐ育つことができたのです。
「だから、ワタシは昔に愛した国を助けなければいけない」
リリアは薬草を刈り取るために持っていたナイフを握りしめました。すると、手はカタカタと小刻みに震えました。リリアがその手をもう片方の手で押さえつけようとしたとき。
「お前が行って何になるっていうのさ?」
地面に張り付いた自分の影が揺れ、みるみるうちに形を変えてリリアの目の前に立ちはだかりました。
「メイ! どうしてここに……」
「どうしてって。アタシが気づかないとでも? それに「どうして」はアタシの台詞さ。お前、自分の国を助けようとしているね?」
「……ええ。メイにはなんでもわかっちゃうのね」
「お前の考えることなんて、魔法を使わなくたって嫌でもわかるさ」
魔女の声音は、本人も気づかぬうちに慈愛に満ちた声になっていて。リリアはそれが堪らなく愛しく、狂おしいほどにリリアの耳を焦がしました。
「ああ。メイ……」
「いいかい? あの国はお前を捨てた。王も妃もお前に散々酷いこと言った。今帰ったとして、化け物扱いされるのは目に見えているだろう? それとも、お前はまた牢に閉じ込められたいのかい?」
魔女の忠告は、確かにリリアの胸を刺しました。だけど、リリアだってそんなことは覚悟の上なのです。
「でも、それでも、私は行かなくちゃ。この国の姫として、フュールの妹として、全ての人々の隣人として」
リリアは、しっかりと魔女の瞳を見つめ、言い放ちました。
「……ほんと、綺麗だわ」
青く澄んだリリアの瞳は果てしなく美しく、魔女は一瞬全てを忘れ、その美しさに感心してしまいました。
*
「危ないッ――!」
王子の後ろから迫る天使の剣に、悪魔が叫び手を伸ばしましたが間に合いません。
「メイ! お願い!」
「ったく!」
もう駄目だと思ったその時、悪魔の耳に二人の女性の声が聞こえてきました。
「ぐッ……!」
その瞬間、天使の剣は遠くから飛んできた魔法によって跳ね飛ばされ、その隙をついた悪魔が見事に天使を退けました。
しかし天使たちの数は多く、あっという間に次の天使が王子を襲うのです。
「フュール! ああ、やっぱりあれはフュールだわ! だって、あんなに綺麗に成長して……!」
「リリア! 少し待て! アタシから離れるな!」
魔女は、リリアに近づく天使を片っ端から消しました。それでも、天使の数は減らず、王子に近づくことさえままならないのです。
「これは相当に骨が折れるね……」
魔女が悪魔の方を見て、そう悪態をつきました。
「あの悪魔、てっきり天使と一緒になってフュールを襲っているのだと思ったのに。どうして、フュールを庇っているのかしら……?」
リリアが悪魔に目を向けると、悪魔は相変わらず迫りくる天使を薙ぎ払い、王子を守っているのです。
その剣は、ひと振りするごとに数百もの天使を吹き飛ばし、あれだけ魔女が払っても減らなかった天使も、少しずつ数を減らしてゆき……。
天使も残りわずか、というところで、それは起きました。
「きゃあ!」
「リリア! くそ!」
突風が起きたかと思うと突然、リリアが空へ攫われたのです。もちろん、魔女もすぐに取り返そうとしました。が、強風により、その体は地面へと叩きつけられてしまいました。
「お前たちは悪魔と魔女ですネ? なぜ私たちの邪魔をするのデス? 貴方たちのせいで、私の可愛い天使たちが、こんなにも減ってしまッタ!」
甲高い声で空から見下ろすそれは、白い羽を幾重も背負った天使――大天使でした。
「リリア……。もしかして、リリアなのか?!」
悪魔に守られていた王子が、弾かれたように叫びました。大天使に攫われたことで、初めてリリアの存在に気づいたのです。
「ああ。フュール! ええ。そうよ。ワタシは貴方の妹リリアよ。ワタシは、この国を助けたいと思って……。それなのに……。ああ、放して頂戴! メイ! メイは無事なの?!」
「リリア! アタシは無事さ! きっと今助けるから!」
そう言って魔女は大天使に魔法をぶつけよとしましたが、再び振るわれた剣により、地面に叩きつけられてしまいました。
「メイ!」
「……氷壁の魔女がどうして人間に味方しているんだ?」
「氷壁の、魔女……?」
訝し気に呟かれた悪魔の言葉に、聞き覚えのあった王子は記憶を遡りました。それは昔、悪い魔法を使ったせいで人々に閉じ込められたという魔女の名前だったのです。
「それに、まさか大天使まで下りてくるとは。最悪のシナリオだ」
「おや。お前はマレディオンではないデスカ。お前の父親には手を焼きましたヨ。中々悪魔たちを差し出してくれなかったからネェ!」
「やはり父はお前が殺したのか?」
「ええ。勿論。そして、次は貴方の番デス!」
大天使が手に持った剣をひと振りすると、強風が起き、地面が抉れてゆきます。
「ぐっ!」
悪魔は、それが王子を狙った攻撃だと知り、真正面からそれを受け止めました。
「マーレ!」
それが一撃で終わるはずもなく、次々と繰り出される攻撃に、悪魔は身を挺して王子を庇い続けました。
程なくして、悪魔の体が崩れ落ちました。
「ぐ……」
「マーレ!」
王子が悪魔の元へ駆けつけようとしましたが、悪魔はそれを制し、大天使を睨みつけました。そして、同じく地面に倒れ伏す魔女を一瞥すると……。
「はあっ!」
大天使に渾身の力で剣を振るいました。
「はっ。そんな力で私が倒れるはずがナイ!」
大天使は向かってくる悪魔の剣を受け止め、薙ぎ払いました。が。
「今だ、魔女!」
悪魔の血が舞うその影から、ぬっと魔女が現れると、即座に大天使に向かって魔法を放ちました。
「ナニ……!?」
悪魔と魔女が協力するなど夢にも思っていなかった大天使は、まんまと隙を突かれ、魔女の魔法によって凍らされてしまいました。
「リリア。大丈夫かい?」
大天使が凍り付く前に助け出したリリアに、魔女は優しく問いかけました。
「ええ。魔女。ごめんなさい。ワタシは貴女に怪我を……」
「アタシは大丈夫さ。それより……」
「マーレ! しっかりしろ!」
「う……。悪いけど。少し、力が足りなくて……」
リリアが魔女の視線を辿ってみると、見るからに顔色悪く体中から血が流れ出ている悪魔を、王子が大事そうに抱き起していました。
「随分と情けないザマね。マレディオン」
「ああ魔女か。さっきは助かった。ありがとう」
「悪魔にお礼を言われる日が来ようとは。でも、アンタもわかってんだろ。まだ終わっちゃいない」
「え……。終わってないって。どういうことです?」
黙り込んだ悪魔の代わりに王子が答えると、魔女はため息をついて大天使に目を向けました。
「あれは一時的に凍っているだけさ。時間がたてば、氷も解ける」
「そんな……」
「メイには倒せないの?」
「アタシを買い被ってくれるな。残念ながらアタシには無理だ。魔法は天使には効きにくいんだよ」
確かにリリアも、天使は魔法に強いのだと聞いたことがありました。
「あっ。でも、悪魔なら……!」
幼い頃に聞いたおとぎ話のような物語を思い出しながら、リリアは思い当たり、はっとしたように声を上げました。
「そう。天使は悪魔の力に弱いはずなんだよ。天使は悪魔に、魔女は天使に、悪魔は魔女に弱い。これが天での理、いわゆる三竦みってやつなんだ」
「でも……」
王子が悪魔に目を落としながら、心配そうに呟きました。
「本来のアンタなら倒せるはずだ。マレディオン。それなのに、どうしてそんなに弱っているのか」
「それは……」
言葉に詰まる悪魔の手を魔女が掴み、何かを確かめるように手首を撫で始めました。
「何を!」
それを見た王子は魔女の手を払い、魔女から庇うようにして悪魔を抱き寄せました。
「そんなに怒らないでおくれ王子様。んで、マレディオン。お前さん、もう随分と人を食らっていないんじゃないかい?」
「人を食らう……?」
ため息をつく魔女の言葉に、リリアが青ざめました。
「魔女。余計なことを言うな。死にたいのか」
「こいつのは天使みたいに肉を食らうわけじゃない。悪魔は生き物の血を吸うことによって力を得るんだ」
「血を……」
「魔女!」
制止も聞かずに続ける魔女に悪魔は叫びましたが、魔女は逆に悪魔を睨んでやりました。
「この場でヤツを超えられるのはアンタしかいない。アタシの力じゃ人間を、リリアを救えないんだ……! アンタが何を考えて血を飲まないのかは知らないが、アタシはアンタを頼るしかないんだよ。お願いだから、アンタの力でリリアを脅威から救ってくれ!」
「メイ……」
力なく座り込む魔女に、リリアは寄り添って手を繋いでやりました。
「マーレ。いや、マレディオン。僕を食べろ。そうすればお前はよくなるんだろう?」
今まで黙り込んでいた王子がようやくその口を開くと、静かに腕を捲りました。
「フュール、やめて!」
「リリア。会えて早々すまないが、僕は彼に生きて欲しいんだ。例え僕がいない世界でも、彼だけは生きて欲しいんだ。でも、リリアにだって。この国のみんなにだって生きて欲しいさ。だから……」
そう言って王子は自分の腕を、悪魔に差し出しました。
「は……」
「飲め。マレディオン。僕の血は美味いぞ?」
「う、うう……。やめろ、私は……」
王子が自分の腕を無理やり悪魔の唇に当てると、悪魔は苦し気に抵抗しました。
「やせ我慢はやめろ」
一向に吸おうとしない悪魔に、王子は痺れを切らし、自ら腕を少し傷つけました。
「んっ。は、ああ……」
そして、王子の血が悪魔の口に流れ込んだ瞬間。
「あっ」
すっかり自我を失った悪魔は、王子の首元に噛みつきました。
リリアは、その光景に恐怖を抱きながらも、どうすることもできず立ち尽くしていました。
「マーレ」
「あ……」
しばらくして、赤く染まった悪魔の唇に王子が口づけを落とすと、悪魔はようやく意識を取り戻したように狼狽えはじめました。
「これで、天使が倒せるか?」
何を言うより早く、王子は悪魔の目をしっかりと見て、そう確認しました。
悪魔は、そこで改めて王子の強さに感心し、全ての言葉を飲み込んでから重々しく頷きました。
そして。
「う……」
眩しい日差しを受け、王子は眠りから目覚めました。
「おはよう。フュール王子」
「マーレ……。僕、生きてる……?」
「ああ。生きている」
未だにぼうっとする頭を振るい、王子は意識を失う前のことを思い出しました。
「そうだアレは、大天使はどうなったんだ?」
「倒したぞ。この通り、中々苦戦したがね」
そう言って、苦々しく笑う悪魔の体は包帯だらけでした。
「僕の血じゃ足りなかった?」
「いや。充分だったさ。むしろ吸い過ぎたぐらいだ。だから力の加減が難しくてな」
「良かった。マーレ。お前が無事で」
「それはこっちの台詞だ。……すまない。久々の吸血だったから、その、やりすぎた」
「僕は君に感謝してる。これからだって吸いたいときに吸えばいい」
「はは。そこまで言ってくれなくて結構」
「……どうして今まで我慢してたんだ?」
「いや、なに。下らないプライドだったんだ」
「僕には教えられない?」
「……天使と同類になりたくなかったんだよ。天使は悪魔を食らい、人間をも食らった。天使たちは欲を張り過ぎた。だが、それを悪と言うのは躊躇われる。なぜなら、私たち悪魔とて、渇きを潤すために血を求め、欲を張れば、天使たちのように人間たちを脅かす存在になりかねないのだ」
「でも、君はそうじゃない。むしろ人間に降りかかる災難を払ってくれた英雄じゃないか」
「英雄ね。悪くはないが、そう呼ばれるには君や魔女の助けを借り過ぎた。それに、まだ天使たちは残っている。平和を祝うにはまだ早い」
「だったら、僕は君を正式に雇おう。天使を倒すためならば、僕の血をいくらでも渡そうじゃないか。それなら君も気兼ねなく吸えるだろう?」
そう言って王子が悪魔に手を伸ばした時、ドアから魔女が現れ二人に割って入りました。
「待ちなさい。それは悪魔神の息子なのよ」
「あ、悪魔神……?」
魔女について入ってきたリリアが、魔女の指さす方を見て怯えたように聞き返しました。
「こいつがアンタに呪いをかけた奴の息子ってわけよ」
「うそ……」
リリアはその答えを聞いたとき、顔を青くして後ろに下がりました。
「父のために言っておくが、先に裏切ったのはこの国の王だ。だが」
悪魔はリリアの反応を見た後そう告げて、言葉を切ると王子に向き直りました。
「お前が許さないと言うのならば、私は父の代わりとして、この身をもって恨みを受けよう」
悪魔は一切の淀みもなく、王子の顔を真っすぐ見据えて言い切りました。そして、静かに、まるで懺悔するかのように王子の前に跪きました。その様子に、リリアと魔女は何も言えないままに王子の言葉を待ちました。
「悪いけど。僕は君を恨んじゃいない。それどころか」
「な……」
王子は、静かに報いを待つ悪魔の手を引っ張り上げてその身を抱き寄せると、そのまま自然にキスをしました。
「愛おしく思うんだ」
そして言葉の通り、悪魔の頬を愛おしそうに撫でると今度は頬に口づけを落としました。
「さあ。マレディオン、君は僕のものだ」
「ん……」
「フュール……?」
突然のことに、リリアは心配そうに王子の名を呼びました。しかし、王子は一向に悪魔を離そうとしないのです。
「勘違いだ。目を覚ませ。吟遊詩人マーレは確かにお前にとって魅力的だっただろう。何しろお前の呪いの影響を受けない初めての人間だったからな。だが、それだけだ。そのせいで愛だ恋だと特別視してしまっただけのことで……」
「違う。僕は君が好きだ。マーレでもマレディオンでもいい。本当の君が好きなだけだ」
「私は悪魔神だぞ?」
「それでも構わない」
「私は人間なんて御免だ」
「でも、君は甘すぎる」
「は……?」
王子の言葉の意味を図り兼ねて、悪魔が訝し気な視線を向けると、王子は大仰に自分の手の甲を見せました。
「契約の、印……?」
そこには、悪魔が契約したことを示す印が描かれていました。
「なんだ。お前たち契約していたのか?」
「まさか! いや……。まさか……」
契約の印に心当たりのない悪魔は、瞬時に魔女の言葉を否定しましたが、すぐに思い当たり、顔を青くしました。
「僕たちだって、悪魔神の呪いを受けてただ日々を過ごしていたわけじゃない」
悪魔の顔を見て満足そうに笑みを浮かべる王子は、まるで魔女より悪い笑顔でした。
「その対抗策を調べ上げたところに、君がまんまとやってきて。食べ物なんかに少しずつ惚れ薬やらを入れておいてさ」
「は……? 惚れ……。というか、お前、最初から私の正体に気づいて……」
「君は僕に好意を抱いているはずだ」
「っ……」
言葉の通り、この通り。悪魔は王子に頬を撫でられただけで心臓が高鳴るのを感じました。
「そんな状態で口づけをすれば、簡単な言葉で一方的な契約、言い方を変えれば“封印”ができるってわけだ」
確かにあの時、悪魔は王子に碌な抵抗をしませんでした。真名と所有の宣言。それを悪魔は易々と受けてしまったのです。
「……まさか。人間にしてやられるとはな。まいったな」
「人間だって己の欲に充分忠実さ」
諦めたように気を抜いた悪魔に、王子は笑顔で口づけを落としました。
それを見たリリアは魔女の手を握り、「あの方法は魔女にも有効なのかしら」とお茶目に笑うと、勿体ぶって魔女の手の甲に口づけを落としました。
「それで。私は君らの呪いを解けばいいのか?」
「なんだい。やけに素直じゃないかい。悪魔神が聞いて呆れる」
「元よりそのつもりだったからな。父は愚かな人間たちが反省した頃合いを見て、私に様子を見させたんだ。だから吟遊詩人なんてものに化けて王子に近づいた」
「なんだい。悪魔神は揃いも揃って善人かい」
魔女が呆れ気味に呟くと、悪魔は苦笑して肩を竦めました。
「そのせいでこのザマじゃどうしようもないけどな」
「満更でもないくせに」
「そっちこそ。魔女が惑わされてちゃ訳ないね」
「うっ……」
「それで。呪いはどうしようか」
「ああ、僕は別にそこまで困っちゃいないからこれでいい。リリアはどうだい」
「……いい。このままで」
「なんで、アンタこんなチャンスないのよ?!」
「いいの。ワタシ気づいたの。フュールも、わかるでしょ?」
「うん」
「みんな見た目だけで寄ったり離れたりするけど、本当の愛はそんなんじゃないって」
「……大した綺麗事を。勘弁してくれ。私はとんだピエロじゃないか」
澄んだ瞳でそう言い切ったリリアに、悪魔は芝居掛かった台詞を吐くと、その目の前で大きく指を鳴らしました。
すると、リリアの容姿がみるみるうちに普通の女の子に戻ってゆきました。そう。悪魔が呪いを解いたのです。
「お節介野郎が」
「本当の姿が一番だろう? これが本当のお姫様だ。存分に愛するがいい」
「メイ……。ワタシ、その……。醜さから解放されたの? ワタシは、貴方の隣にいても恥ずかしくない顔かしら?」
「ああ。お前は可愛いさ。醜いままでも可愛かった。けれど、本当のお前はもっと可愛い」
魔女とリリアは笑い、そのまましばらく幸せそうに抱き合いました。
「僕の容姿は変わっていないようだが」
「ああ。お前は元からその顔なんだよ。父が祝福を授ける前から、お前の顔立ちは整っていたそうだ」
「つまり、王の願いは半分意味のないことだったのか」
「まあ、そういうことだ。父もそれ以上美しくすることはできなかったようだ。だからお前を醜くすることもできなかった」
「でも、それじゃあ人に触れない呪いを受けたのは不本意だ」
「それはまあ確かに。だけど何も嫌がらせのためじゃない。親切心だったみたいだ。人間の身でその美しさは抱えきれないだろうからな。呪いと見せてお前を救っていたんだろう。……まぁ、恐らくそれも杞憂だっただろうな。何しろお前は中々に強かだった」
「なるほど。だが君は今その呪いを解いてしまったのか?」
「ああ。言った通り、お前には必要がない。お前ならばそれを武器として扱えるだろうしな」
「それはわからないが。君は勝手に呪いを解いたのだから、僕を側で守る義務がある」
「もう一度かけ直そうか?」
「いいや。僕は命じているんだ。マレディオン、君は僕がいいというまで僕の側にいろ」
「それは、卑怯だ」
王子は自分の手の甲を唇でなぞると、今度は悪魔に口づけを落としました。
こうしてフュール王子とリリア姫の国は魔女と悪魔に支えられ、天使に脅かされることもなく。長く愛と平和を築きましたとさ。
そして、数年後。双子はそれぞれ詩人と魔女に出会う。
美形王子×悪魔、醜悪姫×魔女。童話風。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ある王国の王と妃の間に双子の兄妹、フュールとリリアが産まれました。
初めて出来た子どもに、二人は喜び、国中も喜び。
浮かれた王と妃は悪魔を呼び、対価を払うことを約束し、生まれてきた双子が美しく育つようにと、願いを叶えさせました。
そして、数年後。
悪魔の力で美しく成長した二人は瞬く間に各国で話題になり、一目見ようと観光客は押し寄せ、国の経済は潤いました。
これには国民も驚き、王様に感謝をしました。
すっかり気持ちが良くなった王は、いつしか狡くなって、悪魔との約束であった街で採れる鉱石や作物を渡すことをしなくなりました。
その代わりに、国に悪魔除けの札を張り、してやったり悪魔を出し抜いてやったと笑いました。
それから、数日が過ぎ、事件は起こりました。
姫はいつものように朝起きて鏡を見ると、悲鳴をあげて震えあがりました。
そこに映っていたのは、この世のものとは思えない、醜悪な化け物でした。
そう、姫は一夜にしてとても醜い顔になってしまったのです。
姫の顔を見た王は、急いで王子の方を見に行きました。
起きて支度をはじめていた王子は、王の形相に怪訝な顔をしてみせましたが、それすらもが美しく、いつも通りに整った顔でした。
安心した王と妃は、姫を部屋に閉じ込めると、何事もなかったかのように王子だけを愛しました。
国民と王子には、姫は死んでしまったのだと嘘を伝え、忘れるようにと告げました。
それからまた一段と麗しくなってゆく王子は、老若男女問わず全ての人を虜にしました。
もちろん、その色香に耐えきれなくなって王子に触ろうとする輩もおりました。
でも、王子に触れようという瞬間、決まって強い電撃のようなものが走って不埒な者を跳ね除けました。
そう。王子にもしっかりと呪いはかかっていたのです。
それは、想いの強い者が触れようとするほど、電撃が強くなるようでした。
王子と長くいるのは危険だとされました。
それでも、人々は王子に引き寄せられるので、王子は困りました。
王子にはそんな気持ちこれっぽっちもないのに、人々はいつだって王子を欲するのです。
心が綺麗だった王子も、いつしかみんなが信じられなくなり、人と会うのが億劫になってゆきました。
そんなある日、王子が本を読んでいると、窓の外から歌が聞こえてきました。
気になって見てみると、若い吟遊詩人が木陰で歌っているところでした。
見たところ王子より少し年上で、帽子から覗く髪は黒く、鴉を思わせる不思議な青年でした。
興味が湧いた王子が、思いきって声をかけてみると、吟遊詩人は驚いたように振り返りました。
その瞬間、王子は自分を呪いたくなりました。だって目が合ってしまえば、きっとこの男も自分の虜になって、まともに話せなくなるのですから。
しかし、幸いにもその目は閉じられたままでした。そう。彼は王子を見ていなかったのです。
「やぁ、僕は君の歌がすっかり気に入った」
「それは、どうも」
「君は、もしかして目が見えないのかい?」
「ええ。どうにも生まれたときから見えませんで」
「それはいい! 是非とも僕の話し相手になっておくれ、お代は払うからさ!」
そう言って思いっきり微笑んでも、彼は変な気を起こすこともなく、ただ単純に頷きました。
それを見た王子は、すっかり嬉しくなりました。ああ、相手を見て微笑むことができるなんて。なんて素晴らしいことだろう、と人生の中で一番に心が躍りました。
こうして、吟遊詩人と王子は友だちになったのです。
吟遊詩人は名をマーレといい、詩人業の傍らで王子と度々お茶を飲みました。
「マーレ、君には家族がいるのかい?」
「ええ。父がいます。でも、もう随分会っていません。忙しい方ですから」
「へえ。それは寂しいね。お父様は何をしてるんだい?」
「さあ。私にもわかりません。ですが、小さい頃からそんな調子なので、寂しくはないのですよ」
マーレはそう言って、帽子を深く被り直しました。
王子は、この頃になるとマーレの瞳が気になって仕方がありませんでした。
一体彼の瞳は何色なのだろうか。もし彼の目が見えていたら、僕を見て何と言うだろうかと、取り止めもなく考えるのでした。
「私のことだけでなく、是非ともフュール王子についてもお聞かせください」
「うん。僕にも妹がいたんだ。でも、死んだんだ」
「……すみません。辛いことを聞きました」
「いや。違うんだ。僕は妹が死んだとは思っていないんだよ」
「……それは」
「そんなに複雑な顔をしないでくれ。別にショックで気が触れたわけじゃない。よく聞いておくれよ……。僕はね、妹は行方不明になってしまったのだと思う」
「行方不明、ですか?」
「そう。いやね、最初はもちろん父の言葉を信じて悲しんだよ。だけど、どうだろう。それからしばらくして、僕は城内をこっそり探検した。そのとき、聞こえてきたんだよ。死んだはずの妹の声が」
「幽霊というやつで?」
「いいや。そんなんじゃないよ。それは地下牢から聞こえてきたんだ。そんなところに妹が化けて出るはずがない。妹はおそらく、そこで囚われていたんだ」
「何のために?」
「それがわからないから、僕はそれからしばらく調査を続けた。調査と言っても、ただこっそりと地下牢に足を運んだだけだけどね。そのとき、僕は見張り番など気にせずに走り込んで確かめてやればよかったんだけど。怖くて見張りの死角にうずくまっているのがやっとだった」
「それは、本当に妹君だったのでしょうか?」
「ああ。きっとそうだよ。いや、さっき言った通り、見てはいないんだけどね。僕が間違うものか。でも、しばらく経ったある日を境に、妹の声はぱったりと聞こえなくなったんだ。どうしてだと思う?」
「それは……。物語ならばきっと、妹君が勇気を出してお逃げになったことでしょう」
「ああまさに。その通りかもしれないんだよマーレ。その前の晩、丁度地震があったんだ。揺れが激しくてね。僕も夜中に飛び起きたさ。恐らく、その騒ぎに乗じて妹は逃げおおせたのだろう。何しろ妹は賢かったからね」
「なるほど」
「でも、このことを誰に伝えても、気を疑われるか笑われるか、はたまた黙り込まれるかで、僕はすっかりこの話をすることを止めてしまっていたんだ」
「私などに話してよろしかったのですか?」
「うん。君には話したくなったんだよ。それで。君はこのおとぎ話を聞いて、一体何を思ったのか。正直に言ってごらん」
「きっとそれが真実なのだと思います。おとぎ話のようですが、フュール王子とて賢いお方。きっと妹君は今もどこかで生きているのでしょう」
「君が言うと本当にそう思えてくるよ。ありがとう」
王子がマーレに微笑んだ時、丁度メイドがお菓子を持ってきました。
「君、ちょっといいかい?」
「あっ。はい……。きゃあ!」
手招きされたメイドが目の前に来ると、王子はその手を掴もうとしました。が、しかし。その手は、ばちりと音を立てて弾かれ、メイドはその痛みによろよろと倒れました。
「君、明日からは他の仕事に回ってくれ。新しいものをまた雇うから」
「そんな、私はもっと貴方の笑顔が見たいわ……! お願いですから、もう一度だけさっきの笑顔を……!」
「誰か! 連れていけ」
微笑みを見てしまったメイドは、可愛そうに二度と王子の目に触れることのないよう、兵士たちに連れてゆかれました。
「随分モテるんですね」
「すまない。今のは僕の不注意だった」
「貴方の顔がわからないのは、さぞかし勿体ないんでしょうね」
「君はわからなくていい。いや、どうか僕が見えないままでいてくれ」
「フュール王子……」
マーレの手をそっと包んだ王子の手は、震えていました。
「幾ら想われたって、誰も触れないんじゃ惨めなものさ」
「すみません。失言でした。さぞお辛かったことでしょうに」
マーレは王子の震える手に指をそっと絡ませると、そのまま身動きもせずにしばらく時を過ごしました。
「ああ。マーレ。やっぱり君は素晴らしい。……君とはずっと、なにもかも忘れてこうしていたいものだ」
一向に弾かれることのないマーレの手を握りしめながら、王子は自分がマーレに恋い焦がれてゆくのを感じました。
そんな風に、二人で過ごす日々を重ねてしばらく。
いつものように、王子とマーレは庭でお茶を飲みながら取り止めのないお喋りをしていました。
「マーレ。君が望むならば、僕は君をこの城に住まわせたっていいんだ」
「お心遣いは嬉しいですが、そんな冗談、言うものではないですよ」
「冗談なんかじゃない。僕は本気だ。何しろ僕は、マーレ、君のことが……」
「危ない!」
「え?」
王子が思い切って告白しようとした瞬間、マーレは叫びながら、王子を押し倒しました。
「チッ。邪魔ナ」
王子が顔を上げると、そこには白い羽の生えた天使がいました。こんな状況でなければ、きっと王子はその神々しさに祈りを捧げていたでしょう。
しかしその天使は、華奢な腕に似合わぬ大剣で王子を殺そうとしたのです。
「どうして、天使が僕を……」
きぃん!
天使とマーレの剣がぶつかり合う音が幾度も繰り返される中、誰かに助けを求めようと王子は辺りを見渡しました。
しかし、見えるのは天使に倒されてゆく兵士たちの姿。聞こえるのは人々の悲鳴。そして。
「何だよ、あれ……。どうして、天使が人間を食べて……」
その光景を見た瞬間、王子は吐きそうになるのを何とか堪えて目を逸らしました。
あれは何だ? 天使の皮を被った悪魔か?
とても現実のこととは思えぬ事態に、王子はすっかり青ざめて目の前の剣戟を見つめました。
「もう少しで済みます。フュール王子。しばらくお待ちを」
マーレはそう言うと、目の前の大剣を弾き、天使の手から落としました。
マーレの瞳はやはり閉じたままで、どうして見えていないはずなのにそんなに強いのだろうと、王子はぼんやり思いました。
「やはり貴方は『マレディオン』ダ。何故こんなところで人間の真似事をしているかは知らないガ、邪魔はやめてくれませんカ?」
「マレディオン……?」
得物を失った天使が悪態をつくように呟いたそれは、悪魔の名前でした。そう。その名は確か――。
「邪魔はそっちだ。ついに天を食い尽くしたか」
冷たく呟かれたそれは、今までのマーレとはまるで別人のように響きました。
「ええ。それでもワタシたちは足りナイ。だからここに来たのデス」
「怪物どもが。お前たちの好きにさせるものか」
「それが大天使様のご命令デス。悪魔、貴方はそれを邪魔してはいけナイ。ワタシたちは忙しいのデス。悪魔なんかよりも人間の方が弱く、食べやすイ。天から逃げ延びた悪魔に構っている暇などナイ」
「そんで今度は地獄にでも追い詰めるつもりか?」
「貴方たちにはお似合いの場所かト」
「随分と舐められたものだな」
ふいにマーレの体がゆらりと揺れ、不気味な湯気のようなものが立ち込めました。
「マーレ……?」
王子が思わず目を擦り、もう一度目を開けると。
そこには目の覚めるような赤い瞳と、全てを塗りつぶすような黒い羽がありました。
その足元には、真っ白だった天使が真っ赤に染まって横たわっているのです。
その姿を見た者は天使だろうと人間だろうと、きっと悪魔だろうとひとり残らず恐怖を感じるでしょう。
「どうして……。悪魔が……」
「フュール王子……。これが本当の私だ」
「あ……」
「これでも、お前はその愚かな口で私に愛を紡ごうとするか?」
「そ、れは……」
王子は悪魔から一歩下がり、また一歩と距離を取りましたが……。
「危ないッ――!」
*
あるところに少女がいました。
少女は名をリリアといい、大層綺麗な娘に育ちましたが、悪魔の呪いで醜くなってしまい、そのままお城の地下牢に閉じ込められていたのです。
しかしあるとき、リリアは地震で兵士が混乱している隙に、鍵を奪って牢から逃げ出したのです。
どこに行けばいいのかもわからないまま、リリアは森を彷徨いました。
「ああ。どうせワタシが生きていても、人々を不快にさせるだけだもの」
身も心もボロボロのままに歩き回って、ついにくたびれてしまったリリアはいっそのこと死んでしまった方が良いとさえ思いました。
その機会はすぐに現れました。
「あ……ああ……。おねがい、来ないで……」
『グルルルルル……』
お腹を空かせたハウンドたちが、リリアの前に立ちはだかったのです。
死を願ったはずのリリアも、いざ獣に襲われると怖くなって逃げようとしましたが、足が竦んでしまって動けません。
「だれか……。ああ、神様……」
リリアが目を閉じた瞬間、ハウンドがリリアに飛び掛かりました。
リリアはきっと自分の腹はもう裂かれてしまったのだと、眩暈がしました。
「でも、思っていたよりも全然痛くないのね……」
「お前は何を言ってるんだい?」
『キャウン!』
「え……?」
リリアが慌てて目を開けると、そこには襲い掛かろうとした体制のまま空中で止まったハウンドたち。そして、それに向かって手を翳している美しい女の人がいました。
なんて綺麗な人なのかしら……。
リリアは、まだ綺麗だった頃の自分よりももっと綺麗な彼女に見惚れてしまいました。
彼女は黒い衣装に変な形の帽子を身に着けた大人の女性でした。
彼女が手を振るうと、ハウンドたちが地面に落ちました。ハウンドたちは、情けない鳴き声を出しながら、尻尾を巻いて逃げてゆきました。
「まるで魔女みたい……」
「まるでじゃなく、本物の魔女だよ。お嬢ちゃん」
リリアが我に返ると、魔女はリリアの方をじっと見つめていました。
「きゃあ!」
魔女の視線に慌てたリリアは悲鳴を上げ、魔女に背を向けると、地面にうずくまって恥ずかしがりました。
「何をそんなに恥ずかしがっているんだい?」
「だって、ワタシ……。こんなに醜い顔だから……」
リリアはそう言って自分の顔に手を当てました。
この顔になってから、人々はことごとく嫌な顔をするのです。
美しい魔女だって、きっとそんな顔をするんだと思うと、何だかリリアの心が張り裂けそうになったのです。
「アタシはそうは思わない。顔なんていわばお飾りだもの」
「貴女はとっても綺麗だものね」
「これこそただのお飾りさ。都合がいいからこんな整った顔にしてるだけ。アタシは本当の姿なんてないからね。魔女ってのは影から生まれた存在なのよ」
そういえば昔、まだリリアが綺麗で可愛がられていた頃に聞いたことがありました。天には人間以外の者たち――魔女や悪魔、天使がいて、時々人間の世界に遊びにくるのだと。
その中でも、魔女は気まぐれで、会ったら何をされるかわからない、見かけに騙されてはいけないと教えられたのです。
「でも、やっぱり魔女は綺麗」
リリアは遠慮がちに魔女の瞳を見つめました。その紫の瞳は薄暗い森の中でさえ美しく輝いているのです。
「アタシはお嬢ちゃんの方がよっぽど綺麗だと思うけどね」
「慰めはやめてよ。そんなものは惨めになるだけだわ」
「そんなんじゃないよ。ただ、神様だのに祈るお嬢ちゃんが素直で可愛いなと思っただけ」
「……可愛い?」
「そ。アタシなんか、そんな風に生きることに必死になれないもの。そんな風に人を頼れないもの」
「それは、ワタシが弱いってことじゃ……」
「所詮は人間だもの。当たり前。でも、それがアタシには妙に美しく見えるのよ」
「わかんない……」
「ええ。そうだろうね」
そう言った魔女は少しだけ寂しそうに笑いました。そしてそれ以上何も言わず、リリアに背を向けると森の中へ歩いてゆきました。
「ま、待って……!」
リリアはその背が見えなくなる前に、駆け出していました。勝手に動いた足と口にリリア自身驚きましたが、どうしても去り際の魔女の表情が忘れられなかったのです。
それからリリアは魔女と一緒に森の中で暮らすことになりました。
魔女はリリアを追い返そうとしましたが、リリアが泣いて叫んで魔女を掴んだっきり放そうとしないので、仕舞いには魔女も折れてしまったのです。
「まぁいいさ。好きにしな。きっとアンタもそのうち飽きるだろうよ」
しかし、魔女の予想とは裏腹に、リリアは大きくなってからもずっと魔女の傍にいました。
野草を取るために出掛ける時も、薬の調合をするときも、ずっと離れることなく傍にいたのです。
「こんな地味な毎日、お姫様であるアンタにはつまらなくないのかい?」
「いいえ。全然。牢で泣いているよりずっと健康的だし、なんだったら姫として皆から猫かわいがりされていたときよりもずうっと今が楽しいもの!」
「そりゃ言い過ぎさ」
「いいえ。本当のことよ。だからメイ、貴女さえよければワタシはずっと貴女といたいの」
「困った子だ。でもまぁ好きにしな。最初にもそう言っただろう。リリアが飽きるまではアタシも、アンタを養ってやるよ」
「飽きるだなんて。メイ、ワタシは貴女が好きなのよ。メイ以上に大事なものなんてないわ。もう何度もそう言ってるじゃない」
「お前はまたそういうことを言う」
「ワタシは本気よ。子ども染みた感情なんかじゃない。メイ、貴女を愛しているの。なんならキスしてやれば信じてくれるのかしら」
「年頃の娘が馬鹿を言うんじゃないよ。全く。それ以上馬鹿なことを言うとここから追い出してやるからね」
「……メイは、意地悪だわ」
「意地悪なのは魔女のサガさ」
拗ねたリリアを魔女は優しく撫でてやると、リリアは居心地が悪そうにもぞもぞと身をよじりました。
「お前にもきっとそのうち良い運命が訪れるさ。今に良い王子様が助けに来てくれるからね。それがお姫様の特権ってやつさ」
リリアは、今すぐにでも優しく撫でつける魔女の手を払って、「そんな運命やら特権なんていらないわ! ワタシが欲しいのはメイの愛だけなの!」と叫んでやりたい気持ちでした。
でも、それをしてしまったら、きっと魔女は今以上に困ってしまうのです。
それに、リリアはもう少しだけ魔女の優しい手を感じていたかったのです。
ああ。神様。ワタシはこんなに幸せで良いのでしょうか。ワタシは化け物みたいなものなのに。今はきっとフュールよりも幸せな自信があるもの。
リリアは、たとえ魔女に自分の愛が受け入れられなくても、傍にいられるだけでいいとさえ思いました。
リリアにはわかっていました。魔女はとても優しいから、自分を追い出すことをするわけがないのだと。リリアはもうそれだけで、とてつもなく幸せな気分になれるのです。
だから、リリアはこの森から出たいだなんて、ちっとも思っていませんでした。自分の故郷などすっかり忘れてしまっていました。いえ。忘れてしまっていたはずだったのです。
「あれは……、なに……?」
いつものように薬草探しの手伝いをしていたリリアは、足を止めて空を指さし、魔女に問いかけました。
リリアが指さした空は、真っ白に埋め尽くされていて、リリアはそれを見た瞬間によくないことが起こりそうな予感がしたのです。
「あれは、天使だ」
空を見上げた魔女の瞳には、はっきりと憎悪が込められていました。
リリアは、魔女がそんな表情をしたところなど今まで見たことがなかったので、驚きました。
「天使がどうしてここに……」
リリアは本物の天使など見たことがありませんでした。同じ天に住む悪魔と魔女は人間界を度々訪れ、人間と商売やら契約やらを交わすこともあるらしいのですが、天使が人間界に訪れたという話は聞いたことがありません。
それに、空を埋めるほどの数です。それらはよく見ると、各々武器を持っているのです。これはただ事ではありません。賢いリリアにはわかってしまいました。天使たちは戦争をするつもりなのだと。
そしてその行く先に思い当たったとき、リリアはすっかり青ざめて震えました。
そう。天使たちが向かう先には、リリアが生まれた国があるのです。
「ああ、魔女。ワタシは行かなくてはいけない」
リリアは、もう随分先へ行ってしまった魔女の背中を見ながら、聞こえないように呟くと、魔女にわからないよう静かにその場を離れました。
リリアが目指すのは、もちろんリリアのいた国でした。
リリアは、どうしても国の安全を確かめたかったのです。幼い頃に教え込まれていた王族としての心得が残っていたのでしょう。いや、そうでなくとも心が良く育った彼女はきっと同じことをしたのでしょう。
リリアは国に近づくにつれて、記憶を手繰り寄せていました。
お父様とお母様はあの日、ワタシの顔を見て酷く青ざめていたわ。お母様なんて、涙を流して床に座り込んでしまって……。それからワタシのことを牢に閉じ込め、ワタシのことを忘れてしまった。
「だけど、ワタシが醜くなる前はとっても優しい両親だったの」
フュールは今も変わらずに、ワタシの分までお父様とお母様の愛を受けているのかしら。
だけど、リリアには全くといっていいほどに、妬みや嫉みの感情が湧いてきませんでした。
リリアを醜い顔に変えた悪魔に対してでさえ、恨みなどあまり湧いてこないのです。
「だって、ワタシには魔女がいた」
そう。リリアは魔女のおかげで、絶望することも復讐心に駆られることもなく、真っすぐ育つことができたのです。
「だから、ワタシは昔に愛した国を助けなければいけない」
リリアは薬草を刈り取るために持っていたナイフを握りしめました。すると、手はカタカタと小刻みに震えました。リリアがその手をもう片方の手で押さえつけようとしたとき。
「お前が行って何になるっていうのさ?」
地面に張り付いた自分の影が揺れ、みるみるうちに形を変えてリリアの目の前に立ちはだかりました。
「メイ! どうしてここに……」
「どうしてって。アタシが気づかないとでも? それに「どうして」はアタシの台詞さ。お前、自分の国を助けようとしているね?」
「……ええ。メイにはなんでもわかっちゃうのね」
「お前の考えることなんて、魔法を使わなくたって嫌でもわかるさ」
魔女の声音は、本人も気づかぬうちに慈愛に満ちた声になっていて。リリアはそれが堪らなく愛しく、狂おしいほどにリリアの耳を焦がしました。
「ああ。メイ……」
「いいかい? あの国はお前を捨てた。王も妃もお前に散々酷いこと言った。今帰ったとして、化け物扱いされるのは目に見えているだろう? それとも、お前はまた牢に閉じ込められたいのかい?」
魔女の忠告は、確かにリリアの胸を刺しました。だけど、リリアだってそんなことは覚悟の上なのです。
「でも、それでも、私は行かなくちゃ。この国の姫として、フュールの妹として、全ての人々の隣人として」
リリアは、しっかりと魔女の瞳を見つめ、言い放ちました。
「……ほんと、綺麗だわ」
青く澄んだリリアの瞳は果てしなく美しく、魔女は一瞬全てを忘れ、その美しさに感心してしまいました。
*
「危ないッ――!」
王子の後ろから迫る天使の剣に、悪魔が叫び手を伸ばしましたが間に合いません。
「メイ! お願い!」
「ったく!」
もう駄目だと思ったその時、悪魔の耳に二人の女性の声が聞こえてきました。
「ぐッ……!」
その瞬間、天使の剣は遠くから飛んできた魔法によって跳ね飛ばされ、その隙をついた悪魔が見事に天使を退けました。
しかし天使たちの数は多く、あっという間に次の天使が王子を襲うのです。
「フュール! ああ、やっぱりあれはフュールだわ! だって、あんなに綺麗に成長して……!」
「リリア! 少し待て! アタシから離れるな!」
魔女は、リリアに近づく天使を片っ端から消しました。それでも、天使の数は減らず、王子に近づくことさえままならないのです。
「これは相当に骨が折れるね……」
魔女が悪魔の方を見て、そう悪態をつきました。
「あの悪魔、てっきり天使と一緒になってフュールを襲っているのだと思ったのに。どうして、フュールを庇っているのかしら……?」
リリアが悪魔に目を向けると、悪魔は相変わらず迫りくる天使を薙ぎ払い、王子を守っているのです。
その剣は、ひと振りするごとに数百もの天使を吹き飛ばし、あれだけ魔女が払っても減らなかった天使も、少しずつ数を減らしてゆき……。
天使も残りわずか、というところで、それは起きました。
「きゃあ!」
「リリア! くそ!」
突風が起きたかと思うと突然、リリアが空へ攫われたのです。もちろん、魔女もすぐに取り返そうとしました。が、強風により、その体は地面へと叩きつけられてしまいました。
「お前たちは悪魔と魔女ですネ? なぜ私たちの邪魔をするのデス? 貴方たちのせいで、私の可愛い天使たちが、こんなにも減ってしまッタ!」
甲高い声で空から見下ろすそれは、白い羽を幾重も背負った天使――大天使でした。
「リリア……。もしかして、リリアなのか?!」
悪魔に守られていた王子が、弾かれたように叫びました。大天使に攫われたことで、初めてリリアの存在に気づいたのです。
「ああ。フュール! ええ。そうよ。ワタシは貴方の妹リリアよ。ワタシは、この国を助けたいと思って……。それなのに……。ああ、放して頂戴! メイ! メイは無事なの?!」
「リリア! アタシは無事さ! きっと今助けるから!」
そう言って魔女は大天使に魔法をぶつけよとしましたが、再び振るわれた剣により、地面に叩きつけられてしまいました。
「メイ!」
「……氷壁の魔女がどうして人間に味方しているんだ?」
「氷壁の、魔女……?」
訝し気に呟かれた悪魔の言葉に、聞き覚えのあった王子は記憶を遡りました。それは昔、悪い魔法を使ったせいで人々に閉じ込められたという魔女の名前だったのです。
「それに、まさか大天使まで下りてくるとは。最悪のシナリオだ」
「おや。お前はマレディオンではないデスカ。お前の父親には手を焼きましたヨ。中々悪魔たちを差し出してくれなかったからネェ!」
「やはり父はお前が殺したのか?」
「ええ。勿論。そして、次は貴方の番デス!」
大天使が手に持った剣をひと振りすると、強風が起き、地面が抉れてゆきます。
「ぐっ!」
悪魔は、それが王子を狙った攻撃だと知り、真正面からそれを受け止めました。
「マーレ!」
それが一撃で終わるはずもなく、次々と繰り出される攻撃に、悪魔は身を挺して王子を庇い続けました。
程なくして、悪魔の体が崩れ落ちました。
「ぐ……」
「マーレ!」
王子が悪魔の元へ駆けつけようとしましたが、悪魔はそれを制し、大天使を睨みつけました。そして、同じく地面に倒れ伏す魔女を一瞥すると……。
「はあっ!」
大天使に渾身の力で剣を振るいました。
「はっ。そんな力で私が倒れるはずがナイ!」
大天使は向かってくる悪魔の剣を受け止め、薙ぎ払いました。が。
「今だ、魔女!」
悪魔の血が舞うその影から、ぬっと魔女が現れると、即座に大天使に向かって魔法を放ちました。
「ナニ……!?」
悪魔と魔女が協力するなど夢にも思っていなかった大天使は、まんまと隙を突かれ、魔女の魔法によって凍らされてしまいました。
「リリア。大丈夫かい?」
大天使が凍り付く前に助け出したリリアに、魔女は優しく問いかけました。
「ええ。魔女。ごめんなさい。ワタシは貴女に怪我を……」
「アタシは大丈夫さ。それより……」
「マーレ! しっかりしろ!」
「う……。悪いけど。少し、力が足りなくて……」
リリアが魔女の視線を辿ってみると、見るからに顔色悪く体中から血が流れ出ている悪魔を、王子が大事そうに抱き起していました。
「随分と情けないザマね。マレディオン」
「ああ魔女か。さっきは助かった。ありがとう」
「悪魔にお礼を言われる日が来ようとは。でも、アンタもわかってんだろ。まだ終わっちゃいない」
「え……。終わってないって。どういうことです?」
黙り込んだ悪魔の代わりに王子が答えると、魔女はため息をついて大天使に目を向けました。
「あれは一時的に凍っているだけさ。時間がたてば、氷も解ける」
「そんな……」
「メイには倒せないの?」
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「あっ。でも、悪魔なら……!」
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「でも……」
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「魔女!」
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「この場でヤツを超えられるのはアンタしかいない。アタシの力じゃ人間を、リリアを救えないんだ……! アンタが何を考えて血を飲まないのかは知らないが、アタシはアンタを頼るしかないんだよ。お願いだから、アンタの力でリリアを脅威から救ってくれ!」
「メイ……」
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今まで黙り込んでいた王子がようやくその口を開くと、静かに腕を捲りました。
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「うん」
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王子は自分の手の甲を唇でなぞると、今度は悪魔に口づけを落としました。
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